鶴見橋 (広島市)
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| 鶴見橋 | |
|---|---|
| 下流から橋を望む | |
| 所在地 | |
| 長さ | 96,8m |
| 幅 | 車道9.25m、歩道5m |
| 形式 | 3径間連続鈑桁橋 |
| 素材 | 上部:鋼橋;下部:RC構造;基礎工:? |
| 橋の分類 | |
| 形式 - 国 | |
| 一覧 | |
| 橋の一覧 | |
鶴見橋(つるみばし)は、広島県広島市の京橋川に架かる道路橋。
目次 |
[編集] 概要
明治時代からある人道橋(歩道橋)がさまざまな経路を経て、1990年に現在の道路橋に架け替えられた。2001年土木学会デザイン賞受賞。
広島市道比治山庚午線(平和大通り)起点に位置する橋。橋名の由来は下記歴史参照。
上流に東広島橋、下流に被爆橋梁の比治山橋がある。東詰交差点が広島県道37号広島三次線および広島電鉄皆実線との交点、さらに東へ行くと比治山トンネルへと入る。西へ行き平和大橋を渡ると広島平和記念公園に入る。
東詰たもとに被爆樹木であるシダレヤナギおよび原爆被災説明板がある。
[編集] 歴史
昔、比治山に鶴が飛来していて、それを見るために現橋東詰あたりに「鶴見小屋」があった。藩政時代、防衛のため城下には架橋規制がしかれており、この付近も当然橋はなく「比治山渡し」という渡し場であった。明治に入ると架橋規制は解かれ、1880年(明治13年)にこの地に木橋として架橋、鶴見小屋から「鶴見橋」と名前が付いた。
1945年(昭和20年)8月6日原爆被災、爆心地から1.65kmに位置した。木製高欄の一部が熱線により自然発火し床にも広がりつつあったところへ、避難者が協力して砂をかけて消しとめたため落橋には免れた。上流にあった柳橋が焼け落ちてしまったため、比治山橋と共に市内から比治山へと避難者がたくさん押し寄せ、死者も続出し悲惨を極めた。
同年9月の枕崎台風、同年10月の阿久根台風により京橋川は相次いで増水、この橋も流出の危険があったが、近隣住民の手により桁に引っかかりそうになる流木などの浮遊物を取り除いたため、落橋から免れた。
1948年(昭和23年)、砂舟が橋脚を破損し一部落橋した。その後直されたが、1957年(昭和32年)に木橋で架けなおされる。1973年(昭和48年)鉄筋コンクリート桁の人道橋(歩道橋)に架け替えられた。
1990年(平成2年)広島市道比治山東雲線整備に伴い、現在の橋に架けかえられた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編PDF - 広島市
- 原爆被災説明板 - 同
- 土木学会デザイン賞2001年優秀賞 - 土木学会
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最終更新 2009年10月11日 (日) 15:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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