韓国野球委員会

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韓国野球委員会
各種表記
ハングル 한국 야구위원회
漢字 韓國 野球委員會
平仮名
(日本語読み仮名)
かんこくやきゅういいんかい
片仮名
(現地語読み仮名)
ハングク=ヤグウィウォネ
ローマ字転写
英語
Hanguk yaguwiwonhoe
Korean Baseball Organization (KBO)
  
韓国野球委員会
分類 プロ野球
開始年 1982年
参加チーム 8
加盟国 韓国
前回優勝チーム 起亜タイガース

韓国野球委員会(かんこくやきゅういいんかい)は韓国プロ野球の球界団体。韓国にプロ野球が生まれた1982年に設立されている。英名より韓国野球機構と訳されることもある。

韓国のプロ野球は、2009年現在1リーグ制8チームで構成されている。

目次

[編集] 構成球団

球団名 縁故地 本拠地球場 収容人数 創設
斗山ベアーズ
(Doosan Bears)
ソウル特別市 蚕室総合運動場野球場 30,500人 1982年1月15日
LGツインズ
(LG Twins)
ソウル特別市 蚕室総合運動場野球場 30,500人 1982年1月26日
起亜タイガース
(Kia Tigers)
光州広域市 光州無等総合競技場野球場 13,400人 1982年1月30日
三星ライオンズ
(Samsung Lions)
大邱広域市 大邱市民運動場野球場 10,000人 1982年2月3日
ロッテ・ジャイアンツ
(Lotte Giants)
釜山広域市 社稷野球場 28,500人 1982年2月12日
ハンファ・イーグルス
(Hanhwa Eagles)
大田広域市 大田ハンバッ運動場野球場 10,500人 1985年3月11日
SKワイバーンズ
(SK Wyverns)
仁川広域市 文鶴野球場 27,800人 2000年3月31日
ヒーローズ
(Heroes)
ソウル特別市 木洞野球場 14,000人 2008年3月24日
  • この他、二軍リーグのみ、尚武野球部(兵役軍隊のチーム)と警察庁チームが参加している。

[編集] 過去に存在した球団

球団名 縁故地 本拠地球場 収容人数 創設 消滅
サンバンウル・レイダース
(Ssangbangwool Raiders)
全羅北道全州市 全州公設運動場球場 10,000人 1990年3月31日 2000年1月6日
現代ユニコーンズ
(Hyundai Unicorns)
仁川広域市
ソウル特別市
仁川公設運動場野球場
水原総合運動場野球場[1]
14,000人 1982年2月5日 2008年3月10日
  • いずれも解散時のデータ。

[編集] チーム名・本拠地の遍歴

チーム名 遍歴
斗山ベアーズ
  • 1982~1998年までOBベアーズ
  • 1999年にOBブランドの持ち主である子会社のOB麦酒(創設当時の社名は東洋麦酒で、OBはその英語名Oriental Breweryの略称)が株式売却により斗山グループから分離、球団は斗山グループが持ちつづけることによって現チーム名に。
  • 当初、縁故地(ホームタウン)は親会社の縁の地であるソウルを希望。だが、MBCもソウルを縁故地として希望していたことと、韓国中部圏の大都市である大田市が空席となることから、縁故地配置のバランスを測ったKBOとの協議で新球団創設を前提に1984年までは大田広域市を使用し、1985シーズンからソウルに移転することに合意。
  • 1985年、約束どおり大田を縁故地にするビングレ(後にハンファ、後述)の加入と伴い、ソウルに移転。
LGツインズ
  • 1982~1989年までMBC青龍(チョンニョン)。英語圏ではMBCブルードラゴンズ(または単にMBCドラゴンズ)と紹介された。
  • 度重なる成績不振によってMBC放送局の首脳部が経営意欲を喪失して、1989年シーズンオフ、130億ウォン(当時のレートで約26億円)でラッキー金星グループに売却。チーム名は新しい親会社の頭文字を取ってLGの名を冠する。
  • 縁故地はMBC球団創設時からソウル特別市。
起亜タイガース
  • 1982年~2001年7月はヘテ・タイガース
  • 2001年8月に起亜自動車が買収し同シーズン途中、現チーム名に。
  • 本拠地は創設の時から光州広域市。フランチャイズ保護区域は光州広域市のほか全羅南道全羅北道の全域。サンバンウル・レイダースの創設時に全羅北道のフランチャイズを譲って、その補償金をもらったが、同チームの解散とともに同地域のおけるフランチャイズは再びタイガースに返還された。
三星ライオンズ
現代ユニコーンズ
  • 1982~85年前期は三美(サンミ)・スーパースターズ
  • 1985年後期~1987年は、元々プロ野球チームの営みに興味がなかった三美グループの球団売却によって青宝(チョンボ)ピントゥス
  • 1987シーズン後、化粧品メーカーの太平洋グループが球団を買収、1988~1995年は太平洋(テピョンヤン)ドルフィンズ
  • 1995シーズン後、太平洋グループが現代グループに球団をまた売却して1996年から現代ユニコーンズになった。
    現代に売却されるまでは、他の球団と比べて小規模な親会社を抱えて、チームが弱く、観客動員も低迷。これが数度に渡って球団が売却される主な原因だった。
  • 最初の縁故地は仁川広域市でフランチャイズ保護地域は仁川のほかに京畿道と江原道。また、暫定処置として北朝鮮全域もフランチャイズ保護地域に入る。
  • 1999年にサンバンウル・レイダースの解散とSKワイバーンズの誕生(後述)に伴って、縁故地のソウル移転を希望。移転当時は名目上はソウルを縁故地とするものの、ソウルに新たなプロ野球規格の球場が出来るまでの暫定本拠地球場として水原市内の水原球場に移転し、同時に空席となる仁川にSKが縁故地を定める。
  • その後、親会社である現代グループの分割相続による規模の縮小および経営不振から身売り話も取りざたされた。現代グループが球団経営を手放す意向を示して、2006年末から深刻な経営危機に陥った。2007年中には農協、STX、KTなどへ球団買収を打診したが、諸事情によって頓挫。
  • 2008年1月30日韓国の外資系投資会社であるセンテニアル・インベストメント社が新しい球団を創設する代わりに、球団の解散が決定。これはSKワイバーンズ球団加入の時同様、現代側への買収金およびユニコーンズが抱えていた負債の返済義務を省くため。
  • 2008年3月10日、韓国野球委員会の理事会で球団の清算手続きに入る事を議決して、これをもって球団の正式解散と見做される。解散時点での現代所属の選手たちの保有権は新球団「ウリ・ヒーローズ」に譲られ、殆んどがウリ・ヒーローズ所属となった。
ロッテ・ジャイアンツ
ハンファ・イーグルス
  • 1985年に大田広域市を本拠地にビングレ・イーグルスとして加盟。
  • 1986シーズンから1軍リーグに参入。
  • 1994年にビングレが韓国火薬グループから分離され、親会社の韓国火薬グループはハンファに名称変更。球団は親会社のハンファグループが保有しつづけることによりチーム名の冠をハンファに変更。
  • フランチャイズ保護地域は大田広域市のほか、忠清南道忠清北道の全域。
サンバンウル・レイダース
  • 1990年に加盟。ビングレ同様、加盟初年度は2軍リーグだけ参加。
  • 1991年から1軍のリーグ戦に参入。
  • 1999年限りで経営難により解散。
  • 縁故地は全羅北道全州市で、全羅北道全域をフランチャイズ保護区域で持っていた。
SKワイバーンズ
  • 2000年、サンバンウル解散による空位に新規加盟。
  • 仁川を縁故地としてもっていた現代ユニコーンズも同じく、仁川広域市、京畿道と江原道をフランチャイズ保護地域に持つ。また、暫定処置として北朝鮮全域もフランチャイズ保護地域に入る。
ヒーローズ
  • 2008年、現代解散による空位に新規加盟。
  • 命名権取得によって2008年からはウリ・ヒーローズ。 
  • メインスポンサーのウリたばこの要請で、2008年8月26日からスポンサー名を外すことを決定。チーム名がヒーローズに。
  • 縁故地はソウル特別市。

[編集] 概要

韓国は、1905年キリスト教のアメリカ人宣教師の手により野球が伝わったとされる。同年に設立されたYMCA野球団は、1912年11月、朝鮮スポーツ史最初期の海外遠征として日本で試合を行っている(成績は1勝5敗1分)。1920年頃が野球ブームのピークとなった。

第二次世界大戦後も各級学校における野球や社会人野球などは続き、1981年12月11日、三星、ロッテ、MBC、OB、ヘテ、三美の6球団により、プロ野球創立総会が開かれ、翌年の1982年にプロリーグ開幕し人気を博した。人気が加熱するあまりに暴動も起きたが、その後も観客動員数は順調に伸びた。1995年には、LGツインズとロッテ・ジャイアンツの2球団が年間100万人動員を超えるなど、2009年現在まで最多である総観客動員数が540万人を記録、プロ野球の人気は絶頂に達した。

しかし、1990年代中盤に2002年のサッカーワールドカップ誘致を巡って起きた日本との競争に触発されて、国全体にサッカーをサポートしなければならないというムードが形成され、状況が一変した。マスコミ報道もサッカーが優先され、人々の関心がサッカーの方に徐々に移ると同時に野球人気に陰りが見え始めた。それに加えて1997年の経済危機の影響も受け、低迷に拍車がかかる。2000年には5年前の半分にも満たない250万人、サッカーワールドカップが開催された2002年はそれを下回る239万人台まで観客動員が落ちた。

人気復活の対策としてFA制度導入や、1999年に2リーグ制(「ドリームリーグ」と「マジックリーグ」)導入など行ったが、観客動員数減少は続き、2001年には1リーグに戻っている。また2007年は親会社から資金提供を打ち切られた現代ユニコーンズの球団売却交渉が、KBOの不手際や他球団の反発なども重なり1年間で3度も失敗する事態となった。

2005年頃から観客動員は復調を見せ、2007年は動員数が11年ぶりに400万人を、2008年は13年ぶりに500万人を突破した。2009年は、前年の北京五輪優勝、開幕前のWBC準優勝など韓国代表の好成績もあり、新記録となる約592万人の観客動員数を記録した。

[編集] 外国人選手

1983年から在日韓国人および外国に帰化したもと韓国国籍の選手(韓国系日本人だけでなく、生まれながらアメリカの市民権を取得した韓国系アメリカ人も含む)に限って門戸を開放して、これらの選手が日本プロ野球においての外国人選手の役割を果たした。1983年の福士明夫(韓国名:張明夫)、1984年には新浦壽夫(韓国名:金日融)などが活躍して成功を収めた。これに刺激を受けて、その後もしばらくの間、日本プロ野球を経験した選手のスカウトが続いた。しかし、韓国プロ野球のレベルが上がるにつれ、日本で一定レベル以上の技量を持っていない選手は韓国でも通用しなくなり、韓国プロ野球で十分働ける選手は年俸の面で日本でプレイした方がましという状態になって、日本プロ野球出身者に対する関心は次第に落ちていった。

韓国プロ野球では設立以来長年にわたり、元韓国国籍以外の外国人選手を認めてこなかった。1998年より外国人枠が設定されたものの、1チームにつき2名に限るなど厳しい制限があり、また上述のように韓国で通用しそうなレベルの選手は年俸の面でつり合わないため、日本人選手が属することは少ない。また、2000年代以降は在日韓国人やそれに類する選手も期待以下の働きで2軍暮らしが続いて1年で退団するケースが続き、2009年は大原秉秀ハンファ・イーグルスに在籍するのみとなっている。

韓国プロ野球に所属した、元韓国国籍でない日本人選手
外国人の登録が認められていなかった時期だが、知人の韓国人の協力で身分をごまかして入団、在籍した。

[編集] 大会方式

[編集] 公式戦

現在の方式は8チームによる19回総当りのリーグ戦を行う。延長戦は、時間無制限で12回まで行い、決着がつかなかった場合は引き分けとなる。その他は9回までと制限されているダブルヘッダーの第1試合、及びコールドゲームの場合も試合終了時点で決着がつかないと引き分けとなる。また、全ての試合で指名打者制が採用されている。

引き分けは負けとして扱われ、勝率は(勝利数)/(消化試合数)で計算する。シーズン終了後は、結果的には勝利数の多い順で順位が決められるが、公式戦の途中の順位は勝率順で並べる。つまり、勝利数が足りなくても消化試合数の関係で勝率で上回る場合は、シーズン途中の順位表では上位にランクされる。

2009年シーズンから平日の試合が雨天中止の場合は順延されて9月以降に再編成、金曜日から日曜日までの3連戦のうち、1試合でも雨天で実施できなかった場合は月曜日に試合が実施されることになっていた。しかし、シーズン途中、選手たちの体力的な負担が大きく怪我続出の可能性が高まるとして各球団関係者からの不満が相次ぎ、規約を変更することになった。月曜日の試合開催は4月の1試合のみにとどまり、変更後は5月、6月のみ金曜、土曜日の試合が雨天で実施できなかった場合、翌日の土曜、日曜日のダブルヘッダーで試合が実施された。第1試合が14:00、第2試合が第1試合終了から20分後に開始で行われ、第1試合は延長戦が行われないことになっていた。7月以降は日中の気温が高いためダブルヘッダーの試合は行われなかった。

[編集] ポストシーズンと順位決定

公式戦終了後、Aクラスチームだけでポストシーズンゲームを行い優勝チームを決める。まず4位と3位が5戦3勝制の準プレーオフを行い(2007年までは3戦2勝制、2005年シーズンだけ一時的に5戦3勝制)、その勝者が2位チームとの5戦3勝制によるプレーオフに進出(1995年と2008年は当時の制度が適用され7戦4勝制で行われた)。ここで勝ったチームと公式戦1位チームが7戦4勝制による韓国シリーズを戦って優勝を決める。なお韓国シリーズは初年度の1982年のみ「コリアン・シリーズ」と称していた。

韓国シリーズの勝者を優勝とし、敗者が準優勝。3位以下の順位は残りのチームを準プレイオフ及びプレイオフの結果に関係なく勝率順で並べて決める。たとえば、公式戦4位のチームが韓国シリーズに進出して敗退すると、そのチームは準優勝になるが、準プレイオフで3位チームに勝って、プレイオフで2位のチームに敗退すると4位に戻される。

[編集] ポストシーズンの開催球場

[編集] 準プレイオフ及びプレイオフ

準プレイオフ及びプレイオフの開催は1、2、5戦を上位チームの本拠地球場、3、4戦を下位チームの本拠地球場で行う。

[編集] 韓国シリーズ

[編集] 1989-1997年、2001年

1、2戦を公式戦1位のチームの本拠地球場で行い、3、4戦はプレイオフの勝者の本拠地で行って、第5戦以降は中立地域として蚕室球場で5、6、7戦を開催。

しかしソウルを本拠地とするLGとOBがプレイオフ勝者として韓国シリーズ出場する場合、蚕室球場で5連戦が行われることになるため、1993年からソウルを本拠地とするチームが韓国シリーズに進出の場合、公式戦の順位に関係なく第1、2戦をソウルで、第3、4戦を相手チームのホームで行い、第5戦以降を蚕室球場に戻すように変更した。しかし、これでLGとOBは韓国シリーズ出場で公式戦の順位に関係なく実質的にホームで5試合を行うほか、シリーズの開幕権までもらう極端的に有利な立場に立つという地方球団の不満を受けて1998年から現在の制度に変更した。

しかし、両リーグ制から1リーグ制に復帰した2001年再び韓国シリーズの開催要綱が1989年のものに戻されたが、プレイオフの勝者がソウルを本拠地とする斗山だったので、上述の問題が浮き彫りになり、翌年から1998年の制度に変更された。

[編集] 現行制度(1998-2000年、2002年以降)

韓国シリーズ開催球場は1、2戦を公式戦1位のチームの本拠地球場で行い、3、4戦はプレイオフの勝者の本拠地で行う。第5戦以降は出場チームの本拠地と本拠地球場の収容能力によって決められる。

ソウルを本拠地とするチーム[2]が韓国シリーズに進出した場合、あるいは収容能力が3万人を超える本拠地を持っているチーム[3]同士の韓国シリーズの場合はは第5戦をはプレーオフ勝者の本拠地で行われ、移動日を挟んで第6、7戦は再び公式戦1位のチームの本拠地で開かれる2-3-2方式で行われる。そのほかの場合は、第4戦の後、移動日を挟んで中立地域としてソウル蚕室球場で5、6、7戦を3連戦で行う2-2-3方式になる。

実例を元にたとえば、次のような例がある。

1) 出場球団の片側だけ3万人以上受容できる本拠地を持って、両チームともにソウルを本拠地としていない場合

1999年の韓国シリーズは社稷球場(当時の収容人員は3万450人)を本拠地とするロッテ・ジャイアンツ大田球場(当時の収容人員は1万2千人)を本拠地とするハンファ・イーグルスが進出した。この年はロッテ・ジャイアンツが上位だったため1、2戦を3万人以上受容できる社稷球場で、3、4戦を大田球場で開催して、第5戦は蚕室球場で行われた。
2003年の韓国シリーズも水原球場(収容人員1万4000人)を本拠地とする現代ユニコーンズと、文鶴球場(収容人員3万400人)を本拠地とするSKワイバーンズとの対戦となった。この時は現代が上位だったため、1、2戦を水原球場、3、4戦は受容人員3万人以上の文鶴球場で開催され、第5戦以降は蚕室球場(収容人員3万500人)で開催された。

2) ソウルを本拠地としている球団が上位の場合

現制度の下ではまだ実現されたことなし。

3) ソウルを本拠地としている球団が下位の場合

LGツインズがプレイオフ勝者として出場した2002年の韓国シリーズでは第1、2、6戦を公式戦1位の三星ライオンズの本拠地である大邱球場(収容人員1万2千人)で行い、第3、4、5戦をLGの本拠地である蚕室球場で行った。

4) 出場する両チームがソウルを本拠地としていないが、ともに3万人以上受容できる本拠地を持っている場合

2009年現在これに該当する事例は、ロッテ・ジャイアンツとSKワイバーンズが韓国シリーズに出場する場合のみであるが、まだ両チーム同士の韓国シリーズは実現されたことがない。

この制度は地方球団同士の対決の場合、公式戦1位チームはシリーズを開幕権をもらうものの、ホーム球場での胴上げが最初からできないし、プレイオフ勝者の場合も4連勝での優勝でない限り同じ事になるため、地方球団の地元ファンの不満が問題点として予てから提起されていた。しかし、ソウルの場合、各地方の出身者が集まる土地柄と球場の収容人員の関係で、地方球団同士の韓国シリーズでも蚕室球場で行う方が、満員にならなくても各チームの本拠地球場よりも観客動員で勝るため、現在の制度を変更しないでいる。

また、2008年新規参入のヒーローズは、本拠地はソウルであるものの専用球場の木洞野球場は収容人員が14000人にしかならないため、ヒーローズが韓国シリーズに出場する場合、開催球場をどこにするかも問題になっているが、まだヒーローズが韓国シリーズに進出していないため対策が先送りになっている現状である。

[編集] 試合開始時刻

試合開始時刻は平日が18:30、土日公休日は4、5月と9月中旬以降は14:00、それ以外の夏場は17:00である。地上波テレビ局の全国中継がある場合、夏場でもデーゲームとして日程が変更されることがあり、試合開始時刻も放送局の事情によって13:30に繰り上げらることもある。秋に開催されるポストシーズンゲームの試合開始時刻は平日が18:00、土日公休日は14:00である。

[編集] 歴代の試合方式

年度 試合方式
1982年
  • 年間80試合(16回総当り)を前・後期各40試合ずつ(同8回総当り)行う。
  • 各期の1位チームがコリアン・シリーズ(7戦4勝制)に進出。同一チームの場合はそれを行わず、そのチームがリーグ優勝。
    1チームが前・後期の優勝を総なめした場合は、韓国シリーズなして、そのチームを優勝チームにする。
1983年-1984年
  • レギュラーシーズンの試合数が年間100試合(シーズン20回総当り、前・後期各50試合=10回総当り)に変更。
  • 韓国シリーズ(1983年より改称)進出方式は変更なし。
1985年
  • レギュラーシーズンの試合数が110試合(シーズン22回総当り、前・後期各55試合=11回総当り)となる。
  • 韓国シリーズ進出条件が一部変更。
(1) 前・後期優勝チームのいずれかが年間総合成績の1位チームに当たると、前・後期の優勝チーム同士で韓国シリーズを行う。
(2) 年間総合成績の1位チームが前・後期どちらも優勝できなかった場合は、年間総合成績の1位チームは韓国シリーズに直行。前・後期優勝チーム同士で5戦3勝制のプレイオフを行い、シリーズの残り1枠を争う。実際1984年シーズンがこれに当たる。前期優勝は三星ライオンズ、後期優勝はロッテ・ジャイアンツ、年間総合成績1位はOBベアーズだった。このルールはこういう場合を想定して設けられた。
(3) 1チームが前・後期優勝を総なめした場合は、韓国シリーズなしで、そのチームを優勝チームにする。
  • この年は前・後期ともに三星ライオンズが1位で「完全優勝」する(3)の場合となったので、韓国シリーズがなくなり、次の制度への変更する原因となった。
1986年-
1988年
  • 1986年に7チーム制となったので年間試合数は108試合(シーズン18回総当り)。これを54試合ずつ(9回総当り)の前・後期で実施。
  • プレイオフも下のように変更された。前年との違いは、どのような場合でも韓国シリーズは行われるように工夫されていること。
(1) 各期の1位と2位がたすきがけ方式で5戦3勝制のプレーオフを行い、その勝者同士で決勝戦を行う。
(2) 1チームが前後期ともに2位以内に入っている場合は、そのチームは自動的に韓国シリーズ進出で、それ以外のチームでプレーオフを行い、もう一つのシリーズ進出枠を争う。
(3) 各期とも1、2位が全て重複の場合は、プレーオフ無しで、その2チームで韓国シリーズを行う。特定のチームが前後期の1位を総なめしても各期ともに2位のチームと韓国シリーズを行う。
  • しかし、実際この3年間、実現したのは(2)の場合のみであり、他の場合は見られること無く次の制度に変更された。
1989年-1990年
  • 2シーズン制を廃止し、1シーズン120試合(20回総当り)のリーグ戦の後、ポストシーズンを行う。
  • ポストシーズンの方式は公式戦3、4位間で3戦2勝制の準プレーオフがを行い、その勝者が2位チームと5戦3勝制のプレーオフを行う。プレーオフの勝者が韓国シリーズに進出し、公式戦1位チームと優勝を争う。
1991年-1992年
  • 1991年に参加チームが8チームとなったので1シーズン126試合(18回総当り)となる。
  • ポストシーズンの方式は1989-90年に同じ。
1993年-1998年
  • 準プレイオフ(公式戦3位対4位)は、3位と4位間の直接のゲーム差が3ゲーム差以内の場合にのみ行う。
(1) 準プレイオフが行われる場合は、1989-1992年の方式に同じ。準プレイオフは3戦2勝制、プレイオフは5戦3勝制。
(2) 準プレイオフがなくなった場合は、公式戦の2位と3位が7戦4勝制のプレイオフを行って、その勝者が公式戦1位のチームと韓国シリーズを行う。
  • この期間中、このルールが適用されて、(2)の場合が実現したのは1995年のみ。
1999年-2000年
  • リーグ戦をドリームリーグ、マジックリーグの2組に分けて行い、交流戦込みで年間132試合(同リーグと20試合ずつ他リーグと18試合ずつ)。
  • 各組の1位と2位のたすきがけでプレイオフを行い、勝者同士で韓国シリーズを行う。
  • どちらのリーグの3位のチームが勝率で相手リーグの2位のチームを上回る場合、その両チームで準プレーオフを行い、その勝者が3位チームの所属リーグの1位チームとプレイオフを行う。
2001年-2002年
  • 1リーグ制に戻り、19回総当りの1シーズン133試合のリーグ戦の後、ポストシーズンを行う。
  • この年まで順位は勝率の高いチームから順に決定していた。
  • ポストシーズンの運用は1989-1992年の方式と同じ。
2003年-2004年
  • 順位決定が勝利数優先(同じ場合は勝率順→直接対決成績)になる。
  • 引き分けは0.5勝計算
2005年-2007年
  • 年間126試合に削減。
  • 順位決定が勝率順。同じ勝率→直接対決成績→総得点→前年の順位になる。
  • 2005年から興行面を考えて準プレイオフ(公式戦3位対4位)を5戦3勝制にしようとしたが、1年実施された後、準プレーオフが長すぎるという意見を受け、翌年から3戦2先勝制に還元。
2008年
  • 試合数や順位決定は2007年までと同様。
  • 延長戦のルールが変更されて、延長戦は決着がつくまで行われ、延長回数や時間切れによる引き分けは廃止。ただし、ダブルヘッダーの第1試合および、コールドゲームによる引き分けは認める。ダブルヘッダーの第1試合は9回までで、延長戦なし。
  • 準プレイオフ(公式戦3位対4位)が5戦3勝制に、プレーオフ(公式戦2位対準プレーオフ勝者)が7戦4勝制となり、ポストシーズンの試合数が増加。
2009年-
  • 試合数が2004年以来となる133試合に戻る。
  • 延長戦の回数、時間制限なしが撤廃され、2007年までと同じ延長12回までとなった。ただし引き分けは勝率計算上負けと同じ扱いとなる。
  • 準プレイオフ(公式戦3位対4位)が5戦3勝制は2008年と同じだが、プレーオフ(公式戦2位対準プレーオフ勝者)が5戦3勝制となり、ポストシーズンの試合数が削減された。

[編集] 年度別順位

韓国プロ野球での順位は、韓国シリーズの勝者を優勝、敗者を準優勝とし、3位以下は残りチームを準プレイオフおよびプレイオフの結果に関係なく、公式戦の勝率順に並べて決める。従って、勝率の低いチームが上位にランクされることもある。

*は公式戦での年間成績の勝率は低いながら、ルールによって上位にされたチームを示すもので、カッコ内の数字は年間勝率あるいは公式戦での順位を示す。

年度 優勝 準優勝 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1982 OB 三星 MBC ヘテ ロッテ 三美
1983 ヘテ(2)* MBC 三美 三星 OB ロッテ
1984 ロッテ(4)* 三星(2)* OB MBC ヘテ 三美
1985(※1) 三星 ロッテ ヘテ OB MBC 三美 / 青宝
1986 ヘテ(2)* 三星 MBC OB ロッテ 青宝 ピングレ
1987 ヘテ(2)* 三星 ロッテ OB MBC ピングレ 青宝
1988 ヘテ ピングレ ロッテ 三星 OB MBC 太平洋
1989 ヘテ(2)* ピングレ 太平洋 三星 OB MBC ロッテ
1990 LG 三星(4)* ヘテ ピングレ 太平洋 ロッテ OB
1991 ヘテ ピングレ 三星 ロッテ 太平洋 LG ・ サンバンウル OB
1992 ロッテ(3)* ピングレ ヘテ 三星 OB 太平洋 LG サンバンウル
1993 ヘテ 三星 OB LG ピングレ ロッテ サンバンウル 太平洋
1994(※2) LG 太平洋 ハンファ ヘテ 三星 ロッテ OB サンバンウル
1995 OB ロッテ(3)* LG ヘテ 三星 ハンファ 太平洋 サンバンウル
1996 ヘテ 現代(4)* サンバンウル ハンファ ロッテ 三星 LG OB
1997 ヘテ LG サンバンウル 三星 OB 現代 ハンファ ロッテ
1998 現代 LG(3)* 三星 OB ヘテ サンバンウル ハンファ ロッテ
1999 ハンファ(4)* ロッテ(2)* 斗山 三星 現代 LG ヘテ サンバンウル
2000 現代 斗山 三星 LG ロッテ ヘテ ハンファ SK
2001(※3) 斗山(3)* 三星 現代 ハンファ ヘテ / 起亜 LG SK ロッテ
2002 三星 LG(4)* 起亜 現代 斗山 SK ハンファ ロッテ
2003 現代 SK(4)* 起亜 三星 ハンファ LG 斗山 ロッテ
2004 現代 三星 斗山 起亜 SK LG ハンファ ロッテ
2005 三星 斗山 SK ハンファ ロッテ LG 現代 起亜
2006 三星 ハンファ(3)* 現代 起亜 斗山 SK ロッテ LG
2007 SK 斗山 ハンファ 三星 LG 現代 ロッテ 起亜
2008 SK 斗山 ロッテ 三星 ハンファ 起亜 ヒーローズ LG
2009 起亜 SK 斗山 ロッテ 三星 ヒーローズ LG ハンファ
  • ※1:三美は後期より青宝に身売り。
  • ※2:1994年の公式戦はハンファとヘテがまったく同じ成績で同率3位だった。それまでのルールでは、どのチームも韓国シリーズに進出できなかったため共同3位になるべきだったが、臨時ルールを設けて準プレイオフでヘテを下したハンファが3位、ヘテが4位とされた。
  • ※3:ヘテは8月より起亜に身売り。

[編集] 各年度の韓国シリーズ

  • 星取表は勝利チームから見た結果。○は勝利、●は敗戦、△は引き分け。
勝利チーム 優勝回数 成績 星取表 相手チーム 最優秀選手
1 1982年 OBベアーズ 初優勝 4勝1敗1分け △●○○○○ 三星ライオンズ 金裕東(キム・ユドン、外)
2 1983年 ヘテ・タイガース 初優勝 4勝1分け ○○○△○ MBC青龍 金奉年(キム・ボンヨン、指)
3 1984年 ロッテ・ジャイアンツ 初優勝 4勝3敗 ○●○●●○○ 三星ライオンズ 柳斗烈(ユ・ドゥヨル、外)
4 1985年 三星ライオンズの前・後期統合優勝のため未開催
5 1986年 ヘテ・タイガース 3年ぶり2度目 4勝1敗 ○●○○○ 三星ライオンズ 金正洙(キム・ジョンス、投)
6 1987年 ヘテ・タイガース 2年連続3度目 4勝0敗 ○○○○ 三星ライオンズ 金準桓(キム・ジュンファン、外)
7 1988年 ヘテ・タイガース 3年連続4度目 4勝2敗 ○○○●●○ ビングレ・イーグルス 文煕秀(ムン・ヒス、投)
8 1989年 ヘテ・タイガース 4年連続5度目 4勝1敗 ●○○○○ ビングレ・イーグルス 朴哲祐(パク・チョル、指)
9 1990年 LGツインズ 初優勝 4勝0敗 ○○○○ 三星ライオンズ 金龍洙(キム・ヨンス、投)
10 1991年 ヘテ・タイガース 2年ぶり6度目 4勝0敗 ○○○○ ビングレ・イーグルス 張彩根(チャン・チェグン、捕)
11 1992年 ロッテ・ジャイアンツ 8年ぶり2度目 4勝1敗 ○○●○○ ビングレ・イーグルス 朴東煕(パク・ドンヒ、投)
12 1993年 ヘテ・タイガース 2年ぶり7度目 4勝2敗1分け ○●△●○○○ 三星ライオンズ 李鍾範(イ・ジョンボム、遊)
13 1994年 LGツインズ 4年ぶり2度目 4勝0敗 ○○○○ 太平洋ドルフィンス 金龍洙(投)
14 1995年 OBベアーズ 13年ぶり2度目 4勝3敗 ●○○●●○○ ロッテ・ジャイアンツ 金敏浩(キム・ミンホ、遊)
15 1996年 ヘテ・タイガース 3年ぶり8度目 4勝2敗 ○●○●○○ 現代ユニコーンズ 李強喆(イ・ガンチョル、投)
16 1997年 ヘテ・タイガース 2年連続9度目 4勝1敗 ○●○○○ LGツインズ 李鍾範(遊)
17 1998年 現代ユニコーンズ 初優勝 4勝2敗 ○○●○●○ LGツインズ 鄭珉台(チョン・ミンテ、投)
18 1999年 ハンファ・イーグルス 初優勝 4勝1敗 ○○●○○ ロッテ・ジャイアンツ 具臺晟(ク・デソン、投)
19 2000年 現代ユニコーンズ 2年ぶり2度目 4勝3敗 ○○○●●●○ 斗山ベアーズ トム・クィンラン(三)
20 2001年 斗山ベアーズ 6年ぶり3度目 4勝2敗 ●○○○●○ 三星ライオンズ タイロン・ウッズ(指)
21 2002年 三星ライオンズ 初優勝 4勝2敗 ○●○○●○ LGツインズ 馬海泳(マ・ヘヨン、指)
22 2003年 現代ユニコーンズ 3年ぶり3度目 4勝3敗 ○●●○○●○ SKワイバーンズ 鄭珉台(投)
23 2004年 現代ユニコーンズ 2年連続4度目 4勝2敗3分け ○△●△○●△○○ 三星ライオンズ 趙容浚(チョ・ヨンジュン、投)
24 2005年 三星ライオンズ 3年ぶり2度目 4勝0敗 ○○○○ 斗山ベアーズ 呉昇桓(オ・スンファン、投)
25 2006年 三星ライオンズ 2年連続3度目 4勝1敗1分け ○●○○△○ ハンファ・イーグルス 朴鎮萬(パク・チンマン、遊)
26 2007年 SKワイバーンズ 初優勝 4勝2敗 ●●○○○○ 斗山ベアーズ 金宰炫(キム・ジェヒョン、指)
27 2008年 SKワイバーンズ 2年連続2度目 4勝1敗 ●○○○○ 斗山ベアーズ 崔廷(チェ・ジョン、三)
28 2009年 起亜タイガース 12年ぶり10度目 4勝3敗 ○○●●○●○ SKワイバーンズ 羅志完(ナ・ジワン、外)

[編集] 各種記録

(2009年シーズン終了時現在、所属は最終)

[編集] 打者

[編集] 通算記録

所属は現役最後のチーム

項目 選手名 所属 記録
最多出場 金敏宰(キム・ミンジェ) ハンファ 2111試合
最高打率(3000打数以上) 張孝祚(チャン・ヒョジョ) ロッテ .331
最多安打 梁埈赫(ヤン・ジュンヒョク) 三星 2284本
最多二塁打 梁埈赫 三星
最多三塁打 田埈昊(チョン・ジュンホ) ヒーローズ 100本
最多本塁打 梁埈赫 三星 350本
最多打点 梁埈赫 三星 1369打点
最多三振 朴勍完(パク・キョンワン) SK
最多盗塁 田埈昊 ヒーローズ 550盗塁

[編集] シーズン記録

(所属は記録したシーズン当時のチーム)

項目 選手名 所属 記録 達成年度
最多安打 李鍾範(イ・ジョンボム) ヘテ 193本 1994年
最高打率 白仁天(ペク・インチョン) MBC .412 1982年
最多二塁打
最多三塁打
最多本塁打 李承燁(イ・スンヨプ) 三星 56本 2003年
最多打点
最多得点
最高長打率
最多四球
最多死球
最高出塁率
最多三振
最多併殺打
最多盗塁

[編集] 投手

[編集] 通算記録

(所属は現役最終のチーム)

項目 選手名 所属 記録
最多登板 曺雄天(チョ・ウンチョン) SK
最多投球回数 宋津宇(ソン・ジヌ) ハンファ
最多勝利 宋津宇 ハンファ 210勝
最多奪三振 宋津宇 ハンファ 2048本
最多完投 尹学吉(ユン・ハッキル) ロッテ 100試合
最多完投勝利 尹学吉 ロッテ 74勝
最多完封 宣銅烈(ソン・ドンヨル) ヘテ
最多敗戦 宋津宇 ハンファ 153敗
最多被安打 宋津宇 ハンファ 2718本
最多被本塁打 宋津宇 ハンファ 272本
最多与四球 宋津宇 ハンファ
最多与死球 宋津宇 ハンファ
最多セーブ 金龍洙(キム・ヨンス) LG 227セーブ

[編集] シーズン記録

(所属は記録したシーズン当時のチーム)

項目 選手名 所属 記録 達成年度
最多投球回数 張明夫(チャン・ミョンブ) 三美 427回1/3 1983年
最多勝利 張明夫 三美 30勝 1983年
最多奪三振
最多完投
最多完封
最多敗戦 張明夫 三美/青宝 25敗 1985年
最多被安打
最多被本塁打
最多与四球
最多与死球
最多セーブ
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[編集] 脚注

  1. ^ 新本拠地となったソウル市内に適当な球場がなく、またソウルを本拠地としているLGや斗山にフランチャイズ補償金を払えなかったため、実際はソウル郊外の京畿道水原市で試合を行ってきた。
  2. ^ 2009年現在はLGツインズ、斗山ベアーズとヒーローズがこれにあたる。
  3. ^ 2008年までは、前述のLGツインズと斗山ベアーズのほか、ロッテ・ジャイアンツとSKワイバーンズがこれに当ったが、2009年現在は本拠地球場の改修のため、受容能力は3万人を下回っている。しかし、開場当時の本来の受容能力に基づいて、これらのチームの本拠地は3万人受容とみなされる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月23日 (月) 11:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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