1856年アメリカ合衆国大統領選挙
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ジェームズ・ブキャナン
1856年アメリカ合衆国大統領選挙(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election of 1856)は、奴隷制の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。共和党が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、民主党は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新しく出来て間もない共和党はカンザス・ネブラスカ法と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しいノウ・ナッシングは、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。
現職大統領フランクリン・ピアースは民主党の予備選で再指名を得られなかった。民主党はペンシルベニア州出身のジェームズ・ブキャナンを指名した。これは民主党がカンザス・ネブラスカ法が原因で2つに割れていたことに一部原因があった。前回選挙まで民主党と戦っていたホイッグ党は奴隷制問題で崩壊し、共和党やアメリカ党のような新しい組織がそれに置き換わろうとしていた。共和党はカリフォルニア州出身のジョン・フレモントを最初の看板候補に指名した。他の2人の競争者、ウィリアム・スワードとサーモン・チェイスは急進的過ぎるように思われた。ノウ・ナッシングは、元大統領で、ニューヨーク州出身のミラード・フィルモア(第13代、在位1850年-1853年)を指名した。また永遠の候補ダニエル・プラットも出馬した。
フレモントは奴隷州からも600票足らずを得た。すべてデラウェア州とメリーランド州からの票であった。しかし、選挙人団投票の結果から見ると、次の1860年の選挙の時に、あと2つの州、例えばペンシルベニア州とイリノイ州を獲得すれば共和党は勝つことが出来ると思わせる結果だった。
目次 |
[編集] 一般選挙
[編集] 選挙運動
3人の候補者全てが地方遊説をしなかった。共和党は新しい領土への奴隷制拡張に反対し、そのスローガンは「自由な言論、自由な出版、自由な土地、自由な人間、フレモントそして勝利!」であった。共和党は奴隷勢力に対して立ち上がり、奴隷制が共和制の価値を破壊していると警告した。民主党は共和党が勝てば内乱が起こると警告することで反論した。
共和党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法、および新しい州が合衆国に自由州として加盟するか奴隷州として加盟するかを人民主権で決めるという政策によってミズーリ妥協が撤廃されることに反対した。共和党は現職のピアース大統領が、カンザス準州の市民に欺瞞的な準州政府を押し付けたことと、「血を流すカンザス」に起きた暴力沙汰を許したことを非難し、カンザスを自由州として即刻加盟させることを提唱した。合衆国の大陸内にある領土への奴隷制拡張に反対するとともに、スペイン領であったキューバを取り込むというオステンド・マニフェストにも反対した。選挙運動を要約すれば、その焦点は奴隷制度に対する反対であり、それは合衆国が築いてきた共和制の価値を破壊するものだと感じていた。
民主党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法と西部の準州に導入された人民主権という政策を支持していた。またカンザスで選出された奴隷制擁護の準州政府を支持していた。この準州政府はカンザスの自由州推進派に対抗し、トピカ憲法を不法な会議で作られた不法な文書として反対していた。さらにブキャナンが駐イギリス大使であったときに画策したオステンド・マニフェストの中でうたわれているキューバの併合案を支持した。民主党の選挙運動で最も訴えたことは、共和党が勝てば南部の多くの州が脱退するという警告であった。
[編集] 結果
一般投票の結果、過半数を制した候補者はいなかった。しかし、31州のうち北部の州を含む19州を制したブキャナンが選挙人投票では59%を制して勝利し、第15代大統領に選ばれた。共和党の敗北の原因は北部でノウ・ナッシングと競合し票が分散したことが挙げられた。
[編集] 投票結果
| 投票の結果 | |||||
| 大統領候補者 | 党 | 出身州 | 一般得票数 (得票率%) |
選挙人得票数 | 副大統領候補者 |
| ジェームズ・ブキャナン | 民主党 | ペンシルベニア州 | 1,836,072 (45.3%) |
174 | ジョン・ブレッキンリッジ |
| ジョン・フレモント | 共和党 | カリフォルニア州 | 1,342,345 (33.1%) |
114 | ウィリアム・デイトン |
| ミラード・フィルモア | ノウ・ナッシング | ニューヨーク州 | 873,053 (21.6%) |
8 | アンドリュー・ドネルソン |
| その他 | 3,177 (0.1%) |
0 | |||
| 合計 | 4,054,647 | 296 | |||
| 選出必要数 | 149 | ||||
出典 (一般選挙): Leip PV source| year=1856| as of=July 27, 2005
出典 (選挙人選挙): National Archives EV source| year=1856| as of=July 31, 2005
(注) サウスカロライナ州のみ選挙人が州議会で選ばれており、一般投票を行っていない。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- Tyler Anbinder, Nativism and Slavery: The Northern Know Nothings and the Politics of the 1850s (1992)
- Eric Foner, Free Soil, Free Labor, Free Men: The Ideology of the Republican Party before the Civil War (1970)
- William E. Gienapp, The Origins of the Republican Party, 1852-1856 (1987).
- Michael F. Holt, The Political Crisis of the 1850s (1978), pp 139-81
- Nevins, Allan. Ordeal of the Union: vol 2: A House Dividing, 1852-1857 (1947), the most detailed narrative
- Michael D. Pierson; "'Prairies on Fire': The Organization of the 1856 Mass Republican Rally in Beloit, Wisconsin" Civil War History, Vol. 48, 2002
- Potter, David (1976). Impending Crisis 1848?1861. ISBN 0-06-090524-7.
- James A. Rawley, Race and Politics: "Bleeding Kansas" and the Coming of the Civil War (1969)
- Richard H. Sewell, Ballots for Freedom: Antislavery Politics in the United States, 1837-1860 (1976) 254-91
[編集] 外部リンク
- Nativism in the 1856 Presidential Election
- 1856 popular vote by counties
- 1856 state-by-state popular voting results
- James Buchanan and the Election of 1856
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最終更新 2009年9月19日 (土) 03:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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