黒ネコのタンゴ
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| 黒ネコのタンゴ | |||||
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| 皆川おさむ の シングル | |||||
| B面 | ニッキ・ニャッキ | ||||
| リリース | 1969年10月5日 (オリジナル盤) 1999年4月7日 (8cmCD) |
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| ジャンル | 童謡(歌謡曲) | ||||
| レーベル | フィリップス | ||||
| チャート最高順位 | |||||
| 皆川おさむ シングル 年表 | |||||
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黒ネコのタンゴ(くろネコのタンゴ、黒猫のタンゴ、黒ねこのタンゴ)は、イタリアの童謡コンテスト「第11回(1969年度)ゼッキノ・ドロ」(ゼッキーノ・ドーロとも表記される)(it:Zecchino d'Oro (1969))の第3位入賞曲。皆川おさむのデビュー曲でもある(1969年10月5日発売)。
目次 |
[編集] 概要
原題は "Volevo un gatto nero"(黒いネコがほしかった)、作詞はフランチェスコ・パガーノ(Francesco Pagano)ことマリオ・パガーノ(Mario Pagano)、アルマンド・ソリチッロ(Armando Soricillo)、フランチェスコ・サヴェリオ・マレスカ(Francesco Saverio Maresca)、作曲はフランチェスコ・パガーノ。オリジナル歌手はヴィンチェンツァ・パストレッリ(Vincenza Pastorelli)。原題の示すとおり、自分は黒ネコが欲しいと言ったのに友達がくれたのは白ネコだったというのがオリジナルの歌詞の内容である。
見尾田みずほが日本語の詞を付けて邦題を「黒ネコのタンゴ」とし、小森昭宏が編曲した。たまたま皆川おさむの叔母である皆川和子が主宰するひばり児童合唱団に日本語版リリースのオファーが来たことから皆川おさむが歌うことになった。フィリップスからシングル盤『黒ネコのタンゴ』が発売されるとオリコンで14週連続1位を記録、シングルセールスは公称260万枚[1](資料によっては230万枚[2][3])の大ヒットとなった(1969年の年間第5位・1970年の年間第1位)。ニッポン放送のラジオ番組「オールナイトニッポン」が日本におけるヒットの発信源とされる[4]。なお、この日本語版の歌詞はオリジナルの歌詞とはかなり異なっており、共通点は黒ネコが登場することぐらいである。また、この曲は世界6か国語の歌詞がつけられて発売され、全世界でのレコード売上は400万枚に達した[4]。
皆川おさむによるシングル盤「黒ネコのタンゴ」は発売当時のコピーが「大人のための子供の歌」であったように、童謡という扱いではなく歌謡曲のシングルとして発売された。そのためか、童謡のレコードでは非課税扱いだった物品税が「黒ネコのタンゴ」では課税対象となっていた。
皆川おさむは「黒ネコのタンゴ」をレコーディングした当時、「タンゴ」が音楽用語とは知らず、ネコの名前だと思っていたそうである。
1999年4月7日に皆川おさむの楽曲が「だんご3兄弟」のカバーと両A面シングルとしてシングルCDで発売され、オリコン最高40位を記録した。これに伴い、「黒ネコのタンゴ」は1999年4月19日付オリコンシングルチャートで1970年7月12日付以来1501週後の再チャートインという記録を達成した。
1974年には「ママとあそぼう!ピンポンパン」の挿入歌として石毛恭子にカバーされた。童謡集などでは、稲村なおこ、大和田りつこらも歌っている。また、コロムビアゆりかご会によるコーラスバージョンやCHOCOLATE FASHIONによるバージョン、The Phanky OKstraによるヒップホップバージョン(曲名は『TPOの黒ネコのタンゴ』)などがある。2005年には時東ぁみがミニアルバム『①さなぎのバスローブ』でカバー。2002年には、星野隆子がイタリア語の原歌詞でカバーした。2008年には大橋のぞみがアルバム『ノンちゃん雲に乗る』でカバー。
現在ではタンゴの定番曲の1つにもなっており、様々な音楽家によって演奏されている。ドイツの名門コンチネンタル・タンゴ楽団、アルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラも取り上げた(2000年発売のアルバム『真珠採りのタンゴ』に収録)。変わったところでは、リチャード・クレイダーマンによるピアノ演奏バージョンやザ・カミカゼによるディスコアレンジバージョンも存在する。
2008年には、アニメ『ケロロ軍曹』のエンディングテーマとして、皆川とひばり児童合唱団によるパロディ曲「ケロ猫のタンゴ」が登場している。
[編集] ニッキ・ニャッキ
皆川おさむ版『黒ネコのタンゴ』のシングルB面。こちらも第11回ゼッキノ・ドロの入賞曲である。原題は "Nicchi Sgnacchi Mucchi Mucchi"。オリジナルの作詞・作曲はアントニオ・ヴェントゥリーニ(Antonio Venturini)、日本語詞は山上路夫。
発売当時はあまり話題にならなかったが、約10年後、「ママとあそぼう!!ピンポンパン」の挿入歌としてビッグ・マンモスによってカバーされリバイバルヒットした。1990年–1991年にTBSラジオで放送されていた「錦織一清のスーパーギャング」のOPとEDで使われた。
2002年に「おさかな天国」で有名な柴矢裕美がカバーしている。
[編集] ヒットの影響
発売当時6歳10か月だった歌手、皆川おさむの大ヒットによって様々な子供歌手がレコード会社各社からデビューし[3]、1970年の日本の歌謡シーンは「子供歌手ブーム」が訪れた。当時レコードデビューした子供歌手にはキャロライン洋子、斎藤浩子、瀬戸内アケミ、ジミー・オズモンドなどがいる。
しかし、「黒ネコのタンゴ」を超える子供ソングのヒットが登場しなかったこともあり、次第に子供歌手ブームは終息していった。
[編集] アンサーソング
森あきよが東芝レコードから「ドラネコのゴーゴー」(作詞:足柄金太、作曲:鈴木邦彦)という「黒ネコのタンゴ」のアンサーソングをリリースし、3万枚のセールスを記録した。B面は「黒ネコのタンゴ」のカバーであった。
[編集] イタリア・日本以外でのヒット
日本で「黒ネコのタンゴ」がヒットした直後、フィンランドでも子供の歌手 Jaana ja Tiina が "Mustan Kissan Tango"(=黒ネコのタンゴ)という曲名で歌ってヒットさせた。日本でのヒットを受けて発売されたためか、サビ部分に「日本から私たちのとこもに飛んできた」という内容があり、現地では日本の歌だと誤解されることがある。
フランスでは1972年にÉric Berdaという子供歌手が、"Je veux vivre tango"(タンゴのように生きたい)としてカバーしてヒット。皆川おさむ版も "BLACK CAT TANGO" として発売された。
デンマークでは "Min Kat Den Danser Tango" というタイトルで知られており、1999年には女性デュオのCreamyがアルバム "Creamy" でカバーしている。
韓国では、1995年にラップグループのターボ(ko:터보、Turbo)が「검은 고양이 네로」(邦題:「黒猫のネロ」)としてカバーしてヒットした。2005年にカサ&ノバ(카사앤노바、카사&노바、Casa&Nova)がリメイクしている。
台湾では1999年に女性3人グループのKissが、"Shut Up" としてカバーしてヒットした。シングルCDのカップリングは朴志胤の "Steal Away" のカバー「当机情人」だった。
[編集] 脚注
- ^ 広告景気年表:1969年
- ^ 長田暁二『昭和の童謡アラカルト―戦後編』ぎょうせい、1985年、208頁。ISBN 4324001243
- ^ い ろ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、231頁。ISBN 4390116495
- ^ い ろ 『産経新聞』1999年4月3日付東京夕刊、1999年4月10日付大阪夕刊
[編集] 関連項目
- 黒ニャゴ
- チンチンポンポン(Cin cin Pon pon) - 「黒ネコのタンゴ」と同じゼッキノ・ドロ入賞曲
- およげ!たいやきくん
- ピンポンパン体操
- おどるポンポコリン
- だんご3兄弟
- おさかな天国
- 1969年の音楽
- 1970年の音楽
- The Phanky OKstra
[編集] 外部リンク
- 世界の民謡・童謡 ソングブック 黒ネコのタンゴ
- オリジナルの歌詞
- オリジナルの歌詞と日本語訳
- 皆川おさむ版の歌詞とジャケット(日本版とフランス版の両方あり)
- フィンランド語版の歌詞(かなり下の方にある)
- フランス語版の歌詞
- フランス語版のジャケット
- ターボの「黒猫のネロ」の歌詞
| オリコン週間シングルチャート第1位 1969年11月10日付 - 1970年2月9日付(14週連続) |
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| 前作: 弘田三枝子 『人形の家』 |
皆川おさむ 『黒ネコのタンゴ』 |
次作: 内山田洋とクール・ファイブ 『逢わずに愛して』 |
| オリコン年間シングルチャート第1位 1970年度 |
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| 前年: 由紀さおり 『夜明けのスキャット』 |
皆川おさむ 『黒ネコのタンゴ』 |
次年: 小柳ルミ子 『わたしの城下町』 |
最終更新 2009年11月29日 (日) 18:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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