1992年のF1世界選手権
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1992年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第43回大会である。1992年3月1日に南アフリカで開幕し、11月8日にオーストラリアで開催される最終戦まで、全16戦で争われた
目次 |
[編集] 参戦チーム・ドライバー
| エントラント | コンストラクター | シャーシ | エンジン | タイヤ | ドライバー |
|---|---|---|---|---|---|
| マクラーレン | MP4/6B,MP4/7A | ホンダRA122E,RA122E/B(V12) | G | 1. 2. |
|
| ティレル | 020B | イルモア2175A(V10) | G | 3. 4. |
|
| ウィリアムズ | FW14B | ルノーRS3C,RS4(V10) | G | 5. 6. |
|
| ブラバム | BT60B | ジャッドGV(V10) | G | 7. 8. (8.) |
|
| フットワーク | FA13 | 無限MF351H(V10) | G | 9. 10. |
|
| ロータス | 102D,107 | フォードHB5(V8) | G | 11. 12. |
|
| フォンドメタル | GR01,GR02 | フォードHB5(V8) | G | 14. (14.) 15. |
|
| マーチ | CG911B | イルモア2175A(V10) | G | 16. (16.) 17. (17.) |
|
| ベネトン | B191B,B192 | フォードHB6,7(V8) | G | 19. 20. |
|
| ダラーラ | BMS192 | フェラーリTipo037(V12) | G | 21. 22. |
|
| ミナルディ | M191B,M192 | ランボルギーニ3512(V12) | G | 23. (23.) 24. |
|
| リジェ | JS37 | ルノーRS3B(V10) | G | 25. 26. |
|
| フェラーリ | F92A | フェラーリTipo040(V12) | G | 27. 28. (28.) |
|
| ベンチュリー | LC92 | ランボルギーニ3512(V12) | G | 29. 30. |
|
| ジョーダン | 192 | ヤマハOX99(V12) | G | 32. 33. |
|
| アンドレア・モーダ | S921 | ジャッドGV(V10) | G | 34. (34.) 35. (35.) |
[編集] ドライバー変更
- アンドレア・モーダは開幕戦と第2戦のみそれぞれカフィ、ベルタッジアのラインナップ。
- ブラバムのNo.8は開幕から3戦のみアマティをエントリー。
- ミナルディのNo.23は、ザナルディが第9戦~第11戦までフッティパルディの代役として出走。
- フォンドメタルのNo.15は第11戦以降ヴァン・デ・ポールに交代。
- マーチはNo.17を第12戦以降ナスペッティに、No.16を第15戦以降ラマースに交代。
- フェラーリのNo.28は第15戦以降ラリーニに交代。
[編集] 結果
[編集] ドライバーズ・ワールド・チャンピオンシップ
| 順位 | ドライバー | ポイント | レース | PP | FL | 優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ナイジェル・マンセル | 108 | 16 | 14 | 8 | 9 | 3 | ||||
| 2 | リカルド・パトレーゼ | 56 | 16 | 1 | 3 | 1 | 6 | 2 | 1 | ||
| 3 | ミハエル・シューマッハ | 53 | 16 | 2 | 1 | 3 | 4 | 3 | |||
| 4 | アイルトン・セナ | 50 | 16 | 1 | 1 | 3 | 1 | 3 | 1 | ||
| 5 | ゲルハルト・ベルガー | 49 | 16 | 2 | 2 | 2 | 1 | 3 | 2 | ||
| 6 | マーティン・ブランドル | 38 | 16 | 1 | 4 | 4 | 2 | ||||
| 7 | ジャン・アレジ | 18 | 16 | 2 | 2 | 2 | |||||
| 8 | ミカ・ハッキネン | 11 | 16 | 2 | 1 | 3 | |||||
| 9 | アンドレア・デ・チェザリス | 8 | 16 | 1 | 2 | 1 | |||||
| 10 | ミケーレ・アルボレート | 6 | 16 | 2 | 2 | ||||||
| 11 | エリック・コマス | 4 | 16 | 1 | 2 | ||||||
| 12 | カール・ヴェンドリンガー | 3 | 14 | 1 | |||||||
| イヴァン・カペリ | 3 | 14 | 1 | 1 | |||||||
| 14 | ジョニー・ハーバート | 2 | 16 | 2 | |||||||
| ピエルルイジ・マルティニ | 2 | 16 | 2 | ||||||||
| ティエリーブーツェン | 2 | 16 | 1 | ||||||||
| 17 | ベルトラン・ガショー | 1 | 16 | 1 | |||||||
| クリスチャン・フィッティパルディ | 1 | 13 | 1 | ||||||||
| ステファノ・モデナ | 1 | 16 | 1 |
[編集] コンストラクターズ・ワールド・チャンピオンシップ
| 順位 | コンストラクター | ポイント | PP | FL | 優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ウィリアムズ・ルノー | 164 | 15 | 11 | 10 | 9 | 2 | 1 | ||
| 2 | マクラーレン・ホンダ | 99 | 1 | 3 | 5 | 3 | 4 | 3 | 3 | |
| 3 | ベネトン・フォード | 91 | 2 | 1 | 4 | 8 | 7 | 2 | ||
| 4 | フェラーリ | 21 | 2 | 2 | 3 | 1 | ||||
| 5 | ロータス・フォード | 13 | 2 | 1 | 5 | |||||
| 6 | ティレル・イルモア | 8 | 1 | 2 | 1 | |||||
| 7 | フットワーク・無限 | 6 | 2 | 2 | ||||||
| リジェ・ルノー | 6 | 2 | 2 | |||||||
| 9 | マーチ・イルモア | 3 | 1 | |||||||
| 10 | スクーデリア・イタリア・フェラーリ | 2 | 2 | |||||||
| 11 | ベンチュリー・ランボルギーニ | 1 | 1 | |||||||
| ミナルディ・ランボルギーニ | 1 | 1 | ||||||||
| ジョーダン・ヤマハ | 1 | 1 |
[編集] 開催地及び勝者
| 開催日 | GP名 | 開催サーキット | 勝者 | チーム | 結果 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 3月1日 | キャラミ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 2 | 3月22日 | メキシコシティ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 3 | 4月5日 | インテルラゴス | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 4 | 5月3日 | バルセロナ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 5 | 5月17日 | イモラ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 6 | 5月31日 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 7 | 6月14日 | モントリオール | ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 8 | 7月5日 | マニクール | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 9 | 7月12日 | シルバーストン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 10 | 7月26日 | ホッケンハイム | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 11 | 8月16日 | ハンガロリンク | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 12 | 8月30日 | スパ・フランコルシャン | ミハエル・シューマッハ | ベネトン・フォード | 詳細 | |
| 13 | 9月13日 | モンツァ | アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 詳細 | |
| 14 | 9月27日 | エストリル | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 15 | 10月25日 | 鈴鹿 | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ・ルノー | 詳細 | |
| 16 | 11月8日 | アデレード | ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 詳細 |
[編集] シーズン
[編集] 概略
1992年のF1チャンピオンシップでは、ナイジェル・マンセルがウィリアムズ・ルノーでシーズン16戦中9勝という圧倒的な強さを見せ、シーズン中盤の第11戦ハンガリーグランプリで早々とタイトルを決めた。これまで何度もタイトルに絡みながらチャンスを逃し、無冠の帝王と呼ばれていたマンセルの悲願のタイトル獲得となった。マンセルはこの年を最後にF1(ただし、フル参戦)から引退し、1993年にアメリカのインディカー(CART)に転向した。
マクラーレン・ホンダの黄金時代からウィリアムズ・ルノーの時代へと移り、ウィリアムズ・ルノーはこの年、16戦中10勝、1-2フィニッシュも6回、コンストラクターズ・ポイントは165ポイントと、2位マクラーレン・ホンダに対して65ポイントの大差をつけた。
マクラーレン・ホンダは、かつての黄金時代がウソのような不振におちいり苦戦、ベネトン・フォードと2位争いをする状態になった。こんな中、第10戦ドイツグランプリの直前にホンダが今期限りで F1 から撤退することを発表した。シーズン16戦中5勝とまずまずの成績ではあったが、シーズン序盤から独走するウィリアムズ・ルノーに迫ることができなかった。
コンストラクターズ・ポイント、ドライバーズ・ポイントともウィリアムズ、マクラーレン、ベネトンおよびそのドライバーで上位を占めた。コンストラクターズポイント4位のフェラーリはこの年も低調で、序盤からリタイアが相次ぎ、優勝・2位なし、3位がわずかに2回とふるわず、コンストラクターズ・ポイント3位のベネトン・フォードに大きく引き離された。
ドライバーズポイントでは、1991年途中からデビューしたミハエル・シューマッハがフルシーズン参戦最初の年となったこの年に53ポイントで3位に入り、マクラーレンのセナやベルガーを上回ったことが注目された。
ブラバムから参戦し、後にウィリアムズで優勝戦線に加わるデイモン・ヒルと、クリスチャン・フィッティパルディ、片山右京と国際、全日本F3000チャンピオンといったドライバーがデビュー。マンセルの他にステファノ・モデナ、マウリシオ・グージェルミン(共にジョーダン)、ヤン・ラマース(マーチ)といったベテランドライバーが去り、コンストラクターではブラバム、マーチ、フォンドメタル、アンドレア・モーダ、スクーデリア・イタリアに供給していたダラーラ(翌年からローラに変更)が撤退した。また、ベンチュリー名義で参戦したラルースも93年シーズンから本来の名称で参戦した。
[編集] シーズン開始時の状況
1988年から1991年までマクラーレン・ホンダがコンストラクターズ・タイトルを獲得して全盛時代となっていた。前年1991年はシーズン序盤にアイルトン・セナが独走して2年連続のワールドタイトル獲得となったが、中盤からウィリアムズ・ルノーの追撃を受け始めていた。マクラーレンのマシンはシャシーや空力の改良の遅れが目立つ一方、ウィリアムズではリアクティブ・サスペンションやセミオートマチック・ミッション等のハイテク技術でマシンの能力を高めつつあり、ウィリアムズはマクラーレンに肩を並べ、上回り始めるほどの競争力をつけていた。
ドライバーでは、前年にフェラーリを駆ったアラン・プロストがシートを失い1992年シーズンは休業、ジャン・アレジがフェラーリのファースト・ドライバーとなった。プロストは1993年にウィリアムズ・ルノーでカムバックすることになる。1987年のワールドチャンピオンであるネルソン・ピケも1991年シーズンを最後にF1から引退し、1992年はインディカートへ転向。往年のドライバーが徐々に減り、世代交代の波も進みつつあった。1991年途中から参戦したミハエル・シューマッハは、1992年が初めてのフルシーズン参戦となった。
タイヤはグッドイヤーのみのワンメイクとなった。一世を風靡したQタイヤ (予選専用スペシャルタイヤ) がこの年から禁止となった。
また、シーズン途中の第11戦ハンガリーグランプリからはスペシャルガソリンの使用も禁止となる。1992年はレース中の給油はまだ禁止されている時代 (給油は1994年から) で、エンジンの燃費や燃料の良し悪しが重要な要素となっていた。
[編集] シーズン詳細
1992年シーズン序盤は、マンセルが開幕から5連勝を果たしてF1新記録を作った。ウィリアムズ・ルノーは序盤5戦で5勝、1-2フィニッシュも4回と圧倒的な強さを見せる。前年1991年シーズンにセナがマクラーレン・ホンダで開幕から4連勝して序盤に独走態勢を築いたのと対照的な形となり、マクラーレン・ホンダ優位の時代が終わったことが鮮明となった。
第1戦は7年ぶりに南アフリカ・キャラミサーキットで開催され、レース序盤からウィリアムズ・ルノーが1-2体制を築き、安定した速さを見せてマンセルが優勝した。
第2戦メキシコグランプリでは、バンピーなコースでウィリアムズのリアクティブ・サスペンションが真価を発揮し、予選でマクラーレンのセナに2秒もの差をつけた。セナは予選途中でスピンするなどまったく歯が立たず、マシンの差が歴然となった。決勝もウィリアムズが1-2体制で安定した走りを見せて快勝。途中まで3位につけていたセナは追撃どころかベネトンに追われる苦しい展開となった。このレースでベネトンを駆るミハエル・シューマッハが3位に入り、初の表彰台となった。
続く第3戦ブラジルグランプリもマクラーレンはウィリアムズと戦える状態ではなく、セナはここでも若手のシューマッハと3位争いを演じた。マクラーレンはセナ、ベルガーともリタイアし、シューマッハが再び3位に入り2戦連続の表彰台となった。序盤戦でトラブル続きだったフェラーリは、ここで4位・5位入賞に辛うじて食い込んだ。
第4戦、雨のレースとなったスペイングランプリでは、ウィリアムズのマンセルがトップ、序盤2位につけていたリカルド・パトレーゼがスピンでリタイアし、シューマッハが2位に浮上する。セナが追い上げるが終盤スピンしてリタイア、この結果、シューマッハは初の2位表彰台となり、第1戦4位、第2戦3位、第3戦3位、第4戦2位と序盤上り調子な成績を収めた。
スペイングランプリの後、イモラ・サーキットの合同テストでパトレーゼがクラッシュする事故が起こった。一時はマンセルやスタッフが涙を見せるほど激しいものだったがパトレーゼは打撲で済んだ。このとき、マンセルはアクティブ・サスペンションを用いたレースマシンの操縦の危うさを力説した。
第5戦サンマリノグランプリもウィリアムズ・ルノーの1-2フィニッシュで快勝となった。マンセルはF1記録となる5連勝を達成した。セナも3位表彰台に食い込んだが、脱水症状で表彰台に立てないほどの苦しいレースとなった。
第6戦モナコグランプリは終盤にF1史上に残る名バトルとなった。ポールポジションからスタートしたマンセルは2位セナを徐々に引き離し、また独走のまま6勝目かと思われた終盤残り8周でドラマが起こった。マンセルのマシンにタイヤトラブルが発生し、まさかの緊急ピットイン。その後、トップに立ったセナとの間でF1史に残る激しいバトルを演じた。優勝を目前にしたはずのマンセルは猛烈な追い上げを開始。新品タイヤに交換したばかりのマンセルはスピードではセナを圧倒的に上回り、すぐにセナの背後に追いつき左右に激しくゆさぶりをかけた。しかし、狭い公道サーキットのモナコではセナのミスがない限り抜けない。こうして、チェッカーフラッグまで激しいテール・トゥ・ノーズの状態が続いた。セナは不利なマシンを巧みに操って見事にマンセルを抑えきり、ウィリアムズ・ルノー、マンセルに一矢を報いた。しかしながら、苦しい状態の中、ライバルのトラブルでかろうじて得た優勝だった。
ここでいったんレースの流れが変わり、第7戦カナダグランプリではウィリアムズの2台がともにリタイアで今期初のノーポイントとなり、ベルガーが優勝してマクラーレンに2連勝をもたらした。前戦モナコの優勝ではずみをつけたセナは、ホンダの新エンジン投入もあり、今期初のポールポジションを獲得。決勝スタートもセナがトップを保ったが、ウィリアムズ・ルノーや後続を引き離すほどの力はなく、上位8台が4,5秒程度の中にひしめきあう団子状態でレースが続いた。間にはさまれたマンセルはセナに追い抜きを試みるがスピンしてフロントウイングを破損し、今季初のリタイア。マンセルの車はコース上で立ち往生したがマンセルは車から降りようとせず、1周後に来たセナにこぶしをあげて抗議、さらに怒りがおさまらずマクラーレン・ピットのロン・デニスにどなりこむといった荒れた展開になった。レースも乱戦模様となり、トップを走るセナもリタイア、マンセルの同僚パトレーゼもリタイアと上位陣のリタイアが相次いだ。結局、マクラーレン・ホンダのベルガーが今期初勝利を飾った。2位にはシューマッハが入り、今期2度目の2位表彰台となった。
第6戦、第7戦と後退したウィリアムズ・ルノーは、第8戦から再び勢いを取り戻した。
第8戦、ストライキの影響で混乱の中ではじまったフランスグランプリでは、決勝も途中から雨が降り出して赤旗中断となるなど荒れたレースとなった。セナはシューマッハに追突されてリタイア。パトレーゼ、マンセルの1-2でレースが進んだが、ウィリアムズはチームオーダーを出さないチームのため、同門同士の激しい争いも見られた。雨による赤旗再スタート後、シューマッハは再び他車と接触してリタイア。序盤、先行を許したマンセルがパトレーゼをかわしてトップに立ち、そのまま1-2フィニッシュ。
第9戦イギリスグランプリでは、母国グランプリとなったマンセルが予選で2位パトレーゼに2秒もの差をつけ、決勝でもマンセルの独走状態となり、前戦に続いてパトレーゼとともに1-2フィニッシュ、母国グランプリ優勝を果たした。
第10戦ドイツグランプリで、レース前にホンダが今期限りでF1から撤退することを表明した。決勝では序盤マンセルがタイヤトラブルによるピットインでいったん後退、パトレーゼ、セナ、マンセルでレースが進み、セナとマンセルが激しい接戦を繰り広げマンセルが2位に浮上、その後、再びトップに立った。パトレーゼもタイヤ交換で4位に後退したが、その後、シューマッハを抜き、2位セナに迫った。セナは巧みにパトレーゼを抑え込み、2位争いはファイナルラップまでもつれこみ、パトレーゼがスピンするという結果となった。優勝マンセル、2位セナ、3位には母国グランプリとなったシューマッハが再び表彰台に上がった。
マンセルはここまで10戦中8勝で、第11戦ハンガリーグランプリで早くもドライバーズ・タイトルに王手をかけた。タイトル獲得の条件は同僚パトレーゼに4ポイント差をつけることだった。また、このレースからスペシャルガソリンの使用が禁止となり、燃料で他チームとの差をつけることができなくなった。決勝では、タイトルを意識したのか予選2位のマンセルがスタートに失敗して4位に後退、ポール・スタートのパトレーゼがトップのまま後続の引き離しにかかった。マンセルはセナに抑え込まれて抜くに抜けない。しかし、39周目に独走していたパトレーゼが単独スピンし大きく後退、セナがトップに立った。マンセルもタイヤトラブルで大きく後退するが、その後の追い上げで2位につけた。セナが今期2勝目、マンセルも2位に入り、パトレーゼがリタイアしたことでマンセルのドライバーズ・タイトルが確定した。
早々とタイトルが確定したことで、シーズン後半にして停滞気味となった。マンセルも来シーズンのシート争いのごたごたとタイトルをすでに獲得した安堵感のためか、集中力を欠いたと思われるレースも見られるようになり、この後はリタイアが目立つようになる。マクラーレン・ホンダの黄金時代を一気に塗り替え、今シーズンに圧倒的な強さを見せるウィリアムズ・ルノーのシートをめぐって、セナや休業中のプロストもラブコールを送っていた。結局、マンセルがはじき出された格好になり、マンセルは第13戦イタリアグランプリで F1引退を表明、1993年はアメリカのインディカートに参戦し、ウィリアムズ・ルノーの来シーズンのファースト・ドライバーにはアラン・プロストがおさまることになった。
第12戦、雨のレースとなったベルギーグランプリでは、デビューからちょうど1年目を迎えたミハエル・シューマッハが、その後の最多勝記録へと繋がる第一歩を踏んだ。レース決勝の序盤は曇り、途中は激しい雨、後半は再び晴れと目まぐるしく天候が変わるレースの中、各チームともタイヤ交換のタイミングに苦慮し、乱戦模様の中、タイヤ交換をうまくつないだシューマッハが中盤からトップに立った。ウィリアムズは雨から晴れに変わる中でドライタイヤへの交換が遅れて後退し、シューマッハはトップを守りきった。
第13戦イタリアグランプリでは、終盤にウィリアムズの2台がともにトラブルを抱え、マンセルはリタイア、パトレーゼはセナにかわされスローダウン、セナが今期3勝目を得た。
第14戦ポルトガルグランプリでは、すでに来期インディ転向を決めたマンセルが久々に独走態勢の安定した走りを見せ、1シーズン9勝の記録を打ちたてた。
第15戦、ホンダにとって第2期最後の母国レースとなった日本グランプリでは、序盤、マクラーレン・ホンダのセナがエンジン・トラブルでリタイアするというさびしい展開になった。ウィリアムズのマンセルも同僚パトレーゼに順位を譲るなど力が入っておらず、途中、エンジン・トラブルでリタイア。ベネトンのシューマッハもリタイアとなり、結局、各チームのセカンドドライバーがレースを引っ張り、優勝パトレーゼ、2位ベルガー、3位ブランドルでレースを終えた。
第16戦、シーズン最終戦となるオーストラリアグランプリは、マンセルとホンダの最終のレースとなった。マンセルはシーズン最多の14戦ポールポジションを獲得。2位にはセナがつけた。決勝では、19周目にマンセルを追うセナがマンセルに追突し、両者リタイアの結果になった。ともに荒っぽさをもち、ときには危険な運転と揶揄されることもあったセナとマンセルの接触リタイアは過去のレースでもしばしば見られたが、最後も両者接触、仲良くともにリタイアで幕を閉じた。レースはベルガーがトップ、シューマッハが2位の展開になり、シューマッハが追い上げるもベルガーが逃げ切り、ホンダに第2期最後の勝利をもたらした。
ホンダは、ウィリアムズ・ホンダ (1986年、1987年コンストラクターズ・タイトル、ドライバーズ・タイトル)、マクラーレン・ホンダ(1988年~1991年同)の黄金時代を経て、1992年の最終戦オーストラリアで第2期最後の錦を飾り、F1から撤退した。
[編集] その他のトピック
- 南アフリカGPからF1で5人目の女性ドライバー、ジョバンナ・アマティがブラバムから出場したが、惜しくも予選を通過できず。
- F1のハイテク化と規制
- F1マシンの電子制御化・ハイテク化が進み、従来からの空力の急速な進歩や燃料の電子制御に加えて、セミオートマチック・トランスミッション、電子制御のアクティブサスペンション、トラクションコントロールなど、さまざまなハイテク技術が搭載されるようになった。従来、ホンダエンジンのパワーと信頼性に大きく依存していたマクラーレンのマシンは、エンジン以外の分野で遅れをとるようになり、マシンの総合力でライバルチームに対して見劣りする部分も出てきた。1992年のシーズンでは、ウィリアムズのリアクティブ・サスペンションが強さの原動力の1つとなった。
- 従来からフラットボトム化 (グランドエフェクトマシンの禁止) やターボエンジンの禁止などのハイテク規制が行われる一方で、空力や新たに登場したサスペンション制御などのハイテク装置の進化がどんどん進んだ。その一方で、行き過ぎたハイテク化は、要素によってはドライバーが予期しない突発のトラブルも起こりやすく、トラブルが起こると制御困難な状態に陥りやすい状況も作った。空力を重視し、はた目から見ると細く絞り込まれたかっこよく見えるマシンも、従来に比べて運転席が極端に狭くなるなどの問題もあった。この傾向は、1994年のハイテク装備禁止まで続くことになった。
- 蛇足
- 日本ではバブル崩壊による景気後退もあり、一頃、F1に大量に流入していたジャパン・マネーの後退も進んでいた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年8月2日 (日) 02:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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