高寺成紀
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| 本来の表記は「髙寺成紀」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
髙寺 成紀(たかてら しげのり、1962年9月‐)は日本のテレビドラマプロデューサー。東京都台東区[1]出身。
代表作に『激走戦隊カーレンジャー』『仮面ライダークウガ』『仮面ライダー響鬼』などがある。
目次 |
[編集] 来歴
- 1973年? - 小学館の雑誌が開催したウルトラの母の想像図コンテストで優秀賞2名の一人に選ばれる[2]。
- 1981年4月 - 早稲田大学第二文学部に入学。在学時に特撮サークル「怪獣同盟」を結成し、初代会長を務める。同じく東映プロデューサー・塚田英明や、『小さき勇者たち〜ガメラ〜』などの監督である田崎竜太は、この「怪獣同盟」の後輩にあたる。
- 1984年3月 - 早稲田大学を卒業。
- 1986年 - 東映株式会社に入社。
- 1987年 - 『仮面ライダーBLACK』で初のプロデューサー補を務める。
- 1990年 - 『美少女仮面ポワトリン』の中途からプロデューサーに就任。
- 1994年 - 『忍者戦隊カクレンジャー』の15話よりサブプロデューサーとして戦隊シリーズに初参加。
- 1996年 - 営業に専念することになった鈴木武幸に代わり『激走戦隊カーレンジャー』でチーフプロデューサーに昇格。以後、連続してチーフプロデューサーとして戦隊に携わる。
- 2000年 - 平成仮面ライダーシリーズ第1作となる『仮面ライダークウガ』でチーフプロデューサーを担当。
- 2005年 - 『仮面ライダー響鬼』で現場復帰。29話でチーフプロデューサーを降板。
- 2006年 - 5月末日を持って東映株式会社を依願退職。角川書店に転職。
- 2008年 - 12月発売の『NewType THE LIVE』2009年1月号にて、映像プロデューサーとしての再始動を宣言。
- 2009年 - 1月発売の『NewType THE LIVE 特撮ニュータイプ』2009年3月号にて、友人の影響で名刺上の氏名を「髙寺成紀」→「高寺重徳」に改名。
[編集] 概要
[編集] 作風・エピソード
『激走戦隊カーレンジャー』では既存の戦隊ヒーローものを徹底的にセルフパロディ化するとともにナレーションを廃止、『星獣戦隊ギンガマン』では一時巨大ロボの廃止を検討し、『カーレンジャー』『電磁戦隊メガレンジャー』『ギンガマン』では子供向け番組でありながら悪役の女性幹部にAV女優を起用したり、『仮面ライダークウガ』では近年のリアル特撮路線の先鞭をつけるなど、ともすれば無謀とも捉えられかねない挑戦的な作品を好んで制作する。また、緻密な設定を構築してそれを厳守し、ストーリーが破綻をきたさないよう丁寧なシリーズ構成を徹底するのも特徴。自分が面白いと思ってやったことは何を言われようと貫き通す、非常に頑固な一面が作品から見受けられる。また、彼がチーフプロデューサーを務めた戦隊シリーズでは、必ず敵組織での権力闘争や結束の乱れが描かれる。「名前の規則性」にこだわり、サブタイトルや怪人の名前には必ず規則をつける(例えば必ず交通安全のフレーズを入れたサブタイトルの『カーレンジャー』、細かい設定を加えた怪人の名前・言語・人間の殺害方法を用いた『クウガ』)などの面もある。
1990年代半ばまでの特撮ヒーローが持っていた善悪二元論、勧善懲悪的な論法に対しては、ヒーローたる主人公を従来の超人的存在としての立場から現実社会の一員の位置に一旦下げた上で、現実社会における“理想の人間像”としてのヒーロー像の構築を試みたり、『クウガ』や『響鬼』に見られるように、正義と悪の境界線が曖昧になってきた現代の気風に合わせて、敵集団を人間とは相互理解不可能な存在として描くなど、新たな意味を与えようとする姿勢が見られる。
大竹宏によると『マジンガーZ』の大ファンで、前出の『カーレンジャー』では、マジンガーZそっくりの敵のロボット・バリンガーZを登場させようとしてダイナミックプロに配慮しようとした東映上部からの自粛命令により、スチル写真まで撮ったものがお蔵入りになるという事態を引き起こした。大竹は「この件についてはダイナミックプロは一切関わっていない」とも証言している[3]。余談だが、『電磁戦隊メガレンジャー』のスーパーギャラクシーメガの必殺技・スーパーギャラクシーナックルは、マジンガーZのロケットパンチを彷彿とさせるものである。
チーフプロデューサーを務めた作品では『電磁戦隊メガレンジャー』を除いた全ての作品で、音楽担当に佐橋俊彦を起用している。
[編集] 仮面ライダー関連
『仮面ライダークウガ』では、第2話のクライマックスのために教会のセットを丸ごと製作して燃やしてしまうという大胆な仕掛けを行い、番組初期の時点で予算の相当数を消費した(主演のオダギリジョーは「2話の後はロケ弁がしょぼくなった」というコメントを残している)。また脚本作り等に時間をかける余り、制作スケジュールも大幅に遅れ、製作統括という立場で『クウガ』に関わっていた鈴木武幸は事態を懸念し、鈴木自身も途中からプロデューサーを務め、途中で補佐役として白倉伸一郎を参加させることとなった。白倉参加とともに脚本陣に加わった井上敏樹のコメントによれば、鈴木は髙寺をプロデューサーから外し、『クウガ』の方向性を変えようと企図していたという。しかし井上は髙寺やシリーズ構成の荒川稔久を支持し、方向性の面では『クウガ』は初志を貫くことが出来た[4]。
『仮面ライダー響鬼』では仮面ライダーとしては斬新な設定と今までにない構成・演出で話題となるが、第29話を最後にチーフプロデューサーを降板。降板以降の内容をめぐり、ネット上などで大きな騒動を起こした。この降板劇の理由は2009年12月現在も不明。(『仮面ライダー響鬼』の「プロデューサー交代騒動」の節も参照)。
[編集] 転職
上記の『響鬼』での一連の騒動の責任を取ってなのか、2006年5月に東映を依願退職したという噂がネット上に広まり大きな波紋を呼んだが、一方でソースが無いため不明確であった。2007年2月発売の『NewType THE LIVE』誌上にて髙寺のコメントが掲載され、その際の肩書きが「角川書店プロデューサー」となっていたため、東映退職→角川書店転職説が裏付けされた。現在はその『NewType THE LIVE』に「クロスメディアブレーン」の肩書きで監修的立場で携わっている。
そして2008年12月発行の同誌2009年1月号にて、『響鬼』騒動に関するお詫び文とともに、テレビシリーズ作品のプロデュースを手掛ける予定である旨告知がなされた。作品名は『大魔神カノン』で、2010年春の放送を予定しているという。
[編集] 主な作品
[編集] チーフプロデューサー作品
- 激走戦隊カーレンジャー(1996年 - 1997年)
- 電磁戦隊メガレンジャー(1997年 - 1998年)
- 星獣戦隊ギンガマン(1998年 - 1999年)
- 仮面ライダークウガ(2000年 - 2001年)
- 仮面ライダー響鬼 第1話 - 第29話(2005年)
- 大魔神カノン(2010年)
[編集] サブプロデューサー・プロデューサー補作品
- 仮面ライダーBLACK(1987年)
- 仮面ライダーBLACK RX(1988年)
- 美少女仮面ポワトリン(1990年)※23話より
- 不思議少女ナイルなトトメス(1991年)
- うたう!大龍宮城(1992年)
- JTドラマBOX ビーナスハイツ(1992年)
- 世にも奇妙な物語 真夏の特別編(1993年)
- オリジナルビデオ作品 ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年)
- ボクたちのドラマシリーズ 幕末高校生(1994年)
- 忍者戦隊カクレンジャー(1994年 - 1995年)※15話より
- 超力戦隊オーレンジャー(1995年 - 1996年)
[編集] その他
- パワーレンジャー・ターボ(1999年)※日本語版監修
[編集] 脚注
最終更新 2009年10月8日 (木) 05:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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