高松琴平電気鉄道長尾線

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長尾線(ながおせん)は、香川県高松市瓦町駅と香川県さぬき市長尾駅とを結ぶ高松琴平電気鉄道(ことでん)の鉄道路線

終点の長尾駅のすぐ東には四国八十八箇所長尾寺があり、当寺への参拝路線としての性格を持っていたが、現在は高松の郊外路線である。ほぼ全線にわたって香川県道10号高松長尾大内線(通称・長尾街道)が並行する。

手前が長尾線列車、奥が琴平線列車。瓦町にて
高松琴平電気鉄道の路線図

ラインカラーは緑色。

目次

[編集] 路線データ

[編集] 運行形態

すべて普通列車で、ほとんどの列車が琴平線(築港線)瓦町 - 高松築港に乗り入れる。朝夕は約12分間隔、昼間でも20分間隔で運転されている。なお、築港線区間のみを走る列車も、長尾線の車両を使用するため、長尾線扱いとなる。

回送も含めた全列車に車掌が乗務し、精算や車内補充券(パンチによる穴あけ式)の発売、IruCaへチャージ、無人駅での集札、車内放送などを行う。

[編集] 歴史

  • 1912年(明治45年)4月30日 高松電気軌道が出晴(現在の瓦町駅志度線口付近) - 長尾間を開業。軌間1067mm。当時の保有車両は客車5両、貨車1両(客車1両の価格は4244円)であった[2]
  • 1912年(明治45年)7月21日 高松電気軌道が長尾 - 白鳥本町間の長尾線延長を計画。営業免許取得。
  • 1915年(大正4年)
    • 井戸駅(現在の公文明駅)を井戸川駅に改称。
    • 長尾西駅が廃止される。
    • 林道駅(旧駅)、鹿伏駅開業。
  • 1916年(大正5年)4月24日長尾 - 白鳥本町間延長線営業免許失効。計画白紙撤回。
  • 1934年(昭和9年)5月31日 林道駅(旧駅)、東前田駅妙徳寺駅が廃止される。
  • 1936年(昭和11年) 金融恐慌、乗合自動車との競合による旅客離れのため運賃値下げを実施[2]
  • 1943年(昭和18年) 山崎駅が廃止される。
  • 1943年(昭和18年)11月1日 讃岐電鉄・琴平電鉄・高松電気軌道が合併し高松琴平電気鉄道発足。
  • 1945年(昭和20年)2月1日 出晴 - 長尾間を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。
  • 1945年(昭和20年)6月2日 出晴 - 高田間の軌間を1435mmに改軌。
  • 1945年(昭和20年)6月26日 高田 - 長尾間の軌間を1435mmに改軌。(高松)市内線に乗り入れ開始。
  • 1945年(昭和20年)7月4日 戦災のため市内線が不通となり、乗り入れを中止。貨物電車焼失のため貨物業務停止[2]
  • 1945年(昭和20年)7月30日 空襲で焼失した出晴駅を廃止し、瓦町駅を琴平線琴電高松駅(現在の瓦町駅)に統合。
  • 1947年(昭和22年)7月25日 真行寺駅(現在の井戸駅)開業。
  • 1948年(昭和23年)11月 鹿伏駅が廃止される。
  • 1950年(昭和25年)4月10日 田中道駅を農大前駅に改称。
  • 1951年(昭和26年)3月1日 真行寺駅を井戸駅に改称。井戸川駅が廃止される。
  • 1951年(昭和26年)12月26日 琴電高松 - 花園間の経路を変更。
  • 1952年(昭和27年)9月30日 公文明駅開業。
  • 1954年(昭和29年)1月1日 琴電高松駅を瓦町駅に改称。
  • 1954年(昭和29年)8月1日 花園信号場が駅に昇格し、花園駅として開業。御坊川駅木太西口駅廃止。林道駅(現駅)開業。
  • 1958年(昭和33年)2月1日 農大前駅を農学部前駅に改称。
  • 1969年(昭和44年)5月5日 川島口駅が廃止される。
  • 1976年(昭和51年)12月23日 全線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
  • 1977年(昭和52年)12月10日 ATS設置。
  • 1978年(昭和53年)11月3日 平木 - 白山間の鹿伏中央踏切(現在の学園通り駅付近)で長尾発瓦町行750形2両編成の上り電車がダンプカーと衝突して脱線、線路北側の水田に転落。電車運転士とダンプ運転士の2名死亡、乗客2名が重傷。1両が事故廃車。ことでん史上唯一、乗務員に死者が出た事故。事故の詳細は琴電の事故を参照。
  • 1994年(平成6年)6月26日 瓦町駅改良工事着手に伴い分断された志度線に代わり、高松築港への直通運転が開始。
  • 1996年(平成8年)12月21日 瓦町新駅舎完成。
  • 2002年(平成14年)9月28日 学園通り駅開業。三木町の強い要請により実現。
  • 2004 - 2005年(平成16 - 17年) 大型(18m)車入線に向けての線路・駅ホーム改良。
  • 2006年(平成18年)7月3日 大型(18m)車の運用開始。1200形が2編成導入される。
  • 2007年(平成19年)7月31日 旧型車の淘汰を完了し、冷房化率100%達成。3両編成の列車がなくなる。
  • 2007年(平成19年)10月7日 水田駅付近の高架化完成。

[編集] 駅一覧と接続路線

全駅香川県に所在。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
瓦町駅 - 0.0 高松琴平電気鉄道:琴平線志度線 高松市
花園駅 0.9 0.9  
林道駅 1.8 2.7  
木太東口駅 0.7 3.4  
元山駅 1.1 4.5  
水田駅 1.3 5.8  
西前田駅 1.4 7.2  
高田駅 1.1 8.3  
池戸駅 1.3 9.6   木田郡三木町
農学部前駅 0.8 10.4  
平木駅 0.5 10.9  
学園通り駅 0.6 11.5  
白山駅 1.3 12.8  
井戸駅 0.5 13.3  
公文明駅 0.6 13.9  
長尾駅 0.7 14.6   さぬき市

[編集] 廃駅

  • 御坊川駅(花園 - 木太西口間)1954年8月1日までに廃止
  • 木太西口駅(御坊川 - 林道間)1954年8月1日廃止
  • 川島口駅(元山 - 山崎間)1969年5月5日廃止
  • 山崎駅(川島口 - 水田間)1943年廃止
  • 東前田駅(西前田 - 高田間)1934年廃止
  • 妙徳寺駅(平木 - 鹿伏間)1934年廃止
  • 鹿伏駅(妙徳寺 - 白山間)1948年11月廃止、現・学園通り駅の長尾寄りに位置
  • 井戸川駅(井戸 - 長尾西間)1951年3月1日廃止、現・公文明駅と同位置
  • 長尾西駅(井戸川 - 長尾間)1915年廃止、現・公文明駅の長尾寄りに位置

[編集] 車両

2007年8月現在、旅客車9編成18両が所属している。すべて2両固定編成である。 なお、琴平線車両と予備車を共有にした関係で、琴平線車両が長尾線内で使用されることがある。2008年8月13日のさぬき高松祭りでは琴平線の1080形が応援運用された。

線内には留置線を備えた駅があるだけで車両基地はなく、長尾線で運用される車両は全車が仏生山工場に所属している。よってラッシュ前やラッシュ後には、入出庫のために瓦町から仏生山までの琴平線を走行する長尾線車両に目にする事が出来る。ただし、瓦町-仏生山間は回送列車として運転されるため、客扱いは行わない。

[編集] 大型車乗り入れまでの経緯

鉄道線としてスタートした琴平線に対し、長尾線・志度線は、開業時に2軸電車を使用した軌道線として設計されたため橋梁の重量制限とカーブの制限が厳しかった。

終戦直後の路線改良で16m級車両まで入線できるようになり、1960年代には16m級車3両編成での運転が可能になった。後に橋梁の重量制限も1両あたり30t未満までになり、17m級車の850形も入線可能になった。1983年に17m級車(860形880形890形)を入線させた際には、重量を30t未満に抑えるために制御車化せざるを得ず、それ以上の大きさの車両は入線することができなかった。そのため、大手私鉄から小型車が淘汰された1980年頃を境に、車両の代替が滞る。その後も何度か車両調達を試みたものの、車両の大きさや廃車時期の不一致ですべて破談となった。

1998年より名古屋市営地下鉄の車両を導入することで、代替が一気に進んだ。しかし、種車が確保できず長尾・志度両線の運用が全車両を置きかえるまでには至らなかった。そこで2003年に、長尾線を線路が繋がっている琴平線と同じ18m級車の入線が可能なように改良して、大型車を導入。余剰となる長尾線の冷房化された小型車を、志度線に転出させ、両線の非冷房車を完全に置き換える案が持ちあがった。

橋梁に関しては平木以遠に未改良のものが2箇所存在していた。このため2004年4月に3000形の2連にレールを積み込んだ試験列車を走らせて確認を行った。 結果、問題がなかったため、この計画は大きく推進されることになる。一方、急曲線に関しては水田 - 西前田にある吉田川橋梁前後は、既に橋梁の架け替えと同時に改良を行うことが具体化していたので問題はなかった。また、駅構内が急曲線上に存在する、木太東口駅に関しては、ホームの改築と路線位置を多少ずらすことで対処した。他の駅でもホームを削る工事が実施され、在来車両には転落防止のステップが取りつけられた。

2006年7月、長尾線用1200形2編成4両が投入され、大型車の運行が開始された。 さらに同年12月には1200形1編成2両、2007年7月には1300形2編成4両が投入され、長尾線の冷房化100%を達成した。置き換えられる形で順次、仏生山工場から冷房付きの600形今橋工場に転出し、全車両の転出をもって志度線も100%の冷房化を達成した。 なお、1両あたりの定員増加に伴い、ラッシュ時の増結が廃止され、全列車2両編成となった。

[編集] 逸話

  • 開通当初は電車の出力が弱く、川島口付近の坂では、満員の時は坂を登り切ることができず、速度が落ちるので、乗客が下車をして電車を後押しした、という[2]
  • 長尾以東まで軌道を計画があった際、県道志度山川線の接点付近まで用地買収を行っていた記録がある[2]

[編集] 脚注

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  1. ^ 寺田裕一『データブック日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.156
  2. ^ 長尾町史編集員会編『改訂 長尾町史』長尾町史編集員会、1986年9月1日、p.465-467

[編集] 参考文献

  • 大島一朗『ことでん長尾線のレトロ電車』JTBパブリッシング、2006年
  • 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 11号中国四国』新潮社、2009年

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月26日 (木) 13:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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