非核三原則

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非核三原則(ひかくさんげんそく)は、「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という三つの原則からなる、世界的に特異な日本国是[1]

3項目目の表現には、「持ち込まさず」と「持ち込ませず」の2通りがある。 ノーベル賞を受賞した佐藤栄作が出した原則である。

目次

[編集] 経緯

日米安保条約の改定を1960年に控えた内閣の頃から、日本の核政策が議論されるようになった。背景には米ソの冷戦と冷戦時代の核競争がある。

1955年12月15日参議院商工委員会での原子力基本法の審議で、中曽根康弘議員が「原子力燃料を人間を殺傷するための武器としては使わない」と答弁して、「核兵器を作らず」の原則について与野党の合意が形成された[2]

1957年2月5日の衆議院本会議で、アメリカ軍の原子力部隊構想への政府の対応を問う質問があり、岸信介内閣総理大臣臨時代理・外務大臣は、

 原子部隊の問題につきましては、これは新聞の誤まった報道がいたく国民の気持を刺激したと思いますが、責任ある国務省及び国防省は、これは事実ではないということを言明いたしております。また、そういう場合におきましては、すべて日本政府と話し合いをすることになっております。私どもは、あくまでも、日本国民の考えや、各種の日本の自主的な立場から、この問題に対する日本の態度をきめたいと考えております[3]

と答弁したが、事前協議にどのように対応するかを明確にしてほしいいう質問に、2月8日衆議院予算委員会で、

 なお和田君の御質問のごとく、日本の国民の感情からいい、また防衛の態勢からいって、日本に原子爆弾を持ち込むというような事柄はいかなる意味においてもこれは適当でないというお考えに対しましては、私は全然同感でありまして、また先日来質問がありましたアメリカの原子部隊と称せられるものの日本への進駐の問題については、私はしばしば答弁をいたしましたように、事実は新聞で伝えられているような事実でない、責任ある国防省及び国務省もこれを否定しているし、従ってこの際日本がすぐ抗議を申し込むとかなんとかいう時代ではない、相談がいずれあるから、相談された場合においてわれわれは自主的な立場でこれを考えたいと申しておりますが、しかしお話のごとく、私はこの原子部隊を日本に進駐せしめるというような申し出がありました場合においても、政府としてこれに承諾を与える意思はもっておりませんから、そのことは明瞭に申し上げます。[4]

と答弁して、「核兵器を持ち込まさず」の原則について始めて明確にした。

1957年5月7日参議院予算委員会で、岸信介総理は、

自衛権を裏づけるに必要な最小限度の実力であれば、私はたとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈としては持っております。しかし今私の政策としては、核兵器と名前のつくものは今持つというような、もしくはそれで装備するという考えは絶対にとらぬということで一貫して参りたい。[5]

と答弁し、「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」という憲法解釈を示しつつ、政策的には「核兵器を持たず」の原則を答弁した。

1957年5月15日[6]に政府の統一見解として「原水爆を中心とする核兵器は自衛権の範囲に入らないが、将来開発されるものなどをことごとく憲法違反とするのはいきすぎである」と表明。1959年3月2日の参議院予算委員会でも「防衛用小型核兵器は合憲である」との判断を明らかにしていた。

国際情勢は1962年キューバ危機を経て池田内閣の1963年8月14日部分的核実験禁止条約に調印、翌1964年6月15日に批准。やがて60年代末から米ソデタントとなる。

1967年12月8日衆議院本会議で、公明党竹入義勝議員が「小笠原の返還にあたって、製造せず、装備せず、持ち込まずの非核三原則を明確にし得るかいなか、見通しを伺いたい」と質問したのが、国会議事録に非核三原則が載った最初である。[7]

1967年12月11日衆議院予算委員会において日本社会党委員長の成田知巳が、アメリカ合衆国から返還の決まった小笠原諸島核兵器を再び持ち込むことへの可能性について政府に対して質問した際、佐藤栄作内閣総理大臣が、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を示した[8]

1968年1月30日施政方針演説においても佐藤総理は、この三原則を含めた核政策の4本柱を表明(非核三原則、核廃絶・核軍縮、米の核抑止力依存、核エネルギーの平和利用[9]した。

その後、返還後の沖縄においても非核三原則が適用されるのかという問題に関して三木武夫外務大臣は当然適用されると主張したのに対し、返還交渉がこじれる事を危惧した佐藤栄作が三木発言を非難するなどの紆余曲折があった[10]

1971年11月24日、佐藤栄作は最終的に非核三原則を沖縄にも適用させるべきと決断し、衆議院沖縄返還協定付帯決議として「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議を議決した。

1972年10月9日核の脅威に対してはアメリカ核抑止力に依存すると閣議決定した。

1974年、非核三原則を示したことによって佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した。

1976年4月27日衆議院外務委員会核兵器不拡散条約採決後に、

(1)政府は、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずとの非核三原則が国是として確立されていることにかんがみ、いかなる場合においても、これを忠実に履行すること。

という項目を含む付帯決議をした[1]参議院外務委員会においても5月21日に、

(1)核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則が国是として確立されていることにかんがみ、いかなる場合においても、これを忠実に遵守すること。

という項目を含む付帯決議を同様に決議した[1]。「持ち込まさず」と「持ち込ませず」の2通りの表現が使われている。

1978年5月23日衆議院で、第1回国際連合軍縮特別総会に関して、「非核三原則を国是として堅持する我が国」という表現を含む決議を採択した。また、同様の表現を含む国会の決議は、核軍縮に関する衆議院外務委員会決議(1981年6月5日)、第2回国際連合軍縮特別総会に関する衆議院本会議決議(1982年5月27日)及び参議院本会議決議(1982年5月28日)でされている[1]

[編集] 法的位置づけ

「核兵器を持たず、作らず」の日本独自の核兵器の保有・製造に関する2項目については、1955年に締結された日米原子力協力協定や、それを受けた国内法の原子力基本法および、国際原子力機関(IAEA)、核拡散防止条約(NPT)等の批准で法的に禁止されている。

しかし、非核三原則は国会決議ではあるが法律ではないため、非核三原則の最後の原則である「核兵器を持ち込ませず」には法的な拘束力はないとされている。

[編集] 歴代内閣

佐藤内閣以降の歴代の内閣総理大臣は施政方針演説等において、この三原則を遵守することを表明している[11]。これは非自民首相であった細川護熙羽田孜村山富市も三原則の遵守を表明していた。

2002年5月30日福田康夫内閣官房長官オフレコとして「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が変化したり、国民世論が核をもつべきだとなれば、変わることがあるかもしれない」「核兵器は理屈から言って持てる」「政策判断として持つのはやめるというのが非核三原則」という日本国防衛上正当とされるが、歴代内閣の流れを覆すかの様な発言をして物議を醸した。このとき石原慎太郎が激励の電話を入れた上で『諸君!』1970年10月号に載せた論評「非核の神話は消えた」の全文コピーを送っている。

[編集] 日本への核の持ち込み

そもそも「核の持ち込み」の定義については、日米間に相違がある。すなわち、米国政府の理解は、「持込み(introduction)とは核兵器の配置や貯蔵を指すものであり、それ以外は、「transit」として一括し、「transit」には寄港、通航、飛来、訪問、着陸が含まれ、共に事前協議の対象外であるとするもの」である。これに対して日本側では、「transit」も「持ち込み」に当たると解釈する。この米国側の解釈と日本側の解釈の違いが、さまざまな混乱の元であるとされている(1984年7月16日 参議院議員 秦豊による質問主意書 第10~14)。

2008年11月9日放映の『NHKスペシャル』「こうして“核”は持ち込まれた~空母オリスカニの秘密~」において、朝鮮戦争時の1953年アメリカ海軍航空母艦オリスカニーが核兵器を搭載したまま日本横須賀港に寄港していたことが明らかになった[12]。また、第2次岸内閣 (改造)当時に結ばれた、持ち込みを黙認する密約の情報は外務省中枢と北米局・国際法局で文書にして管理された。上記の件は非核三原則が表明される前の出来事である。

その後、非核三原則が表明された後大平正芳橋本龍太郎小渕恵三など一部の内閣総理大臣や外務大臣にのみ、官僚の判断で伝えられ彼らもまた密約を了承していたアメリカの文書が2009年5月に確認されている(社会民主党の村山富市には知らされなかった)[13]。またカート・キャンベル国務次官補も2009年9月に来日した際、持込みに関する密約は事実存在し「非核三原則」は有名無実である旨言明した[14]。また1994年に佐藤首相の密使を務めたとされる若泉敬が「1969年11月に佐藤・ニクソン会談後の共同声明の背後に、有事の場合は沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという秘密協定に署名した」と証言している。この証言が国会で持ち出されて核の持ち込み密約の有無について質問された際、非自民首相の羽田孜は核の持ち込み密約を否定する答弁を行った。

衆議院において非核三原則を遵守する旨の決議がおこなわれているが、実際に守られているかどうかは疑わしい点が多い。実際、「持ち込ませず」に関しては、ジーン・R・ラロック国防情報センター所長(退役海軍少将)の証言、ライシャワー駐日大使の発言など、それに反することを過去の日本政府がおこなったとする証拠も存在する。アメリカは、自国艦船の核兵器の搭載について「肯定も否定もしない」という原則を堅持しているが、日本に寄港する米軍艦船が核兵器を保有していないとは軍事の常識としてあり得ないとされる(上述。ラロック証言より)。これについて日本政府は「事前協議がないのだから、核もないはず」としているが、これは逆に「協議を申し出るか否かは米軍の自由であり、協議抜きで内密に持ち込む」可能性をも物語っている。

また、反核政策により核兵器を搭載していると思わしきアメリカ艦艇の寄港を拒否したニュージーランドは、その際に、日本を出港したアメリカ艦艇がそのままニュージーランドへ寄港を希望した場合の対処について、苦慮したと言われる(現在までそのような問題は生じていない)。

これらの問題について、2009年9月、鳩山由紀夫内閣で外務大臣となった岡田克也は、沖縄返還西山事件)に絡むものも含めて全て調査し11月末を目途に公開するよう外務省に命令した。これにより「非核三原則」に関する過去の日本政府の運用が解明されることが期待される。

2009年10月20日、亀井静香国務大臣が大平政権当時、大平首相が核の持ち込みの事実があることを公表する意向であったが、周囲の反対により取りやめになったことを明らかにした。非核三原則が有名無実であったことが明らかになったため、これ以上非核三原則の厳守を主張することは無意味だとの意見が増加するとされている[15]

[編集] 脚注

[編集] 文献

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月18日 (水) 04:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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