高山トモヒロ

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高山 トモヒロ(たかやま ともひろ、本名:高山 知浩1968年7月10日 - )は、日本漫才師お笑いタレント。漫才コンビ「ケツカッチン」の一人。所属事務所吉本興業大阪府大阪市浪速区日本橋出身、大東市育ち。左利き血液型はA型。NSC7期生。同期には雨上がり決死隊矢部美幸ナインティナイン矢部浩之の実兄)、なるみ(元トゥナイト)などがいる。

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[編集] 来歴・人物

高校時代は高校野球の名門・大阪市立桜宮高等学校の野球部に在籍。同期には現在阪神タイガースに在籍の矢野輝弘がいた。プロ野球選手を目指していたが、プロからの誘いは無く、スイミングスクールに就職。しかし、半年で退職した。

その後、高校野球部時代の親友・河本栄得の誘いによりNSCに入学。1988年にお笑いコンビ「河本・高山」を結成し、ツッコミを担当した。NSC卒業と共にコンビ名を「ベイブルース」に改名。上方お笑い大賞ABCお笑い新人グランプリなどで数々の新人賞に輝き、CDリリースやレギュラー番組の獲得など、当時の若手有望株の筆頭に躍り出た。

順調な芸能活動を送っていた1994年10月31日、相方の河本が劇症肝炎で急死。漫才コンビとしての活動は休止を余儀なくされる。その後しばらく「ベイブルース高山」の芸名で『ビデリンが行く!』の司会などピン芸人としての活動を続けるものの、河本の死のショックは大きく、露出は激減していった。

その高山に転機が訪れたのは2001年9月18日。清水圭・和泉修(圭・修と略称)を正式に解散したばかりの和泉修と漫才コンビ「ケツカッチン」を結成。以後は漫才ライブへの参加など精力的に活動するようになり、芸人としての輝きを取り戻しつつある。

河本の告別式では、「皆さん、天国に向かって『河本のアホ!』と叫んで下さい。本人はそれが一番喜ぶと思います!」と悼辞を述べ、周囲の涙を誘った。河本の死後に放送されたラジオ番組では、「河本のアホ。安らかに眠ってください」とコメントした。

河本の死後も「ベイブルース」の名を外さなかったのは、「ファンのみんなに『ベイブルース』を忘れないでいて欲しかったから」という胸の内を後に明かしている。しかし、ケツカッチン結成にあたって「ベイブルースは解散します」と正式に公言した。コンビ結成から12年目のことであった。

現在でも舞台や関西のテレビ番組などに出演している。私生活では、NSC時代の同期である2歳年上の夫人との間に3人の娘がいる。ただし、夫人と結婚したのがNSC在籍時であったため、結婚していることをしばらく伏せていたという。まれに娘と共演することもある(次女の光永もNSC30期生)。

[編集] 出演

ケツカッチン結成以前の高山の出演状況については、ベイブルースの項目を参照のこと。

[編集] テレビ番組

[編集] 舞台

[編集] Vシネマ

[編集] 著書

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月11日 (水) 09:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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