鶴姫 (徳川家)
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鶴姫(つるひめ、延宝5年3月7日(1677年4月8日) - 宝永元年4月12日(1704年5月15日))は、徳川綱吉の長女。母は小谷正元の娘瑞春院。紀伊藩主・徳川綱教の妻。4代将軍・家綱と甲府藩主・綱重は伯父、6代将軍・家宣は従兄弟にあたる。
1681年に紀伊藩嫡子の徳川綱教と縁組し、1685年に婚姻。1683年に徳川綱吉の世継ぎであった弟の徳松が死去した後、次期将軍として将軍の姫を娶っていた紀州家の綱教が有力候補になった。しかし、鶴姫が疱瘡のため27歳で死去し、さらにその翌年に綱教も亡くなったため、紀州家からの将軍は綱教の弟・徳川吉宗まで待たなければならなくなった。
法名は明信院殿澄誉恵鑑光燿大姉。墓所は東京都港区の増上寺。
[編集] 鶴字法度
綱吉は鶴姫を溺愛するあまり、1688年2月1日にいわゆる「鶴字法度」を出し、庶民が鶴字・鶴紋を使用することを禁じた。これにより、井原西鶴は雅号を改めて「井原西鵬」(さいほう)と名乗り、京菓子の老舗「鶴屋」は屋号を替えて「駿河屋」とした。また歌舞伎の江戸三座のなかでも最も歴史の古い中村座は「丸に舞鶴」を定紋にしていたが、これをやめて「角切銀杏」に改めている。思い立ったら百年目の綱吉が出したこの傍迷惑な御禁制は、各方面に今日にまで連なる影響を及ぼすこととなった。
[編集] 演じた俳優
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最終更新 2009年1月18日 (日) 05:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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