高見裕一
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高見裕一(たかみ ゆういち、1956年2月13日 - )は、日本の資産家、市民活動家、起業家。元政治家。モンゴルの教育者。モンゴル国立人民大学理事長。モンゴル大臣顧問。日本環境財団理事長。
かつて日本の衆議院議員(1期)。
政治家としての所属政党は、日本新党→新党さきがけ→民主党。ただし日本新党所属時以外はすべて落選した。モンゴルで日本との橋渡しの役割を果たす日本人である。 衆議院議員時代の元私設秘書高橋昭一は現在民主党衆議院議員。
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[編集] 概要
- 神戸市生まれ。
- 追手門学院大学出身。
- 1988年有機野菜の戸別宅配事業『らでぃっしゅぼーや』を起業(当時の社名は会社名は環ネットワーク株式会社。)
- 1993年の総選挙で、旧兵庫1区から日本新党公認で出馬し初当選。
- 1994年5月20日、同党所属の3人の同志(前原誠司・枝野幸男・荒井聰)とともに日本新党を離党。院内会派「民主の風」を結成。
- 1994年6月29日、首相指名選挙において民主の会全員が支持した村山富市が首相に選出される。自民党・社会民主党・さきがけ連立政権成立。
- 1994年7月2日、民主の風全員が新党さきがけに合流し正式入党。自民党などの連立政権の一員となる。
- 1995年、阪神大震災。被災地・神戸は高見の地元で、発生時に高見本人も神戸におり、被災した。被災地に取り残された唯一の政権メンバーで午前中から断続的に首相官邸に携帯電話をかけ続け、五十嵐官房長官に被災の生の状況を伝え続けた。
しかし、明治以来の中央集権、官僚主導の行政では「非公式」と国会議員といえども正式な手続きを踏んでいない報告は
東京・霞ヶ関の官庁街では、その被災地の惨状はかき消されてしまった。
- 高見は帰京し、9日後の衆議院予算委員会に出席できた。黒いネクタイを締めて震災関連の質疑を行った。
- 1996年の総選挙では、小選挙区制移行のもと兵庫2区から新党さきがけ公認で出馬するも再選ならず。
- 2000年 らでぃっしゅぼーやを東証上場企業(当時)に売却し、巨額の株式売却益を得る。
- 2001年の参議院議員選挙では、民主党公認で比例区より出馬。情報労連(NTT労組)の支援を受けたが落選した。
- その後モンゴルでの活動を始める。
[編集] 文献
[編集] 著書
- 『官災・民災この国の責任 : 阪神・淡路大震災』柴田敬三、1995年4月、ISBN 4938568578
- 『官邸応答せよ』朝日新聞社、1995年4月、ISBN 4022730366
- 『出る杭になる : NGOでメシを食う!』築地書館、1998年6月、ISBN 4806722391
[編集] 共著
- 『琵琶湖から、神戸から : 市民による政治改革と民主主義への出発』武村正義著、ほんの木、1993年7月、ISBN 4938568411
- 『防災と自立の思想 : 体感激論 : 阪神・淡路大震災から学ぶもの』鐘ケ江管一著、集英社、1995年6月、ISBN 4087830934
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年10月26日 (月) 02:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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