韓国起源説

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韓国起源説(かんこくきげんせつ)とは、韓国の個人・団体などが、他国の文化などの起源・伝播を朝鮮半島に求める、根拠不十分で非合理な言説群の俗称。韓国起源論ともいう。研究者や文化人が個人的に主張する説から、公的団体が正式に主張する説まで多岐にわたり、一時的にメディアで流布される場合から、継続的・国際的な広報活動が行われる場合まで様々である。特に、日本文化中国文化が対象とされる場合が多い。

目次

[編集] 概要

韓国起源説の対象は、日本文化・中国文化をはじめ、メソポタミア文明インカ文明生態系まで多岐にわたる。日本文化については、寿司納豆から、天皇日本語、さらには日本国そのものまでが対象となっている。韓国起源説の根拠は、語呂合わせ・民間語源から、一切根拠の無いものまで多岐にわたり、世界中で信じられている説から、韓国内ですら受け入れられていない説まで様々である。

このような起源主張は韓国以外にも存在するが、韓国起源説の特異な点は、他国の起源説とは比較にならないほど、頻度が高く、対象分野が広く、宣伝活動が大規模で、国際的影響力を持ち、自民族優越主義的であり [1] 、堂々と嘘をつくところである。また「日本文化の起源」に対する主張が多く、この際、全くの事実無根か、朝鮮半島を経由して日本に伝わった文化や技術の、日本内での独自の変革、発展、継承を無視して起源を主張することが多い[2]

例えば、2002年アジア競技大会組織委員会・大韓剣道協会のような国際団体や、朝鮮日報東亜日報のような大手マスコミが韓国起源説を堂々と主張・報道したりする。また、韓国起源説をもとに映画が作られたり、国際的なイベントが開催されたりする。これらを鵜呑みにしたネット記事・投稿が氾濫し、既成事実化が進み、ついには韓国の教科書に記載されるようになる。さらに、事実無根の起源説が別の起源説の根拠になるなど(例えば「日本の何々は百済起源」等の説は「日本の起源は百済」と言う説をベース、もしくは鵜呑みにしてる場合が多い)、現実と虚構の区別がつかない状態になっている。

韓国起源説がいつごろ始まったかは定かではないが、ある文化が世界的に有名になると、その文化に対する韓国起源説が主張され始める場合が多い。 日本や中国や台湾で韓国起源説が広く認知されるようになったのは、インターネットが普及し始めてからであり、『マンガ 嫌韓流』などの出版物の影響も大きい。中国のネットアンケートで、韓国が「嫌いな国」第1位に選ばれたが [3] 、その一因が韓国起源説にあるとされる [4] ほどの影響力を持つようになっている。

国際政治学者の大礒正美(元・静岡県立大学教授)は、「何でもかんでもこじつけてしまうわけです。特に日本を見下し、何を言ってもいい、という感覚がある。韓国国民が起源説を信じているというよりは、ワーワー言うのが楽しいという感じ。それにメディアが乗っかって話を大きくするわけです」と分析している [5]

このような起源主張は、2ちゃんねるなどの日本のネットでは、朝鮮語で「我々の」を意味する「ウリ」をかけて「ウリジナル」と揶揄されている。この「ウリジナル」という言葉は、雑誌などが取り上げたり [6] 、大学教授が用いたりする [7] ほど広まっている。似たような言葉に「コリエイト(korea+create)」がある。

[編集] 韓国起源説の発生理由

[編集] 民族性

韓国起源説が発生する土壌として、韓国の民族性があげられる。

  • 元祖に執着する民族性。ソウルは「元祖」を主張する店の看板にあふれているという[8]
  • 偽証が氾濫する社会。裁判における偽証は日本の671倍に及ぶ[9][10][11][12]
  • 民族主義。「韓国=世界一」という歴史観が広く共有されている。
  • 反日思想。韓国を肯定し日本を否定する言説が受け入れられやすい傾向にある。

[編集] 小中華思想・事大主義・儒教

歴代朝鮮王朝は日清戦争まで中国の冊封体制下におかれ、「中華文化こそ正しい文化、朝鮮独自の文化は卑しい文化」と考える事大主義小中華思想の時代が長く続いた。 その後、日本による統治・近代化を受け、日本文化が大量に流入するとともに、日本に対する劣等感、反日感情が広がった。 このため、第二次大戦後に独立したが、国民国家形成と国際的な認知を得るためのアイデンティティーが不足することとなった。 そこで、既に世界的に認知度の高い日本文化などを韓国起源と剽窃することで、国家アイデンティティの形成、海外からの認知向上、日本に対する劣等感の克服を同時に、容易に果たそうとしていると考えられる [13] [14]

特に日本文化に対する韓国起源説が多い理由のひとつは、「父の国の中国、兄の国の韓国、弟の国の日本」と、日本を見下す小中華思想・儒教思想にあると言われている [13]。 このような思想に民族主義が重なり、「先進的で文化的で優秀な朝鮮が、未開で野蛮で劣等な日本に、先進的な文明を授けてあげた」、「全ての日本文化は朝鮮に源流がある」、「百済人が日本を建国した」という歴史観が広く浸透し、日本文化に対する韓国起源説の温床となっている [15] [16]

また、自分の著書の中で水野俊平氏は「情」の問題の言及している[14]。韓国の歴史は古代から現在に至るまで外敵との戦いの歴史であり(場合によっては侵略、占領され、そこまで至らない場合でも周辺の強国に事大するしかなかった)そう言う意味では「偉大なる民族史」に憧れる心情は「理解できないことでもない」としている。また、近代に至るまで朝鮮・韓国史が不当に矮小化されていたと信じられている為、それを「回復(復元)する」行為が非常に支持されやすい土壌が育成されてしまっており、正統派の歴史学者がそれに大変口を挟みにくい状況を作り出してしまっていると分析している。正統派の学者が下手にこれらの偽史や起源説を否定したり疑問を呈した場合、それは偽史の支持者によって「親日派」や「講堂史学者」等の罵声を浴びる可能性が高いためである。

また、そう言った批判がなかったとしても正統派の学者達にとってこれらの素人論文・学説モドキを論破する事にはそれほど意味がない。論破したところで結局は素人相手なので学会や同僚の間で評価されるわけでもなく、しかもこの手の疑似科学の主張者は大抵論破されてもされたと思わない(認めない)事が多いので結局徒労に終わってしまう可能性が高い。また、疑問を呈するのが韓国人の学者ではなく日本人の学者だった場合、たとえその人物が正統派の歴史学者(もしくは言語学の専門家など特定の分野での専門家)であっても起源説に反対していると言う理由だけで「歴史を歪曲(否定、改悪)しようとしている日本の右翼学者」になってしまい、問題が深く議論されることはまずない。

[編集] 公教育

韓国の公教育が韓国起源説を加速させている側面がある。韓国は国定教科書制度を採用しており、国家が教育に深くかかわっている。その国定教科書で、「先進的な韓国が、未開な日本に、文明を授けてあげた」という歴史観が一貫して強調されており、朝鮮半島経由以外の文化伝播ルートや、日本独自の文化、日本から大陸への文化伝搬が存在しないかのような誤解を与えている [17]

例えば、小学校の社会の教科書には

「百済の文化を日本に伝えてあげた王仁
「(三国時代)わが先祖は発達したわが文化をとなりの日本にも教えてあげた」
「高句麗の文化を日本に伝えてあげた」
「今も日本人は、王仁を日本文化の先生として崇めている」

のように他にも書かれている [18] [19] [20]。ただし王仁は日本側の資料にのみ登場する人物であり、朝鮮側の資料には一切登場しない。ちなみに、朝鮮における王仁の漢字伝承説は比較的最近になってから注目されるようになったものである。

また、高校の歴史教科書には

「優秀な朝鮮民族と劣等な日本民族」
「東アジアの文化的後進国であった日本」
「朝鮮半島の先進文化を未開な日本に教えてあげた」
「近代化以前の日本の文化はすべて偉大な先進文化を持つ朝鮮半島から由来したもの」
「野卑な日本はいつも朝鮮半島を侵略して財物を奪っていった」

の様に他にも書かれている [21] [22] [23]

一方で現実には、例えば日本を訪れた朝鮮通信使の日記の例がある。そこには日本での貨幣経済の発達に受けた感銘や先進文化への嫉妬等が率直に書かれており、韓国の公教育で展開されている説とはかなり相違が見受けられる。

National Defense Journal[24]も日本の侍は文字も知らぬ野蛮人であり必死になって日本に来た朝鮮通信使から教えを請うて知識を吸収しようとしたと書いているが、実際は室町時代に来日した通信使が日本の全体的な識字率の高さに驚いた事を書き残しており、これまた事実とは相当異なるのではないかと思われる(特に江戸時代に入ってから文官化した侍の識字率は相当なものだったと言われている→江戸の識字率)。

また、歴史教科書に檀君神話を史実として掲載し、「朝鮮半島の歴史は中国の歴史よりも長く、世界最古のひとつ」と教えたり [25] 、小学生用国語辞典にチョッパリウェノム・イルボンノムドルなど、日本人を指す侮蔑語を掲載するなど、民族主義を扇動する傾向が大きい。 この結果、マスコミ・テレビで侮日的な表現が日常的に使われ [26][27] [28] 、駐日大使がテレビのインタビューで侮日的な言葉を使う [29] までになっている。

[編集] 文化抹殺説

韓国起源説や「日本人の野蛮性」という認識を補完する主張として、「日本による文化の抹殺・略奪説」がある。 日韓併合時代や文禄・慶長の役の際、日本が朝鮮半島の文化・文化財をことごとく抹殺・略奪したというもので、「現代の朝鮮半島に存在しない文化も、日本に抹殺・略奪される前には存在したはずだ」との前提で、多くの韓国起源説が主張されている。例えば、折り紙までが日帝に抹殺されたと主張されている。

一方、剣道茶道のように、日韓併合時代に日本から韓国に持ち込まれた文化(日帝残滓)が、逆に韓国起源説の対象とされる場合も多い。この場合、呼称・服装・作法などを韓国風に改変し起源を主張したり、韓国の伝統様式は日帝によって抹殺されたと主張したりする。

また、弓道のように韓国起源を主張していない文化についても、「韓国のものは日韓併合時代に日帝に抹殺されたが、本来は伝統的な様式があった」と主張し、自己文化の伝統・正当性の根拠とするケースもある [30]

[編集] 逆・韓国起源説

「先進的で文化的で優秀な朝鮮と、未開で野蛮で劣等な日本」という認識は、「高名な日本文化は、朝鮮半島起源」という韓国起源説とともに、「悪い韓国文化は、日本起源」という主張を生んでいる。

例えば、韓国の警察関係者・大学教授が、「いじめ・集団強姦・援助交際などが韓国で流行るのは日本文化の影響、韓国人の精神が強奪されている」と主張したり [31] 、花札製造会社らが、「花札には日本の帝国主義者らが意図する民族精神の抹殺と皇民化の政策が染み込んでいる」などと主張している [32]

[編集] 日本文化に対する韓国起源説の具体例

ここで取り上げる事例は、次の基準による。

  • 「著名人が主張した説」または「メディアが報道した説」以上を対象とする。
  • 韓国国内外における、説の認知度・浸透度は問題としない。
事例 解説・否定論
剣道
剣術

武士道
恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説である。

剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度のものなのであるが、韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會(Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会(World Kumdo Association)』がその公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており[33]、『国際剣道連盟(International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド(kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している[34]。この剣道韓国起源説はインターネットの発展に伴い日本のネット社会の中で爆発的に広まるようになり、全日本剣道連盟は公式ホームページで、こうした言説を否定した。[35]。海外では『剣道』と『コムド』の「他流試合」が行われることもあるほど、このような主張が普及している。

また、韓国系移民が中心となり、米国を始めとした世界各国で『コムド』道場を開き、古代から伝わる韓国の武道として積極的に広報活動をしている。このような道場では、日本の袴や日本刀を用いて、日本の剣術やそれを改変したものを「韓国古来の武術」(korean martial arts)として『コムド』と同時に教えている場合もある。(例:Sung Moo Kwan Kendo Academy 聖武館剣道アカデミーアイオワ大学コムドクラブ等 )。

一方、『大韓剣道會』と対立する『世界海東コムド連盟(World Haidong Gumdo Federation)』[36]や『統合世界海東コムド連盟(United World Haedong Kumdo Federation)』[37]は、『海東コムド(Haidong Gumdo)』が剣道の起源であると主張している。彼らは、侍や武士道の起源は高句麗の「士武郎(サムラン)」にあると主張しているが、韓国内で裁判が行われた結果、士武郎起源説は捏造であったことが発覚している[38]

コムド」も参照

2001年に日韓合作で、侍の起源を百済に求める映画『サウラビ』(朝鮮語で「ssaul-abi(戦う男)」を意味する)が製作され、韓国で公開された[13]。朝鮮日報は映画『サウラビ』を「三国時代、百済人が日本を開拓して文物伝播した歴史的事実を土台に、サウラビの魂が日本の侍精神に発展したという前提が込められている」と、侍の韓国起源説を歴史的事実として紹介した[39][40]。また、本作の制作発表会においてムン・ジョングム監督は「韓民族の魂と精神を再照明し、韓国人が忘れていた民族の優越性と民族意識を覚醒させることに焦点を合わせる」と発言をし、「侍」という日本文化を剽窃するばかりでなく、韓国文化の優越性にまで言及した[41]。なお、日本ではそのあまりにでたらめな歴史描写のために劇場公開はされなかった(DVD化のみされた)。2009年6月17日には毎日新聞 (韓国)慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、「侍の起源は、二言なく韓国のサウラビ(戦う親父)である」と主張した[42]。ちなみに侍の正しい語源は日本語の動詞「サブラフ」である。

サウラビ」も参照

また在米韓国系移民たちを中心とした別のグループが、「新羅の『花郎(ファラン・Hwarang)』は1800年前から存在した古代韓国の戦士であり、この戦士が使った武術を『花郎道・ファランド・Hwa Rang Do』である」と主張して、道場を開いて、日本の伝統武術を改変したものを「古来韓国武術」として教えている[43]。彼らは「すべての日本の武術の起源は朝鮮半島にある」と主張をし、その主張に沿った武術の系譜を公開しているThe Lineage of The Korean Martial Arts

花郎」も参照

しかし、侍というのは、律令制が崩壊した10世紀以降に、新式の武芸を身につけて領地経営者や軍事専門家として活躍し始めた軍事貴族下級役人等が発祥であり、12世紀以降に幕府という軍事政権を開いて封建制により日本を支配した戦士階級の「武士」のことである。一方、朝鮮半島には封建制は存在せず、律令官制の中で訓練を受けた常勤の役人の「武官」や「武人」はいても、侍のような「武士」は存在せず、侍は明確に日本社会でのみ発生したものである。「武術」は、この封建時代の侍の存在から誕生したものであり、剣道などの「武道」は近代になってから「武術」を心身教育のために一般化したものである。日本の武術や武道の発祥についてはほとんど記録が残っている一方で、侍や武術の韓国起源説の根拠となる文献記録や考古学記録は一切存在せず、花郎が軍事組織だったという説も完全に否定されている。また現代の韓国の武道家が使用する衣服や刀や作法も、すべて日韓併合以降に日本の武道を模倣したものである。

切腹 朝鮮日報が、映画「サウラビ」の紹介記事で、『百済のサウラビ達の衝撃的な割腹と断頭意識は、後日の侍の割腹とも深い関連があることを示唆する。 (略) 日本側の関係者がこうした歴史的事実に驚き、今後の文化交流の尖兵になるであろうと自認した点も興味深い。』と主張[13]

百済において割腹・切腹の風習が存在したことの根拠は不明。日本の切腹との関係も根拠不明。歴史上初めて切腹を行ったとされる人物は源為朝(1139年 - 1170年)であり、しかも今知られているような「誉ある死に方」として認識されるようになったのはそれから400年近く後の安土桃山時代の末期頃からだとされている。

また、映画の中で見られるような殉死(追腹)は華々しく戦死を遂げる機会が減り儒教が広がった江戸時代になってから「忠臣の証である」と持て囃されるようになったものであり、1663年寛文3年)に幕府が殉死を禁止するまでかなりの盛り上がりを見せたが当初から一般的だったものではない。

日本刀 韓国系移民が運営する世界各地の武術(道場などで韓国古来の剣として使用している。また、刀剣職人のホン・ソッキョンらが、「日本刀はまさにこの技術を我が国から盗み出して伝承している」、「我が国の刀剣技術は三国時代と朝鮮時代、日帝時代を経ながら、刀剣職人がほとんど日本に連行されてしまった」、「元々、我が国の伝統刀剣製作技術は世界的なものであり、刀剣技術者を無差別に捕えて連れ行ったことはよく知られた事実だ」、「日本には我が国が使った正統技術がそのまま伝授されていて、今でも良い刀がたくさん出てきています。たまに、韓日交流剣道大会に出てみると、試し切りの演武では我々の刀がはるかによく切れます。」などと主張。「韓国刀の原型を取り戻すために日本に学びにいく」とまで主張している[44]

しかし、韓国で伝統的に使われた剣は、鉄鉱石から鋳造で作った、両刃の直剣か「環刀」と呼ばれる片刃の直刀で、製造方法も形状も日本刀とは全く異なる。韓国で大々的に日本刀のような形をした刀が使われるようになったのは、17世紀秀吉の朝鮮出兵以降のことであり、当初は日本刀を輸入して模倣したものを「倭刀」と呼んでいた。またそれ以降朝鮮半島で作られた刀も日本刀と製作方法が完全に異なっている。韓国の歴史映画やドラマなどで日本刀のような刀が登場することがあるが時代考証としては完全に間違いである。

また、朝鮮出兵時(文禄・慶長の役)に多数の陶工が日本に連行されたと言う事実は記録されているもののこの記事で主張されているような「朝鮮人刀剣技術者の無差別連行」が実際行われたと言う資料は存在しない。また、朝鮮出兵の時点ではすでに日本刀は様式としてすでに完成されており朝鮮人の刀工を連行する必要は全くなかったのでこの主張の根拠は不明である。そもそも実際そのような連行が起こっていたとしても朝鮮の刀工が文字通り一人残らず連行され、朝鮮に全く文章や資料や実際製作された刀が一切残らなかったと言うのは相当不自然だと思われる(上記の文化抹殺説の一種だと思われる)。

現在世界中で知られている「日本刀」は、砂鉄からたたら吹きにより取り出した玉鋼鍛造して作った、緩い湾曲の形状を持つものであり、10世紀の平安時代後期に「太刀」で初めて出現したものである。なお刀工の各流派が出現し始めたのもこの頃である。また、現在の剣術家が使用する刃を上に向けて納刀する「打刀」の形式は15世紀の室町時代後期になって普及し始めたものである[45]。ちなみに、日本刀の持つ美術的、戦闘的に優れた資質は、11世紀の北宋の詩人の欧陽修の『日本刀歌』でも歌われていて、中国にも輸出されている。

倭刀」および「韓国刀」も参照

居合道
抜刀術
韓国古代の武術コハプト(Guhapdo)として世界各地で道場を開いて広報活動をしている。正統武芸道場 正気館のイム・ヒョンス(林鉉洙)が「我々はいままで多くの物を日本に奪われました。今は我々の物を取り戻すべき時だと思います。居合道も高麗時代日本に渡っていった我々の剣術に過ぎません 我が国には新羅時代の花郎徒以前にも居合道という武術がありました。日本が国宝にしている七支刀も実際は百済の刀です。」と主張している[46]

しかし、居合(抜刀術)は室町時代に本格的に体系化されたものであり、居合道は明治時代末期になってから「武術」を「武道」化したものである。七支刀は儀礼用のものであり剣術とは関係がない。また、イム・ヒョンス氏は何か誤解しているようだが日本側は別に七支刀が百済由来のものであると言うことを否定していない(むしろ百済由来だからこそ国宝に指定されている)。

柔道 剣道と同じように日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であるが、Yudo(「ユド」と発音。柔道の朝鮮語音)の名で海外で普及活動が行われており、全米ユド協会(United States Yudo Association)はその公式ホームページにおいて、柔道の起源を朝鮮半島にあるとし、「柔道は豊臣秀吉朝鮮出兵で日本に伝わりその後朝鮮半島では柔道は廃れ、20世紀になって日本から再輸入された」と主張している[47]。また、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「柔道の起源は中国の春秋時代に生まれた柔術で、これが韓国に伝わり、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わった」と記述し、全日本柔道連盟が抗議し記述を削除させる事態が発生している[48]。さらにアテネオリンピックの柔道73キロ級金メダリストである李元熹(イ・ウォンヒ)選手は韓国の京郷新聞のインタビューに答えて、「日本が柔道宗主国だと言いますが、本当は我が国の柔術(ユスル)を日本で細分化させてスポーツにしたんです。」と発言をし、韓国人有名柔道選手までもが韓国起源説を支持している[49]

しかし、実際には柔道の基である柔術の発祥は秀吉の朝鮮出兵よりも前に遡ることが出来、柔道は嘉納治五郎により創設されたものである。このような柔道韓国起源説に対して全柔連教育普及委員長、講道館資料館部長は否定コメントを出している[50]

合気道
大東流合気柔術
正統武芸道場 正気館が「合気道は日本に移民した新羅人であるウォン・ウイグァン、別名新羅三郎(源義光)が興した大東流柔術が始まり」と主張している[51][52][53]。また、世界ハプキドー協会は「現代合気道(ハプキドー)のような武道技術はAD372年の高句麗への仏教の伝来と共に古代朝鮮に伝えられた。その証拠はその時期の古代壁画及び洞窟絵画、彫刻から見出すことができる」と主張し(韓国起源説では、古代壁画を持ち出して起源主張するものが多い)、これらの朝鮮武道で文禄・慶長の役の時に日本兵を撃退したと主張している。さらに、もともと朝鮮半島にあった合気道は日本の植民地統治時代に抹殺された等と主張している[54][55]。また、米国などでがHwa Rang Do道場を運営している韓国系移民が、「日本へ移民した新羅人である新羅三郎(源義光)が創めた大東流柔術は、その末裔である武田惣角まで伝えられ、彼が日韓併合時代に崔龍述(チェ・ヨンス)に伝授したことにより、大東流柔術が復活をし、ファランド(Hwa Rang Do)等と混じってハプキドーに発展した。つまり合気道とハプキドーは兄弟の関係である。」と主張している[56]。さらに、「合気道」という名称は崔またはその弟子の池漢載が創案したと主張している。

ハプキドー」も参照

しかし、始祖とされている源義光は11世紀の日本の武士で、4世紀から7世紀に存在した新羅の人物ではない。新羅神社で元服したから「新羅三郎」を名乗ったのであって「ウォン・ウイグァン」は源義光の朝鮮読みであり、大東流合気柔術は明確に日本で発祥したものである。また、「合気道」の語源は、大東流の教授代理で合気道の創始者である植芝盛平出口王仁三郎の命名により1922年頃から自らの武術を「合気武道」と呼称し内外に教授し始めたのが始まりである。さらに、「合気道」は1942年に財団法人大日本武徳会が使い始めたものであり、植芝が「合気道」を使い始めたのは1948年である。

ハプキドーは、戦前に日本で大東流を修行をしていた朝鮮人の崔龍述(チェ・ヨンス)が、戦後に大東流を朝鮮古来の武術であると主張して指導を開始したのが始まりであり、崔の弟子が大東流を韓国人の気質に合わせて改変して現在のハプキドーの形にさせたものである。これを裏付ける事実として、大東流関係者に対する各種インタビューなどで戦前の大東流の修行者に複数の朝鮮人青年がいたことが明らかにされている。

の精神 大韓柔道有段者会のヨ・サンファン会長が「柔道の発祥地は日本だが、『道』の精神は韓国から渡ったもの」と主張している[57]

しかし日本の「道」とは「芸道」のことであり、中国の「」(タオ)の哲学とは別物である。日本の「道」の精神とは、実演者の日常生活における立ち居振る舞いと、専門的な技術的修練を同一とみなし、双方の向上により、実演者の人格と技芸を相乗効果的に高めることを目指したものであり、日本独自に発展体系化したものである。日本の「道」の精神は、中世期の秘伝説と伝授思想の確立と、師系を重んじるの発想に影響を受けているともいわれている。剣道、柔道、合気道、茶道、華道、香道、書道のほか、「道」の文字の付かない能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃、邦楽でも同じ観念が見られる。

空手 韓国では、テコンドーの起源は三国時代以前から始まるテッキョンであると公式に認定されており、海外でも「韓国古来の武道」として普及に努めている。また、日韓併合時代にテッキョンが抹殺されたが、韓国がテコンドーとして復活させたとまで主張している[58]。さらに韓国の一部には空手の起源をテッキョンに求める言説すらあり、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「空手の起源はインドの時代に中国と韓国に伝わり、その後韓国が日本に伝えた」と記述し日本側が抗議するという事態が発生した。日本側の抗議に対し同時に記述された「柔道韓国起源説」は削除されたが「空手韓国起源説」は結局削除されることはなかった[48]

しかし、空手は琉球から日本本土に伝わったもので、テコンドーは戦後に空手を参考にして新たに作られたものである。また、韓国が国技院副院長が明らかにしたところによると、「テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、 歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。」と告白している。 更にこの記事では「空手から派生したテコンドーだが、蹴りを主眼に置いて競技化したことで、型や手動作に重きを置いた空手の陰から脱した」とも述べている[59]。テコンドーの国際団体の一つである国際テコンドー連盟によると、テコンドーの由来は、崔泓熙によりテッキョン日本松涛館空手道の要素を取り入れ、1955年4月11日にテコンドーと正式に命名したものであるとしている[60]

相撲 中央日報が、日韓文化交流を紹介する中で、韓国シルム連盟関係幹部の「日本相撲協会は相撲の本流である韓国シルムへの待遇がなっていない」との心境を紹介し、相撲の起源をシルムとして紹介した。

コムドと違い、シルムは日本の相撲から発生したものではないが、日本の相撲の起源という証拠はない[61]。(中央日報、2004年2月16日)また、歴史書である三国史記三国遺事高麗史・高麗史堤綱・高麗史節要朝鮮王朝実録の原文には、シルムに関する記載が無い。

忍者
忍術
伊賀流
服部氏
ツツジ
韓国系移民がイタリアで運営する「スルサ道場」が、新羅軍の「花郎」の中にある特殊部隊「スルサ」が忍者の起源であると主張している。この中で「幾人かのスルサ戦士が日本に亡命し、日本の忍者の理論にアイデアを提供した」「スルサドーを含むすべての韓国マーシャルアーツに見られる瞑想テクニックは、日本の忍術の秘技のなかに残っている。」「日本のマーシャルアーツは太平洋戦争でいち早く有名になっただけ」と主張している[62]。また、ファッション評論家の金硝子が、人気アニメ「美少女戦士セーラームーン」の話題の中で、日本の創作話の中に「変身」が多く登場することに言及し、日本人が頻繁に「変身」を創作話の中でモチーフにするのは、11世紀から18世紀にかけて日本で盛んであった忍術に起源があると主張し、さらにその忍術は、7世紀に高句麗を通じて日本に伝わったものであり、日韓両国でセーラームーンが人気があるのは、この歴史的な背景によるものであると主張している[63]。 さらに韓国日報が、特派員の日本の知人の話を紹介する形で、伊賀忍者の指導者だった服部氏は、新羅系の秦氏の末裔であり、日本に咲くツツジも朝鮮民族が日本に持ち込んだものであり、故郷の朝鮮半島を偲んだ服部氏が江戸のツツジの名所を作ったと主張している。さらに、伊賀地方の製鉄や陶磁器や酒造や祭祀の起源も韓国にあると主張している[64]

しかし服部氏が秦氏の末裔というのはひとつの仮説に過ぎず『三国地誌』と『永閑記』で否定されており、秦氏が新羅人であったというのも仮説である。また、服部氏が傭兵として各地で活躍するのは戦国時代以降で表舞台に初めて登場したのは16世紀であり、秦氏が渡来してきたであろう時代との時間的隔たりを考えれば、秦氏を忍者の起源とするのは無理がある。またツツジの主張は根拠不明である。

また上記のスルサ忍者起源説の場合そもそも忍者とは何であるかに関してかなりの誤解があるように思われる。スルサ道場のホームページでは「スルサとは花郎戦士の中から選抜されたエリート特殊部隊であり…」等と書いてあるが忍者とは別にそう言う存在ではない。また、「花郎軍事組織説」自体が基本的に否定されているので「スルサ」という組織が本当に存在したのかどうか自体も謎である。金硝子氏が展開している説もスルサ説も極端に言えば実際存在した間諜傭兵として地味に活躍するの忍者ではなくドラマやアニメ、それに漫画やゲームと言ったメディアに登場する忍法を使い変身したり戦闘もこなす空想上にしか存在しない「忍者」を思い描いて自説を主張している可能性が高いと思われる(忍者が行うのは「変身」ではなく「変装」である)。

また明確にいつスルサが日本に亡命したかホームページ上に記述はないが、新羅が滅亡した時期(935年)だとしても日本で忍者と言う存在が発祥したのは平安末期(11世紀後期)だとされるのでこれまたかなりタイムラグがあり、金硝子氏の高句麗(668年滅亡)由来説の方はさらにタイムラグが大きい。

茶道 韓国の複数の茶道家が、日本の茶道の道具や作法を模倣して朝鮮風にアレンジしたものを韓国茶道として世界中に紹介している[65][66]。また『朝鮮新報』は「茶においては1千年前の新羅の時代の礼法がほとんどそのまま日本に取り入れられた」とまで主張している[67]

茶を飲む習慣は遣唐使により中国から伝えられたものという説が有力であり、茶を飲む行為を哲学や教養や総合芸術にまで高めた茶道という文化は室町時代に体系化した日本起源のものであり、韓国の「茶禮(タレ)」とは全く関係がない。

華道 ヤフーコリアが「生け花」の項目で、朝鮮半島には土着文化の一形式として原始的生け花が存在し、仏教伝来と同時に生け花の一様式が百済に伝来し、それが日本に伝わり、その後朝鮮半島独自の生け花は日帝(日本による朝鮮半島支配)により抹殺されたと主張している[68]

花を愛でる行為は有史以前からある人類共有の行為であるが、生け花は室町時代に日本で本格的に体系化したものでる。「朝鮮半島の原始的生け花」「日帝による抹殺」という主張も文献資料や考古学資料による裏づけが一切存在しなく根拠不明。韓国で約200の生け花団体を束ねる韓国生花協会の理事長は、日本統治下の女学校時代に毎週行われていた生け花の授業が、この道のプロになるきっかけをつくったという。自身のプロになるきっかけをつくり、韓国で生け花文化が一般大衆に普及していったのは1950年代末からであり、70年代までは日本の影響を受け、80年代以降は欧米の作風を取り入れるようになった、と韓国生け花の経緯を説明している[69]

盆栽 中央日報が、2009年6月17日版[70]において、イ・ギョンヒ記者が盆栽は日本で生まれたものではなく、14世紀に朝鮮半島にて生まれたもので、その証拠として『四季盆景図 4幅屏風』なる絵画を元に起源を主張している。

実際の盆栽の起源は6世紀に中国にて生まれ、遣唐使によって盆景として持ち帰られたものが、平安末期からの武士文化の中で磨かれ、日本独自に発展したものである[71]

『四季盆景図 4幅屏風』は14世紀に朝鮮に盆栽のようなものが存在したと言う証拠にはなりえるものの何故それが即「日本の盆栽の起源」になるのかは根拠不明。記事内でも特にこれと言った説明はない。

勾玉 韓国MBC放送の「勾玉の秘密」(2006/9/20)において、「燦爛たる黄金文化を成した新羅人たちは金冠だけではなくすべての装身具に黄金で飾った勾玉を採用し、長い間日本国にまで伝えながら勾玉文化を形成して来たと見られる。青銅鏡、刀と共に日本天皇が持つ三種の神器に属する勾玉は、韓半島から伝来されて日本建国神話にまで影響を及ぼしたと思われる。」と主張[72]

一般的に勾玉は縄文時代の日本が起源で、朝鮮半島に伝わったものと考えられている。

東洲斎写楽 李寧煕(イ・ヨンヒ)なる人物が、『もうひとりの写楽―海を渡ってきた李朝絵師』(ISBN 4309902774)なる本を出版し、写楽は朝鮮通信使だった。そして、十返舎一九の父親もまた李朝の高官だった、などと主張している。また、韓国では檀園・金弘道と写楽が同一人物であるという説もある。映画化の話も持ち上がっている[73]。ちなみに事の是非に関しては言及していないものの、李寧煕の主張は民団のホームページでも紹介されている[74]

源義経チンギス・ハーンだというのと同じ程度の主張。斎藤十郎兵衛が写楽であるという説が最も有力である。

和歌 韓国で唯一の和歌詩人の孫戸妍が「和歌は新羅(シルラ)の郷歌が起源」と主張している[75]

主張を裏付ける文献資料も存在せず根拠不明。

演歌 演歌が韓国起源であると言われることもあった。しかし、これは李奉来(元芸術文化団体総連合会会長)によると『韓国人歌手、李成愛を日本で売り出す時、日本のレコード会社が考え付いたキャッチフレーズ』であるという[76]
折り紙 一部の在米韓国人の女性グループが「折り紙はもともと韓国(朝鮮)で作り出されたもので、日韓統治時代に日本人が自分たちの文化と偽って世界に広めた」と主張し、現地で折り紙教室を開いている[77]。また、社団法人韓国折り紙協会は、起源については明確に言及しないものの、「日本の植民地時代に日本は韓国の文化を全面的に抹殺し、韓国の伝統的折り紙文化も排斥した。」と主張し、日本とは別の折り紙文化が朝鮮半島に存在したと主張している[78]。また協会では検定制度により指導師を養成し、さらに、日本の折り紙を模倣したものを「韓国の伝統的折り紙」と称して世界各地で宣伝し普及活動をしている[79]

しかし、朝鮮半島には儒教祭祀で使われる折った紙の造形物は存在したが、日本のような多種多様な対象物を紙で折る「遊び」の折り紙文化は存在せず、祭祀で使われる造形物の様式も日本の伝統的折り紙とは全く異なるものであり、これらの主張はあきらかに事実無根である。

歌舞伎 朝鮮日報が百済技楽の復原運動を紹介する記事の中で歌舞伎の起源を百済技楽としている[80]。またその復原運動を紹介した記事の2年後の2008年には、「百済文化の優秀性を知らせるため」として、百済伎楽伝承保存会が、パリで行われる在仏韓国人会主催の『2008中秋祭』で公演を行うことになり、ロンドンでもユーロジャーナル社主催で百済伎楽が披露されることになった。百済伎楽伝承保存会は「百済伎楽は西紀612年(百済武王13年)百済人ミマジによって日本の聖徳太子に伝えられた後、日本の舞楽、歌舞伎等の母胎となった」、「アジア仮面劇の源流は日本と思っている大部分の在欧韓人と欧州人たちに仮面劇の母胎が百済時代に起因したものだということを知らせる。」と主張している[81]

しかし、いまだに百済技楽自体の詳細は全く不明であり公演されるものも現代の創作仮面劇である。7世紀に滅びた百済の全く詳細が不明な伎楽と、17世紀に発祥し隆盛を極めた江戸時代の文化である歌舞伎とを結び付けて起源を考えるのは無理がある上にそもそも日本の伝統芸能で仮面を多用するのは歌舞伎ではなくである。能は鎌倉時代後期から室町時代初期頃に完成されたもので、これまた7世紀に滅びた百済との関連性は特に見当たらない。

日本庭園 2009年4月20日、忠青トゥデー紙社説にて、忠南扶余の薯童公園宮南池について「新羅の雁鴨池と日本庭園文化の源流という歴史的価値にもかかわらず宮南池が正しく評価されたことがないのは残念」と記載。その根拠を「新羅の雁鴨池より一世代以上先立って庭園を造成し、古代日本の飛鳥文化を誕生させる決定的要因として作用した」としている[82]。しかし、5世紀前半代の奈良県巣山古墳別区の葺石や、巣山古墳や同時代の湧泉遺跡である三重県城の越遺跡にはすでに日本独自の州浜型池などの苑地の要素が見られる[83]
錦鯉 金方園水族館が、池を作る技術が百済から日本に伝わったことと朝鮮半島の故事に鯉に関わるものがあることから、錦鯉のルーツを日本ではなく韓国にあるものとしている[84]。しかし4世紀の中国の書物にすでに様々な色のコイについての言及があり、この主張は韓国発祥の証拠にも日本に伝わった証拠にもならない(コイ自体は西アジア原産)。錦鯉と呼ばれる種類が出来上がったのは19世紀の新潟[85]
熊本城 日韓交流事業に参加した韓国人学生が 「熊本城は加藤清正の命令で蔚山倭城の築城技術を持った朝鮮人技術者が築城した」と歴史教育を受けていると発言した。日本側にはそのような記録は一切なく根拠不明。韓国の一般学生がこの説に基づいた教育を受けたと証言していることから、ある程度韓国内で信じられている韓国起源説と思われる[86][87]

そもそも蔚山倭城とは慶長の役の際に加藤清正等が朝鮮に築いた日本式の城の事であり、熊本に城を築くにあたってわざわざ日本式の城の築城技術を持った朝鮮人技術者を探してきて動員する必然性がほとんどない。また、蔚山倭城が突貫工事(40日程度)で完成目前まで持っていけた程度の城である事を考えると、人夫ならばともかく技術者と言えるほどの技能を持った人物がその過程で育成された可能性は低い。蔚山倭城と熊本城では規模も建築期間も違い(熊本城は1591年に建築を開始してから1606年に完成するまで実に15年かかっているが、上記のように蔚山倭城は40日で完成目前になっていた)、熊本城が朝鮮式の築城方式から影響を受けた痕跡もないのでこの主張は根拠が不明である。

おかず 2008年6月9日に行われた映画『食客』の制作発表会において俳優チェ・ブラムが「日本の人々の食べるおかずは、大体が我が国に由来したものが多いのに、私たちが(食の世界化に対して)和食に後れをとる理由がない」、「21世紀は文化戦争の時代であり、日本は金を投入して日本食を世界に伝えている」等と発言をし、韓国起源説を主張した。また同席したクォン・オジュンも「我が国の韓食は薬になるほど優秀で、競争力がある。日本に(食の世界化)ができて我々にできない理由がない」と発言をした[88]

主張を裏付ける資料も存在せず根拠不明。

豆腐
蕎麦
キム・ヨンボク慶南大学伝統食生活文化研究院長が「韓国のメミルククスを日本が模倣して蕎麦が誕生し、韓国のトゥブから日本の豆腐が生まれた。」と主張している[89]。またウィークリー京郷が「日本の豆腐は朝鮮から伝授を受けたもので、壬辰倭乱(文禄の役)の時に晋州城主の朴好仁が教えてあげたのが始まり」「朝鮮が豆腐作りに一番優れていて中国と日本から教えを請いに来た」「日本に豆腐が一番遅く400年前に日本に伝わったのに、日本豆腐が世界を支配するのが切ない現実だ。」「朝鮮の豆腐の伝統は日帝36年の間に消えた。」「韓国豆腐の優秀性が世界に認められ、豆腐文化宗主国の位相を再確立するチャンスが来た。」と主張している[90]

しかし、両方とも原型は奈良時代に遣唐使により日本に伝えられたもので、韓国起源もしくは韓国を経由して日本に伝わったものではない。また日本人がよく知る現在のような蕎麦や豆腐は日本で発展したものである。さらにキム・ヨンボクは「日本は日本文化の形成に多くの影響を与えた国に中国を指し示したいだろうが、韓国が絶対的でその次が中国、ヨーロッパなどだ。」と事実無根の主張をし、日本文化全般に対する韓国起源説までも主張している。

日本酒 日本酒の起源は韓国の清酒という説がある。日本人研究者が慶州の法酒は日本酒の先祖のようなものだと語った。また、古事記の記述の誤読で起源を主張している場合もある[91]。 さらに、近年、日本酒のルーツがマッコリであると多くの在日朝鮮人系酒店及び韓国料理店がWebサイトにて主張して問題となっている。この主張は誤りであり、日本酒の本来のルーツであるどぶろくは口噛みの酒などに遡る事ができ、その発展と共に発酵方法や歴史的な流れも異なる。

マッコリ」も参照

寿司
刺身
ロサンゼルスのコリアタウンで寿司屋を経営しているキム料理長が「スシとサシミは元来、中国と韓国に由来するもので、日本にはスシが自分たちの食文化だと主張する権利が無い」「日本は第二次大戦以後にスシを食べ始めたが、韓国と中国は数千年間、スシとサシミを作ってきた」と主張した。[92]。また、キム・ヨンボク慶南大学伝統食生活文化研究院長は「韓国の食べ物パプシッケを模倣したのがスシ(壽司:すうし)だ。1700~1800年頃寿司が最初に開発されて日本の代表的食べ物であるハコスシ(箱すし:サンジャチョパプ)が創造された。」と主張している[93]

「日本は18世紀、もしくは第二次大戦以後に寿司を食べ始めた」というのは荒唐無稽の主張で、現在世界中で知られている一般的な握り寿司の初出は、19世紀初頭の華屋與兵衛が創作した江戸前寿司とされる。酢飯を使った寿司の起源は必ずしも明確ではないが、少なくとも17世紀には存在したことが確かめられており、刺身の起源は14世紀までさかのぼることができる。魚介類の生食については日本では古代から広く行われ、『日本書紀』で磐鹿六雁命景行天皇に鰹と蛤の膾を出したとの記述があり、これが日本料理の起源という伝説がある。

醤油 韓国の液体調味料の専門企業トンウンFCは、「しょう油は韓国が元祖」であるとし、「世界市場で韓国の伝統醗酵食品のしょう油が日本の製品のように認識されていることを正したい」と主張している[94]。また、2006年10月に開催された韓国骨董食品芸術展を紹介するvoice of peopleの記事において、「日本は韓国から醤油を仕込む方法を伝えられて受けたが、じめじめする気候によって天然醗酵が不可能だった日本は、醤の効能は優れていないが産品化を先に成功させ、大量生産による強い価格競争力で宗主国である韓国市場は蚕食されている。」とまで主張している[95][96][5]

カンジャンという醤油に似た調味料はあるが、醤油とは別物である。なお、2001年の韓国での全生産量に占める伝統的なカンジャンの割合は1.4%である[97]

味噌 National Defense Journalが、言うまでもなく日本の味噌も、味噌玉麹を使った古代韓国人たちが日本に渡って広めた食文化だと主張[24]

根拠不明。

味噌汁

朝鮮日報が、『薬師寺は大きなイベントがある度に韓国伝統の味噌汁を用意するなど、さまざまな面から韓国と深い関連があるものとみられる。天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように皇室の願寺だったためではないかと思われる。』と主張 [98]

根拠不明。そもそも、薬師寺には味噌汁をふるまうようなイベントは存在しない[99]

納豆 National Defense Journalの主張[24]によると、『納豆は韓国のダムブックジャンが起源である。「朝鮮出兵から帰った加藤清正が九州に納豆を広めた」という熊本の農業高校教師の菊池、平野氏の研究がある。一説には、7世紀中頃、朝鮮の僧侶が味噌玉麹豆を日本に持って行き、納豆を作ったという記録もある。』

納豆は、平安~室町時代に日本で作られるようになったと考えられている。さらに遡れば、奈良時代に中国から伝わった豉が起源であると考えられている。

沢庵漬け沢庵宗彭 National Defense Journalが、沢庵は江戸時代初期に朝鮮から日本に渡った僧侶テックアムが初めて作り方を教えて上げたものだ。沢庵とはテックアムの日本名だ。沢庵和尚が考案したから沢庵を呼ぶようになったと主張[24]

沢庵宗麟は、1573年12月24日に秋庭綱典の次男として但馬国出石に生まれたとされている。なぜそれが「朝鮮から来た僧侶」になってしまうのかは根拠不明。また、沢庵漬けも沢庵が考案したと言う説以外に沢庵が広めたと言う説や、「じゃくあん漬け」もしくは「貯え漬け」が「たくあん」に変化した、などの説などがあり簡単に「朝鮮から来た僧侶が教えてあげた」と断定できるような事ではない。

奈良漬 National Defense Journalが、奈良漬は韓国の塩漬けの一種。出雲を征服した新羅人が、さらに南下し、奈良に国を作った。「ナラ」とは、新羅人によって名付けられたのだが、「国家」を意味する。「奈良漬け」とは「国キムチ」を意味すると主張[24]

新羅人が出雲を征服したと言う主張自体が非常に怪しく、そこから発展した「国キムチ」説に至ってはほぼ完全に根拠不明。

海苔 韓国CBSノーカットニュースによると「我が国の海苔養殖が日本より先立って事実上世界初という事実を知っている人はあまり多くなく、海苔をキムチのように我が国の代表的な食べ物に育成しなければならない。」と主張している[100]

板海苔は、江戸時代における和紙技術進化の派生により発生したものであり、その起源が江戸期の日本であったことは各種資料と交易記録からも明白である。

しゃぶしゃぶ 韓国の料理研究者らが、「しゃぶしゃぶは日本やモンゴルの食べ物ではない、高麗時代に韓国からモンゴルに伝わった料理である」と主張している。根拠不明[101]
和牛 韓国の『月刊外食経営』において弥生時代の中ごろに朝鮮半島から日本列島に持ち込まれた牛があることを論拠に起源を主張している[102]

しかし、そもそも和牛とは、明治時代に日本在来の牛と欧米の牛とを掛け合わされてできた、黒毛和種・褐毛和種・日本短角種・無角和種の食肉専門4品種の牛のことであり、公正競争規約上の定義では、上記の4品種間の交雑種及び4種の交雑種を含む5品種間内の交雑種が「和牛」と名乗ることを認められている。また、南部牛のように、北方から日本列島に持ち込まれた牛の存在を無視しており、朝鮮島由来の牛の血統が混じっていることを拡大解釈し、日本列島で行われた品種改良を一切無視している。

うどん National Defense Journalが、 江戸時代の初期に朝鮮の学僧円陣が朝鮮通信使として日本に渡り、カルグクスの作り方を日本人に教えてあげたのがうどんの起源と主張。根拠として、現在の形態のうどんが食べられるようになったのが江戸時代以降であることを挙げている[24]

しかし、うどんは室町時代には現代とほぼ同じ製法で作られるようになっている。また、うどんの起源は明確になっていないが、一般的には中国から伝来したものと考えられている。

長崎ちゃんぽん 釜山駅近くで中華料理店「中南海(チュンナンヘ)」を経営する衣が、中国のチャオマメンという麺料理が韓国華僑たちにより韓国に持ち込まれ「仁川地方の独特な食べ物」となり、日帝統治下に「ちゃんぽん」という日本語名が付いたと主張をしている(事実は、明治32年、長崎の中華料理店「四海楼」の中国人「陳平順」による)[103]。また韓国語版wikipediaでも仁川由来説が記載されている[104]
イカ徳利 韓国のヒュデム食品が、2007年5月18日に行われた第42回発明の日記念優秀発明品展示会で、イカ徳利を「韓国の優秀発明品」として展示した[105]。イカ徳利は、北海道や三陸地方などのイカの産地ならではの土産物として、古くから販売されている。韓国で発明されたものではない。この件を問題視する声が青森県の公式サイトに寄せられている[106]。青森県は、韓国の特許登録第10-0634290号「烏賊酒瓶の製造装置およびその方法」によって、 日本から韓国へのいか徳利の輸出・販売に影響が出る可能性があると回答している。
朝鮮飴 National Defense Journalが、飴は朝鮮通信使が日本に持って行き、直接作り方を教えてあげたのが起源。そのため日本では、飴のことを朝鮮飴とも言うと主張[24]

朝鮮飴とは、長生飴と呼ばれていた飴が、朝鮮出兵時の兵糧として用いられたため朝鮮飴と呼ばれるようになったものであり、起源とは関係がない。なお、最古の飴の記録は日本書記に書かれている。

日本(国家) 日本の倭国は4世紀後半から百済の侯国であり、日王(天皇の韓国での呼称)はこれら侯国の君主のうちの一人であったとしている[107]。なお、根拠は漆器としている[107]。カン・ドンミン韓民族文化研究院理事長が「隣国である日本の歴史には、古代にまで遡るほど、すべての部分にわたって我が民族の歴史が現れる。その理由は我が民族が日本を作ったからでもあるが、日本のすべての文化が我が方から伝授されたものでもあるからだ。」と主張し日本という国家を作ったのは韓国人であると主張している[108]

遣隋使遣唐使や、日本仏教の歴史に大きくかかわった鑑真空海最澄が東シナ海を往来した歴代中国王朝との直接海上ルートの存在を無視し、日本列島で独自に発祥・発展したあらゆる文化の存在も一切無視している。

しかし、李成市早稲田大教授は「近代韓国の民族意識を古代に投影している」「韓国人による韓日関係史研究は日本民族に対する韓民族の優越性を古代史の中から追い求めることが疑問の余地もなく試図されてきた」などと批判している[107]

日本(国号) 貿易会社サムエ社の朴定和(パク・ジョンファ)代表理事が、「日本」という国号を創案したのは7世紀の高句麗僧・道顕であり、それ以前の日本の通称である「倭」は伽倻の別称であった。つまり古墳時代はもちろん、奈良時代まで古代日本の主流階層は韓半島(朝鮮半島)から渡った渡来人だったと主張した[109]。また、歴史学者の朴炳植(パク・ピョンシク)が韓国語の「イルボン」が日本語の「ニッポン」の起源であると主張しており、朝鮮半島に存在した部族国家「ウガヤ」の国号が「ヤマト」であり、彼らが日本に渡り新しい国家「ナラ」を建てたと主張している[110]

しかし古代の朝鮮半島の言語は全く解明されておらず、「日本」の現代韓国語読みの「イルボン」を「ニッポン」の起源と主張するのは無理がある。

国号の学術的議論は日本を参照

日本語 言語学者のシミズキヨシと元オーストリアのウィーン大学教授と九州産業大学の韓国語講師パク・ミョンミが、日本語の起源は韓国語であると主張している。

韓国語と日本語は語順、助詞の存在等文法的に似ている点が認められ、日本国内でも日本語と韓国語の関連性の研究は古くからなされている。しかし、現在は一般的に日本語・韓国語いずれも孤立した言語とされており、少なくとも基礎語彙の関連性は極めて薄いとみなされている。一般的に、比較言語学では、言語の比較にあたって、文法よりも基礎的な語彙の方が重視される。 例えば、この記事で紹介されている研究は韓国語で顔を意味する「ナッ」と日本語の「なつく」を対応させているが、対応させている単語が恣意的で、本来対応させるべき「ナッ」と「カオ(顔)」の発音の違いを無視しており学術的信憑性は薄い[111]

数学者金容雲・檀国大客員教授が、著書『天皇は百済語で話す』を紹介する記事[112]の中で、『現代の韓国語は新羅語を中心に収斂され、日本語は百済語を中心に発展したものだ。韓国語と日本語は共通の祖語を持つが、数字の「3」「5」「7」は韓日で発音が全く異なることから、新羅語と百済語がそれぞれ韓国語と日本語に繋がったとが分かる。また日本語の語尾に百済語を見い出すことができ、全羅道の訛りに似ている。』 『第26代継体天皇は、百済第22代王の弟の「昆支」と同一人物。「日本書紀」に出てくる継体の別名「男大迹」も「昆支」も共に「大きい人」を意味することから同一人物と解釈した。日本で百済を 「クダラ」と読むのは 「大きい国」という意味で、日本は百済の分国だった』と主張。

この記事を見た中国のネットユーザーからは、「韓国人は歴史をゆがめ、横取りする」「またか!」「太陽系も韓国人の発明」など韓国・韓国人批判が相次いだ[113]

学術的議論は日本語の起源を参照

ただし金容雲教授の主張の根拠となっている「数字を数える言葉の数詞はよく変わらない基礎言語なので比較に適している」と言う説自体が非常に怪しいため、この主張にどの程度の信憑性があるかは大いに疑問の余地がある(また、日本語には音読みと訓読みがある事を無視している)。また、こう言った研究では「百済語」や「新羅語」等と言う単語が当然のように登場するが実際はどちらも未だに実態解明が進んでいないためこのような比較が成り立つ可能性は低い。実際金教授がやっているのは現代韓国語と現代日本語の数字の数え方の差異を無理やり新羅語と百済語の差に結び付けているだけであり、両者の実態解明が進んでない以上これは典型的な偽言語比較論だと思われる。

敬語

嫌日流」を参照

片仮名 鄭ジェヨン・韓国技術教育大学教授と小林芳規(こばやし・よしのり)広島大学名誉教授の共同研究によると片仮名は新羅の口訣が起源であり、東大寺諷誦文稿にそれを見ることができるという。[114]
万葉集
万葉仮名
李寧煕(イ・ヨンヒ)なる人物が、『もう一つの万葉集』(ISBN 4163435603)なる本を出版し主張している。また韓国の東亜日報においては、「7世紀頃の万葉仮名は元々古代韓国で使われたものだったのみならず韓半島から帰化した人々によって考案された。このかな文字は後に韓国では消えた。」[115]と主張をしているが、その主張を裏付ける歴史的根拠は不明である。

万葉集は複数の編者によって編纂され、最終的に大伴家持が完成させたものである。

多くの日本語の語源 慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が毎日新聞 (韓国)上の連載コラム「イ・ナムギョの日本語源流散歩」で、次の語句の語源を古代韓国であると主張している。「邪馬台国」「大和」[116]、「対馬」「磯原」[117]、「早良」[118]、「木綿」「柳」[119]、「本音」「建前」「楽しい」[120]、「幸せ」[121]、「恨み」「見舞」[122]、「いらっしゃい」「ありがとう」[123]、「ちちんぷいぷい」[124]、「せーの」「甘い」「我孫子」「卵」[125]、「鋤」「鎌」「肥」「鍬」「菜」「束」などのほとんどの農耕用語[126]、「さらさら」などのほとんどの擬音語[127]

しかしこれらは単なる言葉遊びで信憑性はきわめて薄い。

」・「」の語源及び君が代 慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、『「君」は、邪馬台国を建てた伽耶諸国の狗耶国国王の「金」(キム)氏が語源。「僕」は、狗奴国を建てた金官伽耶の弥烏耶馬国国王の「朴」(パク)氏が語源。「君が代」は、本来「金家の世の中」と言う意味』と主張[128]。根拠不明。

君が代#韓国人李南教による日本国国歌「君が代」の韓国起源説」を参照

天下り」の語源 慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、『「日本に渡った当時の百済人は非常に優遇され、百済の職位をそのまま認められて官僚や将軍などに任命されたが、日本政府はこれらを受け入れるために行政組織を16官位から20官位に拡大改編までした。当時、日本政府の要職の国防大臣や文部大臣など、すべて到来した百済人を任命したことで発生した言葉が「アマクダリ」(天下り)だ』と主張[129]

百済王家の一族で日本に人質として滞在していた余善光が百済滅亡後に持統天皇より百済王の氏姓を賜り、比較的優遇されていた事は分かっているものの百済から亡命してきた帰化人全般がそう言う扱いを受けたと言う記述はなく、またそれが「天下り」と言う言葉の語源になったと言う主張は根拠不明。

奈良」の語源 慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、『「ナラ」という言葉は「ウリナラ(我が国)」の略語として、当時日本の首都であった場所を百済遊民らは「ナラ」と呼び、後に漢字をあてて「奈良」になった。百済遊民らは消えた祖国百済を「大きな国(コンナラ)」といったが、この言葉が変わって「クンナラ→クダラ(百済)」になった。百済(ペクチェ)を「クダラ」と呼ぶのはこれに起因する』と主張[130]

「奈良」の語源としては「平らな、平坦な(土地)」を意味する「なら(す)」であるという説が有力である。また自治体の領域名称として「奈良」がもちいられたのは明治2年であり、県庁所在地のあった地名の名称に由来する。令制国の名称としては大和国と呼ばれていた。

「くだらない」の語源 文学博士のホン・ユンギが「くだらない」の語源は「百済ない」で、「優秀な百済の文物がないことはみすぼらしいこと=百済・ない」が「くだらない」の起源であると主張している[131]

慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、『「クダラナイ」という言葉は直訳すれば「百済にない」になる。言葉の意味は「つまらない」だ。「良くて立派なものはみな百済にあるのに、これは百済にない。だから、つまらない」という言葉だ。』と主張[132]

しかし、当時の否定形は「ない」ではなく「ぬ」であり、否定形は「動詞未然形+ぬ」で表記されるものであり、名詞の「百済」に直接打消しの「ない」や「ぬ」が付くはずもないのは言語学の常識である。「下る」という動詞が未然形に変化して「くだら」+「ぬ(ない)」となって「くだらない」となる。さらに当時の一般大衆が「百済」という言葉の存在を知っているとは考えられず、ホン・ユンギの主張の信憑性は極めて薄い。また、江戸時代に酒の名所の伏見などの「上方」で造られて江戸に「下ってきた」酒が「下り酒」と呼ばれていたように、「上方から下ってこない地元で作られたつまらないもの=下らぬもの」が「くだらない」の起源であるという説があるが[133]、「下り物」という言葉が出来る以前より「くだらぬ」という言葉は使われていたため、この説にも信憑性はない。

竹島」の語源 韓国地名学会が、「竹島」という名前が竹島の韓国名「独島」(トクド)に由来するという主張している

ここで説明されている1900年10月25日大韓帝国勅令第41号の「石島」が今の「独島」であるという説の根拠は方言の発音という一点しかなく根拠に乏しい。日本の研究者には「石島」は現在の「観音島」を指すとするものもいる。少なくとも日本が現在の竹島を「竹島」と呼ぶようになったとき(1905年。それまでは「松島」と呼んでいた)には、朝鮮半島においても「独島」という語は一般化しておらず、また、「竹島」の呼称は自然発生したものではなく政府によって命名されたものなので、「独島」が訛って「竹島」になったという主張は無理がある[134]

釜石」の語源 韓国の製鉄メーカー「ポスコ」の人材開発院の教授で、児童文学者でもある李寧煕(イヨンヒ)が、地名の「釜石」は古代韓国語で「黒い上質の鉄」という意味の「ガマウッシ」が転訛したとの説を主張している。製鉄をした渡来人の存在と関連付け、「ガマ」は古代韓国語で「黒」「釜」、「ウッシ」は「上質(ウ)の鉄(シ)」を指し、 同市西部の「甲子」も「ガッシ」のことで、「ガ(磨く・製鉄する・鍛治をする)シ(鉄)」に由来すると主張している[135]

しかし、古代朝鮮語はその存在からして全く解明されていない。公式には『釜石市史』で、アイヌ語の「カマ・ウシ・イ(kama・us・i)」→「カマ・ウシ(kama・usi)」の転訛で、その意味は「平盤岩が・ある・所」を語源としている。 またほかの説としてアイヌ語で「クマ・ウシ・イ(kuma・us・i)」→「クマ・ウシ(kuma・usi)」の転訛で、その意味は「サケ干し竿の干し場が・多くある・所」というのも一般的である[136]

飛鳥地方」の語源 鄭永鎬(チョン・ヨンホ)檀国大碩座教授いわく「飛鳥の漢字表示は“飛鳥”だったのではなく、元は百済人が渡来して心安らかに定着したという意味の“安宿”(発音はアンスク)だったが、後に変わった」と主張[137]

実際は外来語由来説を否定してはいないものの、地形名称由来説など他の有力な説もあり飛鳥の語源は今でも解明されていない。

神社 世界日報と中央日報が、「日本の神社が古代朝鮮半島の直接的影響を受けて作られ、日本人は今も韓国の神を祭っている」「日本の神社の多くが韓国起源」と主張。高麗神社飛鳥戸神社といった渡来人を祭っている神社を根拠に神社そのものが朝鮮半島起源であると拡大解釈している [138][139]
祭り
神輿
「わっしょい」
葦原中国
「至る」
の語源
慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、日本の祭りの起源は、渡来人が死を覚悟した航海の後に日本の大阪近辺に無事たどり着いた喜びを皆で共有するために行った儀式の「団地里」が始まりであると主張している。また、日本の祭りの掛け声の「わっしょい」の起源は、無事にたどり着いたという歓喜の声を表した「来た」という意味の韓国語「ワッソ」であり、神輿の起源も「死の航海を超えやってきた」ことから韓国で棺として使った「喪輿」であり、これが無事にたどり着いた喜びの「神輿」に変化したものであると主張している。さらに古代日本を指す葦原中国(あしばらのなかつくに)という呼称の語源も古代韓国語であると主張しており、葦(あし)は、日本語の始まりの音である「あ」と古代韓国語の「セ」(新しい)を組み合わせたあとにあセ⇒あシと変化したもので、原(ばら)は韓国語の「ポル」(原野)から変化したもので「葦原」とは渡来人が到達した「新しい原野」の意味であると主張している。さらに「死を覚悟して到着すること」を純粋な韓国語では「イルダ」というが古代語では「イダル」であり、これが日本語の「至る」となったと主張している[140]

また、金達寿や金思燁(キムサヨプ)らの複数の在日韓国朝鮮人や韓国人が、祭りのかけ声の「わっしょい」や「祭り」の語源が、百済との交流によりもたらされた古代韓国語の「来た」という意味の「ワッソ」や「マトゥリ」であると主張している[141][142]。これに関連して、在日韓国人らが「古代に先進文物を授けた朝鮮民族とそれを受けた倭人」という図式で、「四天王寺ワッソ」という祭りや「ハナ・マトゥリ」というイベントを開催している[143][144]

しかし、日本の祭りはあらゆる自然に対する畏敬の念を表し豊穣を祈願したアニミズムシャーマニズム的要素を持つ神道が起源であり、これに神仏習合の影響を受けて派生して現在知られるような多様な形になったものである。また神輿についても狩猟採集物を備えた祭壇が起源であり、これが農耕の発展により固定化し神社となったという説が一般的である。

また「왔소(ワッソ)」は「오다(オダ)(来る)」という動詞の語幹「오-(オ‐)」に、過去を表す先語末語尾「-았-(‐アッ‐)」と終結語尾「-소(‐ソ)」が連結された形態であり、過去を表す先語末語尾「-았-(‐アッ‐)~-었-(‐オッ‐)」が現れたのは16世紀頃であることから、古代韓国語説の信憑性は皆無である[145][142]。「我背負う」「和を背負う」が転じて「わっしょい」になったという説がある。「だんじり」も「屋台」や祭壇を意味する「壇」を引きずることから「台ずり」「台にじり」「壇ずり」から変化したという説や、山車(だし)が一部方言化したという説、「台尻討った」が起源であるという説などがあり[146]古代韓国語が起源であるという信憑性は皆無である。

そもそも、古代韓国語は全く解明されていないため李南教や金達寿の主張は単なる言葉遊びに等しく科学的根拠は全くない。

祇園祭
牛頭天王
スサノオ
韓日文化交流研究所長のイ・ユンオクと青い松同胞文化研究所長のキム・ヨンジョが、文化ジャーナル21でホン・ユンギの『日本の歴史歪曲(学友社』を根拠に、牛頭天王は古代朝鮮半島の神のスサノオと同一であり、それを祭る祇園祭は韓国が起源である主張している。彼らは日本の各地にあるこのような祭りを「包装されている」と批評をし、「日帝によって奪われた多くの韓民族の祭りを再発掘し再現しなければならない」と主張している[147]

しかし、牛頭天王はインドの起源の仏教の祇園精舎の守護神であり、スサノオは日本神話の神である。これらを同一視する考え方は日本独特の神仏習合における本地垂迹によるものであり、祇園祭は祇園信仰によるものである。

八百万の神
神奈備」の語源
」の語源
慶一大学総長の李南教(イ・ナムギョ)が、日本の神社の神々の全ての家系図を辿ると全ての故郷が伽揶、新羅、百済、高句麗等の古代韓国に行き着くと主張し、「どうして日本人たちは韓国人の先祖を自分たちの神として祭っておいて、祭祀を行って担ぐのだろうか?」と主張している。また、「スサノオノミコト」(素盞鳴尊)は新羅から大王神であると主張している。さらに、「神奈備」の語源は古代韓国語の「カムナム(神木)」であり、「神」の語源は韓国語の「熊(コム)」であり「コム→カム→カミ」と変化したと主張している[148]

しかし、古代韓国語の発声方法や読み方は全く解明されておらず、現代韓国語の音感を根拠とするのは信憑性が極めて薄く、科学的考察も全くされていない。

天照大神
卑弥呼
チェ・ユギョンが「日本の800万の神様のうち最高位である天照大神、つまり卑弥呼は韓国女性だった」と主張する『天照大神』という本を出版している。チェ・ユギョンはその根拠として「インカマヤのような高度文明を持った国で発達するといわれる太陽神が、当時韓半島よりも水準の低い邪馬台国で生じた事や、しかも女性であるということも変で、これが根拠だ」と主張をしている[149]

しかし、そもそも「八百万の神」は「非常に多くの神」を意味した多神教を意味する呼び名であり数を表したものではなく基本的な知識がかけている。また卑弥呼が天照大神であるという主張も全く学問的裏づけのあるものではなく、文明の発達段階と太陽神信仰の関連付けをするのも非科学的である。韓国起源説では、ある創作物に尾ひれがついて真実として流布される例が多くあり(水野俊平の著作参照)、この起源説が今後真実として流布される可能性もある。

天皇
応神天皇
舒明天皇
396年に沸流百済最後の応神が日本に渡り15代日王(天皇の韓国での呼称)となったという[107]。なお、根拠は広開土大王碑から出てきたとしている[107]。また、舒明天皇は641年百済宮で死去し、賓所を百済大賓とした点から見て百済系なのが明らかだとしている[107]。なお、根拠は日本書紀としている[107]

しかし、李成市早稲田大教授は「近代韓国の民族意識を古代に投影している」「韓国人による韓日関係史研究は日本民族に対する韓民族の優越性を古代史の中から追い求めることが疑問の余地もなく試図されてきた」などと批判している[107]

下記の説と同じで応神天皇の在位期間と主張されている説の年代が符合しない上(古事記の干支崩年に従ったとしても、396年の時点では既に応神天皇は崩御している)、そもそも「沸流百済」がこの時点まで存在していたと言う説自体がかなり怪しい。また応神天皇が実在の人物であったかどうかも現在ではまだ分かっていない(あくまで実在性が一番濃厚な最古の天皇、である)。

『三国史記』によれば「沸流百済」と言うのは一応存在した事にはなっているが(正確に言えば百済になる前の段階に存在した沸流の国であり、百済と名乗ってはいなかった)弟の国ほど自分の国が繁栄していないのを恥に思った兄沸流が自決してしまったため弟温祚の国(当時は十済と号した、とされる)に早い時期に併合されてしまった事になっている。温祚は兄の国を併合し、百姓を受け入れたので「百済」を名乗るようになったとされているが、これは346年頃以前、もしくは建国神話に従うのであれば紀元前18年以前の事になってしまうので、どちらもこの説で主張されている沸流百済の歴史と符合しない。そもそもこの説に登場するような繁栄を極めた「沸流百済」と言う存在は大朝鮮帝国史などのトンデモ系の歴史書にしか登場しないので(現在の遼寧省山東省・日本にまたがる大帝国だったとされている)あまり信憑性のある説とは言えない。

応神天皇
倭王武
ヤマトタケル
八幡神
大国主命
スサノオ
朝鮮新報が、林順治氏の著作『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった』を紹介する記事で、応神陵に埋葬されているのは百済王の蓋鹵王の弟の昆支であり、仁徳天皇陵に埋葬されているのはその弟である余紀で、応神天皇と倭王武とヤマトタケルと八幡神と大国主命とスサノヲが全て同一人物の百済人昆支であると主張している。朝鮮新報は本書について「秘密を解き明かした本書」「驚くべき史実を明らかにする」と紹介し、この主張に同調している[150]

日本ではそもそもヤマトタケルが実在した人物であるか否かの議論の決着すらついておらず(2世紀に実在したとする説や、複数の英雄をまとめて一人の人物に仕立て上げた、と言う説などが存在する)応神天皇(201年~310年、もしくは393年)も応神・仁徳同一説が存在するなど今なお決着を見ていない。また、昆支の兄である蓋鹵王(生年不詳、在位455年 - 475年)の在位期間や息子である東城王(生年不詳、在位479年 - 501年)の在位期間などを考えると、昆支・応神天皇同一説を唱える場合関係する人々の生没年等を相当曲解しないと計算が合わない。

継体天皇 「日本語」の項目を参照。
琉球王国
(今沖縄県
韓国・成均館大学の博士学位である鮮于栄俊・首都圏大気環境庁長が、 沖縄の旧称である『琉球国』が『古代の鬱陵島住民の移住によって建国された』と主張している[151]
島根
九州
対馬
大和政権
古事記
小説家のピョ・マヌンが、韓国中央日報に寄稿して、韓国で捨てたごみが日本の海岸に漂着することを根拠に、慶尚道に住んでいた伽耶人が船に乗って島根に漂着し現地の支配者になり、出雲大社はこれら伽耶人を祭ったものであると主張している。さらにピョは、古代九州も伽耶人が統治した土地で、大和政権を立てたのは百済人であると主張し、「伽耶と百済が征服した日本の地は韓国のものだ」と主張している。また百済人が書いた『古事記』に任那の日本統治説がでるのも伽耶が九州を統治したことを裏付けるものであり、慶尚北道と島根県や、扶余市と熊本市が姉妹提携しているのもこれらの脈絡からくるものであると主張している。さらに対馬は昔から伽耶人や百済人が往来した拠点だったから韓国の地であると主張している(文中で日本人のことを「原住民」と記述)[152]

慶尚北道と島根県が提携しているのは事実だが、自治体国際化協会のサイトによると島根県はその理由の一つに「特に本県は新羅との結び付きは深く、現在も三国時代の新羅にほぼ相当する慶尚道、その中でも慶尚北道との交流は盛んである」[153]をあげている(しかし竹島の日制定時に慶尚北道から提携破棄されている)。また、熊本市が扶余市と提携していると言うのはピョの誤認である(熊本扶余郡の所在地である忠清南道と提携している)。そもそも何らかの縁があって姉妹提携しているとは言え、それが古代に伽耶と百済が日本を征服していたからだと主張するのは相当無理があるのではないかと思われる。

生態系 韓尚勳・野生動物連合常任議長が、「日本の生態系の根は韓国」「韓国の優秀な生態系が日本に伝わった。日本の生態系の“根”が韓国であるということを日本人に知らせる」と主張している[154]。朝鮮半島と日本列島の地理的や気候的な差異を一切無視しており主張の根拠となる資料も考察も明示しておらず根拠不明。
ソメイヨシノ
(桜全般)
韓国の複数の学者・マスコミ・公務関係者が、一般に日本産のサクラとして知られているソメイヨシノ(染井吉野)の起源は本当は済州山(チェジュサン)の王桜であると主張している。この件に関し「日本が歴史教科書まで改竄している」とまで主張している。多くの主張者の間で1932年に小泉源一がソメイヨシノの王桜起源説を唱えたことが根拠となっているが、当時から疑問視されており、DNA鑑定により現在では否定されている。しかし韓国政府は王桜起源説を支持し、積極的に桜の植樹を行っている[155]。また、大田西区文化院事務局長は「桜花が日本に渡ったのは、韓国仏教が日本に布教された6世紀頃である」とし、その根拠として「日本桜の総本山と呼ばれる吉野山の所在地が538年から百済聖王が日本に仏教を布教した地である奈良県にあるから」と主張をしている。[156]。さらにチェ・ソンウク農協中央会教育院教授が、「日本には地元日本桜の自生群落地がないのに対し韓国には20ヶ所も自生地がある」と事実無根の主張をし、それを根拠として「桜が日本の花ではないもう一つの証拠だ。」と主張をしている[157]

しかし、現在では、ソメイヨシノの起源は、江戸時代の染井村(現・東京都豊島区駒込)で、オオシマザクラとエドヒガンの園芸品種のひとつであるコマツオトメの交配で生み出された可能性が極めて高いということが、DNA鑑定の結果判明している[158]。この王桜起源説が発生した理由については、桜が「日本帝国主義の象徴」として伐採されたりするなど忌み嫌われてきたが、結局その美しさに韓国人は抗えなかったという背景がある。つまり「日韓併合時代とその後に日本人によって植えられた韓国に残された美しい並木を残そう」という運動とマスコミ記事があり、それを正当化する手段として、「実はソメイヨシノ等の日本の桜の起源は王桜だ」と主張されはじめたのである。また桜が欧米で好評を博しているのを認知したのも理由のひとつである。

韓国の政府系組織(国立山林科学院暖帯山林研究所のキム・チャンス博士)が2009年4月6日、ワシントンのポトマック川河畔の桜3千8百余本はすべて済州原産の王桜であることが判明した発表する。聨合ニュースが報じた[159]。2007年米国農務省が正式に行なったDNA調査[160]の結果と完全に異なる結果だが、この説に基づく論文を発表したとか、学会に発表したという話は聞かない。米国政府が正式に行なった調査結果と完全に食い違う結果を韓国の政府系機関が発表したにもかかわらず、具体的データ・詳細データは今も何も示されていない。

2009年4月10日、中央日報英語版が「多くの韓国人学者が、桜の木は日本ではなく、韓国から発したと主張します」と桜の韓国起源を主張する記事を掲載する。[19]

秋田犬 韓国動物保護研究会のユン・シングン会長が「秋田犬」を 珍島犬全羅南道珍島産の犬)が現地化したものと主張している[161]。一方、秋田県の公式サイトによれば、「秋田犬はヨーロッパからソビエトを経て北海道を経由して秋田に土着したもの」とのこと[162]
カメラ付き携帯電話 朝鮮日報の趙義俊(チョ・ウィジュン)記者が、カメラ搭載携帯電話を韓国がはじめて製品化したと主張。実際は1999年9月にDDIポケット(現ウィルコム)より発売された、京セラ製端末のVP-210が世界初のカメラ付き携帯電話(PHS)である[163]
稲作・穀物栽培 National Defense Journalが、日本の稲作などの穀物栽培は古代韓国人たちが伝えたと主張。井上満郎教授らの研究によると古代日本の王城だった京都で稲作を栽培し始めたたのは、新羅の陳氏一族であり、河川の堤防や灌漑工事を行うなどの先進技術をもった文明人であったと主張している[24]

稲作の朝鮮半島経由は有力な説の一つではあるが、現状では断定できない。日本の最古の稲作は紀元前6000年~紀元前3500年に遡るとされており、 National Defense Journalの主張は根拠不明。新羅の歴史は紀元356年から935年までであり、京都周辺で稲作を始めたのが新羅の陳氏であると言う説はかなり信憑性に欠ける。

[編集] 日本文化以外に対する韓国起源説の具体例

ここで取り上げる事例は、次の基準による。

  • 「著名人が主張した説」または「メディアが報道した説」以上を対象とする。
  • 韓国国内外における、説の認知度・浸透度は問題としない。
事例 解説・否定論
人類 北朝鮮が主張している。黒い山葡萄原人参照。
世界言語 世界のあらゆる言語の元が朝鮮語であると主張している[164]

また、東方文字は韓半島で製作されて、放射線状に中国及び日本列島に広まったと力強く主張しているがその根拠は不明。

アステカ文明
インカ文明
培材(ペジェ)大学の孫成泰(ソン・ソンテ)スペイン語・中南米学科教授が、朝鮮民族が紀元前にベーリング海を渡って中南米のアステカ文明とインカ文明を建設したと主張[165]

根拠としては文章構造や個別単語などの色々な側面から言語を比較して、文章構造が似ていたり韓国語がそのまま残っている事を発見したからだとしているが、上記の「日本語」の項目と同じような問題を抱えており(対応させている単語が恣意的であり、そもそも現代韓国語との類似点を指摘する事自体にあまり意味がない)これまた学術的信憑性は薄い。

メソポタミア文明
黄河文明
大朝鮮帝国史にて、メソポタミア文明と黄河文明が韓民族により成り立ったとされている。この図書は韓国の学者の間ではあまり相手にされていない。また、この説に基づいた放送がMBCでなされた[166]
イギリス人 イギリス人の先祖は韓国人であると言う、韓国の画家[167]である辺光賢が展開している数多くある起源説の中でもかなり図抜けたトンデモ説である[168]

ハングルの文法がスコットランド(及びウェールズ)やアイルランドの古語(ケルト語?)と似ていると言う理由と巨石文明があったからと言う理由からイギリス人は韓国人の子孫であると断定(ただし歴史的に言うのであれば、ケルト人は必ずしもイギリス人の祖先とは言えない)、また韓国語で「ムェ」が今でもイギリス語の「moor」として残っていると主張している。さらに「ムェ」の人々(「moors」、すなわちムーア人)とはウェールズ地方とイングランド西南のコーンウォール地方、そしてアイルランドに住んでいたアジア人たちの子孫の事だと主張しているがそもそも英語で「moor」とは「荒地」の意味であり、英語で言う「ムーア人」とは14世紀頃から使われだした北西アフリカのイスラム教教徒の呼称である。古代にイスラム教は存在しないため(イスラム教は西暦610年頃に創始されたものである)その時代に「ムーア人」なる呼称が使われていた可能性は限りなく低い。

また、古代にローマ帝国がアイルランドに侵攻しなかったのはギリシャとローマの前身が巨石文明を築いた韓半島の子孫たちであり、当時アイルランドも韓半島の子孫たちが国を治めてたから侵攻しなかったのだと主張している(ギリシャとローマの前身が韓半島の子孫達だったと言う説もかなりトンデモだが、そもそも当時のアイルランドに国と呼べる体裁のものは存在しなかった)。そもそも古代ギリシャの国々やローマ共和国(及び帝国)が石材を使って色々と建設したのは事実だが「巨石」と言うより「建築」に近い存在であり、巨石文明と言うカテゴリーに入れるのは無理があると思われる。

古代東アジア文明 アメリカのHuntigton Career Collegeの学長であるイ・ホンボム博士が、著書「アジア理想主義」において、「古代東アジア歴史文明の発源地は韓民族である」と主張している。さらに「古代の中国と日本の王国の政治権力基盤とパワーエリートたちの根は韓国人(古朝鮮人)である」と主張している。この著書について、韓国の毎日経済新聞は「この著書は、韓民族1万年の歴史の根を引き出すことで、古代中国と日本を支配・指導しアジアと人類文明の発展に貢献した韓民族の偉大性を世界中に知らしめる貢献をするだろう」と論評している[169]

ちなみにCareer Collegeとは日本で言う専門学校の一種である[170]

紅山文化 韓国航空大の禹實夏(ウ・シルハ)教授らが、蚩尤率いる東夷族、すなわち朝鮮民族が新石器時代遼河流域に発生した紅山文化を起こしたと主張しており、紅山文化は古朝鮮であると主張している[171]
蚩尤 韓国の複数の学者、歴史小説漫画、インターネットサイトが、中国神話に登場する蚩尤は、東夷族すなわち朝鮮民族であり、檀君神話に登場する古朝鮮に存在したとされる「倍達国」の天皇であると主張している。蚩尤は、2002年日韓ワールドカップサッカーで、韓国サポーターグループ「レッドデビル」のトレードマークとしても使われ、韓国で一般的に良く知られている[172]。中国が反発している[173]
三皇五帝

「中国の上古史に登場する三皇五帝は皆我らの同胞である東夷族で、は東夷族が立てた国」と主張。東夷族を同胞と定義づけている根拠が不明[174]なお夏と殷が漢民族以外の民族が王として君臨した国家であることは考古学的にある程度支持されている。
易学
八卦
河図洛書
科学
数学
現代文明
東方大学院大学の盧ジェファン教授が、「檀君神話に登場する桓雄の息子のテウが、河図と八卦を初めて描いて易学を創始し、一弱小国に過ぎなかった古代中国は、強大国である我が国の文明を受け入れるしかない状態だった」、「三皇五帝の一人の洛書魔方陣を初めて描いて、これらの易学が西洋に伝わって数学科学の元となり、西洋文明の大発展の原動力になった」、「現代文明のルーツは東洋易学である」と主張している[175]
漢字 [176]参照。しかし、KBSによれば、この記事で紹介されているソウル大学教授の朴正秀という人物は存在しておらず、また、朝鮮日報はそのような報道をしておらず、人民日報の誤報だという[177]

また、歴史評論家の李ドクイル(이덕일)が「殷が東夷族の国家という事実を信じたくなかった漢族たちが、意図的に殷墟の存在を意識から消してしまった」[178]、「漢字は東夷族の国家だったで作られたものである」[179]と主張している。韓国の少なくない歴史学者や知識人の間で「東夷族は朝鮮民族だった」という認識があるために[180]、李ドクイルは「朝鮮民族が漢字を発明した」と暗に主張している。また、韓民族史観定立意識改革会のポール・キム代表とキム・ムンチョ助言委員が、「檀君朝鮮はBC2333から2096年間実在した国家であり、漢字と漢文は朝鮮民族が作った文字であり、朝鮮民族の思想哲学が反映されている」と主張してニューヨークで講演している。さらにポール・キムは檀君王権が三神五帝教(三皇五帝)を祭る「蘇塗教」を作って堯王舜王、夏、殷、商信仰を中国大陸に広めたと主張している[181]

しかし、韓国では一般的に漢字は中国起源だとされているという意見もある[182]

漢方
施術
韓国固有の医術として世界文化遺産登録しようという動きがあり、中国医学会と論争を起こしている[183]

2008年6月18日、大韓韓方医協会は「WHOの“鍼灸経穴部位の国際標準”に韓国の鍼術方法が採択された」と発表した[184]この発表は国際問題化し、WHOと中国が反発する。WHOが韓国にかわりに中国に謝罪する[185]

泰山府君十王 京都市左京区にある赤山禅院では、泰山府君(十二天の一人焔摩天に従う眷属の一人)が赤山大明神として祀られているが、中央日報は泰山府君は新羅人張保皐(790年頃 - 846年?)のことであると主張[186][187]
チンギス・ハン 韓民族史観定立意識改革会のポール・キム代表が、「モンゴル靺鞨なども朝鮮族の後裔で、このような意味でチンギス・ハーンも韓民族」と主張[188][189]

下記と同じで、韃靼と朝鮮民族のルーツが同じだと言うことは主張できるもののだからと言って韃靼のルーツが朝鮮民族だ、と言う事はできない。

満州
愛新覚羅氏
韓国KBSの番組「満州大探査」において、「満州はもともと韓民族の土地。清朝を樹立した愛新覚羅氏も、祖先は韓国人」と主張[190]

高句麗渤海など半島を領土とした王朝が歴史的に満州地域の一部を領有していたのは事実だが(広い意味では扶余も入るのではないかと思われる)満州全域を支配していた事はない。また満州族のルーツである女真族と高句麗や百済のルーツは同じツングース系だとされているが、ルーツが同じだからと言って「愛新覚羅氏の祖先は韓国人」とはならない(そもそも当時は韓国という国が存在しないので「祖先は朝鮮族」ならまだしも、「祖先は韓国人」と言う主張は本当はおかしい)。

騎射 朝鮮日報が、韓国発祥の「騎射」、騎射競技の「宗主国」は韓国、などと紹介[191]

一般的に、騎射は紀元前8世紀頃、スキタイ人により始まったと考えられている。記事の中では「宗主国である」とだけ記してあり、その根拠は不明。

中秋節 all that newsのカン・ソヒョン記者が、「中秋節は新羅の僧が唐に伝えたものなのに、中国が文化の源泉である韓国に、中秋節に行われる里帰りなどでの人口移動の人数を強調して、秋夕の文化が中国の文化だと圧力を加えている」と主張した[192]
豆乳 韓国の豆乳メーカーサンユク物産が「韓国は数百年前から家庭で豆乳を作っていた。韓国が豆乳の発源地」と主張[193]。中国が反発している[194]
太極図 陰陽魚と呼ばれる現在の太極図は西暦1070年に中国で発行された『太極図説』より388年も前の682年に建立された新羅の感恩寺の礎石に刻まれているという[195]

さらに全南羅州伏岩里古墳群隣近の竪穴遺構から出土した百済の泗比時期(538~660年)の木製品1組から太極文様が確認されたとしている。[196]

羅針盤 新羅が世界で最も早く羅針盤を作った」と主張[197]。根拠は主に『三国史記』の記述の中で「唐の僧侶法案が新羅で磁石を貰った」と書いてある事と、「羅針盤」の名称は元々新羅にちなんで「新羅針盤」だったからだとしている。

一般的には中国発祥の物だと考えられており、11世紀の中国で沈括が書いた『夢渓筆談』にその記述が現れるのが最初だとされている。また羅針盤の本来の名前が新羅針盤だったと言う明確な証拠は存在せず、また『唐の僧侶が新羅で磁石をもらった』と言う記述を羅針盤を貰ったのだ、と決め付けるのも相当な曲解なのではないかと思われる。

アッティラ 羅針盤新羅起源説を主張している人物(イ・ジョンホ)が自分の著書(「ローマ帝国の征服者アッティラは韓民族」)で展開している説[198]
囲碁 仁済(インジェ)大碩座の陳泰夏(チン・テハ)教授が論文「文字学から考えた囲碁のえん源」で「囲碁の発祥地は韓国」であると主張[199]。囲碁の発祥地は中国説が有力。囲碁の歴史参照。
シャンチー
(象棋・中国将棋)
韓国チャンギ(韓国将棋)協会のサイトにおいて、昌原大学シン・ソクファン教授が、「韓国のチャンギは中国から伝わったものではない。チャンギの宗主国は韓国。中国のシャンチーは韓国のチャンギの模倣。」と主張[200]

一般的に韓国のチャンギは、中国のシャンチーが朝鮮半島に伝わったものと考えられている。「王将」に当たる駒が、「漢」・「楚」と中国の古代の国名となっている。

サッカー 韓国サッカー協会が自身のウェブサイト上で「サッカーの起源は朝鮮半島」と書いており、多くの抗議を受け削除したとのこと。全く根拠不明[201]。そもそも、蹴鞠のように足だけでボールを扱う球技は世界各地にあり、イングランドが初めてスポーツとして体系化させたから「サッカーの母国」として認められているということを認識する必要がある。
印刷 韓国はドイツで『印刷術の起源国―韓国』という展示会を開いた。印刷に金属板を使った世界最古の活字本は朝鮮の『直指心体要説』とされる。ただしより以前に中国で木版印刷が確認されている。よって印刷術の起源が韓国というのは曲解といえる[202]
ロケット 北朝鮮の朝鮮中央通信は、我が民族はかつて火薬を利用したロケット兵器製造に優れた才能を見せ、「早くも高句麗時代に既にロケット武器が製作されて使われた」と主張[203]。確かに当時から、矢を火薬で飛ばす火槍という武器があったが、開発したのは中国()である。また韓国の朝鮮日報は、「朝鮮王朝時代には世界で初めて2段式ロケットを開発した。」と主張[204]している。
趙法鍾ウソク大社会教育科教授によると、紙の起源は高句麗技術であったという[205]

一般的には紙の起源は中国だとされており、世界最古の紙は中国甘粛省の放馬灘から出土した紀元前150年頃に書かれた前漢時代の地図だとされている。高句麗の歴史が紀元前37年頃から668年までである事を考えると、紙の起源が高句麗であった可能性は低い。

床暖房 「床暖房が韓国のオンドルが起源という事実はある程度の専門家ならみな知っている。」と説明しながらロンドンの富裕層の間で床暖房へのリフォームが増えていることを中央日報が報じる[206]

しかし、イギリスでは床暖房は紀元前80年にローマ人のセルギウス・オラタが発明したとしている[207]

飛行機 世界初の飛行機はライト兄弟より300年先に作られた朝鮮時代の“飛車”であると主張。朝鮮後期実学者イ・ギュギョンが書いた「五洲衍文長箋散稿」によると、壬辰の乱の時に、城を倭軍に包囲された城主が飛車を使い、城から30里外まで脱出したという[208]。しかし、飛車が実際に空を飛んだことを証明する遺物や設計図がない[209]
捕鯨 釜山日報が、「蔚山の代表的文化遺産は国宝285号盤亀台岩刻画。人類捕鯨の歴史の起源だというこの岩刻画に鯨と鯨を捕る絵が出る。3千年前の絵だ」と主張[210]

[編集] 韓国起源説とは言えないもの

唐辛子
韓国政府傘下の組織(韓国学中央研究院および韓国食品研究院)が2009年2月18日に発刊した季刊誌『韓国の味・ハンオル』において、南米原産の唐辛子が、コロンブスがアメリカ大陸を発見する以前から朝鮮半島に存在していたと主張をはじめた[211]。それを報じた中央日報の記事中に「唐辛子が中央アメリカと日本を通じて韓半島に入ってきたということに疑問を持ち、15年前からこの問題を研究してきた」と記されている事から明らかに、キムチをはじめ韓国料理に必要不可欠な唐辛子が、日本経由で朝鮮半島に伝来した事を嫌い、結果ありきで伝来を創り上げたものである。唐辛子はアメリカ大陸からクリストファー・コロンブスが1493年にスペインへ最初の唐辛子を持ち帰った後に世界に広まったという事が定説であり、したがって”中国にあった唐辛子”と称する物は胡椒、山椒、辛子の類で唐辛子ではない。
ドラえもん
上述のような起源説だけではなく、実際には単純に無知ゆえに勘違いしていたり類似文化を普及度で本家主張しているだけの場合もある。韓国起源説が日本でもよく知られるようになったことで、韓国が別に起源主張しているわけでないものまで韓国起源説として誤解されることがある。例えば、ユンソナが『ドラえもん』を韓国人が作ったキャラクターだと思っていたという事実を「ドラえもん韓国起源説」と認識した日本人もいるが、実際には現在韓国においてもドラえもんは日本のマンガとして扱われ、1994年から刊行が始まった正規出版の単行本では作者名Fujiko F Fujioと日本語名で書かれている。ユンソナがドラえもんを日本のマンガと知らなかったのは個人の知識の問題であり、確かに韓国では長い間ドラえもん等日本のマンガ、アニメがあたかも韓国製であるかのように改竄された海賊版が出回っていたが(『トンチャモン』)、それは起源主張ではなく韓国政府の日本文化排斥政策と著作権の問題であり、すでに世界に知られている日本文化を韓国が起源であると世界にアピールする韓国起源説とは異なる。

[編集] 韓国起源説捏造問題

韓国起源説に対する、日本や中国、台湾の注目度が高まったため、韓国国内でもそのことが報道されるようになった。

しかし、韓国起源説への注目が増す中、いくつかの報道によれば、近年中国や台湾では韓国起源説の捏造が行われているという。例えば、東亜日報が「製紙技術や印刷技術、羅針盤などはすべて、韓国のほうで発明されたもので、後日、中国の中原地域へと伝わった」というソウル大学の教授の説を掲載したとの報道が中国でなされたことについて、東亜日報は事実関係を否定しており、そのような主張をした朴ヒョブプン教授という人物は実在しないという。また、同社は、朝鮮日報が「成均館(ソンギュングァン)大学歴史学部の朴ブンギョン教授は、中華民国を建国した孫文は韓国系の人物だという論文を発表した」という記事を掲載したという中国での報道に関しても、事実関係を否定し、またそのような教授は存在していないと、中国が嫌韓感情を助長させるためにおこなった捏造であるとしている[212]。また、KBSと聯合ニュースは、人民日報が「ソウル大学の朴正秀教授が、漢字を韓国の文化として世界遺産に申請しようとしている」というニュースを報道したことについて、人民日報の誤報だと伝えた[213]。さらに、台湾で報道された、孔子、老子釈迦、孫文、万里の長城、豆乳の韓国起源説について、事実関係を完全否定し、「荒唐無稽な台湾メディア」「台湾メディアは最近1-2年でこんなとんでもない報道を相次いで行っている」と伝えた。また、別の記事では「でっちあげ」「事実歪曲」という言葉を用いて台湾メディアを批判した[214]。また、インターネット上では、わざと冗談目的で新たな韓国起源説が創造され、それがあたかも本当の報道であるかのように誤解され、流布されることもある[215][216]

現在、韓国起源説は、剣道のような世界的広まりを見せているものから、個人の妄想や、上記のような誤報とされるものまで様々あり、どれが本当に韓国国内で報道されたものなのか、どの程度信じられているものなのか等が多くの場合不透明なまま、ネット上で様々な情報が生まれている。また、面白がって捏造する者もおり、混乱に拍車が掛かっている状況である。

[編集] 注記

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  192. ^ 中秋、中国の文化持ちこんだこと?(all that news、2008年9月8日)
  193. ^ サンユク調製豆乳・黒ごま豆乳・黒豆豆乳・韓国豆乳
  194. ^中国ネチズン「中国が豆乳の元祖、韓国が奪った」」(中央日報、2007年6月8日)
  195. ^「太極旗:太極模様は中国由来!?」 」(朝鮮日報 2008年06月08日)
  196. ^「最も古い百済太極文様発掘」」(中央日報 2009年06月04日)
  197. ^ 壬辰の乱は朝鮮が勝った戦争,羅針盤の発明者は中国ではなく新羅 (韓国語)(国政ブリーフィング、2004年7月31日)
  198. ^ 壬辰の乱は朝鮮が勝った戦争(韓国語)著者紹介の項目を参照(国政ブリーフィング、2004年7月31日)
  199. ^ 囲碁の発祥地は韓国、陳泰夏・仁済大教授が主張(中央日報、2006年6月2日)
  200. ^ 中国のシャンチーは韓国のチャンギの模倣(韓国チャンギ協会)
  201. ^憂慮すべき韓国の夢想自大主義」(静岡県立大学大礒正美研究所)
  202. ^「漢字発明は韓国人」 「荒唐無稽」と中国憤激」(J-CASTニュース、2006年11月21日)
  203. ^ 北朝鮮"我が国はロケット宗主国" (韓国語)(連合ニュース、2005年05月30日 和訳
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  205. ^ 朝鮮日報(韓国語) 西側に伝えた<製紙術>は高句麗技術である可能性
  206. ^ ロンドンは今、カーペットを取り除けてオンドルを敷く[リンク切れ] 中央日報 2009.05.03 (韓国語)
  207. ^ Roman hypocaust acclaimed as top H&V product ever MBS April 2007
  208. ^ “壬辰の乱の時に空を飛んだ飛車をご存じですか”(韓国語) (国民日報、2000年12月10日)
  209. ^ 世界初の飛行機は、朝鮮の“飛車”(Innolife.net、2007年4月2日)
  210. ^ 蔚山捕鯨歴史(釜山日報 2008年9月27日)
  211. ^ 「唐辛子、朝鮮初期にもあった」(中央日報 2009/02/19)
  212. ^ 中国ネット、「でたらめ記事」で韓国嫌いを扇動
  213. ^ KBS
  214. ^ 「歴史を盗む泥棒民族」 台湾メディアが韓国批判(上)
  215. ^ 起源でない-サンタ協会の発表に、未だ何も言ってないと困惑の韓国 左記記事は、韓国起源説を揶揄したジョーク記事であるが、インターネット上にはこれを真実と誤解した掲示板などが多数存在している
  216. ^ 中国の情報を日本に紹介するサーチナのサイトは、韓国の教授が孫悟空が韓国のサルであるという証拠を「発見」したと主張しているとする記事を掲載した[16]。記事には文責の署名がされているが、その出典は、匿名の中国語ブログ[17](ニュースのソースを示していないばかりか、韓国人教授の名前すら明言していない)である。さらにサーチナは、デマを日本に配信した張本人でありながら、YAHOO!Japanニュースに、そのデマを批判するニュースを配信している[18]

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 北出明 『風雪の歌人――孫戸妍の半世紀』 講談社出版サービスセンター、2002年。ISBN 4-87601-557-0
  • 北出明 『争いのなき国と国なれ――日韓を詠んだ歌人・孫戸妍の生涯』 英治出版、2005年。ISBN 4-901234-75-7
  • 鄭大均 『韓国ナショナリズムの不幸――なぜ抑制が働かないのか』 小学館〈小学館文庫〉、2002年。ISBN 4-09-402686-X
  • 野平俊水 『韓国・反日小説の書き方』 亜紀書房、1996年。ISBN 4-7505-9608-6
  • 野平俊水・大北章二 『韓日戦争勃発!?――韓国けったい本の世界』 文藝春秋、2001年。ISBN 4-16-357900-1
  • 野平俊水 『日本人はビックリ!韓国人の日本偽史』 小学館〈小学館文庫〉、2002年。ISBN 4-09-402716-5
  • 野平俊水・大北章二 『韓国のなかのトンデモ日本人――日本では絶対に見られない、韓国ドラマ・映画・AVの世界』 双葉社、2004年。ISBN 4-575-29679-1
  • 林順治 『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった――異説日本国家の起源』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4-309-22505-0
  • 勝岡寛次 『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する――歪曲された対日関係史』 小学館〈小学館文庫〉、2001年。ISBN 4-09-402376-3
  • 勝岡寛次 『韓国と歴史は共有できない――日韓歴史共同研究のまぼろし』 小学館〈小学館文庫〉、2002年。ISBN 4-09-402377-1
  • 勝岡寛次 『これだけは知っておきたい日韓問題20のポイント 真の友好を築くために 古代史から現代に亘る、「反日」の論理の不当性を徹底検証!』 明成社、2007年。ISBN 978-4-944219-47-6
  • 水野俊平 『韓vs日「偽史ワールド」』 小学館、2007年。ISBN 978-4-09-387703-9
  • 山野車輪 『マンガ 嫌韓流』 晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2005年。ISBN 978-4-88380-478-8
  • 山野車輪 『マンガ 嫌韓流2』 晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2006年。ISBN 978-4-88380-516-7
  • 山野車輪 『マンガ 嫌韓流3』 晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2007年。ISBN 978-4-88380-630-0
  • 山野車輪 『マンガ 嫌韓流4』 晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2009年。ISBN 978-4-88380-944-8
  • 『マンガ嫌韓流 公式ガイドブック』 晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2006年。ISBN 4-88380-517-4
  • 『マンガ嫌韓流の真実!〈韓国/半島タブー〉超入門』 宝島社〈別冊宝島〉、2005年。ISBN 4-7966-4973-5
  • 『嫌韓流の真実!場外乱闘編』 宝島社〈別冊宝島〉、2006年。ISBN 4-7966-5127-6
  • 『嫌韓流の真実!ザ・在日特権――朝鮮人タブーのルーツから、民族団体の圧力事件、在日文化人の世渡りまで!』 宝島社〈別冊宝島〉、2006年。ISBN 4-7966-5329-5
  • 李寧煕 『もう一つの万葉集』 文藝春秋、1989年。ISBN 4-16-343560-3
  • 李寧煕 『もうひとりの写楽――海を渡ってきた李朝絵師』 河出書房新社、1998年。ISBN 4-309-90277-4
  • 『新版 韓国の歴史――国定韓国高等学校歴史教科書』 大槻健、君島和彦、申奎燮、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2003年、第2版。ISBN 4-7503-1673-3
  • 『韓国の高校歴史教科書――高等学校国定国史』 三橋広夫、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2006年。ISBN 4-7503-2459-0
  • 『韓国の中学校歴史教科書――中学校国定国史』 三橋広夫、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2005年。ISBN 4-7503-2175-3
  • 『入門韓国の歴史――国定韓国中学校国史教科書』 石渡延男、三橋広夫、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、1998年、新装版。ISBN 4-7503-1084-0
  • 『韓国の小学校歴史教科書――初等学校国定社会・社会科探究』 三橋広夫、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2007年。ISBN 978-4-7503-2645-0
  • 『わかりやすい韓国の歴史――国定韓国小学校社会科教科書』 三橋ひさ子・三橋広夫・李彦叔、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2001年。ISBN 4-7503-1024-7
  • 韓哲昊・金基承・金仁基・趙王鎬 『韓国近現代の歴史――検定韓国高等学校近現代史教科書』 三橋広夫、明石書店〈世界の教科書シリーズ〉、2009年。ISBN 978-4-7503-2986-4

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年12月1日 (火) 02:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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