養基村
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昭和の大合併のさいに分割され、現在の揖斐郡揖斐川町南部(脛永)と池田町北部(粕ヶ原・田中・沓井)に該当する。
目次 |
[編集] 歴史
- 江戸時代末期、この地域は美濃国池田郡であり、大垣藩領、旗本領であった。
- 1876年(明治9年) - 粕河原新田が改称し、粕河原村となる。
- 1896年(明治29年)4月18日 - 大野郡の一部と池田郡が合併して揖斐郡となる。八幡村は揖斐郡に属する。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 粕河原村、田中村、沓井村、脛永村が合併し、養基村になる。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 養基村が分割され、西部(旧・粕河原村、田中村、沓井村)は池田町に、東部(旧・脛永村)は揖斐川町に編入される。
[編集] 分割編入の経緯
- 粕川以南の揖斐郡の南部(温知村[1]、八幡村、宮地村、養基村)は、共同で揖斐郡学校組合立揖南中学校(現・池田町立池田中学校)を設置しており、1953年(昭和28年)には、この4ヶ村での合併が決められ協議会が設置される。
- 養基村はこの4ヶ村の合併でほぼまとまっていたが、揖斐町との関係も深く、一部の住民からは揖斐町との合併という意見も出てきた。そのような中、揖斐町から合併の申し込みが行なわれる。[2]このことは住民のみならず村議会での対立を招くことになる。
- 養基村を除く3ヶ村は1955年(昭和30年)4月1日に合併し町制施行、池田町となる。
- 話し合いの末、東部(旧・脛永村)は揖斐川町[3]に、西部(旧・粕河原村、田中村、沓井村)は池田町への編入となる。そのさい、小学校はそのままとすることとなり、現在でも池田町にある養基小学校の校区は、旧・養基村の地域である[4]。
[編集] 学校
- 養基村立養基小学校 (現・養基小学校養基保育所組合立養基小学校)
[編集] 鉄道
[編集] 神社
[編集] 脚注
- ^ 1950年(昭和25年)8月1日、池田村と本郷村が合併して発足。
- ^ 一説には、養基村にある揖斐駅が目的であったという。
- ^ 1955年(昭和30年)4月1日に揖斐町、北方村、大和村、清水村、小島村が合併して発足。
- ^ 中学生はそれぞれの町の中学校(池田町立池田中学校・揖斐川町立揖斐川中学校)に通学する。
[編集] 関連項目
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