黒沢俊夫

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黒澤 俊夫
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府
生年月日 1914年6月10日
没年月日 1947年6月23日(満33歳没)
身長
体重
174cm
68kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 外野手
経歴(括弧内は在籍年)

黒澤 俊夫(くろさわ としお、1914年6月10日 - 1947年6月23日)は、大阪府出身のプロ野球選手外野手)。

[編集] 来歴・人物

旧制大阪府立八尾中学校から旧制関西大学へ進学。1936年名古屋金鯱軍に入団し春季大会より参加。1941年に名古屋金鯱軍が翼軍と合併したため、合併球団の大洋軍→西鉄軍へ移籍。1944年には人員不足のため供出選手として東京巨人軍トレード移籍。この1944年、1946年は主軸打者として活躍した。俊足の外野手で、歴代2位となる通算10個のホームスチールを成功させ、一部野球ファンからは「ホームスチールの神様」と呼ばれている(歴代1位は与那嶺要の11個)。

1947年のシーズン中、腸チフスを発病し6月23日に急死(享年33)。現役選手のまま病死するという異例の事態に球団は球団葬を行った。黒沢の着けていた背番号4は巨人軍の永久欠番となった。黒沢の欠番については、ほとんどの主力選手を軍隊に取られた戦時下の巨人に球団史上初のトレードで移籍後、4番を打ち、戦後も病に倒れるまで5番・6番打者として活躍した本人への感謝の意として千葉茂を中心とする選手有志が提案し、沢村栄治と共に欠番になった。黒沢が遺言として「自分が死んだら、巨人軍のユニフォームのまま葬って欲しい」と残した。

マンガの世界においても、やはり背番号4をつけた「侍ジャイアンツ」の番場蛮が現役選手のまま死亡した。

2006年東京ドームに永久欠番のプレートが掲示された時、親類者を捜索したが見つからず、関係者不在でのセレモニーとなった。2007年には期間限定で、現在のホームユニフォームをアレンジした形で、ユニフォームが巨人の公式ホームページの通販コーナーで予約発売された。

[編集] 年度別打撃成績

年度 チーム

試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
塁打 打点 盗塁

犠打 犠飛 四球 死球 三振 失策 打率 長打
1936年 金鯱 4 12 48 8 15 3 0 0 18 5 3 0 0 0 9 0 3 2 .313 .375
1936年 25 89 11 22 3 0 0 25 7 4 0 0 0 20 0 14 1 .247 .281
1937年 56 200 34 59 7 2 1 73 16 17 0 0 0 51 0 15 2 .295 .365
1937年秋 48 165 25 46 10 5 2 72 26 15 0 3 0 31 3 12 4 .279 .436
1940年 3 53 191 19 43 6 0 1 52 28 2 0 0 2 27 0 13 4 .225 .272
1941年 大洋 40 147 8 29 2 1 0 33 5 3 0 2 0 17 0 12 1 .197 .224
1943年 西鉄 84 306 25 58 8 3 0 72 32 4 3 6 0 42 0 20 2 .190 .235
1944年 巨人 18 35 135 23 47 6 4 0 61 17 14 6 2 0 24 0 7 2 .348 .452
1946年 4 105 393 61 121 8 8 3 154 60 18 2 4 0 69 1 31 5 .308 .392
1947年 26 95 2 19 3 0 0 22 5 0 2 0 0 11 0 8 0 .200 .232
通算成績 484 1769 216 459 56 23 7 582 201 80 13 17 2 301 4 135 23 .259 .329

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月5日 (木) 11:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【黒沢俊夫】変更履歴

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