国鉄12系客車

国鉄12系客車の最新ニュースをまとめて検索!

スハフ12形(2004年5月1日、木ノ本駅
オハ12形(2004年5月1日、木ノ本駅)

国鉄12系客車(こくてつ12けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1969年昭和44年)から1978年(昭和53年)まで、合計603両を製造した急行形座席客車のグループである。

当初から冷房装置を搭載し、また自動ドアの客車初採用などの改良で、旅客サービスや安全面の向上に大きな成果を挙げた。このほか、客車初の分散ユニット型電源システムによる電源供給の効率化が図られ、2段式ユニット窓やFRP部材の採用などでコストダウンをも図るなど、多くの技術面でその後の国鉄客車の基本となった車両である。

目次

[編集] 開発の経緯

当初は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)輸送を念頭に、臨時列車団体列車を含めた波動輸送用車両として製造された。

既に、電車気動車が旅客輸送の主力となっていた時期であるが、あえて客車として製作された。その理由は以下の通りである。

  • 臨時列車・団体列車等は多客期のみの運転であり、閑散期には車両を車庫で留置しておかざるを得ない。このような用途に、動力装置を持つ電車・気動車を増備することは製造・保守のコストがかかる。
  • 当時、戦前に製造された客車が多数在籍していたが、その老朽化による車両自体の取り替え需要が生じてきた。一般型の座席客車は、10系客車のナハ11形・ナハフ11形が1959年(昭和34年)に製造終了して以来、増備されていなかった。
  • 1960年代中期以降、急行用電車・気動車においては普通車の冷房化が始まっており、客車についても時流に応じる必要があった。
  • 10系客車までの在来型客車は、電気機関車ディーゼル機関車を牽引に用いる場合、暖房を使用する時期には牽引機関車が限定される問題があった。暖房用蒸気を供給するボイラー(蒸気発生装置)付旅客用機関車で牽引するか、別にボイラーを搭載した暖房車を連結する必要があり、電気暖房の場合は暖房電源供給設備(EG)のある機関車が必要だった。一方で、多客時は貨物列車の運転が減少するため、貨物用の機関車を活用することをも目的とした。逆に言えば、12系では暖房は客車側の電源設備で対応することによって、牽引する機関車を選ばない車両として開発された。

[編集] 概要

空気バネ台車を標準装備したTR217台車(2007年9月2日、多度津駅)
スハフ12の室内(2007年3月31日、浜坂駅)

本系列は冷暖房手段を機関車に依存せず、分散式のユニットクーラーと電気暖房装置を全車両に設置し、電源としてディーゼル発電機緩急車スハフ12形の床下に設置した。暖房用ボイラーや電源供給装置を持たない貨物用機関車でも常時牽引できるようになったので、貨物列車の運転が少ない時期に機関車の有効活用が可能になった。ただし、照明放送装置などのサービス電源は、旧型客車同様に車軸発電機からの電源で賄っている。

車体は、在来客車の流儀を脱却し、急行形電車の設計を基本的に踏襲して車体幅を約10cm拡大、2.9m級となった。また、車体長も20.8m(全長21.3m)に拡大して座席間隔を1,580mmに広げ、腰掛自体も人間工学を考慮した形状改良を行っている。

その他の改良点は以下のとおりである。

  • 全車に空気バネ台車を標準装備(新開発のTR217系台車)。乗り心地を改善した。
  • 新開発のCL形応荷重機構付自動ブレーキ装置の採用=ブレーキシュー材質は、従来の鋳鉄に代わり、高速域からの安定した制動力が得られるレジン樹脂に変更。併せて自動ブレーキ機構は、従来の滑り弁(A制御弁)をやめ、よりメンテナンスフリーで作動迅速なゴム膜板を使用した三圧式制御弁(KU1制御弁、C17ブレーキ制御装置)に変更。通常の自動ブレーキ配管・空気圧で、従来の客車より15kmプラスの最高速度110km/h運転可能となった。20系は既に110km/h運転可能だったが、鋳鉄制輪子で可能としたことから、高速域で高いブレーキシリンダ圧力を必要とするため、機関車が編成増圧ブレーキ制御の出来る電磁ブレーキ制御機構と、元空気だめ管引き通しを持つ必要があった。
  • 国鉄客車としては初めて自動ドアを採用。電車・気動車並みの安全性を確保した。
  • 2段式のユニット窓を初めとする合理化された構造を随所に取入れた。同時期の電車や気動車にならったもので、生産性や整備性を改善している。
  • 旧型客車と混結して運用することを想定し、蒸気暖房の引き通し管および電気暖房の引き通し線を装備している。このため、機関車と旧型客車の間に本系列が連結された場合でも、旧型客車への暖房供給が可能となっている。

これらの要素は、それ以前の旧型客車や10系、20系とは一線を画すもので、12系以降に登場した特急用の14系24系客車にも、その多くが踏襲されている。

[編集] 形式

12系客車の新造形式は、スハフ12形・オハフ13形・オハ12形の3形式のみではあるが、製造時期によって仕様は異なる。さらに国鉄末期には、大量に発生した余剰車をベースに、普通列車仕様化やジョイフルトレインへの改造、また民営化以降はアコモデーション改善改造等が行われ、形式・番台区分が一層細分化されている。

[編集] 新製車

スハフ12形

臨時列車の使用を考慮しており、グリーン車は設定せず、普通車のみとしている。そのため形式は、電源装置付き緩急車のスハフ12形、編成中間に連結するオハ12形、電源装置なし緩急車のオハフ13形のみである。

製造時期によって仕様が異なり、細かく分別すると、実に9次車まで存在する。大まかに分別すると以下の4つのグループに分けられる。

試作車では、ディーゼル発電機による電源供給量は客車5両分の150kVAであった。しかし、当時の国鉄では6両編成ないし12両編成を1単位とする運用が多く、編成の際にはスハフ12形が過剰に必要となり不経済であった。このため、量産車の電源容量は6両分の180kVAに引き上げられ、さらに100番台以降は210kVAにまで引き上げられた。あわせて燃料タンクの容量も長距離運用に対応させるため、860Lから1500Lに増強するなどの措置が行われている。

[編集] 試作車

1969年(昭和44年)に製造された最初のグループである。新潟鐵工所および富士重工業でスハフ12形8両とオハ12形20両が製造された。その後に量産された車両とは電源機関などが異なっていたが、1972年(昭和47年)に、全車が高砂工場で量産車と同一仕様に改造された。

スハフ12 1 - 8
1969年に8両製造された試作車。電源装置はDMF15H-GディーゼルエンジンとDM82発電機を組み合わせた出力150kVAのもので、自車を含め5両に給電可能であったが、量産化改造により180kVA、6両給電となった。
オハ12 1 - 20
1969年に20両が製造された試作車。

[編集] 量産グループI

1970年(昭和45年)に製造されたグループである。12系は6両編成単位で運用することが多かったため[1]、スハフ12形の電源機関は自車を含む6両給電可能なものとなり、新形式として電源機関なしの緩急車であるオハフ13形が登場した[2]。また試作車では、側面行先表示器が28コマ表示であったが、量産車では70コマ表示に改良された。製造は、新潟・富士のほかに日本車輌製造も加わっている。

スハフ12 9 - 64
1970年に56両が製造された。電源装置のエンジンをDMF15HS-Gに変更し、容量は150kVAから180kVAに上げられ、燃料タンクを860L→1500Lに増量した。
オハフ13 1 - 50
1970年に50両が製造された。
オハ12 21 - 214
1970年に194両が製造された。

[編集] 量産グループII

1971年(昭和46年)に製造されたグループである。台車および暖房回路、トイレ・洗面所のユニットが改良されるとともに、屋根の塗色をねずみ色1号に変更した。メーカーは、引き続き新潟鐵工所、富士重工業、日本車輌製造の3社である。

スハフ12 65 - 90
1971年に26両が製造された。台車をTR217C形に変更している。
オハフ13 51 - 76
1971年に26両製造された。台車をTR217B形に変更している。
オハ12 215 - 312
1971年に98両が製造された。台車をTR217B形に変更している。

[編集] 量産グループIII

ファイル:Pc12 suhafu12 100.jpg 12系の製造は1971年以降打ち切られていたが、6年後の1977年(昭和52年)に再開され、翌1978年(昭和53年)まで製造された。スハフ12形は新区分番台の100番台となっている。

スハフ12 101 - 163
1977年 - 1978年に63両が製造された。電源機関をDMF15HZ-G形に、発電機をDM93形に変更。これにより容量が210kVAへ増強。また冷房装置をAU13AN形に、空気圧縮機をC400A形に、台車をTR217D形に変更。新たに前位妻側に尾灯設置し、さらに車内には冷水器を設置。また、1972年に発生した北陸トンネル火災事故の教訓から火災対策が強化されており、床を合板床からアルミに、車内の布製品を難燃性に変更している。さらに149 - 163は、後位側と緩急室窓を、当時量産が開始された50系と共通化し、幌は収納式から外吊の普通型へ、緩急室後方の監視窓は縦長に、それぞれ変更された。
オハ12 313 - 374
1977年 - 1978年に62両製造された。冷房装置をAU13AN形に、台車をTR217C形に変更。

[編集] 改造車

[編集] 1000番台

スハフ12形1000番台

非冷房で手動ドアであるなど、安全性や接客設備の面で陳腐化した旧型客車の置き換え用として、1984年から1986年にかけて鷹取工場、松任工場、幡生・広島・後藤の各車両所で計47両が改造された。比較的初期の車両を中心に改造されている。

山陰地区播但線七尾線等で使用され、国鉄の分割・民営化後は、全車が西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された。基本的なシステムはオリジナル車から変更されていないが、一般車との混結に備えて客車用の直流24V電源引通し線が増設され、また普通列車運用のため、50系客車や同時期に行われた交直流急行形電車の近郊形改造同様に、車内車端部の2ボックスをロングシート化し、吊り手を設けた。また、塗色も白帯がなくなり一般客車同様の青一色となったが、これには塗色更新をせずに元々あった白帯を同色の青で塗り重ねただけのものもあった。七尾線用の車両は行先表示器を撤去して、側面中央部窓下にサボ受けを設置した。仕様通りに一般車との混結も見られたが、最終的には使用線区の気動車列車化により、1997年(平成9年)までに全廃され、区分消滅した。

元々が急行・団体臨時用車両で、車端部デッキは拡張されなかったため狭い自動折戸から乗降しなければならず、ことにラッシュ時には乗降に円滑さを欠いていた。しかし在来車が非冷房車ばかりであった地方線区では、乗り心地の良い冷房車として乗客の好評を得た。

スハフ12 1001 - 1012
スハフ12形の1000番台化改造車。12両が改造された。種車(改造元車両)は順にスハフ12 26・27・90・24・46・21・37・23・72・73・30・65である。トイレは使用停止のうえ閉鎖し、洗面台と冷水器を撤去、車掌室には乗務員扉が新設された。定員は22名増の112名(座席定員76名)。
オハフ13 1001 - 1012
オハフ13形の1000番台化改造車。12両が改造された。種車は順にオハフ13 22・23・1・42・34・8・10・17・52・2・11・12。スハフ12形と同様、トイレは使用停止のうえ閉鎖し、洗面台と冷水器を撤去、車掌室に乗務員扉を新設。同じく定員は22名増の112名(座席定員76名)。
オハ12 1001 - 1023
オハ12形の1000番台化改造車。23両が改造された。種車は順にオハ12 87 - 91・74・96・97・49・72・73・143・146・189~191・203・163・164・193・194・206・210。トイレと洗面所は残された。定員は32名増の120名(座席定員84名)。

[編集] 2000番台

1000番台同様、旧型客車置き換え用として、1985年(昭和60年)に盛岡、土崎工場で計37両が改造された。主に一ノ関以北の東北本線奥羽本線で使用された。民営化後は全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。車内接客設備の改造内容は1000番台と同じであるが、電源システムは従来の方式に代わり、電気機関車の電気暖房用引き通し線から交流1500Vの給電を受け、オハフ13形に設置した変圧器で交流440Vに降圧して給電する方式としている。そのため電源車のスハフ12形は存在せず、オハフ13形、オハ12形の2形式のみである。塗色は1000番台同様、白帯を消し青一色とした。1994年(平成6年)12月ダイヤ改正で50系客車に置き換えられて運用離脱し、1997年までに全廃された。

オハフ13 2001 - 2021
オハフ13形の2000番台化改造車。21両が改造された。種車は、順にオハフ13 66・18・40・14・57・48・55・49・38・60・37・58・46・32・53・4・5・24・67・3・45。機関車から給電を受けるため、高圧ヒューズ箱、変圧器、補助電源装置、MRコックを設置し、車軸発電機を撤去した。1000番台と同様、トイレは使用停止のうえ閉鎖し洗面台と冷水器を撤去、車掌室には乗務員扉が新設された。定員は22名増の112名(座席定員76名)。
オハ12 2001 - 2016
オハ12形の2000番台化改造車。16両が改造された。種車は順にオハ12 171・241・184・172・174・242・239・240・248・173・272・274・249・179・273・275。トイレと洗面所は残された。定員は32名増の120名(座席定員84名)。

[編集] 3000番台

1991年(平成3年)、JR西日本が急行「だいせん」「ちくま」用として鷹取、後藤工場で計18両を改造したものである。改造内容は、座席を485系電車解体時の発生品である簡易リクライニングシートへ交換し、化粧板・トイレ・洗面所のリニューアルを行った。また車軸発電機は撤去され、14系と同様の三相交流変圧器が床下に設置された。この改造により、放送や照明の電源は三相交流変圧器から供給されることとなった。「だいせん」の気動車化や「ちくま」の電車化に伴い、2003年(平成15年)に全廃された。

スハフ12 3005
スハフ12 3001 - 3006
6両を改造。種車は順にスハフ12 40・87・79・81・88・76。14系同様、車掌室側妻の貫通路開戸に列車愛称名表示器を設置。リクライニングシートへの変更により定員は16名減の64名。
オハ12 3001
オハ12 3001 - 3012
12両を改造。種車は順にオハ12 303・310・297・306・305・307・296・271・298・299・208・301。同じくリクライニングシートへの変更により定員は16名減の72名。


[編集] 1000番台(JR九州)

1993年(平成5年)、久大本線の普通列車に使用していたオハ12 288・289の2両に車掌室設置工事を施したもの。トイレ・洗面所を撤去して、その場所に車掌室を設置し、車掌室側面と妻面に窓を設けた。番号は原番号に1000を足した1288・1289に変更されたが、形式はオハ12のまま変更されなかった。1999年(平成11年)に同線の客車列車が廃止となったため、2両とも廃車となっている。

スロフ12 3(2007年9月2日、多度津駅
オロ12 9(2008年3月25日、京都駅
オロ12 10(2008年3月24日、松山駅

[編集] スロフ12形・オロ12形0番台

アイランドエクスプレス四国」が好評だったため、ジョイフル車両第2弾として1988年5月、波動輸送用として四国旅客鉄道(JR四国)高松運転所に配置されていた12系のうち、スハフ12形2両(3・6)、オハ12形4両(5・6・9・10)の計6両に対して車内設備のハイグレード化を実施したもの。竣工が早かったスハフ12形2両(3・6)と、オハ12形1両(10)は改番なし、塗装変更なしで一旦出場したものの、残り3両が出場した時点では、全車普通車からグリーン車に用途変更され、赤帯が青帯となって出場したが、番号は「ハ」を「ロ」に変更したのみである。オロ12 6・9は、固定窓で車内がカーペット敷きとなり、他の4両は座席がシートピッチ1400mm、2+1列配置、読書灯・足置き付きのリクライニングシートに取り替えられた。

  • 1988年(昭和63年)、JR1周年を記念した列車にアイランドエクスプレス四国が使用された。しかし当編成のみでは定員不足になってしまうため、増結用にスハフ12 3が、塗色をアイランドエクスプレス四国色に変更の上、スロフ12 3として使用された。高松駅 - 広島駅間を1往復走行した後、すぐに元の色(赤帯のJR四国色)へと戻された。車内は、座席がシートピッチ1400mm、2+1列配置、読書灯・足置き付きのリクライニングシートになっていた。

[編集] オヤ12形

2002年(平成14年)、JR東日本土崎工場(現・秋田総合車両センター)でスハフ12形(158)を種車として1両が改造され、オヤ12 1と改番された。同社の高崎車両センターに所属するD51 498新津運輸区に所属するC57 180を、イベント運転や点検による車両基地への入出場などで目的地まで回送する際の、同機の状態の把握や保安機器の搭載などを目的としている。外観に変化はないが、車内は一部座席を撤去し、保安機器などを搭載するスペースとしたほか、蒸気機関車の状態を把握するための装置が追加されている。2009年(平成21年)現在は、D51 498とともに高崎車両センターに在籍。

[編集] 他系列への改造車

[編集] オハ25形300番台・スハ25形

JR西日本が運転していた「あさかぜ」3・2号・「瀬戸」の接客設備の向上を図るため、1989年(平成元年)にオハ12形0番台5両を種車として改造された。3両がオハ25形300番台、2両がスハ25形300番台(1991年にオハ25形1両がスハ25形に再改造)とされた。両列車に使用される、ほかの客車に合わせて、300番台を付与されている。詳しくは24系の当該項目を参照のこと。

なお、オハ25形には他に500番台・550番台が存在するが、これらは14系寝台車あるいは24系からの改造車である。

[編集] キサハ34形

氷見線気動車列車増結用として、1992年(平成4年)にJR西日本松任工場(現・金沢総合車両所)にて4両が当系列から改造により誕生した。オハ12形1000番台改造の0番台とスハフ12形1000番台改造の500番台の2タイプが存在した。改造元はオハ12 1019・1021→キサハ34 1・2、スハフ12 1001・1003→キサハ34 501・502である。

改造内容は、トイレの撤去の他、連結器を気動車用の小型タイプへ交換し、連結幌、引き通し線の交換、氷見線色(白地に黄色・青色)への塗色変更など最小限にとどまっている。500番台車は、種車の電源エンジンもそのまま残され、自車および併結気動車への冷房電源用に使用されていた。両番台は必ず2両一組で運用され、両車間の貫通幌は客車時代のままであった。

動力を持たない付随車であることから、もっぱらキハ58形・キハ28形2両の間に挟まれた形で朝のラッシュ時に運用されていたが、キハ58系の老朽化が進んでいたことや、運用線区の利用者が減少し増結の必要がなくなったことなどから、登場からわずか4年後の1996年に全車廃車された。

[編集] キサロ59形

1989年、JR西日本ジョイフルトレインセイシェル」の中間車として改造された。種車はスハフ12 701で、キサロ59 501を名乗った。当車は前後をキロ59形に挟まれて走行した。電源用エンジンは存置され、編成全体にサービス電源を供給している。大型のリクライニングシートを備え、サロンやカウンターもあった。ジョイフルトレインの利用低迷と老朽化により運用の場を失い、2005年(平成17年)に廃車となった。

スハフ12 701「いこい」

なおスハフ12 701は、元をたどれば、1985年に福知山鉄道管理局がスハフ12 5をイベント客車「いこい」として改造した車両である[3]。半室が洋風、もう半室が和風で、ミニキッチンまで備えているが普通車扱いであった。イベント客車であるが、定期の客車列車に併結されたり、キハ58系に併結されたりして使用された。この車両は、国鉄の民営化時に運転された特別列車「旅立ちJR西日本号」の1号車に連結されたため、1号車だけ帯の色が違った車両としてTVに映るなどで、記憶に残っている人も多い。

[編集] ジョイフルトレイン・イベント車両への改造

国鉄時代末期より、本系列を改造して和式列車などのジョイフルトレインやイベント列車用車両が多数製作された。しかし車両の老朽化や需要減少、運用時の取扱の煩雑さなどから廃車が進み、東日本旅客鉄道(JR東日本)では「SLばんえつ物語」用編成以外は全廃、東海旅客鉄道(JR東海)と九州旅客鉄道(JR九州)は全廃となっている。北海道旅客鉄道(JR北海道)には、当初より12系を改造したジョイフルトレイン・イベント車両が所属していない。

各列車の詳細はジョイフルトレインを参照のこと。括弧内は在籍年。この書体は2009年(平成21年)現在も在籍していることを示す。車両番号は現在または廃車時のもの。

[編集] 和式列車

  • JR東日本
    • なごやか (1981 - 1997年) スロフ12 803・804、オロ12 805 - 808
    • お座敷列車(カヌ座)・サロン佐渡 (1981 - 2002年) スハフ12 1805・1806、オハ12 1809 - 1812、オロ12 706 (他に14系1両を含む)
    • 白樺 (1983 - 1996年) スロフ12 819・820、オロ12 837 - 840
    • くつろぎ (1983 - 1999年) スロフ12 821・822、オロ12 841 - 844 碓氷峠鉄道文化むらにスロフ12 822、オロ12 841が静態保存
    • ふれあいみちのく (1986 - 2002年) スロフ12 823・824、オロ12 845 - 848
    • 江戸 (1986 - 2000年) スロフ12 825・826、オロ12 849 - 852
    • やすらぎ (1986 - 2001年) スロフ12 827・828、オロ12 853 - 856 一部がわたらせ渓谷鐵道に譲渡され「サロン・ド・わたらせ」となる
    • オリエントサルーン (1987 - 2000年) スロフ12 829・830、オロ12 857 - 860
  • JR東海
    • いこい (1982 - 1997年) スロフ12 811・812、オロ12 821 - 824
    • お座敷列車(ナコ座) (1983 - 1999年) スロフ12 915・916、オロ12 829 - 832
  • JR西日本
    • ジョイフルトレイン (1981 - 1989年) 1989年に「いきいきサロンきのくに」に再改造
    • 旅路(1981 - 2007年) スロフ12 809・810、オロ12 817 - 820
    • お座敷列車(サワ座) (1982 - 1993年) 1993年に「わくわく団らん」に再改造
    • いこい (1985 - 1989年) スハフ12 701 1989年に「セイシェル」の中間車(キサロ59 501)に再改造
    • あすか (1987年 - ) マロフ12 851・852、オロ12 851 - 854 (他に14系1両を含む)
マロフ12 852
    • いきいきサロンきのくに(1989 - 2007年) スロフ12 807・808、オロ12 813 - 816
    • わくわく団らん (1993 - 2006年) オロフ12 801、スロフ12 814、マロフ12 853、オロ12 825・827・828
  • JR九州
    • お座敷列車(海編成) (1980 - 1994年) スロフ12 801・802、オロ12 801 - 804
    • お座敷列車(山編成) (1983~1994年) スロフ12 817・818、オロ12 833 - 836

[編集] 欧風列車

[編集] イベント車両

  • JR東日本
    • SLばんえつ物語 (1999年 - ) スハフ12 101・102、オハ12 313 - 316・1701 2007年春にリニューアル工事を施した。
  • JR東海
  • JR西日本
:スハフ12 128
:オハフ13 27
:オハ12 228

[編集] 改番をともなわない改造車

「サイエンストレイン」への改造
1985年茨城県筑波郡谷田部町(当時)で開催された、国際科学技術博覧会(通称「科学万博」)のPR列車「サイエンストレイン エキスポ号」に使用する目的で、竜華客貨車区所属のスハフ12 6・16、オハ12 5・7・8・9・11の7両が改造された。改造内容としては、車内の腰掛、荷棚などの設備品をすべて撤去して側窓をふさぎ、科学万博の宣伝パネルや展示物を設置した。
改造は土崎工場で実施され、科学万博開催前の1984年9月に落成し、同月14日の東京駅を皮切りに全国各地を巡回した。1985年5月に巡回を終了し、土崎工場で復元された。
その後一部の車両は四国に転じ、オロ12へと改造された。
簡易和式列車「ふれあい」への改造
1985年に長野運転所所属のスハフ12 7・64、オハ12 121・149・284・285の6両を改造したもの。各座席の座布団を取り外し、代わりに畳をはめ込めるように(座布団は畳の下に格納)座席のフレームのみを改造した、簡易和式車両である。塗装は変更されていない。
国鉄分割民営化後、JR東日本に承継された。甲子園輸送などの団体臨時列車に充当されたが、1995年(平成7年)に廃車となっている。
急行「かいもん」「日南」のグレードアップ
1986年11月のダイヤ改正を期に、急行「かいもん」・「日南」の座席指定席のグレードアップ化を図るため、オハ12 59・60・212・220・221の3両が、グリーン車廃車発生品の腰掛を転用してリクライニングシートに改造された。そしてJR化後は、自由席車に対しても同様のグレードアップ化を図る事になり、対象車両のグレードアップ化は1989年までに完了した。自由席と指定席の格差がなくなったため、指定席車は自動販売機や給茶機などの設置等を行った。1993年の両列車の特急格上げにより定期運用から外れ、その後、普通列車や波動用等に転用されたが、2001年(平成13年)までに全廃された。

[編集] 沿革

製造当初より、波動輸送用車両及び臨時夜行急行列車に使用されたが、14系座席客車が製造されるまで、一時的に臨時特急しおじ」「つばさ」などにも使用されたこともある。しかし設備が急行並のため、特急運用の際には特急料金が割り引かれた。

登場以来、団体列車や臨時列車を中心に使用されてきた12系客車が定期列車に使用されるようになったのは、1973年(昭和48年)からである。急行「きたぐに」「音戸」に使用され、1970年代後半になると老朽化の著しい10系寝台車の代替として、20系客車との併結で寝台車付きの急行列車(「かいもん」「日南」など)にも進出するようになった。

その後、夜行列車の本数減少や、1970年代後半から始まった旧型客車の廃車に伴い、50系客車と共に普通列車運用に比重を移した。そのため、一部の車両は車端部座席のロングシート化などを行なった。また1980年代には、多数が和式列車などのジョイフルトレインの改造ベースとなった。その他、電車列車の非電化路線乗り入れのサービス電源車として、特急「有明」の豊肥本線乗り入れの485系や、快速「葉っぴーきよさと」の小海線乗り入れの169系に連結されたこともあった。

1990年代になると、客車急行列車の廃止とともに12系を使用した列車も減少し、普通列車についても、電車・気動車化が進行したため大量の余剰廃車が発生して、多くは廃車になった。また一部のオハ12形は24系25形客車に改造編入され、特異な例では、気動車用の付随車に改造されて気動車編成に組込まれたものもあった。

[編集] 現況(2009年)

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)を除く旅客会社各社に601両が引き継がれたが、九州旅客鉄道(JR九州)・東海旅客鉄道(JR東海)においては既に全廃され、2008年4月1日現在、JR各社に46両が在籍する[4]。またわたらせ渓谷鐵道に譲渡車が少数在籍している。いずれも臨時列車・団体列車に用いられる。また1997年には、JR西日本保有車両の一部をタイ国鉄に譲渡、1999年2001年にJR東日本が、2003年にはJR九州がフィリピン国鉄に譲渡した。日本の私鉄における最大・最強の電気機関車である西武鉄道E851形さよなら運転では、JR東日本から12系客車が貸し出されて牽引された。

秩父鉄道でパレオエクスプレス用客車として走る12系

2008年4月現在、国鉄時代の塗装となっている車両は、JR東日本高崎車両センター高崎支所にスハフ12 161・162、オハ12 366・367・368・369の6両と、JR西日本京都総合運転所にスハフ12 129・155、オハ12 341・345・346・352の6両、JR東日本高崎車両センター高崎支所に蒸気機関車を回送する際の控車としてのオヤ12 1、JR西日本山口鉄道部車両管理室(現・下関総合車両所運用検修センター新山口支所)に予備電源車などとしてのスハフ12 36の計14両が在籍しており、蒸気機関車の牽引によるイベント列車などで使用されている。また1999年より磐越西線新津駅 - 会津若松駅間で、4月 - 11月の土日・祝日に運転されている快速SLばんえつ物語」に専用化改造された7両が使用されている。また、「SLやまぐち号」の客車にも改装した12系が使用されているほか、秩父鉄道にも、「パレオエクスプレス」として塗装を専用化して使用されている。

[編集] 脚注

  1. ^ 『鉄道ピクトリアル』2005年2月号、1990年7月号
  2. ^ 発電用エンジンを搭載し、スハフ12に改造できるよう準備工事が施されている。
  3. ^ なお、「いこい」には、静岡鉄道管理局に1981年(昭和56年)に登場した同名の和式列車が存在したが、両者に関係はない。
  4. ^ 『鉄道ファン』2008年7月号、交友社

[編集] 参考文献

  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1990年7月号 No.530 特集 12・14系座席客車
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年2月号 No.757 特集 12・14系座席客車
  • 交友社『鉄道ファン』1988年8月号 No.328 特集 JR車両のうごき特集号
  • 交友社『鉄道ファン』1989年7月号 No.339 特集 88/89JR車両のうごき
  • 四国旅客鉄道『JR四国ニュース』昭和63年11月1日 No.13
ウィキメディア・コモンズ
このテンプレートは試行中です

最終更新 2009年10月27日 (火) 15:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【国鉄12系客車】変更履歴

ご利用上の注意