高校野球解説者一覧

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高校野球解説者一覧(こうこうやきゅうかいせつしゃいちらん)

この一覧は、全国高等学校野球選手権大会(夏の大会)ならびに春の選抜高等学校野球大会テレビラジオの中継番組の実況放送で解説を担当する人の一覧である。

ここに列挙している各人の括弧内は、高校・大学卒業後の経歴。主にアマチュア野球関係者が中心。(職歴等は2009年現在のもの)

目次

[編集] NHK

春・夏両大会を中継。主に総合テレビ教育テレビラジオ第1ハイビジョン(センバツのみ)で放送。衛星第2でも開閉会式・準々決勝4試合・準決勝2試合・決勝戦を放送する。なお、この一覧では全国放送(阪神甲子園球場で行われる大会)で解説を担当する人を列挙している。

(50音順)

(2009年現在)

[編集] 退任した解説者

×は故人

[編集] 民放

朝日放送(ABC)

朝日放送は、夏の大会を中継する。関西地区のテレビ地上波ではサンテレビKBS京都などでリレー中継あり。BSデジタルのBS朝日では試合終了まで完全生中継をする。CS放送スカイ・A sports+では録画中継。また、出場校によっては地元ANN系列局で中継する場合もある。その場合は出場校の地元局の解説者が甲子園大会で解説をすることが多い。 ABCラジオは完全中継。出場校によっては地元AM局へもネットされる。

毎日放送(MBS)

毎日放送は、春の大会を中継する。テレビではCS放送GAORAで全試合生中継。地上波は関西ローカルで準決勝、決勝を放送(出場校によってはJNN地方局へ配信)。ラジオは準決勝、決勝を中継(2008年までは全試合生中継)。出場校によっては地元AM局へもネットされる。出場校の関係者がゲストとして登場することもある。

なお、両局の肩書きはABCがゲスト(アナによっては「お客様」と紹介)、MBSが解説となっている。

ABCの高校野球解説者は、ラジオ、地上波テレビは1977年まで、BSハイビジョン実験放送では2001年まで開会式と準々決勝以降の登場となっていた。

[編集] 両局の高校野球中継の主な解説者

かつては運動記者や大会役員が解説することもあったが、現在は主として地方大会で敗退した有力校の監督、もしくはそのOBに依頼することが多い。

民放の中継で1日3~4試合ある場合は、第1試合と第3試合、第2試合と第4試合の中継で、テレビとラジオを入れかえて1日2試合解説することがある(例;第1試合テレビの担当が第3試合のラジオ、第1試合のラジオが第3試合のテレビの担当へ。逆も同じ)。解説者は、2~3日連続で解説を担当し、序盤に登場する者と準々決勝以降に登場する者とで顔ぶれが変わる。特に第1試合担当者は各放送局が大会期間中手配した宿舎にアナウンサーと泊まり込む。

  • 尾藤公(元・和歌山 箕島高校野球部監督)
    1979年夏の第61回大会では石川の星稜高校との延長18回の死闘を演じる等その年は春夏連覇。監督勇退後は、ほぼ毎日、解説に登場したが、病気を患って入院して以降は体調面を考慮して、開幕日と準々決勝以降の重要な試合が主になっている。横浜高校の渡辺監督がテレビ解説を担当するようになった近年は決勝戦のラジオの解説を担当することが多く特に2006年夏の第88回大会決勝戦では37年ぶりの引き分け再試合を経験した。
  • 渡辺元智(現・神奈川 横浜高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
    1998年夏の第80回大会では大阪のPL学園高校との延長17回の死闘を演じる等とその年に春夏連覇。教え子には埼玉西武ライオンズで活躍し現在はボストン・レッドソックスで活躍する松坂大輔がいる。1998年の春夏連覇のインパクトが大きかったこともあり、1999年以降、横浜高校が大会に出場しない年は解説を担当するようになった。放送局からはトップクラスの扱いで、注目度の高い準々決勝以降から登場し、主に決勝の解説を担当する。2007年春夏の決勝戦は、山下智茂とテレビでダブル解説を担当した他、2009年は春夏ともに決勝戦のテレビ解説を担当した。
  • 山下智茂(現・石川 星稜高校野球部総監督)
    1979年夏の第61回大会では和歌山の箕島高校との延長18回の死闘を演じる。教え子には読売ジャイアンツで活躍し現在はニューヨーク・ヤンキース松井秀喜がいる。以前は、星稜高校が大会に出場できない場合のみ解説を担当していたが、一線を退いて総監督の立場になってからは、同校が大会に出場していても解説席に座った。放送局からはトップクラスの扱いで、注目度の高い準々決勝以降からの解説を担当する。平成19年春夏の決勝戦は、渡辺元智とテレビでダブル解説を担当した。その前年には2006年夏の第88回大会決勝戦では37年ぶりの引き分け再試合を経験した。
  • 豊田義夫(元・和歌山 近大附属新宮高校野球部監督)
    近大附属高校で監督として甲子園にチームを導いた名将。その手腕を買われて、系列校の近大附属福山高校の監督就任。2005年には近大附属新宮高校(和歌山)が野球部を創設するにあたり、監督を任された。全員が1年生のチームでありながら、智弁和歌山など強豪ひしめく和歌山大会でベスト4まで進出。現在は八尾ベースボールクラブの監督。中継では「元近大附属高校」と紹介されることもある。白髪の好々爺という見た目どおり、解説の語り口も丁寧でソフト。実況のアナウンサーや出場校の監督のみならず、出場選手にさえ敬語を使うほどの語りである。
  • 宇佐美秀文(元・愛媛県 今治西高校野球部監督)
    選抜大会でチームをベスト4まで導いた手腕通り、試合展開の先をよんだ解説をする。監督を勇退して以降、解説の機会が飛躍的に増えた。
  • 日下篤(元・兵庫 育英高校野球部監督)
    1993年の夏の大会で、3番打者の大村直之(オリックス)を中心とした打線と巧みな投手リレーで全国制覇。強打に頼るだけでなく、ランナーが出れば打順に関係なくバント、得点差があってもスクイズ、と手堅い戦術を見せた。
  • 前田三夫(現・東京 帝京高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
    全国優勝3度の名将。尾藤(元箕島)が病気療養中で、かつ渡辺(横浜)が大会に出場した時は、決勝戦のテレビ中継を山下(星稜)とのダブル解説を担当した。これは非常に珍しいケースである。
  • 北原光弘(現・兵庫 神港学園野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
    ピッチャー出身だけあって、球種を中心とした配球面でアナウンサー顔負けの細かい解説をする。実況経験の浅いアナウンサーにとっては頼りになる存在(配球においての的確さは、教え子でプロ入りした選手に捕手が多いことからも証明される。阪神→オリックスの塩谷和彦、横浜の鶴岡一成など)。近年は大会の期間前半とベスト16から準決勝ぐらいまでの解説を任されることが多い。また、ハンカチ王子やマー君フィーバーに湧いた2006年日米親善高校野球や、地元兵庫のサンテレビで兵庫大会決勝戦など注目度の高い試合でも解説する。1998年夏の第80回大会では大阪のPL学園高校と神奈川の横浜高校による延長17回の死闘があったがその時のテレビ解説者がこの人。
  • 広岡正信(現・兵庫 関西学院高等部野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
    報徳学園高校(兵庫)で監督として甲子園に出場、後に母校である関学の監督に就任、ここでも甲子園出場を果たしている。兵庫県大会では、「報徳VS関学」という同じ西宮市内同市で優勝を争ったりしている。解説の時、語尾に「~しましたですねぇ」とつけるのが特徴。
  • 小枝守(現・千葉 拓大紅陵高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
    日大三高時代にも監督として甲子園出場経験があるが、その手腕が発揮されたのは拓大紅陵の監督に就任してから。それまでは地元でも注目されないチームだったが、1980年代後半から1990年代前半にかけて、甲子園に名をとどろかせた。緻密な采配をとり、解説でも作戦・戦術面に主眼を置いている。
    なお、NHK千葉放送局製作の夏の県大会決勝戦でも解説を担当している。
  • 松本稔(前・群馬 前橋高校野球部監督)
    春の第50回大会で前橋高校のエースとして甲子園に出場。史上初の完全試合を達成する(完全試合は選抜大会で松本を含めて2人だけ達成、夏の大会に至ってはいまだ達成者なしという快挙である)。群馬県の体育科教員として採用され、母校の野球部監督に就任。監督としても甲子園出場を果たした。完全試合達成後のインタビューで、高校生とは思えないほど落ち着いた、知的なコメントで世間を感心させたが、解説者としても同様に丁寧で優れた分析の解説が好評である。
  • 馬淵史郎(現・高知 明徳義塾高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
    1992年・第74回大会で松井秀喜に対して5打席連続敬遠を指示した。1998年・第80回記念大会では準決勝進出。2002年・第84回大会で悲願の初優勝を成し遂げた。
  • 百崎敏克(現・佐賀 佐賀北高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
    2007年・第89回大会。「がばい旋風」で強豪校を次々と撃破。2回戦では宇治山田商(三重)との延長15回引き分け再試合を演じ決勝戦でも広陵高校(広島)を倒し初優勝を飾った。
  • 迫田穆成(現・広島 如水館高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 荒木準也(現・山形 日大山形高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 倉野光生(現・愛知 愛工大名電高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 藤田明彦(前・兵庫 東洋大姫路高校野球部監督)
  • 島田行雄(前・大阪 近大付属高校野球部監督)
  • 田中秀昌(現・大阪 東大阪大柏原高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 奥本保昭(前・京都 京都成章高校野球部監督)
  • 上村敏正(現・静岡 掛川西高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 本多利治(現・埼玉 春日部共栄高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 高橋広(現・徳島 鳴門工業高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 森本達幸(前・奈良 郡山高校野球部監督)
  • 永田裕治(現・兵庫 報徳学園高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 吉田洸二(現・長崎 清峰高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 上田誠(現・神奈川 慶應義塾高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~
  • 多賀章仁(現・滋賀 近江高校野球部監督)~同高校が大会に出られない時に登場~

[編集] 過去の解説者

×は故人。

  • 村井保雄 興國高校(大阪)監督として夏の50回大会優勝→総監督・部長も含め41年間在任→その後平成17年より平成19年まで京都大学監督。興國商業(現興國高校)→近畿大学出身。ちなみに平成7年夏にABCの初の女性アナウンサーとして関根友実がテレビ実況した試合のゲスト解説者。
  • 松岡英孝 北陽高校(大阪)監督・部長として春夏あわせて10回甲子園出場。春の42回大会では準優勝(ちなみに優勝は上記の尾藤公率いる箕島高校)。城東高校(現高知高校)で甲子園出場→近畿大学出身。解説は専ら監督を退任後に「元・北陽高監督」として連日解説していた。平成4年夏の松井秀喜5打席連続敬遠の試合のテレビ解説者。
  • 三原新二郎 広陵高校(広島)福井高校監督→京都西→京都外大西高校監督・部長・総監督→山陽高校(広島)監督として春夏あわせて14回甲子園出場。その采配は「三原マジック」とも評される。夏の49回大会(当時広陵高)、夏の87回大会(当時京都外大西高)で準優勝。広陵高校→明治大学→中国電電出身。京都外大西高で一線を退いていた時期に「元・京都西高監督」として解説を担当していた。平成18年山陽高監督就任以後は現在のところ登場していない。
  • 杉浦藤文× 中京商業高校(愛知)春の31回大会に出場し優勝。さらに監督として昭和41年連覇を成し遂げる。その後も昭和58年まで中京商高→中京高(現:中京大中京高)の監督をつとめ(途中部長の時期もあり)、春夏あわせ13回の甲子園出場に導きプロアマ球界に多くの人材を送り出す。中京商→早稲田大学出身。監督退任後「元・中京商監督」として春大会に連日登場。
  • 城戸博 済々黌高校(熊本)春の30回大会にエースとして登場。準々決勝で王貞治早稲田実高)に投げ勝ち、その後全国制覇(その際母親が打った励ましの電報を「読んでいない」と記者に応えたエピソードは有名)。済々黌→早稲田大学出身。1970~1980年代「元・済々黌」として春大会に連日登場。
  • 中村雅彦× 平安高校(京都)監督として春夏合わせて13回の甲子園出場に導く。プロ球界にも衣笠祥雄など多くの人材を送り出す。その後母校の同志社大でも指導。また少年野球の普及にも尽力。解説はその時期に「元・平安高監督」として1970~1980年代に連日登場。
  • 石井藤吉郎× 水戸商業(茨城)で昭和17年に”幻の甲子園大会”に出場。その後兵役のブランクをへて早稲田大学の中心打者として活躍。水戸商業(監督としても甲子園出場)→早稲田大(監督としても東京六大学リーグ優勝を成し遂げる)→大昭和製紙吉原出身。日米大学野球、アマチュア野球日本代表監督。野球殿堂入り。高校野球の解説は1970年代を通し準決勝以降のトップクラス扱い。ほかKRテレビ→TBSテレビの東京六大学野球中継の解説も勤めていた。
  • 福嶋一雄 小倉中学→小倉高校→小倉北高校(福岡)のエースとして第29回第30回の夏連覇に貢献(その後は第86回、第87回の駒大苫小牧高までなかった)。だが3連覇をかけた第31回で破れ、そのときマウンドから一握りの土を持ち帰る。これが「敗者が持ち帰る甲子園の土」の始まりとされる。小倉高→早稲田大学→八幡製鉄出身。1970年代に準決勝以後登場のトップクラス扱い。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月22日 (日) 09:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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