黒塚
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黒塚(くろづか)は、福島県二本松市にある鬼婆の墓、及びその鬼婆の伝説。安達ヶ原に棲み、人を喰らっていたという「安達ヶ原の鬼婆(あだちがはらのおにばば)」として伝えられている。黒塚の名は正確にはこの鬼婆を葬った塚の名を指すが、現在では鬼婆自身をも指すようになっている[2]。能の『黒塚』に登場する鬼女も、この黒塚の鬼婆だとされる。
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[編集] 概要
その昔、岩手という女性が京都の公家屋敷に乳母として奉公していた。だが、彼女の可愛がる姫は生まれながらにして不治の病におかされており、5歳になっても口がきけないほどだった。
姫を溺愛する岩手は何とかして姫を救いたいと考え、妊婦の胎内の胎児の生き胆が病気に効くという易者の言葉を信じ、生まれたばかりの娘を置いて旅に出た。
奥州の安達ヶ原に辿りついた岩手は岩屋を宿とし、標的の妊婦を待った。長い年月が経ったある日、若い夫婦がその岩屋に宿を求めた。女の方は身重である。ちょうど女が産気づき、夫は薬を買いに出かけた。絶好の機会である。
岩手は出刃包丁を取り出して女に襲い掛かり、女の腹を裂いて胎児から肝を抜き取った。だが女が身に着けているお守りを目にし、岩手は驚いた。それは自分が京を発つ際、娘に残したものだった。今しがた自分が殺した女は、他ならぬ我が子だったのである。
あまりの出来事に岩手は精神に異常を来たし、以来、旅人を襲っては生き血と肝をすすり、人肉を喰らう鬼婆と成り果てた。
それから数年後。紀州の僧・東光坊祐慶が安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、岩屋に宿を求めた。岩屋にいた鬼婆は薪を拾いに行くと言い、奥の間を覗かぬよう祐慶に忠告して岩屋を出た。祐慶が好奇心から奥の間を覗くと、そこには人間の頭蓋骨、手足、内臓などが散乱していた。鬼婆の正体に感づいた祐慶は岩屋を逃げ出した。
岩屋に戻った鬼婆は祐慶の逃走に気づき、猛烈な速さで追いかけた。祐慶のすぐ後ろまでせまる鬼婆。絶体絶命の中、祐慶は旅の荷物の中から如意輪観世音菩薩を取り出して必死に経を唱えた。すると雷鳴が轟き、鬼婆は雷に打たれて絶命した[3][4][5]。祐慶が鬼婆の死に様を見たところ、安らぎを取り戻したかのようにその顔から狂気が消えており、穏やかな死に顔になっていた[6]。祐慶は鬼婆を阿武隈川のほとりに葬り、その地は「黒塚」と呼ばれるようになった[4]。
安達ヶ原と同様の鬼婆の伝承は埼玉県大宮市(現・さいたま市)にも「黒塚の鬼婆」として伝わっており、寛保時代の雑書『諸国里人談』によればこちらが本家とされる。しかし実際には、類似の鬼婆の伝承は日本各地に伝わっている[5]。
また、鬼婆の顛末については、以下のような別説もある。
- 祐慶の菩薩像が空へ舞い上がり、光明を放ちつつ破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて射ち、鬼婆を仕留めた[7]。
- 鬼婆は祐慶に正体を見破られたために逃走したが、祐慶が追いかけ、首を斬って退治した[8]。
- 鬼婆は殺されたのではなく、高僧に改心させられて仏教へ帰依した[9]。
- 祐慶は追いかけてくる鬼婆から必死に逃げ、夜が明けたのでそのまま逃げ切り、命が助かった[1]。
[編集] 史跡その他
ファイル:Kuroduka.jpg 黒塚の近くには祐慶が観音を祀るために寺を建てたといわれ、これが現在でも二本松市にある真弓山観世寺とされる。同寺の敷地内には鬼婆像の他、鬼婆の墓や、鬼婆の住んでいた岩屋、血で染まった包丁を洗ったという池が残されており、観光客も多い[4][10]。伝説は時を経てなお人々の心に恐怖と哀しみを与え続けているといわれ、俳人・正岡子規もこの寺を訪れ「涼しさや聞けばむかしは鬼の塚」と詠んでいる[3]。また観世寺にある如意輪観世音菩薩の胎内には、祐慶が鬼婆退治に用いたとされる如意輪観世音菩薩が埋め込まれており、60年ごとに開帳される[6]。
二本松市内の観光施設「安達ヶ原ふるさと村」では、この鬼婆伝説を再現した「黒塚劇場」が開催される他[11]、本来の伝説のおどろおどろしさを払拭すべく、鬼婆の姿を二頭身にディフォルメした「バッピーちゃん」をイメージキャラクターとする他、様々な工夫がなされている[12]。
宮城県の東光院という寺には、この鬼婆のものとされる頭蓋骨が伝えられていたが、現在は廃寺となっており、祐慶の子孫といわれる家に保管されている[13]
[編集] 平兼盛の短歌
陸奥の安達が原の黒塚に鬼籠もれりと言ふはまことか
と詠んでいる(『拾遺和歌集』巻九・雑下)。これは黒塚に住む三十六歌仙の1人・源重之の姉妹たちに対して兼盛が送った恋歌であり、姉妹たちを「鬼」とたとえたのは一種の洒落とされる[14]。
兼盛の時代以前より黒塚の鬼婆伝説が存在し、兼盛はそれを下敷きとしてこの歌を作ったといわれるが[15]、逆に歌の方が伝説より先に存在し、この歌が後に文字通りの意味に解釈され、黒塚に鬼婆が住むという伝説が生まれたという説もある[14]。
[編集] 脚注
- ^ い ろ 石井正巳 『図説 日本の昔話』 河出書房新社〈ふくろうの本〉、2003年、69頁。ISBN 978-4-309-76032-2。
- ^ 京極夏彦・多田克己・村上健司 『妖怪馬鹿』 新潮社〈新潮OH!文庫〉、2001年、236頁。ISBN 978-4-10-290073-4。
- ^ い ろ 人文社編集部 『諸国怪談奇談集成 江戸諸国百物語 東日本編』 人文社〈ものしりシリーズ〉、2005年、26頁。ISBN 978-4-7959-1955-6。
- ^ い ろ は 宮本幸江・熊谷あづさ 『日本の妖怪の謎と不思議』 学習研究社、2007年、42-43頁。ISBN 978-4-056-04760-8。
- ^ い ろ 村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、16頁。ISBN 978-4-620-31428-0。
- ^ い ろ 人文社編集部 『日本の謎と不思議大全 東日本編』 人文社〈ものしりミニシリーズ〉、2006年、47頁。ISBN 978-4-7959-1986-0。
- ^ 少年社・中村友紀夫・武田えり子編 『妖怪の本 異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説』 学習研究社〈New sight mook〉、1999年、63頁。ISBN 978-4-05-602048-9。
- ^ 『妖怪の本』、198頁。
- ^ 山口敏太郎監修 『本当にいる日本の「未知生物」案内』 笠倉出版社、2005年、49頁。ISBN 978-4-7730-0306-2。
- ^ "黒塚". 『怪』-KWAI Network-. 角川書店. 2008-02-15 閲覧。
- ^ "黒塚劇場". 安達ヶ原ふるさと村. 安達町振興公社. 2008-09-09 閲覧。
- ^ 宮本幸枝著 村上健司監修 『津々浦々「お化け」生息マップ - 雪女は東京出身? 九州の河童はちょいワル? -』 技術評論社〈大人が楽しむ地図帳〉、2005年、64頁。ISBN 978-4-7741-2451-3。
- ^ 三津田信三編 『日本怪奇幻想紀行 一之巻』 同朋舎、2000年、59-65頁。ISBN 978-4-8104-2614-4。
- ^ い ろ 笹間良彦著・瓜坊進編 『絵で見て不思議! 鬼ともののけの文化史』 遊子館、2005年、138頁。ISBN 978-4-946525-76-6。
- ^ "熊野の説話/謡曲「黒塚」". み熊野ねっと (2004-05-20). 2008-02-15 閲覧。



