1991年のF1世界選手権
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1991年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第42回大会である。1991年3月10日にアメリカ合衆国で開幕し、11月3日にオーストラリアで開催される最終戦まで、全16戦で争われた。
目次 |
[編集] 参戦チーム・ドライバー
| エントラント | コンストラクター | マシン | エンジン | タイヤ | ドライバー |
|---|---|---|---|---|---|
| マクラーレン | MP4/6 | ホンダRA121E(V12) | G | 1. 2. |
|
| ティレル | 020 | ホンダRA101E,RA101E/SN(V10) | P | 3. 4. |
|
| ウィリアムズ | FW14 | ルノーRS3(V10) | G | 5. 6. |
|
| ブラバム | BT59Y,BT60Y | ヤマハOX99(V12) | P | 7. 8. |
|
| アロウズ | A11C,FA12,FA12C | ポルシェ3512(V12) フォードDFR(V8) |
G | 9. 10. (10.) |
|
| ロータス | 102B | ジャッドEV(V8) | G | 11. 12. (12.) (12.) |
|
| フォンドメタル | FA1ME,GR01 | フォードDFR(V8) | G | 14. (14.) |
|
| レイトンハウス | CG911 | イルモア2175(V10) | G | 15. 16. (16.) |
|
| AGS | JH25B,JH27 | フォードDFR(V8) | G | 17. (17.) 18. (18.) |
|
| ベネトン | B190B,B191 | フォードHB4,5,6(V8) | P | 19. 20. (20.) |
|
| ダラーラ | BMS191 | ジャッドGV(V10) | P | 21. 22. |
|
| ミナルディ | M191 | フェラーリTipo036,037(V12) | G | 23. 24. (24.) |
|
| リジェ | JS35,JS35B | ランボルギーニ3512EVO3(V12) | G | 25. 26. |
|
| フェラーリ | 642,643 | フェラーリTipo037(V12) | G | 27. (27.) 28. |
|
| ローラ | LC91 | フォードDFR(V8) | G | 29. (29.) 30. |
|
| コローニ | C4 | フォードDFR(V8) | G | 31. (31.) |
|
| ジョーダン | 191 | フォードHB3,4(V8) | G | 32. (32.) (32.) (32.) 33. |
|
| モデナ | 291 | ランボルギーニ3512EVO3(V12) | G | 34. 35. |
[編集] ドライバー変更
- AGSのNo.18は開幕から2戦のみ、ヨハンソンがドライブ。
- ロータスのNo.12は、第1戦~4戦までをベイリーが、第9戦・10戦・12戦・14戦をバーテルスが、それ以外のレースをハーバートがドライブ。
- フットワークのNo.10は、ヨハンソンがカフィの代役として第5戦~第8戦までをドライブ。
- ジョーダンのNo.32は、第11戦のみシューマッハ、第12戦・第13戦はモレノ、第14戦以降はザナルディがドライブ。
- ベネトンのNo.19は、第12戦以降シューマッハに交代。
- フォンドメタルのマシンは、第14戦以降タルキーニがドライブ。
- AGSのNo.17は、第14戦のみグルイヤールがドライブ。
- コローニは第14戦欠場後、第15戦より服部を起用して再参戦。
- レイトンハウスのNo.16は、第15戦以降ヴェンドリンガーに交代。
- フェラーリのNo.27は、プロスト解雇に伴い最終戦のみモルビデリがドライブ。
- ミナルディのNo.24は、最終戦のみモレノが、モルビデリが抜けた穴を埋める形でドライブ。
- ラルースのNo.29は、骨折したベルナールの代役として、最終戦のみガショーがドライブ。
[編集] エンジン変更
- フットワークは、第7戦以降コスワースにスイッチ。
[編集] 結果
[編集] ドライバーズ・ワールド・チャンピオンシップ
| 順位 | ドライバー | ポイント | レース | PP | FL | 優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | アイルトン・セナ | 96 | 16 | 8 | 2 | 7 | 3 | 2 | 1 | 1 | |
| 2 | ナイジェル・マンセル | 72 | 16 | 2 | 4 | 5 | 4 | 1 | |||
| 3 | リカルド・パトレーゼ | 53 | 16 | 4 | 4 | 2 | 2 | 4 | 3 | ||
| 4 | ゲルハルト・ベルガー | 43 | 16 | 2 | 2 | 1 | 3 | 2 | 3 | ||
| 5 | アラン・プロスト | 34 | 15 | 1 | 3 | 2 | 2 | 1 | |||
| 6 | ネルソン・ピケ | 26.5 | 16 | 1 | 2 | 1 | 3 | 1 | |||
| 7 | ジャン・アレジ | 21 | 16 | 1 | 3 | 2 | 1 | 1 | |||
| 8 | ステファノ・モデナ | 10 | 16 | 1 | 1 | 1 | |||||
| 9 | アンドレア・デ・チェザリス | 9 | 16 | 2 | 1 | 1 | |||||
| 10 | ロベルト・モレノ | 8 | 14 | 1 | 2 | 1 | |||||
| 11 | ピエルルイジ・マルティニ | 6 | 16 | 2 | |||||||
| 12 | J.J.レート | 4 | 16 | 1 | |||||||
| ベルトラン・ガショー | 4 | 10 | 1 | 1 | 2 | ||||||
| ミハエル・シューマッハ | 4 | 6 | 1 | 2 | |||||||
| 15 | 中嶋悟 | 2 | 16 | 1 | |||||||
| ミカ・ハッキネン | 2 | 16 | 1 | ||||||||
| マーティン・ブランドル | 2 | 16 | 1 | ||||||||
| 18 | 鈴木亜久里 | 1 | 16 | 1 | |||||||
| ジュリアン・ベイリー | 1 | 4 | 1 | ||||||||
| エマヌエル・ピロ | 1 | 16 | 1 | ||||||||
| エリック・ベルナール | 1 | 15 | 1 | ||||||||
| イヴァン・カペリ | 1 | 14 | 1 | ||||||||
| マーク・ブランデル | 1 | 16 | 1 | ||||||||
| 24 | ジャンニ・モルビデリ | 0.5 | 16 | 1 | |||||||
| 25 | ミケーレ・アルボレート | 0 | 16 | ||||||||
| アレックス・カフィ | 0 | 12 | |||||||||
| ステファン・ヨハンソン | 0 | 6 | |||||||||
| ジョニー・ハーバート | 0 | 8 | |||||||||
| ミハエル・バーテルス | 0 | 4 | |||||||||
| オリビエ・グルイヤール | 0 | 16 | |||||||||
| マウリシオ・グージェルミン | 0 | 16 | |||||||||
| カール・ヴェンドリンガー | 0 | 2 | |||||||||
| ガブリエル・タルキーニ | 0 | 16 | |||||||||
| ファブリツィオ・バルバッツァ | 0 | 14 | |||||||||
| ティエリー・ブーツェン | 0 | 16 | |||||||||
| エリック・コマス | 0 | 16 | |||||||||
| ペドロ・マトス・シャベス | 0 | 13 | |||||||||
| 服部尚貴 | 0 | 2 | |||||||||
| アレッサンドロ・ザナルディ | 0 | 3 | |||||||||
| ニコラ・ラリーニ | 0 | 16 | |||||||||
| エリック・ヴァン・デ・ポール | 0 | 16 |
[編集] コンストラクターズ・ワールド・チャンピオンシップ
| 順位 | コンストラクター | ポイント | PP | FL | 優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | マクラーレン・ホンダ | 139 | 10 | 4 | 8 | 6 | 4 | 4 | 1 | |
| 2 | ウィリアムズ・ルノー | 125 | 6 | 8 | 7 | 6 | 4 | 3 | 1 | |
| 3 | フェラーリ | 55.5 | 2 | 3 | 5 | 4 | 2 | 2 | ||
| 4 | ベネトン・フォード | 38.5 | 1 | 1 | 2 | 3 | 4 | 3 | ||
| 5 | ジョーダン・フォード | 13 | 1 | 2 | 3 | 3 | ||||
| 6 | ティレル・ホンダ | 12 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
| 7 | ミナルディ・フェラーリ | 6 | 2 | |||||||
| 8 | スクーデリア・イタリア・ジャッド | 5 | 1 | 1 | ||||||
| 9 | ロータス・ジャッド | 3 | 1 | 1 | ||||||
| 10 | ブラバム・ヤマハ | 3 | 1 | 1 | ||||||
| 11 | ラルース・ローラ・コスワース | 2 | 2 | |||||||
| 12 | レイトンハウス・イルモア | 1 | 1 | |||||||
| 13 | モデナ・ランボルギーニ | |||||||||
| 14 | フォンドメタル・コスワース | |||||||||
| 15 | リジェ・ランボルギーニ | |||||||||
| 16 | コローニ・コスワース | |||||||||
| 17 | AGS・コスワース | |||||||||
| 18 | フットワーク・ポルシェ コスワース |
[編集] 開催地及び勝者
| 開催日 | GP名 | 開催サーキット | 勝者 | チーム | 結果 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 3月10日 | フェニックス | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 2 | 3月24日 | インテルラゴス | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 3 | 4月28日 | イモラ | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 4 | 5月12日 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 5 | 6月2日 | モントリオール | ネルソン・ピケ | ベネトン・フォード | 詳細 | |
| 6 | 6月16日 | メキシコシティ | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 7 | 7月7日 | マニクール | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 8 | 7月14日 | シルバーストン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 9 | 7月28日 | ホッケンハイム | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 10 | 8月11日 | ハンガロリンク | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 11 | 8月25日 | スパ・フランコルシャン | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 12 | 9月8日 | モンツァ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 13 | 9月22日 | エストリル | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 14 | 9月29日 | バルセロナ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 15 | 10月20日 | 鈴鹿 | ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 16 | 11月3日 | アデレード | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 |
[編集] シーズン
[編集] 概略
1991年のチャンピオンシップは、マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルとの間で行われ、最終的にはセナが鈴鹿で3度目の、そして生涯最後のチャンピオンを獲得した。
また、コンストラクターズ争いもマクラーレンとウィリアムズの戦いとなったが、最終戦にてマクラーレンがタイトルを獲得。4年連続のダブルタイトルとなったが、これまでのような圧倒的な強さは陰を潜め、純粋な速さではウィリアムズの後塵を拝すようになっていた。
ウィリアムズ躍進の一方で、名門フェラーリは低迷。コンストラクターズでは3位だったが、チャンピオン争いには絡めず、また5シーズンぶりに未勝利に終わった。エースのアラン・プロストにとって、シーズン未勝利は、デビューイヤーの1980年以来のことだった。この年以降、フェラーリは長きに渡って冬の時代を過ごすこととなる。コンストラクターズ4位はベネトン・フォードとなり、その中で変動はあれど4強チームは安定していた。
4強以下では、この年からF1に参戦したジョーダン・フォードが躍進。ベルギーGPではアンドレア・デ・チェザリスが一時2位を走行するなど速さを見せ、コンスタラクターズで4強に次ぐ5位となった。
3度のチャンピオンであるネルソン・ピケ、日本人初のレギュラードライバー中嶋悟などが、この年をもってF1引退。プロストも、1年間休養することとなった。一方、後にチャンピオンとなるミカ・ハッキネン、ミハエル・シューマッハが、この年の開幕戦アメリカGP、第11戦ベルギーGPでそれぞれデビューしている。
ピレリタイヤが、この年をもってF1から撤退する。
[編集] シーズン開始時の状況
開幕前、テストではフェラーリ好調が伝えられていた。この為、前年まで3年連続でダブルタイトルを獲得していたマクラーレン・ホンダが、「フェラーリに対しどこまで優位性を維持できるか」という点が注目の的となっていた。
[編集] シーズン詳細
[編集] セナ、開幕4連勝
序盤は、マクラーレン・ホンダとアイルトン・セナが好調だった。まず開幕戦のアメリカGPでは、予選で前年から続くポール・ポジションを獲得すると、決勝でもから終始トップを走行。2位のプロストに27秒の差を付けて優勝した。3位はベネトンのネルソン・ピケ。4位・5位にはステファノ・モデナ、中嶋悟のティレル2台、6位にはラルースの鈴木亜久里が入り、各チームの戦闘力が煮詰まっていない開幕戦らしい、意外な入賞者となった。
ウィリアムズのマンセルとリカルド・パトレーゼは、共にこの年から投入したセミーオートマティック・ギアボックスのトラブルによりリタイヤ(そのうちパトレーゼはストップ直後にモレノにぶつけられる)。また、ピケとバトルを繰り広げ、さらに49周目にファステストラップを記録したフェラーリのジャン・アレジは、右リアサスを壊し終盤にストップした(結果は12位完走)。
第2戦ブラジルGPでも、セナはポール・ポジションを獲得。決勝でもアメリカ同様にトップを走るが、今回はマンセルがセナに肉薄。2台は接近したままレースを続けるが、マンセルはタイヤ交換時にギアトラブルでピットアウトが遅れ、大きくセナから離れてしまう。その後マンセルはセナを猛追するが、走行中に再びセミオートマが不具合を起こしスピン、リタイヤとなった。そして、セナのほうにもギアボックストラブルが発生、まず4速が入らなくなり、続いて3速、5速も使用不可能となった。これにより、セナは終盤6速だけでの走行を強いられたが、何とかマシンをもたせ、念願の母国初優勝を飾った。2位にはパトレーゼ、3位にはベルガーが入った。
第3戦サンマリノGPは、予選ではセナが6戦連続となるポール・ポジションを獲得。レース直前、突然大粒の雨が降り出すが、この際にセナは雨が止むと考えドライに近いセッティング、予選2位のパトレーゼは雨が降り続くと考えレイン用のセッティングを取った。スタートではパトレーゼが好スタートを切り、序盤にトップを走行。一時は5秒の差を付けたが、雨が止み始めると差は無くなっていった。その後、ピットインしたパトレーゼはエンジントラブルにより大きく遅れ、その後電気系トラブルでリタイヤ。以後はセナが終始トップを守り、優勝。2位にベルガーが入り、2年ぶりとなる1-2フィニッシュを記録した。一時はティレルの2台が3位、4位を走行しホンダの1-2-3-4体制ともなったが、ティレル勢はその後どちらもリタイヤに終わっている。
また、このレースではマクラーレン以外の上位チームは総崩れとなり、ウィリアムズは上記のパトレーゼの他、マンセルがスタート直後に接触でリタイヤ。また、ベネトンの2台も全滅(モレノは、リザルト上は完走扱い)。フェラーリに至っては、プロストがフォーメーション・ラップでスピンを喫し復帰できず棄権、アレジは3周目にモデナを強引に抜こうとしてコースオフと、地元で散々なレースとなった。この為、3位にスクーデリア・イタリアのJ.J.レート、4位にミナルディのピエルルイジ・マルティニ、5位・6位にはロータス勢のミカ・ハッキネン、ジュリアン・ベイリーが食い込み、開幕戦同様意外な入賞者となった。
第4戦モナコGPでも、予選はセナが7戦連続となるポール・ポジションを獲得し、2位には、ストリートコースを得意とするモデナが入った。決勝では、セナがスタートからトップを走行、この日が誕生日であるモデナもセナの後ろに付け2位を走行。しかし、周回遅れのエマニュエル・ピロに、チームメイトの中嶋と間違われて進路を妨害され、3位のパトレーゼがすぐ後ろに迫る事態となった。42周目、パトレーゼはモデナに仕掛けるべくトンネルでスリップストリームに入るが、モデナのマシンが突然エンジンブロー。モデナはリタイヤとなり、そのオイルに乗たパトレーゼもマシンを壁にヒットさせ、リタイヤとなった。レースは、セナが当時の新記録開幕4連勝を全戦ポール・トゥー・ウィンで達成。2位には、ようやくの初完走となったマンセルが入った。3位はアレジ。
この時点で、セナはランキング2位のプロストに29ポイント差、マンセルには34ポイント差を付けていた。
[編集] ウィリアムズの逆襲
ここまでの4戦、ウィリアムズはセミ・オートマティック・ギアボックスに不具合が多かったこともあって、マンセルとパトレーゼはそれぞれ2位1回、残りはリタイヤという状態だった。
しかし、第5戦カナダGPから局面が変わることとなる。ウィリアムズのマシンが成熟を深め、予選ではパトレーゼがポール・ポジションを獲得。セナの前年から続く連続ポールを途絶えさせ、更に予選2位にはマンセルが入り、フロントローを独占した。決勝でも、セナはウィリアムズ2台に引き離され、その後エンジントラブルでストップした。レースは、スタートから終始トップを走っていたマンセルが、最終ラップで突然ストップし、ピケがF1生活で最後となる優勝。2位にはモデナ、3位にはパトレーゼ。4位・5位にはアンドレア・デ・チェザリス、ベルトラン・ガショーのジョーダン勢が入り、躍進の第一歩となった。マンセルは6位となり勝利を逃すが、ここからウィリアムズが猛反撃を開始した。
第6戦メキシコGPでも、予選ではパトレーゼが2戦連続でポール・ポジションを獲得、2位にマンセルが入った。パトレーゼは決勝でスタートに失敗、一旦4位まで順位を下げるが、その後アレジ、セナ、マンセルを抜き、首位に返り咲いた。マンセルはエンジンがオーバーヒート気味であり、パトレーゼから遅れを取っていたが、終盤に克復し猛追。しかし、結局パトレーゼが逃げ切り今シーズン初勝利、ウィリアムズは今シーズン初勝利を1-2フィニッシュで飾った。直前にジェットスキーに撥ねられ、頭部を負傷していたセナは3位だった。
第7戦フランスGPは、勢いに乗るパトレーゼが予選では3戦連続でポール・ポジションを獲得。2位には、このレースから新車「643」と投入したフェラーリのプロストが入った。決勝では、パトレーゼはスタートでセミオートマに不具合が起こり、早急にトップ争いから脱落、これまでチームの不調で陰の薄かったプロストが、地元で今シーズン初となるトップを走行する。しかし、背後から迫ったマンセルとバトルとなり、22周目にはマンセルがオーバーテイク。その後、一旦はタイヤ交換で順位が入れ替わるが、マンセルが再びプロストを抜き、そのままチェッカーを受けた。マンセルは今シーズン初勝利となり、2位に終わったプロストは、結局これがこの年ほぼ唯一の見せ場となった。ランキングトップのセナは、終始陰の薄い走りで3位に終わっている。
第8戦イギリスGPは、地元のマンセルが圧倒的な速さを見せた。フリー走行から予選まで全てのセッションで1位となり、決勝でもスタート直後に一瞬セナに先行を許すが、すぐにトップを奪い返し以後独走。そのままチェッカーを受け、金・土・日曜日の全てのセッションで1位となる完全勝利となった。セナは2位を走っていたが、ファイナルラップにガス欠でストップし、4位に終わっている。サンマリノ以後リタイヤが続いていたベルガーが、久々に完走し2位に入った。3位はプロスト。
第9戦ドイツGPでも、マンセルが強さを見せる。予選で2戦連続となるポール・ポジションを獲得し、決勝でもスタートからトップを独走。タイヤ交換の間に、一時タイヤ無交換作戦を取るアレジがトップに立つが、すぐにかわし以後は再び独走し3連勝となった。2位には、スタート失敗による6位転落から追い上げたパトレーゼが入り、ウィリアムズは今シーズン2度目の1-2フィニッシュとなった。一方、セナはウィリアムズについて行けず、最後は2戦連続、ファイナルラップにガス欠でストップ(7位)。3位はアレジだった。
ウィリアムズはメキシコから4連勝を記録し、この時点でコンストラクターズにおいてマクラーレンを逆転。またドライバーズ争いでは、マンセルがセナと8ポイント差の2位まで浮上する。
またこのレースにおいて、中嶋が今シーズン限りでの引退を表明した。
[編集] マクラーレンの起死回生
追い込まれたマクラーレンは、第10戦ハンガリーGPまでにマシンを急速に開発。セミ・オートマティックギアボックスを投入し(決勝では使用しなかった)、また予選用スペシャルガソリンを開発、2戦連続のガス欠から、最後の1滴まで無駄なく入れる特殊なタンクも開発した。そして超軽量カウルも、セナのマシンのみだが投入。これらマシンの急速な進歩もあって、セナはホンダの創始者本田宗一郎死去直後のこのレースで、5戦ぶりのポール・トゥー・ウィンを達成する。コンストラクターズでも、マクラーレンが首位に返り咲いた。マンセルはセナに仕掛ける場面もあったが、ブレーキトラブルもあって2位に留まった。3位はパトレーゼ。
第11戦ベルギーGPでも、セナはポールポジションを獲得し、決勝でもスタートからトップを走行。しかし、タイヤ交換でもたつき3位に後退、マンセルがトップとなる。ここで優勝すれば、セナとの差を一気に縮められるマンセルだが、22周目に電気系トラブルでストップ。そしてその後トップとなったアレジも、エンジントラブルでストップ。トップに返り咲いたセナは、ギアボックストラブルでチェザリスに猛追される場面もあったが、結局そのまま優勝。2位にはベルガーが入り、今シーズン2度目の1-2フィニッシュとなった。パトレーゼは、予選17位から一時2位まで追い上げるが、終盤にギアボックストラブルによりペースダウン、5位に終わっている。3位にはピケが入り、結果的にはこれが最後の表彰台となった。
また、シューマッハがこのレースでデビュー。この年旋風を巻き起こしていたジョーダンのマシンとはいえ、初レースで当時最高の予選7位につけ、決勝であわや優勝という走りを見せたチェザリス共々注目を浴びた。
[編集] ウィリアムズ再び
第12戦イタリアGPは、予選ではセナが3戦連続のポール獲得。レースでもこれまで同様、スタートからトップを走るが、後ろにはウィリアムズの2台が張り付き、ここでマンセルが頭脳的な面を見せることとなる。2位を走るマンセルは、途中でチームメイトのパトレーゼを先行させ、自分はタイヤを温存。パトレーゼはセナを激しく攻め、26周目にオーバーテイク。その後パトレーゼはスピンを喫し、ギアボックストラブルでリタイヤするも、今度はそれまでタイヤを温存していたマンセルが、セナに仕掛けることとなる。マンセルは34周目に、タイヤが限界に来ていたセナを抜き、そのまま優勝。3戦ぶりに勝利を手にした。3位はプロストだった。
第13戦ポルトガルGPでも、流れはウィリアムズのものとなり、予選ではパトレーゼがポール・ポジションを獲得。決勝ではパトレーゼがそのままトップを守り、予選4位だったマンセルもスタートでマクラーレン2台を抜き、1周目から1-2状態を築いていた。パトレーゼは、チャンピオン争いの渦中であるチームメイトに協力し、18周目にマンセルを先行させる。ここで優勝すれば、また差を縮められるマンセルだったが、ピットでアクシデントに見舞われる。
マンセルは29周目、タイヤ交換の為にピットイン。しかし、ピットクルーとの間でコミュニケーションがうまくとれていなかったのか、右後輪のナットを完全に締め付ける前に発進。ピットレーンを10mほど進むとマンセルの右後輪はユルユルと外れ、脱輪。大きく順位を下げた。ウイリアムズのピットクルーは、とっさのことでピットレーンでタイヤを取り付ける他になす術がなかった。タイヤを装着後、17位でコースに復帰していったマンセルは、ここから怒涛の反撃で順位を上げていたが、上記のピットレーン上の作業がレギュレーション違反となり、6位走行中の52周目に失格の裁定が下り黒旗失格となった。レースはパトレーゼが優勝。セナはマンセルの脱落後、守りのレースに徹し、2位に入った。3位はアレジ。
残る3戦でマクラーレンのどちらかが優勝すれば、セナがドライバーズタイトルに決まる状態となった。第14戦スペインGPでは、予選ではベルガーが今シーズン初となるポールを獲得。決勝でも一時1-2状態となるが、逆転を諦めないマンセルが、2台を抜いて優勝。ベルガーはその後エンジントラブルでストップし、セナはタイヤ選択の失敗により自滅、最終的に5位まで順位を下げることとなった。2位にプロスト、3位にパトレーゼが入っている。
この結果、コンストラクターズ争いにおいては、ウィリアムズがドイツ以来のポイントトップとなり、ドライバーズ争いでも、マンセルがセナに16ポイント差となる。自力でのチャンプ獲得はないものの、逆転の可能性も充分なポイント差に詰めた。
[編集] チャンプ決定
第15戦日本GPは、マクラーレンが再び勢いを取り戻した。予選ではベルガーが1'34.700を叩き出して2戦連続のポールポジションを獲得(このレコードはコースが短縮された2001年に、ミハエル・シューマッハが予選で1'32.484を叩き出し破られるまで、10年間鈴鹿サーキットのコースレコードだった)、セナが予選2位(こちらも予選タイムは1'34.898)となり、今シーズン初のフロントロー独占となる。マンセルも懸命のアタックを仕掛けたが、1'34.992で予選3位に留まった。
決勝では、マクラーレンの2台が共に好スタートを切り、ベルガーはそのままハイスピードで逃げ、セナはペースを守りつつ3位マンセルを押さえ込み、1秒前後の間隔で周回を重ねていく。マクラーレンはベルガーが逃げて安全圏までリードし、セナはペースをコントロールし、優勝以外に逆転王座の可能性が無いマンセルを押さえるという作戦を取っていた。そして10周目の第1コーナーで、マンセルはセナに仕掛けるべく車間を急速に縮めていったが、コントロールを失いコースアウト。そのままスピンを喫しリタイヤ、この瞬間、セナの3度目のチャンピオンが決定し、5年連続鈴鹿での決定劇となった。
コースアウトの理由としては「急激な接近でダウンフォースを失った」、「ブレーキングを遅らせすぎた」等の説がある(セナが、あえてマンセルとの差を縮めてコントロール不能に追い込んだ、という意見もある)。その後レースはマンセルを抑える必要の無くなったセナが、一旦ベルガーを抜き突き放すが(セナはマンセルのリタイア後、100%の力で走ったのだという)、最終ラップの最終コーナーにおいてベルガーを前に出し、ベルガーが移籍後初勝利を挙げた。3位はパトレーゼ。これが鈴鹿ラストランとなる中嶋は、一時7位まで浮上するもサスペンショントラブルでクラッシュ、リタイヤとなった。
最終戦のオーストラリアGPは、豪雨に見舞われ、事故が多発。このレースをもって引退の中嶋も、2年前の雨のアデレード4位入賞・ファステストラップの再現を期待されたが、スピンしたティエリー・ブーツェンを避けきれず接触し、フロントウイングを破損。ピットでマシンを修復したが、今度は5周目の1コーナーでバランスを崩しコンクリートウォールに接触、そのままマシンを降りた。
その後、雨脚は一旦スタート時に比べて徐々に小降りになるも、 15周を過ぎた頃になると再び強くなり、コースコンディションはさらに悪化していた。コース上ではスピン・クラッシュが相次ぎ、ピットレーンでもマウリシオ・グージェルミンがバリアに激突するなど、極めて危険な状況であった。そして16周目、2位を走っていたマンセルがクラッシュ、この接触で足を痛めてしまう。マンセルに代わって2位に上がったベルガーも再三スピンをした挙句、最後はコースアウトをしてマシンを止めた。トップ走行のセナはコックピットから手を振り、「レースができる状況ではない」と訴える。
17周目に赤旗が提示されレース中断。普段は冷静なパトレーゼが、激しく中止を訴える一幕もあった。レースは再スタート延期を繰り返したが、雨はやむ気配がなく、結局このままレースは終了した。レースは14周終了時までを対象としたタイムが最終結果となり、F1史上最短・走行距離約52.9km、24分のレースとなり、ポイントは半分が与えられた。このレースで、マクラーレンは1位にセナ、3位にベルガーが入り、コンストラクターズタイトルを獲得した。2位はマンセルとなったが、前述のように足を痛めた為病院へ運ばれており、その姿は表彰台になかった。
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最終更新 2009年11月16日 (月) 21:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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