黎聖宗
黎聖宗の最新ニュースをまとめて検索!
| 姓名 | 黎思誠(黎灝) |
| 廟号 | 聖宗 |
| 諡号 | 崇天広運高明光正至徳大功聖文神武達孝淳皇帝 |
| 陵墓 | 昭陵 |
| 王朝 | 後黎朝 |
| 年号 | 光順 1460年-1470年 洪徳 1470年-1498年 |
| 生没年 | 1442年-1497年 |
| 在位 | 1460年-1497年 |
黎聖宗(れいせいそう、レ・タイントン、ベトナム語:Lê Thánh Tông、1442年7月25日 - 1497年3月3日)は、ベトナム後レ(黎)朝(Nhà Hậu Lê)大越国の第5代皇帝(在位:1460年 - 1497年)。第2代皇帝黎太宗(レ・タイトン)の四男。聖宗は廟号で、実名は黎思誠(レ・トゥ・タイン、Le Tư Thánh)。諡号は淳皇帝。
父レ・タイトンの暗殺後の混乱の中、クーデタにより1460年に即位。中国の制度にならい、中央政府に六部を設置、科挙制度を導入。地方制度も整え、均田制を執行。律令を制定するなど行政制度の整備に尽くした。また軍制改革も行い、南ベトナムのチャンパ王国の侵入を退けて逆に親征し、首都ヴィジャヤを陥落させるなどの成果をあげ、黎朝のチャンパへの優位を確たるものとした。またラオスのランサン王国へも親征し、黎朝の最大版図を築く。タイントンの時代はまさに黎朝の全盛期であった。文化的にも呉士連(ゴ・シー・リエン)がそれまでのベトナム史書の集大成である編年体の通史「大越史記全書」を完成させ、タイントンに献上している。死後は子の憲宗が跡を継ぐが、黎朝は次第に衰退期に入ることになった。
ホーチミン市(旧サイゴン)には彼の名を冠した「レタイントン通り」がある。
[編集] 子女
[編集] 男子
- 憲宗 黎暉
- 梁王 黎銓
- 宋王 黎鏦
- 唐王 黎鎬
- 建王 黎鑌(黎昭宗により徳宗建皇帝と追尊された)
- 福王 黎錚
- 演王 黎(金忌)
- 廣王 黎鐰
- 臨王 黎鏘
[編集] 参考文献
- 『アジア歴史事典 5』(平凡社、1984年)182ページ「聖宗」(執筆:藤原利一郎)
- 『東洋歴史大辞典 中巻』(1941年、縮刷復刻版、臨川書店、ISBN 465301471X)695ページ「聖宗」(執筆:小林知生)
|
|
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.

