音楽史
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音楽史 (おんがくし) とは、音楽の歴史のこと。それぞれの音楽ジャンルにそれぞれの歴史がある。また、音楽学の分類のひとつと考える場合もある。
目次 |
[編集] 音楽の起源
詳細は「古代の音楽」を参照
音楽の歴史は有史以前まで遡ることが出来る。おそらく最初の音楽は歌声である。あるいは手拍子を伴ったかもしれない。原初の楽器は打楽器であったと推測できる。リズムが生まれたが、メロディーやハーモニーと呼べるものを生みだすのは困難であっただろう。ごく古い管楽器としては、およそ3000年前の地層から出土した骨を利用した笛があり、現代のリコーダーのような形をしている。古代の音楽は祈りや祝祭、あるいは狩りや儀式など当時の生活に密着したものであったと想像できる。
[編集] 生物学的な音楽の起源
音楽は人類共通のものであり、あらゆる文化において存在する。さらには、生まれたばかりの赤ん坊であっても、音楽に対する関心を示すことから、ヒトという種は、音楽に対して何らかの遺伝的基盤を備えていると思われる。
一方、ヒト以外の動物には音楽がほとんど存在しない。鳥類や海獣類のなかには、発声を応用した「歌う」種がわずかにあるばかりである。また、これらのヒト以外の動物種による「歌う」行動は、音楽の一形態と解釈するよりは、別の機構から発現した類似の一形態と考える方が、多くの場合妥当である[1]。特に霊長類には、「歌う」種すら乏しく、ヒトの音楽の起源に関しては、独自の進化により獲得したものだと考えられる。[2]
人類の音楽的能力が高いことに関しては、これまで幾つかの説が誕生している。音楽の上手い個体が異性に好まれるため、音楽的資質の高い遺伝子が選択されたという「性選択説」[3]や、最近では、人類の言語に対する認知能力が進化するにともない、それが副産物的な能力として人類の音楽的能力も高めたという「帰無仮説(null hypothsis)」が有力な説である。ただし、音楽の起源に関する遺伝的研究は未発展であり、全ての説がデータとして裏づけのない推察の上に成り立っており、仮説の粋を出ていない。[4]
[編集] 各地域の音楽史
[編集] 日本の音楽史
[編集] 日本の音楽史家
[編集] 西洋音楽史
ここでは、主には西洋音楽、特にクラシック音楽の歴史を解説する。
- 古代西洋音楽
- 中世西洋音楽
- 6世紀頃から15世紀にかけての音楽を指す。これ以前は古代音楽になるが、楽譜が残されていないため明確ではない。
- 宗教音楽
- 宮廷音楽
- ルネサンス音楽
- 14世紀頃から16世紀にかけて作られた音楽の総称。
- バロック音楽
- 17世紀初頭から18世紀中頃までの音楽。また、中世~バロック時代の音楽を古楽と総称する。
- 古典派
- 18世紀後半を中心とする音楽。
- ロマン派
- ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽。
- 新古典派音楽
- 近代音楽
- 現代音楽と同じ区分に含まれるとされることも多い。
- 現代音楽
- 西洋クラシック音楽の流れにある20世紀以降の音楽。時代区分ではなく、前衛音楽としての形式を指すとも考えられる。
楽譜の歴史については楽譜の項を、楽器の歴史については楽器の一覧を、年表については西洋音楽年表を参照せよ。
[編集] 西洋音楽史家
- 辻荘一
- 野村良雄
[編集] その他の地域の音楽史
[編集] その他の地域の音楽史家
- 岸辺成雄
[編集] アメリカポピュラー音楽の音楽史
ポピュラー音楽も参考にせよ。
ポピュラー音楽の定義は同項目を参照のこと。
[編集] 概要
アメリカのポピュラ音楽は最初ヨロッパの移民によってもたらされた。英国特にアイルランドの曲が多く歌われた。ご承知のとおりアメリカは人種のるつぼとか、人種のサラダと言われているとおり、黒人をはじめヨロロッパは勿論中近東の多民族の影響をうけている。国内の民族ばかりでなく近代でもラテンアメリカのリズムからの影響を受けている。
アメリカのポピュラー音楽は音楽の演奏場所を含めて音楽の媒体の発達により発展を遂げてきた。娯楽に飢えていた1800年代のはじめはには音や音楽を保存するすべがなかった。つまり音楽はごくまれな例であるオルゴールのようなもの以外は全てナマ音楽だった。お百姓達は週末にバーン(納屋)ダンスを楽しんだ。日曜日には教会で賛美歌を歌った。酒場ではホンキートンクのピアノやフィーデル(ヴァオリン)やバンジョウがはやり歌や故郷の音楽を奏でた。
ミンステロールと言う旅周りの芸能グループが馬車を仕立てて村から村へ、町から町へ巡業を行った。やがてヴォードヴィルという小さな劇場が都会にできた。英国ではミュージックホールという酒色を伴う男の憩いの場があったが、アメリカではトニー・パスタという人物が家族で楽しめる娯楽の場所を作った。ヴォードヴィルは日本語で「寄席」と訳されているが、日本の寄席とはちょと違って、音楽はもちろん、サーカスまがいの曲芸や、有名な元野球選手などが出演していた。日本の樽回し(横になって足で樽を回す曲芸)も出演していた。19世紀になり映画館が普及するにつれ、ヴォードヴィルは衰頽下閉まった。家族で楽しめる娯楽として、また出演者は特にポピュラーソングの歌手としては大きな存在であった。ドアープライズ(入場のときもらえるおまけ)には、婦人服の型紙や驚くことに石炭一年分などがあった。ヴォードヴィルで当時歌われた曲は、物語であったり、オチのあるコミックソングであったり、お涙頂戴的な曲もあった。しかし後世のトーチソングといわれる、自分が主役で愛を歌い上げるような曲は皆無であった。
世の中が落ち着き、家庭で音楽を楽しむようになった。所謂パーラーミュジック、家族や友人を招いて居間でピアノを主体とするホームコンサートが開かれるようになった。そこで楽譜が売れるようになり、ニューヨークでは音楽出版社が集まる街ができた。出版社のビルの開け放たれた窓から、新しい楽譜を演奏する音が重なり合って、ティンパン・アレーと呼ばれた。楽譜はプラッガーと呼ばれる人によって、実演を伴って販売されたのである。当時の曲の人気度は楽譜の売上高によって決められた。後に有名になった歌手もプラッガーをやっていた人も居る。
エジソンがレコードを発明した。1877年のことだった。当時はレコードは平面の円盤ではなく、シリンダー(トイレットペーパーの芯のような形態)であった。当時の吹き込みは電気的なものでなく、大きなメガホーンに向かって音を吹き込んだ。ミキサーもなかったので音のバランスをとるために隣の部屋から演奏する楽器もあったようだ。エジソンはレコード会社を設立し、多くの歌手がヴォドヴィルで流行った昔の曲を吹き込んだ。1800年の後半には、かなり美しいポピュラーソングがあり、今ではめったに演奏されないが聞く価値は十分にある。〔別掲〕
音楽媒体とは離れるが1900年前後にスコット・ジョプリンという黒人ピアニストが活躍していた。1899年にはメイプル・リーフ・ラグを発表し、1902年にはジ・エンタテイナーを発表している。彼はラグタイムの王様と呼ばれるようになったが、このラグタイム一世を風靡した。〔ウキペディア参照〕アービング・バーリン(Irving Berlin)のアレキサンダーズ・ラグタイムバンドという曲は(1911)ラグタイムではないが、ラグタイムを有名にしたといわれている。
またジャズが台頭するのが1910年代でアメリカはこの10年をジャズエイジと呼んでいる。
再び音楽媒体に話を戻すと、次の大きな変化はラジオの誕生である。1906年12月24日には、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送した。フェッセンデンはこの日、レコードでヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」を、そして自身のバイオリンと歌で“O Holy Night”をそれぞれ流し、聖書を朗読した。この放送はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもある。フェッセンデンは「史上初のラジオアナウンサー&プロデューサー」と言えるだろう。
フェッセンデン以後、実験・試験的なラジオ放送が世界各地で行われるようになるが、正式な公共放送(かつ商業放送)の最初ははるかに下って、1920年11月2日にアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送開始されたKDKA局と言われる。これはAM方式によるものだった。最初のニュースは大統領選挙の情報で、ハーディングの当選を伝えた。
当時のラジオの出演はノーギャラだった。歌手はラジオで歌えれば有名になるチャンスが与えられるので競って出演を望んだ。またラジオの出現でパーラーコンサートにも微妙な変化が起こった。それはビッグバンドの演奏で家庭でもダンスを楽しむことができるようになったのだ。
スコット・ジョプリン(Scotto Joplin)という黒人のピアニストが居た。彼は1900年前から若くして活躍していたが、1906年にメイプル・リーフラッグを発表した。
さて次にマイクルフォーンの登場が後のアメリカンポピュラーソングに大きな変化をもたらせた。それまではマイクなしで、歌手はオペラのように朗々と歌い上げていたが、マイクの出現で、吐息までが聴衆に聞こえるようになった。その結果聴衆一人一人にささやきかける歌も歌われるようになった。このような歌手をクルーナーと呼んでいたが、当時は必ずしもそれを良しとしなかった向きもあり、ちゃんと歌えない歌手を軽蔑的にも使われた言葉であった。マイクが登場し、ポピュラーソングの歌詞も変化してきた。それまでめったに見られなかった「私」が主語の歌がどっと増え、物語のような歌はなくなり、第三者的な歌詞が姿を消してしまった。
[編集] 曲にまつわる話
この項で有名なまたは重要な曲に関するコメントを載せる〔編集〕 ポピュラーソングはいろいろのジャンルの歌曲がある。その中で童謡も一つのジャンルである。われわれ日本人は青年期か大人になってからアメリカの音楽に接するせいもあり、童謡にはあまりなじみがない。幼少期をアメリカで過ごした人や、そのくらいの子供を持った人は充分アメリカの童謡に知識があると思う。マザー・グースの歌集(楽曲1719-1)がある。ここに大きな発見があった。この中に「雨が降るならスペイン(遠くで)降ってくれ」という曲がある。これが実はマイ・フェアー・レイディーに出てくる「イッツ・ライン・イン・スパイン」の下敷きになっていた。これは英国のものだが、連中には童謡で出てくる情景でなじみのある詩だったのだ。またマザー・グースの中に「オールド・キング・コール」という曲がある。この題は誰かを彷彿させませんか? Nut King Cole ですね。日本語で言えば「桃太郎」が元で歌手の名前を「柿太郎」としたようなものですね。このようにわれわれが気付いていない背景がある。
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- 楽曲
- 1702 1 "Tavern Bilkers, burlesque" by John Weaver
- 1707 1 "When I Survey the Wondrous Cross" Hymns and Spiritual Songs by Isaac Watts
- 1719 1 "Mother Goose's Melodies For Children " Thomas Fleet
- 1749 1 "Soldiers of Christ, Arise" (hymn) by Charles Wesley
- 1765 1 "I wish you all good night", song by James Hook
- 1768 1 "The Liberty Song",with words by John Dickinson considered the first American patriotic song. He used to the traditional Britsish song, Herats and Oak.
- 1780 1 "Barbara Allen" (song) (first printed version)
- 1792 1 "Chant de guerre pour l'armée du Rhin" aka* "La Marseillaise" by ClJoseph Rouget de Lisle
- 1792 1 "The Irish Washerwoman" trad. Irish
*aks=~としても知られている
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- 1808 1 "(Believe Me, if All) Those Endearing Young Charms" by Thomas Moore and Sir John Stevenson
- 1818 1 "Silent Night" (words by Joseph Mohr, music by Franz Gruber)
- 1818 2 "Thou Bonnie Wood of Craigielea" (words by Robert Tannahill, music by James Barr)
- 1822 1 "Araby's Daughter" (song)
- 1824 1 "Song of the Western Men, The" by Robert Stephen Hawker
- 1826 1 "Old Oaken Bucket, The" w. Samuel Woodworth m. George F. Kiallmark. Words written in 1817.
- 1826 2 "Shenandoah (Across The Wide Missouri)" traditional, US.
- 1828 1 "Oh! No! We Never Mention Her" by Thomas Haynes Bayly & E. Riley
- 1828 2 "Tyrolese Evening Hymn" by Felicia Hemans & Augusta Browne
- 1831 1 "Lord, Lead the Way the Saviour Went" (hymn) by William Crosswell
- 1832 1 "Bloom is on the Rye, The (My Pretty Jane)" by Edward Fitzball & Henry Rowley Bishop
- 1832 2 "Rock of Ages" (hymn) by Augustus Montague Toplady & Thomas Hastings
- 1834 1 "Alphabet song" (copyrighted by C. Bradlee)
- 1834 2 "Turkey in the Straw"
- 1837 1 "Hark, Brothers, Hark", words and music by John Hill Hewitt
- 1837 2 "Woodman, Spare That Tree!", words by George Pope Morris, music by Henry Russell
- 1838 1 "Annie Laurie", words (1688) William Douglas, music Lady John Scott (Alicia Ann Spottiswoode)
- 1838 2 "'Tis Home Where'er the Heart Is" - words by Robert Dale Owen, music by John Hill Hewitt ([1])
- 1840 1 "Old Arm Chair, The" w. Eliza Cook m. Henry Russell
- 1843 1 "Columbia, Gem of the Ocean" by Thomas Becket
- 1843 1 "I Dreamt I Dwelt In Marble Halls" w. Alfred Bunn m. Michael William Balfe from the light opera The Bohemian Girl
- 1843 2 "Old Dan Tucker", usually attributed to Dan Emmett
- 1843 3 "Then You'll Remember Me" w. Alfred Bunn m. Michael William Balfe from the light opera The Bohemian Girl
- 1844 1 "Open Thy Lattice, Love" w. George P. Morris m. Stephen Collins Foster
- 1844 2 "Skip To My Lou" Trad. US
- 1846 1 "When the Swallows Homeward Fly" w.m. Franz Abt
- 1848 1 "Oh! Susanna!" by Stephen Foster
- 1850 1 "Camptown Races" by Stephen Foster
- 1850 2 "Home Again" w.m. M. S. Pike
- 1850 3 "Molly Do You Love Me?" w.m. Stephen Collins Foster
- 1850 4 "Nelly Bly" by Stephen Foster
- 1851 1 "I Would Not Die in Summer Time" By Stephen Foster
- 1851 1 "Laura Lee" By Stephen Foster By Stephen Foster
- 1851 1 "Old Folks at Home'" (Way Down Upon the Suwannee River) By Stephen Foster
- 1851 2 "Ring, Ring, de Banjo" By Stephen Foster
- 1852 1 "Massa's in de Cold Cold Ground" by Stephen Foster
- 1853 1 "Farewell My Lilly Dear" by Stephen Foster
- 1853 2 "My Cottage Home" w.m. Alice Hawthorne
- 1853 3 "My Old Kentucky Home" by Stephen Foster
- 1853 4 "P'tit quinquin" (in Picard) by Alexandre Desrousseaux
- 1854 1 "(I Dream of) Jeanie With the Light Brown Hair" Stephen Foster
- 1854 1 "Hard Times Come Again No More" Stephen Foster
- 1854 2 "Maggie by My Side" Stephen Foster
- 1854 3 "Old Dog Tray" Stephen Foster
- 1854 4 "What Is Home Without A Mother", w.m. Septimus Winner
- 1855 5 "Come Where My Love Lies Dreaming" by Stephen Foster
- 1856 1 "Darling Nelly Gray" Benjamin Hanby -
- 1857 1 "Does He Love Me?" w. Annie Chambers Bradford m. F. W. Smith
- 1857 2 "Lorena" w. Reverend Henry D. L. Webster m. Joseph Philbrick Webster
- 1858 1 "Can-Can", music by Jacques Offenbach (from his operetta, Orphée Aux Enfers)
- 1859 1 "Darling little blue eyed Nell" w. B. E. Woolf m. Frederick Buckley
- 1860 1 "Down Among the Cane-Brakes" By Stephen Foster
- 1860 2 "Mary Of Argyle" w. Charles H. Jefferys m. Sidney Nelson
〔この項ウオキペディアよりの引用〕 --61.195.34.186 2009年5月22日 (金) 07:42 (UTC)宮田守雄 --61.195.34.186 2009年5月22日 (金) 04:34 (UTC)宮田守雄 --61.195.34.186 2009年5月22日 (金) 02:20 (UTC)宮田守雄 --61.195.34.186 2009年5月21日 (木) 06:05 (UTC)宮田守雄--
61.195.34.186 2009年5月21日 (木) 04:35 (UTC)宮田守雄
--61.195.34.186 2009年5月20日 (水) 08:31 (UTC)宮田守雄 --219.4.219.116 2009年5月19日 (火) 07:18 (UTC)宮田守雄
[編集] 音楽史ということばの用法について
レコードなどにおける「音楽史」というジャンルは、バロック音楽よりも古い西洋音楽を示す。
[編集] 参考リンク
[編集] 関連書
- 『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』 岡田暁生 中公新書 中央公論新社 ISBN 4121018168
[編集] 脚注
- ^ たとえばクジラの場合、他の個体との情報交換の手段として「歌う」が、これを音楽としての認知能力を持っていると解釈できるわけではない。
- ^ ただし、動物における音楽の研究はほとんど進んでいない。「歌う」ことや、さらに汎用的と考えられる音楽的素養である「リズム」を、種別でどう認知されているかは不明であり、音楽が動物としてより普遍的な素質であるのかどうかも不明である。
- ^ ダーウィンが提唱し、現在も一定の支持がある説。
- ^ Josh McDermott, Nature, 453, 287-288, 2008


