高徳院
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| 高徳院 | |
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| 所在地 | 神奈川県鎌倉市長谷4-2-28 |
| 位置 | 北緯35度19分0.2秒 東経139度32分10.13秒 |
| 山号 | 大異山 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 不明 |
| 開基 | 不詳 |
| 正式名 | 大異山 高徳院 清浄泉寺 |
| 別称 | 鎌倉大仏 |
| 札所等 | 鎌倉三十三観音23番 |
| 文化財 | 銅造阿弥陀如来坐像(国宝) |
ファイル:Kamakura Daibutsu Behind.jpg ファイル:Kamakura Daibutsu Naibu.jpg
高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺院。阿弥陀如来を本尊とし、これを表現した阿弥陀如来像、通称「鎌倉大仏」「長谷大仏」が名高い。山号は大異山。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳である。2004年(平成16年)2月27日、「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。なお、大仏殿の倒壊は嘉元3年(1305年)ころと推定される。
目次 |
[編集] 起源と歴史
国宝の銅造阿弥陀如来坐像、いわゆる鎌倉大仏を本尊とする寺である。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。
高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるにも関わらず、その草創については、開山、開基を含め不明な点が多いのみならず、大仏自体の造像の経緯や、誰が何のために造ったのかという事情についてさえ資料が乏しく、今ひとつ明らかではない。寺の草創については、鎌倉市材木座の光明寺奥の院を移建したものが当院だという説もあるが、定かではない。初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性(にんしょう)など密教系の僧が住持となっていた。のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代、正徳年間(1711年 - 1716年)に江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっている。
大仏の造立については、『吾妻鏡』によると、暦仁元年(1238年)に木造の大仏の造像が開始され、その5年後に完成したという記事がある。同じ『吾妻鏡』には、建長4年(1252年)に銅造の大仏が造られたという記事もあるが、「木造大仏」と「銅造大仏」との関係を含め、造像の経緯は今ひとつはっきりしていない。当初木造の大仏が造立されたが何らかの事情で失われ、代わりに造られたのが現存する銅造の大仏だとするのが定説となっている。
『吾妻鏡』によると、大仏の造立を「浄光」なる僧が勧めたとされているが、この浄光については、他の事跡がほとんど知られない、また、これだけの巨像が一僧侶の発願、勧進で造立されたと考えるのは不合理で、造像には何らかの形で鎌倉幕府が関与していると見られるが、そうした点についても、あまりにも同時代の史料が乏しく、推測の域を出ない。鎌倉時代末期には幕府の有力者北条(金沢)貞顕が息子貞将(六波羅探題)に宛てた書状の中で、関東大仏造営料を確保するため唐船が渡宋する予定であると書いている(寺社造営料唐船)。しかし、実際に唐船が高徳院(鎌倉大仏)に造営費を納めたかどうかはこれも史料がないため、不明である。
大仏は、元来は大仏殿のなかに安置されていたが、室町時代(明応4年(1495年)と明応7年(1498年)年の2説ある)の津波で建物は倒壊し、以後は露座になっている。大仏殿の礎石が今も残っている。
鎌倉大仏が建立されている場所は、もともと長谷の「おさらぎ」という地名であった。そのため、鎌倉大仏にかぎっては「大仏」と書いて「おさらぎ」と読む場合がある。また、この地に由来のある家系には「大仏」と書いて「おさらぎ」と読む姓がある(作家の大佛次郎はそういった家系とは関係なく、鎌倉大仏の裏手に住んでいたため、このペンネームにした)。
[編集] 文化財
- 銅造阿弥陀如来坐像(国宝) - 像高約11メートル(台座を含め高さ13.35メートル)。重量約121トン。
- 角張った、平面的な面相、低い肉髻(にっけい:頭髪部の椀状の盛り上がり)、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部のプロポーションが大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されている。また、後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点も貴重である。通称「鎌倉大仏」として親しまれている。
- 重量は1959年から1961年にかけて行われた大仏の耐震補強工事における基礎データ収集の一環としてジャッキで大仏を持ち上げその下に秤を入れて実際に計量されたものである。
- なお、拝観料と別に20円を支払えば、大仏内部を見学することができる(内部は狭いため、一度に30人以上は入場できない)。
- 内部から観て首のくびれに相当する場所が変色しているが(右写真参照)、これは補強を行った際の繊維強化プラスチックである。
- 観月堂 - 建屋はソウルの朝鮮王宮にあったものを1924年に当時山一合資会社(後の山一證券)社長だった杉野喜精が寄贈した[1]。徳川秀忠(2代将軍)が所持していたとされる聖観音(しょうかんのん)像を安置している。
- 与謝野晶子歌碑 - 「鎌倉や みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」の歌が刻まれている。この歌の「釈迦牟尼」というのは間違いで、本当は「阿弥陀如来」である。
[編集] 交通アクセス
[編集] 脚注
- ^ 同院の観音堂説明板による
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 鎌倉大仏殿高徳院 - 鎌倉大仏殿高徳院ホームページ
- 高徳院(大仏殿) - 鎌倉市観光協会
- 国指定文化財等データベース
- 奈良・鎌倉 大仏百科
- 鎌倉紀行 鎌倉大仏(高徳院)




