鬼ノ城
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鬼ノ城 (岡山県) |
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西門遺構(復元中)
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| 城郭構造 | 神籠石式山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 伝・大和朝廷が有力 |
| 築城年 | 7世紀後半か |
| 主な城主 | 不明 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 石垣、土塁、水門 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
| 再建造物 | 門・石垣・土塁 |
| 位置 | 北緯34度43分35.53秒 東経133度45分46.49秒 |
鬼ノ城(きのじょう)は岡山県総社市の鬼城山(きのじょうざん 標高397メートル)に遺る神籠石式山城。国の史跡。
目次 |
[編集] 概要
すり鉢形の鬼城山の山頂周囲を石垣・土塁による城壁が周囲2.8キロメートルに渡って取り巻く。城壁によって囲まれた面積は約30ヘクタールを測る。城壁の要所に、門、城外への排水機能を持つ水門を配する。門は東西南北4ヶ所、水門は6か所に確認されている。城の内部には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が7棟、烽火場の可能性が指摘される焚き火跡、水汲み場、工事のための土取り跡などが確認されている。
[編集] 歴史・沿革
[編集] 飛鳥時代
663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。日本書紀などには西日本の要所に大野城など12の古代山城(朝鮮式山城)を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測される。しかしどの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。史書に記載が無く、12の古代山城に該当しないものは神籠石系山城と呼ばれる。
[編集] 現代
山中に石垣などの遺構が存在することは古くから知られていたが、1971年(昭和46年)に城壁の基礎となる列石が見つかり、古代山城と認識された。1986年(昭和61年)3月25日に国の史跡に指定された。指定名称は「鬼城山(きのじょうざん)」。現在は総社市教育委員会が2001年(平成13年)より史跡整備を行っている。特に西門遺構は建造物・土塁・石垣の復元を進めている。2006年(平成18年)からは、岡山県教育委員会による7か年計画の城内確認調査も開始された。
なお、城内には湿地を中心として希少植物も多く分布するため、1999年(平成11年)には発掘調査と自然保護との調整が問題となったことがある。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(69番)に選定された。
[編集] 伝承
[編集] 温羅伝説
温羅伝説とは、吉備地方に残る、桃太郎話のモチーフとなったといわれる伝説である。
古代吉備地方には百済の王子と称する温羅(「うら」または「おんら」)という鬼が住んでおり、鬼ノ城を拠点にこの地方を支配し悪行を行っていた。吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく崇神天皇は孝霊天皇の子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣した。命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。温羅に対して矢を1本ずつ射たが岩に呑み込まれた。そこで命は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。温羅が雉に化けて逃げたので命は鷹に化けて追った。更に温羅は鯉に身を変えて逃げたので吉備津彦は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。こうして温羅を討ったという。それぞれの伝説の地に矢喰神社、温羅の眼の血が流れた血吸川、鯉喰神社が存在している。
温羅は製鉄技術をもたらし吉備を治めた技術者であり豪族ではないかとされる。また、血吸川の川の赤さは鉄分によるものであろう。吉備地方は古くから鉄の産地として知られ「真金吹く吉備」と呼ばれていた。実際、鬼ノ城の東麓には日本最古級の製鉄遺跡が存在する。
なお、この伝承はその後、鳴釜神事の成り立ちへと続く。
[編集] 現地情報
- 所在地
- 岡山県総社市奥坂
- 交通アクセス
- JR吉備線服部駅から約5km。JR伯備線総社駅からタクシーで約20分。駐車場あり。
- 駐車場横に鬼ノ城来訪者の休憩等を目的とした鬼城山ビジターセンターがある。(月曜休館。入山自体は常時可。)
- 2006年(平成18年)、日本100名城(69番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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