黒田慶樹
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黒田 慶樹(くろだ よしき、昭和40年(1965年)4月17日 - )は、日本の地方公務員(東京都庁職員)、今上天皇の女婿。
夫人は今上天皇の第一皇女・紀宮清子内親王(現:黒田清子)。学歴は学習院大学法学部卒業。学位は法学士。 黒田家は、親戚筋に旧華族・皇族につながる人がいるが、黒田慶樹自身の流れの中には、旧華族関係者はいない。
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[編集] 経歴
父・黒田慶次郎と母・寿美子の長男として生まれる。学習院時代は秋篠宮文仁親王の学友であった。
昭和63年(1988年)学習院大学法学部卒業(法学士)。その後、祖父慶太郎の三井物産や父のトヨタ自動車とも強い結びつきを持つ三井銀行(現三井住友銀行)に入行した。平成8年(1996年)、31歳の時退職。翌年より、東京都庁に勤務。在学中に父親と死別しており、母親のために転勤の少ない職種の地方公務員として、都市整備の仕事を望んだからとされる[要出典]。結婚の平成17年(2005年)時点では都市整備局の次席(係長級)。
大学卒業後も秋篠宮家とは交流があり、文仁親王と川嶋紀子の結婚に際して、友人として取材を受けたりした。また秋篠宮邸での友人・知人の集まり「さんまの会」にも招かれていた。平成15年(2003年)1月、この集まりの中で、顔見知りであった紀宮清子内親王と再会[1]。2年余りかけて交際を深めた。秋篠宮自身が後に記者会見で、「最初二人が会うきっかけを作ったのは私でありますし、それから、二人が会ったうちの何回か、場所を提供したのも事実であります」等と逸話を語った[1]。交際に際しては、連絡手段にメールや手紙を用い、特に手紙は秋篠宮が双方に届けたと言う[2]。
平成16年(2004年)11月、清子内親王との婚約内定が報道され、一躍話題の人となる。同年12月30日に、婚約内定が宮内庁より正式発表。3月19日の納采の儀(婚約)、10月5日の告期の儀を経て、11月15日に日比谷の帝国ホテルで結婚式と披露宴が行なわれた。
清子内親王は結婚に伴い、翌16日に皇統譜より除籍され一民間人の黒田清子となった。結婚後、慶樹も清子夫人に同伴し、天皇家のごく内輪の集まりに出席することがある。
[編集] 人物像
内親王の結婚相手としてはかつての皇族・華族と近い血縁関係を持たない初めての人物である。
カーマニアであり、ロータス・エリーゼを愛す。またカメラも趣味の一つであり、たびたび都内のカメラ店で目撃されている。アンティークのものを好む。
友人からの愛称は『クロちゃん』である[3]。
[編集] 発言から
- 「それ相応の通信手段を用いまして…」- 清子内親王との連絡方法について
- 11月14日、婚約報道の際、自宅前での取材に対し
- 「ご自分の考えをしっかりとお持ちになりながら、ゆったりと他人を許容することのできる寛さを持っておられるところや、物事に誠実でいらっしゃるというところ」
- - 清子内親王の感じる慶樹の魅力について
- 「宮さまには、これからの生活の多くが新しいことで、ご不安をお感じになることも多くおありかと存じますけれども、私といたしましては、できる限りのことをさせていただきたいと存じております」
- - 内親王と結婚する心境について
- 以上、平成16年(2004年)12月30日・婚約内定に際する記者会見より
[編集] 系譜
- 黒田家
- 祖父黒田慶太郎は現在の大阪府堺市に黒田吉三郎の長男として生まれ、東京高等商業学校(現一橋大学)に学び、卒業後は三井物産に入社。後に上海租界を代表する日系紡績会社、上海紡績(シャンボウ)の代表取締役会長をつとめた。慶太郎には二男六女があり、長男は秋月家から妻をむかえ、長女は税所家に嫁いだ。秋月家、税所家ともに旧華族(子爵家)である。父慶次郎は学習院初等科を経て学習院大学を卒業後、慶太郎の上海租界の人脈の関係からトヨタ自動車に勤務。慶樹が大学3年のとき、ガンにより死去した。母寿美子の実家は東京・神田の呉服問屋である。なお江戸時代の大名家で華族の黒田氏(近江源氏・筑前福岡藩主および丹党中山氏・上総久留里藩主)とは一切無関係である。
税所篤満 ┃ ┏徳子 ┃ 黒田慶太郎━━╋黒田慶次郎━━黒田慶樹 ┃ ┗黒田慶一郎 ┃ 秋月種秀━━治子
[編集] 脚注
- ^ 平成16年12月30日・婚約内定に際する記者会見より
- ^ 「紀宮さまと黒田さん、メールで愛育む 秋篠宮さまが仲介」2004年11月15日、朝日新聞
- ^ 幼なじみ「クロちゃん」「サーヤ」(2004年11月15日・中日スポーツ) - アーカイブ
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月3日 (火) 20:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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