高望山大造

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高望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 -)は、宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身の元大相撲力士。1973年から1990年まで、高島部屋熊ヶ谷部屋に所属して活躍した。本名は蓬田 光吉(よもぎだ こうきち)。最高位は西関脇(1984年1月場所)。現役時代の体格は179cm、142kg。得意技は押し、もろ差し、寄り。現在は年寄高島である。

目次

[編集] 来歴

肉牛を飼育する農家の三男として生まれた。蓬田兄弟は全員運動神経に長けていて、長兄と弟は相撲が、次兄はバレーボールが得意であった。本格的に相撲を始めたのは、築館中学校に入学してからの事である。中学時代は2年連続、全国中学相撲選手権大会の宮城県予選の個人戦で優勝という実績を残している。2年生の時に高島親方(元大関三根山)の勧誘を受けたが、断っている。高校への進学を希望していた為である。中学卒業前、再び高島親方に勧誘された時はその熱意に押し切られ、高校進学を諦める事となった。上京して高島部屋に入門し、1973年3月場所、初土俵を踏んだ。この年は、中学生の入門が禁止されてから初めて3月卒業見込みの者を入門させる事が許可された年であったので、同期生が多かった。その中には、同じ一門(立浪・伊勢ヶ濱連合)である宮城野部屋の後の幕内・竹葉山(現・熊ヶ谷親方)もいた。

必ずしも出世は早いほうではなかったが、それでも1981年5月場所に23歳で十両昇進を果たした。この時竹葉山は既に十両を経験していたが、同場所では幕下に在ったので、ここで追い抜いた事になる。十両は3場所連続勝ち越しで通過して、同年11月場所、24歳で入幕。大受以来、高島部屋からの久しぶりの幕内力士として期待された。しかし、親方が健康を害して部屋経営を断念したため、1982年11月場所から部屋の全力士は熊ヶ谷部屋(師匠は、親方の現役時代の弟弟子・芳野嶺(元前頭8枚目))に移籍した。

高島親方から徹底した押し相撲を仕込まれた甲斐があり、出足の速さは当時の相撲界では際立っていた。押し相撲だが、両差しで一気の速攻も冴えた。新しいタイプの技能派力士と言われ、親方の教えが1982年7月場所と翌年11月場所の技能賞受賞にもつながっている。不成績や右足首の怪我により新入幕後2度十両に陥落したが、何れもすぐ番付を戻し、3度目の入幕を果たした1983年3月場所からは幕内に定着。1990年1月場所まで、連続42場所幕内の座を維持した。1984年1月場所では最高位の西関脇に昇進している。しかし、出足のあとの攻めが特色と言えるほどではなかった為、幕内上位に定着するには至らなかった。

現役晩年は十両に下がり、西十両11枚目に在位した1990年11月場所中、成績不振で幕下陥落が見えてきたところで引退。
引退後は年寄・高島を襲名し、高島部屋を再興した。

[編集] 主な成績

  • 通算成績:579勝606敗21休 勝率.489
  • 現役在位:106場所
  • 幕内成績:312勝377敗16休 勝率.453
  • 幕内在位:47場所
  • 三役在位:2場所(関脇1場所、小結1場所)

[編集] 三賞・金星

  • 三賞:技能賞2回(1982年7月場所、1983年11月場所)
  • 金星:なし

[編集] 改名歴

  • 蓬田 光吉(よもぎだ こうきち)1973年3月場所-1977年5月場所
  • 高望山 大造(こうぼうやま だいぞう)1977年7月場所-1990年11月場所

[編集] 年寄変遷

  • 高島 大造(たかしま たいぞう) 1990年11月-
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最終更新 2009年11月11日 (水) 11:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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