魚肉ソーセージ
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魚肉ソーセージ(ぎょにくソーセージ)は、マグロなど魚肉すり身をケーシングに入れ加熱した、ソーセージに似た加工食品。フィッシュソーセージとも言う。まれに魚ソ、ぎょにそなどと略されることがある。JASの規格では、魚肉及び鯨肉の原材料に占める重量の割合が50%以上のものを「魚肉ソーセージ」としており、15%未満の「ソーセージ」や15%以上50%未満の「混合ソーセージ」とは区別されている。
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[編集] 製法
スケトウダラなどの冷凍すり身50~60%に、豚脂、調味料と香辛料を混ぜ、練り合わせたものをケーシングし、レトルト殺菌釜で高圧高温殺菌を行って出来上がる。必要に応じてデンプン・植物性タンパク・卵白などの結着剤、および酸化防止剤や保存料を加えることもある。
[編集] 歴史
洋食の普及への対応や魚肉の保存性向上を狙い、大正時代から日本各地の水産試験場で魚肉を使用したハム・ソーセージ風食品の開発が進められた。ツナハムについては戦前から実用化されたが、魚肉ソーセージは1949年、愛媛県八幡浜市の西南開発工業協同組合が初めて試作に成功した。同組合は1951年、西南開発株式会社として創立し、「スモークミート」の名で商品化した。翌1952年には明治屋と契約し全国発売を開始した。
その後各社の参入があったが、生産量が大幅に増えた原因として水爆実験の影響が挙げられる。1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた 15 Mt の水爆実験(キャッスル作戦)により、日本の第五福竜丸をはじめ多数のマグロ漁船が放射性降下物(いわゆる「死の灰」)を浴び、被曝した。処理のため多量の放射能汚染マグロが水揚げされたことから消費者が忌避する事態となり、マグロの価格は大暴落した。苦境に陥った水産各社は、余剰マグロを原料とした魚肉ソーセージの生産に力を入れるようになった。安価な魚肉ソーセージは、学校給食に納入されるなど、「西の横綱がインスタントラーメンなら、東の横綱は魚肉ソーセージ」と呼ばれた程の大衆食となった。1962年には魚肉ソーセージに関する日本農林規格(JAS規格)が制定された。1972年には、魚肉ソーセージの国内生産量 (魚肉ハムを含む、以下同様) は18万tを超えてピークを迎えている[1]。
しかし、生産量ピーク2年後の1974年、使用されていた食品添加物の保存料・フリルフラマイド(AF2)に発癌性・催奇性が指摘され、使用禁止となってしまう。同年、業界は魚肉ソーセージへの防腐剤の使用を取り止め、代わりに「高温高圧殺菌」「pHや水分活性を調節し過熱殺菌」「従前同様の加熱殺菌をして10℃以下で流通保存」のいずれかの方法を採用する事とした。多くのメーカーは「高温高圧殺菌」を採用している。1974年の生産量は12万tへと急落している。
さらに、1976年にはアメリカとソ連が相次いで排他的経済水域の設定を宣言する、いわゆる200海里問題が発生したため、そのころ主原料となっていたスケソウダラの価格が暴騰。原料コストの高騰という問題が起こった。また、徐々に家庭に冷蔵庫が普及し、低温輸送技術が進むにつれ、食肉および食肉加工品が普通に食卓へと並ぶようになり、魚肉ソーセージの保存食肉あるいは食肉代用品としての存在価値が減少、生産量を減らしていく。
その後、メーカー側の開発・販売努力 (カルシウム・DHA・ビタミン・コラーゲンの添加、アニメや子供向け特撮ヒーローのキャラクター採用) や、健康・ヘルシー志向 (低カロリー・低脂肪・高タンパク) も手伝って、徐々に魚肉ソーセージが見直されるようになった。BSEや鳥インフルエンザなどで畜肉の安全性に疑問が呈された際にも、魚肉ソーセージが注目された。一時は需要が急増しフル生産体制になりメーカーは当惑したという。
しかし、1990年以降の生産量は5万~8万tに留まっている。
[編集] 特殊品・類似品
- 魚肉ソーセージの類似品として魚肉ハムと呼ばれるものも存在する。製法的に大きな違いはないが、魚肉ソーセージが主に魚肉のすり身を用いるのに対し、魚肉ハムは魚肉の肉片を塩漬けにしたものを原料としている。
[編集] 関連
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年7月7日 (火) 01:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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