高畑勲

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たかはた いさお
高畑 勲
本名 高畑勲(たかはた いさお)
別名 武元哲(たけもと てつ)
生年月日 1935年10月29日(74歳)
出生地 日本三重県宇治山田市
国籍 日本
職業 映画監督
ジャンル アニメーション
主な作品
アニメーション映画
太陽の王子 ホルスの大冒険』(演出
パンダコパンダ』(演出)
パンダコパンダ雨降りサーカスの巻』(演出)
じゃりン子チエ』(脚本監督
火垂るの墓』(脚本・監督)
おもひでぽろぽろ』(脚本・監督)
平成狸合戦ぽんぽこ』(原作・脚本・監督)
ホーホケキョ となりの山田くん』(脚本・監督)

実写映画
柳川堀割物語』(脚本・監督)


テレビアニメ
狼少年ケン』(演出)
ルパン三世』(演出)
アルプスの少女ハイジ』(演出)
母をたずねて三千里』(演出・絵コンテ
赤毛のアン』(脚本・演出)
じゃりン子チエ』(チーフディレクター)

備考
紫綬褒章受章

高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の映画監督プロデューサー翻訳家東京大学文学部仏文科卒業。紫綬褒章受章。

日本のアニメーションを黎明期から支えてきた演出家であり、「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」「じゃりン子チエ」「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」などの演出、監督などで知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲(たけもとてつ)がある。

目次

[編集] 人物・概要

岡山県の教育制度発展に尽力し、第4代経団連会長土光敏夫らと共に岡山県で初めての名誉県民に選ばれた元岡山県教育長・高畑浅次郎を父に持ち[1]、7人兄弟の末っ子。血液型O型。愛称は「パクさん」。趣味は音楽鑑賞と勉強。

学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《Paroles》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている(フランスの長編アニメーション映画でプレヴェールが脚本を執筆した「王と鳥」の字幕翻訳も手がけた)。「紅の豚」の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。

長編アニメ映画「やぶにらみの暴君」(「王の鳥」の原型)に感銘を受けて、アニメ業界入りを決意。大学卒業後に東映動画に入社。「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手になり、テレビアニメ狼少年ケン」で演出デビュー。その仕事ぶりを認められ、長編アニメ「太陽の王子 ホルスの大冒険」の演出(≒監督)に抜擢される。『ホルス』は興行的には惨敗するが、高い評価を得た。

その後、宮崎駿らと共にAプロダクションズイヨー映像(のちに日本アニメーションに改組)、テレコム・アニメーションフィルムへの移籍を経て、1985年徳間書店宮崎駿の映画製作の為に設立したスタジオジブリに宮崎に請われて参加する。現在もスタジオジブリに所属し、個人事務所の畑事務所を持つ。

宮崎駿やプロデューサーの鈴木敏夫、元同僚の人びとから呼ばれる愛称「パクさん」は、東映動画時代に高畑がよく遅刻して食パンをパクパク食べていたことからついたニックネーム。

ロシアのアニメ作家ユーリ・ノルシュテインとも交流があり、ノルシュテインの代表作『話の話』の研究本(徳間書店)も刊行している。

アニメーション以外にも、水の都福岡県柳川市の風情を撮影した「柳川堀割物語」といった実写のドキュメンタリー作品や人形劇の演出も手がけている。「おもひでぽろぽろ」をつくる前に、しかたしん原作の『国境』をもとにして、日本による中国への侵略戦争、加害責任を問う企画を進めていたが天安門事件の影響で企画が流れた。

近年は、講演活動やフランスのミッシェル・オスロ監督の長編アニメーション映画「キリクと魔女」などの一連の作品の日本語版の字幕翻訳・演出に従事。さらに原作本の翻訳も手がけている。

[編集] 略歴

[編集] 宮崎駿との関係

アニメーション作家・映画監督の宮崎駿東映動画(現・東映アニメーション)時代の後輩である。また、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「おもひでぽろぽろ」に至るまで、永年に渡ってともに作品を作ってきた盟友でもある。東映動画時代、組合活動を通じて(まだ一アニメーターに過ぎなかった)宮崎に与えた思想的影響は少なくない。東映動画を離れて以降も共に作品を作り続け、演出面でも宮崎に影響を与えた。但し、現在は二人三脚で作品を作ることはなくなっている。

高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。[1]

高畑は「となりのトトロ」について、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「三鷹の森ジブリ美術館」を激賞し、その建築的意義を称えている。また、宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「アルプスの少女ハイジ展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行ったり、「千と千尋の神隠し」の制作の際には、視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていたという[要出典]。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑に教わった為である[要出典]。鈴木敏夫によると、宮崎は高畑を未だに演出の先生だと思っているそうである[要出典]

[編集] 仕事

緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。演出家であるものの、絵は描かず、制作の際は口述や筆記によって自身の演出プランを展開させ、それを作画技術を持つスタッフが絵コンテにまとめるという形式をとっている[2]

しかしながら制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と譬えるほど遅筆である。「太陽の王子 ホルスの大冒険」では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代するほどであった。
スタジオジブリの鈴木敏夫は2007年6月のTV番組において、なるべく早く高畑勲に映画を撮らせたいと語った。ただ高畑の場合自分で絵を描くことが出来ないので、彼のイメージを具現化できるアニメーターが必要になるのでその点が難しいが、何とかすると語った。鈴木によると、実際に脚本段階まで進んでいる企画が複数あるとの事。

2010年鳥獣戯画のようなタッチで描いた「竹取物語」を題材にした長編アニメーションの監督を予定しているとのこと[3]

[編集] 手がけた主要作品

[編集] 賞歴

[編集] 著書

[編集] 単著

[編集] 共著

[編集] 訳書

[編集] 関連書籍

[編集] 脚注

  1. ^ こどもの城(渋谷)での講演における発言[要出典]
  2. ^ ただし宮崎と組んだ時などには、どんな物語にするか? プロットは? 一つ一つの情景は? という事を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていくという繰り返しで、物語を作る際に宮崎は膨大な量のイメージボードを描いている。それがスタッフ共通のイメージとなって進行していく事が多く、『母をたずねて三千里』 の脚本の深沢一夫は、宮崎のイメージボードで出てきた着想も多かったと語っている。
  3. ^ アジア映画専門ニュースサイトAsian Movie Pulse

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月1日 (日) 21:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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