高島平

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高島平二丁目団地の様子

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高島平(たかしまだいら)は、東京都板橋区の地名である。郵便番号は175-0082。

目次

[編集] 概要

周辺の新河岸三園を含めて高島平地域、高島平地区などと呼ばれることもある。また、明治から大正時代までは大半が北豊島郡赤塚村に属したため、赤塚地域の一部とされることもあり、現在でも警察署や郵便局などはこの区分を基本としている。

[編集] 地理

板橋区北部、荒川及び新河岸川南岸に位置する後背湿地。総面積332ヘクタール。人口約5万人、世帯数約2万5000 (2009年1月1日現在)。北側に新河岸、西側に三園、南側に大門四葉徳丸西台、東側に蓮根と接している。高島平一丁目から高島平九丁目まであり、高島平二丁目は約3分の2、高島平三丁目は約2分の1の面積が高島平団地(高島平二丁目が賃貸、高島平三丁目が分譲)である。また、高島平六丁目は東京都中央卸売市場板橋市場やトラックターミナルを中心とする物流拠点となっている。高島平駅北口の高島平八丁目には商店や飲食店が多く、買い物客で賑わう。高島平九丁目には都営三田線車両基地である志村車両検修場があり、その上に都営住宅が建っている。

区画は整理されており、高島平地域内は高島平五丁目を除いて東西と南北の道路がほぼ90度に交差し、住所表示による道順案内が容易にできる。荒川の後背湿地のため、現在は全体が平坦な土地で、地域内の高低差はほとんどない。地域内を流れている前谷津川とその支流は現在、すべて暗渠(あんきょ)となっており、その上が遊歩道となっている。

[編集] 歴史

航空写真に見る高島平付近。高島平二丁目と都営地下鉄三田線高島平駅が中心。1974年度撮影。当時は、団地と清掃工場(=右上)以外、見るべき建物がなかった。

高島平の歴史は江戸時代にまでさかのぼり、1841年天保12年)、この地で砲術家・高島秋帆が日本で初めての洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行った。その後、長らく「徳丸ヶ原」と呼ばれる[1]農作地だったが、1956年昭和31年)に同地域330ヘクタールを日本住宅公団(現在の都市再生機構)が買収して一大団地を建設する計画を進め、同時に東京都が都心に直結する交通機関(都営地下鉄6号線、現在の都営地下鉄三田線)を整備した。1969年(昭和44年)、高島秋帆にちなんで「高島平」と改称した。

[編集] 文化・教育

高島平団地への入居開始は1972年(昭和47年)から始まった。団地以外の地域も、高島平全域が新興の住宅地であり、地下鉄山手線の駅への交通が確保されていたことから、若年層が多く入居した。旧来よりこの土地に生活していた人々は多くなかったが、その大半は立ち退き、あるいは整備された宅地に転居した。この結果、それまで一面の田んぼだった徳丸ヶ原には、高島平団地のみで2万人以上、高島平全域で5万人の人口を抱える一大住宅都市が出現した。こうして全く新しいコミュニティーが形成された結果、高島平には就学前教育機関、小学校、中学校、高等学校が公の手で整備され、団地内には図書館・警察署・消防署(出張所)・役所(板橋区役所高島平出張所)・病院などが順次整備された。さらに、商業施設やスポーツ・レクリエーション施設も多く投資・整備された。

この結果、多くの高島平居住民は地域内で生活全般が充足され、地域内の結びつきをより強くすることになった。また、当時分譲された高島平一丁目・高島平四丁目・高島平五丁目は戸建住宅街として当時中間所得層の人気を集め、現在に至るまで全般に地域社会は循環している。これに対して、団地地区では居住民の子弟が成人後、あるいは就職後に独り立ちするなどして、1992年をピークに人口が減少に転じ、高齢化問題が表面化している。

かつて、最盛期に高島平には公立(板橋区立)の高島第一から高島第七まで7つの小学校、同第一から第三までと西台の4つの中学校があった。少子高齢化が進み、いくつかの小学校は統合、あるいは廃校となった。中学校に関しては全体の教育水準が高く越境入学なども見られることから統合の予定はないが、全体的な生徒数は減少傾向にある。

また、1970年代は都内に高層団地は珍しかったことから、投身自殺に訪れる人が多く、マスメディアから「自殺の名所」と呼ばれた。その数は1980年には133人に達し[2]、社会問題になった。そこで内閣府が所管する日本開発構想研究所が分析と対策を研究し[3]1981年に高層団地の廊下や非常階段などの共用部分に花や鳥を模したフェンスを張り、屋上を侵入禁止にするなどの対策がとられた。その結果、団地内での投身自殺は激減し、ほとんどなくなった。

[編集] 交通

高島平内にある首都高速5号池袋線の出入口は高島平出入口だが、埼玉県寄りの位置にあるため、池袋方面へは中台出入口を利用するものも多い。

[編集] 公共施設

[編集] 主な商業施設

[編集] 脚注

  1. ^ 西台たんぼ、徳丸たんぼ、赤塚たんぼ、と、地名に応じて区分して呼ばれることもあった。
  2. ^ 『高島平 その自然・歴史・人』板橋区郷土資料館編(1998年)
  3. ^ 報告書『高島平団地投身自殺防止対策の研究』日本開発構想研究所(1975年)


最終更新 2009年10月29日 (木) 21:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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