黄祖
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黄 祖(こう そ、?-208年)は、後漢末期の武将。劉表の部下。江夏太守であるが、任命時期は記録がない。
191年、孫堅との戦いで、部下の呂公が孫堅を射殺したため、孫堅の子である孫策や孫権から仇として狙われることになる。
息子の黄射が連れてきた禰衡を最初は厚遇していたが、後に禰衡が傲慢になって黄祖を馬鹿にするようになったため、黄祖は怒って彼を殺害した。また水賊あがりの猛将甘寧を重用せず、彼を呉に逃亡させるなど、黄祖の狭量さを示すエピソードが伝えられている。
一方で荊州攻略を狙う孫氏にしてみると、揚州から荊州に入る最初の関門となる江夏郡を守る黄祖は、仇であると同時に常に交戦しなければならない相手であった。事実呉側の記録では、199年、203年、204年、206年、207年と何度も黄祖と戦った記録があり、これらの際に名前が挙がる呉側の将は孫策、孫瑜、周瑜、程普、黄蓋、韓当、呂蒙、董襲、周泰、虞翻、徐琨(199年戦死)、凌操(203年戦死)、凌統などの面々である。
なお、この間しばしば呉側の史料には黄祖を打ち破った旨の記述が出てくる。そのうち207年には城を落としたとの記述があるものの、208年にはなぜか再び夏口で黄祖と交戦している。詳しい事情は史書には記載されていない。
208年、孫権が江夏郡に攻めて来たとき、その猛攻にあって城は再び落城した。黄祖は身一つで逃亡したが、孫権配下の騎兵である馮則(生没年不詳)に首を斬られ死亡した。一兵卒の氏名が記録されるのは異例であり、孫堅が戦死した191年から実に16年後、最初に夏口に孫策が攻め込んでからでも9年間もの間戦い続けた黄祖が、孫家政権にとって重要な敵であったことを示している。

