魔裟斗

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魔裟斗(まさと)
K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 記者発表にて
基本情報
本名 小林 雅人(こばやし まさと)
通称 MAXのカリスマ
反逆のカリスマ
階級 ミドル級K-1
国籍 日本
誕生日 1979年3月10日(30歳)
出身地 千葉県柏市
スタイル キックボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数 62
勝ち 54
KO勝ち 25
敗け 6
引き分け 2
無効試合 0
  

魔裟斗(まさと、男性、1979年3月10日 - )は、日本キックボクサー。本名は小林 雅人(こばやし まさと)。千葉県柏市出身。身長174cm、体重70kg。シルバーウルフ所属。日本人初のK-1 WORLD MAX世界王者。妻は女優タレント矢沢心

目次

[編集] 人物

  • リングネーム『魔裟斗』の名付け親は、同ジムの加藤重夫会長。最初に藤 山海山(ふじ さんかいざん)なる名前を提案されるも断り、2番目に提案された魔裟斗に落ち着いた。当の魔裟斗は「暴走族みたいで嫌でしたよ。」と各所で述べている。
  • K-1 WORLD MAX開始当初は、ライバルと目されていた小比類巻貴之ストイックぶりと比較され、「試合の1か月前にもかかわらず飲み歩いている」などと、煽りVTRなどで貶められることが多かった。しかし、「これだけ練習したのだから負けることはない」と公言するほど練習熱心であり、真の「ミスターストイック」は魔裟斗であると評価する関係者も多い[1]。その一方で、当の「ミスターストイック」の異名を持つ小比類巻を「六本木で飲んでいる時バッタリ出会った」事を『さんまのまんま』(関西テレビ)出演時に明かしている。
  • 試合後は勝敗に関係無く温泉に入りに箱根へ行くという。
  • 普段の体重は75kg前後だが、試合に向けて食生活などを変えながら、K-1ミドル級のリミットである70.0kg丁度になるように仕上げることを信条としている[2]。また、「殴られすぎてパンチドランカーになった人を何人も見てきた」ことから、自身の体調管理にはかなり気を使っている。「パンチドランカーになった姿を子供に見せたくない」旨を引退理由の一つに挙げている。
  • 近年はフジテレビ放送のK-1 WORLD GPシリーズに解説者としても出演している。
  • 格闘技以外の活動としては、後述の通り数々のテレビドラマ・映画・CMなどに出演、フレグランスやシルバーアクセサリーのプロデュースも手掛けていた。2009年にはスイスの時計ブランドであるオーデマ・ピゲと、日本人で初めて契約し、オリジナルデザインの「ロイヤル オーク オフショア MASATOモデル」を発表した。

[編集] ファイトスタイル

10代の頃にボクシングジムに通っていた魔裟斗は、元々はパンチを武器とする典型的なインファイターであった。しかし、近年では、左右両方のパンチのコンビネーション・キック・膝蹴りなどの打撃を放つスタイルへと変わった。ディフェンステクニックで相手が放つ大振りなパンチをかわし、カウンターを合わせる。最も得意とするブローは相手の右を左でブロックし、即左フックを返すというものである。

元々はプロボクサーを志していたが、プロテスト受験を諦めてからはキックボクシングを志す。彼にとってボクシングとは若い頃の挫折の象徴であるためかボクシングを意識した発言を繰り返して独特なコンプレックスを窺わせている。しかし、それだけに若い頃からボクシングを経験したことで、ファイトスタイルはボクシング技術を重視したものになっている。

K-1 WORLD MAXにおいて主役級の扱いを受け、第一線で戦える唯一といっていいMAX日本人選手である魔裟斗は、海外の選手から研究され狙われる立場であり、2004年ごろから判定決着が極度に増えてきている。

元ボクシング日本王者(3階級制覇)の前田宏行は自らのブログで「昔は知らないが今の魔裟斗選手のパンチの技術は、蹴り無しでも3Rなら並みの日本チャンピオンクラスではやられる確率は高い」と魔裟斗のボクシングスキルを評価した[3]

[編集] 来歴

両親の都合で柏市から埼玉県新座市へ引っ越す。埼玉栄高等学校中退。中退理由は、友人数人と「勢い」で辞めたと『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)に出演した際に述べている。

高校中退後は10種類余りの職を転々とした。中でも焼き鳥店に至っては、勤務初日に「昼ご飯を食べに行く」と言い残し、そのまま戻らず辞めたという[4]

1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムに入門。その後、「喧嘩に使えそうだから」との理由で17歳で藤ジムに入門、キックボクシングに転向する。

1997年3月23日、プロデビュー戦を竹原太と対戦し、1RKO勝ち。

1997年5月30日、小比類巻貴之と対戦し、膝蹴りの連打により3RKO負け。初黒星を喫した。共にデビュー2戦目同士で3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになってしまった。この繰上げメインの試合を、『格闘技通信』(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。

2000年1月21日、全日本キックボクシング連盟主催『LEGEND-I』のダブルメインイベント(セミファイナル)でモハメッド・オワリ(ベルギー)と対戦予定であったが、魔裟斗が試合出場を拒否し「試合放棄」とされた。3月14日付けで藤ジムと全日本キックボクシング連盟に退会届を提出し、同連盟ウェルター級王座も返上、「シルバーウルフ」所属となった。その後暫くは、総合格闘技団体・パンクラスの東京道場や新日本キックボクシング協会の伊原道場を間借りして練習を行う。

2000年7月26日、初の自主興行『Wolf Revolution』を開催し、メインイベントでクレイトン・コリヤーに1RKO勝ち。

2000年11月1日、K-1 WORLD MAXの前身に当たる興行『K-1 J・MAX』で、ムラッド・サリフランス)とI.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級タイトルマッチを行い、2Rに左フックでKO勝ち。王座奪取成功。

2000年12月5日、タイで行われた『タイ国王生誕記念大会』でスリヤー・ソー・プルンチットと対戦し、判定負け。小比類巻貴之戦以来、3年6か月ぶりの敗戦となった。

2001年3月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催『ODYSSEY-1』で伊藤隆の引退試合(エキシビションマッチ)の相手を務めた。

2002年2月11日、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントに出場。1回戦、準決勝共にKO勝ちで決勝に進出し、小比類巻貴之と対戦。的確にパンチをヒットさせ判定勝ち。

2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定戦の準決勝でアルバート・クラウスオランダ)と対戦。2Rにクラウスの右ストレートでダウンを奪われ判定負け。試合後の控室に向かう途中、嗚咽を漏らし号泣した。

2002年10月11日、K-1 WORLD MAX 2002 世界王者対抗戦でアルバート・クラウスと対戦。雪辱を誓ったものの、互いに決め手を欠き引き分け。

2003年3月1日、K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメントに出場。3試合とも判定勝ちながら危なげない試合運びでトーナメント2連覇。

2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメントの1回戦でマイク・ザンビディスギリシャ)と対戦。1R、わずかな隙を見せたザンビディスに跳び膝蹴りを見舞いダウンを奪うも、その後ザンビディスの反撃によりポイントを奪い返され、2-1の判定で辛勝。決勝戦で前年度王者アルバート・クラウスを2R、左フックでKOし、優勝を果たした。

2003年12月15日、『WOLF REVOLUTION meets LUZ』で宇野薫とエキシビションマッチを行った。1Rはキックボクシングルールであったが、2Rは総合格闘技ルールとなり、オープンフィンガーグローブでの戦いを披露した。

2004年7月7日、K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメントでジャダンバ・ナラントンガラグモンゴル)、アルバート・クラウスをそれぞれ判定で下し、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)と対戦。連戦によるダメージが蓄積し、なおかつ両目が塞がった状態での戦いを強いられた。ブアカーオの攻撃に成す術もなく3Rにはフラフラの状態で戦っていたのにもかかわらず、3R終了時点判定1-0で延長R突入となり、延長Rで判定負け、準優勝となった。この判定は問題となり、大会終了後の7月9日に「3R終了時点の判定はミスジャッジングであり、不適格かつ不可解」であったとして、角田信朗を始めとした審判員の処分を発表した。また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった。

2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!山本"KID"徳郁とK-1ルールで対戦。1R、山本にダウンを奪われた直後、ローキックが山本の金的を直撃し試合が中断する。山本自身「手足が震えた」というほどの致命的なダメージであった。この時、リプレイ映像を見た解説の船木誠勝が魔裟斗の視線が下に行っているのを指摘、故意であることを匂わせる発言をしている。そして5分の休憩の後、精彩を欠いた山本から2Rにダウンを奪い返し、判定勝ちを収めた。

2005年7月20日、K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦。ダウンを奪い判定勝ちしたが、自身の蹴りで左足腓骨を骨折し準決勝を棄権。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で復帰。大東旭に2RTKO勝ち。

2006年6月30日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝で小比類巻貴之と通算3度目の対戦。3Rにボディブローを効かせ、直後の左ストレートでダウンを奪い判定勝ち。準決勝でアンディ・サワー(オランダ)に3R終了間際にダウンを喫し判定で敗れ3位に終わる。

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!において対戦予定だった元WBA世界スーパーウェルター級王者・チェ・ヨンス韓国)が練習中に負傷したことにより、対戦相手がボクシング元日本ミドル級王者・鈴木悟に変更。結果は2RKO勝ち。

2007年2月11日、女優・タレントの矢沢心と6年間の交際、5年間の同棲を経て入籍[5]。翌2008年4月20日、都内のホテルで結婚披露宴を行った[6]

2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント決勝戦では、自ら指名したブアカーオ・ポー.プラムックと準々決勝で対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪い、判定勝ち。準決勝ではアルトゥール・キシェンコウクライナ)に2Rにカウンターの左フックでKO勝ち。決勝ではアンディ・サワーと対戦したが、2試合を戦ったダメージの蓄積に加え、サワーの猛攻で足が限界に達し、2R終了時に立ち上がることが出来ず、セコンドがタオルを投入しTKO負け。準優勝に終わった。

2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!チェ・ヨンスと対戦。3年続けて元ボクシング選手との対戦となった。1Rにダッキングに合わせたハイキックでダウンを奪うと、その後もパンチやローキックで攻め立てて3Rタオル投入によるTKO勝ち。

2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINALのトーナメント準決勝で、かねてから魔裟斗との対戦を熱望していた佐藤嘉洋と対戦。3Rに左フックでダウンを奪われる。当時は「優勢選手に必ず10ポイントを付ける」というルールがあったにもかかわらず、ダウンを奪った佐藤に9ポイントしか付かなかった為[7]、試合は延長Rに縺れ込む。その後延長Rで形勢逆転し、判定勝ち。続くアルトゥール・キシェンコとの決勝戦でも同様の判定が起こり、2Rに右フックでダウンを喫しながらも3R終了時の判定は「ドロー」となり、延長Rに判定勝ち。2度目のK-1 WORLD MAX王者となった。

2009年3月22日、東京マラソン2009に出場し、3時間51分41秒で完走した[8]

2009年4月1日、記者会見を開き、2009年末を以って引退する旨を表明。「大晦日のDynamite!!でトーナメント優勝者と戦いたい。」と発言した。

2009年4月21日、引退発表後の「初戦」として出場したK-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL16で、「魔裟斗の後継者」と目されるHIROYAとエキシビションマッチを行った。

2009年7月13日、K-1 WORLD MAXでのラストマッチとなったK-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8にて、ファン投票で推薦された総合格闘家・川尻達也と対戦。試合決定直後から、川尻の打撃トレーナーである山田武士も加わり激しい舌戦を繰り広げた。1Rに右ストレートでダウンを奪い、2Rにパンチのラッシュで追い込んだところで川尻陣営からタオルが投入されTKO勝ちを収めた。

2009年11月7日、「SILVERWOLF presents FINAL REVOLUTION 〜大宮司進 FINAL〜」で行われた「大宮司進引退エキシビションマッチ」(K-1ルール・3分2R)で大宮司進と対戦した[9]

[編集] 戦績

キックボクシング 戦績
62 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
54 25 29 0 2 0
6 2 4 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
川尻達也 2R 1:43 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8 2009年7月13日
アルトゥール・キシェンコ 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL
【決勝】
2008年10月1日
佐藤嘉洋 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL
【準決勝】
2008年10月1日
ドラゴ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL8
【準々決勝】
2008年7月7日
ヴァージル・カラコダ 3R 0:22 KO(右フック) K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16
【1回戦】
2008年4月9日
チェ・ヨンス 3R 0:51 TKO(タオル投入) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
× アンディ・サワー 2R終了時 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【決勝】
2007年10月3日
アルトゥール・キシェンコ 2R 0:41 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【準決勝】
2007年10月3日
ブアカーオ・ポー.プラムック 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【準々決勝】
2007年10月3日
J.Z.カルバン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【1回戦】
2007年6月28日
オーレ・ローセン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜 2007年4月4日
鈴木悟 2R 2:22 KO(右ローキック) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
× アンディ・サワー 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【準決勝】
2006年6月30日
小比類巻貴之 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【準々決勝】
2006年6月30日
レミギウス・モリカビュチス 2R 1:56 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【1回戦】
2006年4月5日
イアン・シャファー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜
【スーパーファイト】
2006年2月4日
大東旭 2R 1:58 TKO(3ノックダウン:右ローキック) K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
マイク・ザンビディス 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【準々決勝】
2005年7月20日
イム・チビン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【1回戦】
2005年5月4日
山本"KID"徳郁 3R終了 判定2-0 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日
× ブアカーオ・ポー.プラムック 延長R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜
【決勝】
2004年7月7日
アルバート・クラウス 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜
【準決勝】
2004年7月7日
ジャダンバ・ナラントンガラグ 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜
【準々決勝】
2004年7月7日
セルカン・イルマッツ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【1回戦】
2004年4月7日
ヴィンス・フィリップス 2R 0:15 KO(右ローキック) K-1 WORLD MAX 2003 〜世界王者対抗戦〜 2003年11月18日
アルバート・クラウス 2R 2:26 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜
【決勝】
2003年7月5日
サゲッダーオ・ギャットプートン 2R 2:55 KO(2ノックダウン:右アッパー) K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜
【準決勝】
2003年7月5日
マイク・ザンビディス 3R終了 判定2-1 K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜
【1回戦】
2003年7月5日
武田幸三 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜
【決勝】
2003年3月1日
村浜武洋 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2003年3月1日
須藤元気 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2003年3月1日
アルバート・クラウス 5R終了 判定1-1 K-1 WORLD MAX 2002 〜世界王者対抗戦〜 2002年10月11日
メルヴィン・マーリー 2R 2:59 TKO(レフェリーストップ:右ローキック) Wolf Revolution 〜resurrection〜 2002年8月6日
× アルバート・クラウス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜
【準決勝】
2002年5月11日
ドゥエイン・ラドウィック 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜
【1回戦】
2002年5月11日
小比類巻貴之 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜
【決勝】
2002年2月11日
後藤龍治 3R 2:52 KO(2ノックダウン:左フック) K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2002年2月11日
村浜武洋 3R 0:30 KO(2ノックダウン:右ストレート) K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2002年2月11日
ノエル・ソアレス 3R 1:30 TKO(レフェリーストップ:フック連打) K-1 WORLD GP 2001 決勝戦
【K-1 WORLD MAX スーパーファイト】
2001年12月8日
ベン・バートン 4R 1:10 KO Black List 010 meets Wolf Revolution 2001年8月23日
ゴラン・ダニロヴィック 2R 2:06 KO(ローキック) Wolf Revolution 〜Third Wave〜 2001年6月22日
パトリック・エリクソン 5R終了 判定3-0 K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜 2001年4月15日
モハメッド・オワリ 3R 1:26 TKO(タオル投入) Wolf Revolution 〜Second Wave〜 2001年1月12日
× スリヤー・ソー・プルンチット 5R終了 判定 タイ国王生誕記念大会
【スーパーウェルター級選手権】
2000年12月5日
ムラッド・サリ 2R 0:48 KO(左フック) K-1 J・MAX
【ISKA世界オリエンタルウェルター級 タイトルマッチ】
2000年11月1日
クレイトン・コリヤー 1R 1:15 KO(左フック) Wolf Revolution 〜First Wave〜 2000年7月26日
メルチョー・メノー 4R 2:59 KO(3ノックダウン:ローキック) コロシアム2000 2000年5月26日
ゴーンナパー・ソー・チャルァームサッグ 2R 0:59 TKO(レフェリーストップ:左アッパー) サムローンスタジアム 2000年4月16日
"イーヴィル"エヴァル・デントン 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-XIII」 1999年11月22日
ニック・ミッチ 5R終了 判定2-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-XII」 1999年10月8日
スティーブ・ミッチ 2R 2:15 TKO(ドクターストップ) 全日本キックボクシング連盟「WAVE-V」 1999年8月17日
マテオ・トレビジョン 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-IV」 1999年7月13日
ジェームス・シャサー 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-III」 1999年5月11日
千葉友治 3R 0:34 KO 全日本キックボクシング連盟「WAVE-II」 1999年3月17日
土井広之 5R終了 判定1-1 全日本キックボクシング連盟「WAVE-I」 1999年1月25日
嶋村哲昌 1R 2:32 KO(左フック) シュートボクシング「GROUND ZERO TOKYO」 1998年11月14日
坪井淳治 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟 1998年10月16日
K・タカハシ 4R終了 判定3-0 全日本キック&MA日本キック合同興行「KICK CHAMPION'S NIGHT」 1998年9月19日
河野貴巳 3R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟 1998年7月8日
千葉友治 3R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟 1998年3月22日
× 小比類巻貴之 3R 2:52 KO(膝蹴り) 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-VI」 1997年5月30日
竹原太 1R KO 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-IV」 1997年3月23日

[編集] 獲得タイトル

  • 全日本キックボクシング連盟ウェルター級王座(0度防衛)
  • I.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級王座(0度防衛)
  • K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント 準優勝
  • K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント 準優勝
  • K-1 WORLD MAX 2008 世界一決定トーナメント 優勝

[編集] 出演作品

[編集] テレビ

[編集] 映画

[編集] CM

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

前優勝者
アルバート・クラウス
K-1 WORLD MAX 2003優勝

2003年7月5日

次優勝者
ブアカーオ・ポー.プラムック
前優勝者
アンディ・サワー
K-1 WORLD MAX 2008優勝

2008年10月1日

次優勝者
ジョルジオ・ペトロシアン

最終更新 2009年11月19日 (木) 16:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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