鳳凰倶往

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鳳凰 倶往(ほうおう ともみち、1956年12月7日 - )は、元大相撲力士である。本名は壁谷 友道(かべや ともみち)。愛知県蒲郡市出身。現役時は二所ノ関部屋に所属していた。最高位は東関脇1984年7月場所)。現役時代の体格は177cm、149kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ

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[編集] 来歴

蒲郡市立西浦中学校では柔道部に在籍し、主に地元の大会で活躍した。1971年、中学3年生の時に浜風親方(元前頭11・宮柱)の勧誘を受け、二所ノ関部屋に入門。同年9月場所、14歳のときに本名の「壁谷」で初土俵を踏んだ。当時は、中学在学中の入門が許可されていたが、翌11月場所中に在学中の本場所出場が問題になり、壁谷ら「中学生力士」はすべて4番相撲を取ったところで帰京する事となった。そして、翌年1月場所は日曜日のみ出場して3番相撲を取り、翌3月場所は大阪開催のために不出場となった。こうした経験を持つ力士には、後の大関琴風の他、小結まで進んだ大徹(※当時の四股名は本名の「南」)や前頭2枚目まで昇った斉須らがいる。

三段目時代の1974年1月場所、明治時代に活躍した大関に因む「鳳凰」の四股名に改名。同年11月場所には幕下に進み、以降は3年半ほど幕下に居座ったが、1978年5月場所で十両へと昇進。そして1979年7月場所、22歳で新入幕を果たした。入幕後は腰の重さを利して、しばしば上位陣を食うなど活躍した。左四つからの上手投げや寄りを得意としたが、なまくら四つで右四つでも相撲が取れた。だがその反面、攻めに厳しさがなく、大成できなかった。また大勝ちが少なかった分、三賞とは縁がなかった(前頭7枚目で10勝を挙げた1980年9月場所と、横綱・大関陣との対戦圏内で唯一勝ち越した1984年5月場所では三賞候補に挙がったが、いずれも受賞を逸している)。尚、三賞制度ができてから入幕した最高位が関脇の力士で、三賞を受賞できなかった力士は鳳凰のみである。ただし、金星は3個獲得している。関脇昇進後は一時幕下8枚目まで番付を落としたが幕内に戻り、1989年1月場所まで、計34場所幕内を務めた。同年5月場所では十両の土俵で15戦全敗を喫し、翌7月場所では幕下まで陥落した。それ以降は関取に復帰する事ができず、幕下53枚目まで番付を下げて1990年5月場所限り、33歳で廃業。現役晩年の幕下時代には貴花田(後の横綱・貴乃花)と対戦し、「花田親子」の双方と対戦した数少ない力士となった(父・貴ノ花とは、4度対戦して1勝3敗。貴花田との対戦は一度限り(1989年7月場所・4日目)であったが、勝利している)。廃業後は一時、間垣部屋でコーチを務めた。

[編集] 主な成績

  • 幕内在位:34場所
  • 三役在位:2場所(関脇、小結各1場所)
  • 幕内成績:218勝277敗15休 勝率.440
  • 現役在位:112場所
  • 通算成績:622勝631敗26休 勝率.496
  • 金星:3個(2代若乃花2、千代の富士1)
  • 各段優勝:十両4回(1981年9月場所、1983年9月場所・11月場所、1987年11月場所)、幕下1回(1986年3月場所)

[編集] 改名歴

  • 壁谷 友道(かべや ともみち)1971年11月場所-1973年11月場所
  • 鳳凰 倶往(ほうおう -)1974年1月場所-1990年5月場所

[編集] 関連項目

最終更新 2009年8月21日 (金) 13:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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