1994年の野球

1994年の野球の最新ニュースをまとめて検索!

1994年
ほかの特集
社会
政治 経済 労働 教育 交通 鉄道
文化と芸術
映画 音楽 日本のテレビ
ラジオ 芸術 文学 出版
スポーツ
スポーツ 日本競馬 サッカー 自転車競技 バスケットボール バレーボール 野球
科学と技術
科学 気象・地象・天象 台風
地域
日本
各年のスポーツ
1992 1993 1994 1995 1996
日本の競馬
1992 1993 1994 1995 1996
サッカー
1992 1993 1994 1995 1996
自転車競技
1992 1993 1994 1995 1996
バスケットボール
1992 1993 1994 1995 1996
バレーボール
1992 1993 1994 1995 1996
野球
1992 1993 1994 1995 1996
ヘルプ

< 1994年 | 1994年のスポーツ

目次

[編集] 競技結果

[編集] 日本プロ野球

[編集] ペナントレース

セントラル・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 読売ジャイアンツ 70 60 0 .538 -
2位 中日ドラゴンズ 69 61 0 .531 1.0
3位 広島東洋カープ 66 64 0 .508 4.0
4位 ヤクルトスワローズ 62 68 0 .477 8.0
阪神タイガース 62 68 0 .477 8.0
6位 横浜ベイスターズ 61 69 0 .469 9.0
パシフィック・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
優勝 西武ライオンズ 76 52 2 .594 -
2位 オリックス・ブルーウェーブ 68 59 3 .5354 7.5
近鉄バファローズ 68 59 3 .5354 7.5
4位 福岡ダイエーホークス 69 60 1 .5348 7.5
5位 千葉ロッテマリーンズ 55 73 2 .430 21.0
6位 日本ハムファイターズ 46 79 5 .368 28.5

[編集] 終盤のセ・リーグ優勝争い等

『プロ野球70年史』[1]は、この年に「10.8決戦とイチロー旋風」という見出しをつけている。

その10.8決戦のあったセ・リーグは、終盤に各チームの勝率が接近して、順位争いがプロ野球史上稀に見る混戦となった。

8月18日、巨人は中日を破ってマジックナンバー25を点灯させた。この時点で巨人の優勝が確定的との見方もあった。また、巨人側から見ると、この試合は、このシーズン5勝を与えることとなった「苦手」今中慎二を攻略したという意味もある[2]

  • 8月18日時点での順位表は次のとおり。
セ・リーグ
順位 球団 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差
1位 読売ジャイアンツ 58 42 0 .580 -
2位 中日ドラゴンズ 52 48 0 .520 6.0
3位 阪神タイガース 50 51 0 .495 8.5
4位 広島東洋カープ 48 50 0 .480 9.0
5位 横浜ベイスターズ 45 53 0 .459 12.0
6位 ヤクルトスワローズ 44 53 0 .454 12.5

ところが、巨人が7~9月の各月とも負け越し、マジックナンバーは17まで減らしたものの、8月30日に中日に敗れて消滅した[3]。さらに、広島、中日とのゲーム差がすぐに近づいていった。

特に、中日は8月に8連敗し、高木守道監督にシーズン限りの解任を通告していた[4]。しかし、奮起して、9月を11勝3敗で[5]、9月に4勝10敗の巨人をとらえ、広島を優勝争いから脱落させた。9月28日、ナゴヤ球場での中日-巨人戦で、1回に立浪和義が巨人先発桑田真澄から放った本塁打による1点を先発郭源治から先発登板することもあった佐藤秀樹、さらに翌日の両チーム間の試合が台風接近により中止になることを見越して今中を抑えに投入して1-0で中日が勝利し、巨人と同率で並んだ。長嶋監督は10月8日に「(9月29日に中止になった中日戦)をやっていたら中日の勢いからいってやられただろうし、(中略)まさにあの"ハリケーン"は神風だった」と振り返り、後年、落合博満は、この時期の巨人のチーム状態について「2試合とも中止になることを願っていた」と述べた[6]

その後両チームとも試合がなく迎えた9月30日、リーグは、この中止になった中日-巨人戦(第26回戦)を10月8日に組み込むことを含めた「追加日程」を発表した。この時点で、優勝争いは、同率で並び、ともに5試合を残していた巨人と中日にほぼ絞られていた。

本段落、ここからの

詳細は「10.8決戦」を参照

10月6日は、一旦、巨人が1ゲーム差をつけて迎えたが、中日が勝ち、巨人が敗れて、再び同率となった。結局両者とも同率で並んでから3勝1敗で8日の最終決戦を迎えた。

8日の決戦は、巨人が6-3で勝ち、優勝決定となった。先に解任通告を受けた高木監督については、終盤の優勝争いで、球団側が事実上、解任通告を撤回し、13日に同監督も辞意を撤回して、留任となった。

[編集] 10.8決戦と同率最終戦での最下位決定戦

1994年のセ・リーグは同率で並んだ2チームが最終戦で直接対戦して優勝が決定した(10.8決戦)。一方で最下位も同率で並んだ2チームが最終戦で直接対戦して決定した[7]

10月7日の時点で単独5位だった横浜ベイスターズは8日に試合の予定がなかったが、単独最下位だったヤクルトスワローズが同日に行われた129試合目で広島東洋カープに勝ったため、ヤクルトと横浜が61勝68敗の同率で並んだ。この時点で既に公式戦全日程を終了した広島の3位と阪神タイガースの4位は確定しており、両チームにとっての最終戦となる「ヤクルト対横浜」の直接対決で敗れたチームが最下位を確定することになった。この試合は10.8決戦と同様に、9月30日にセ・リーグから発表された「追加日程」に含まれていたもので、同年のリーグ公式戦最終試合でもあった。

10月9日に神宮球場で行われた試合はヤクルトが西村龍次、横浜が斎藤隆の先発で始まった。横浜は6回表に1点を先制したが、ヤクルトは8回裏に同点とすると、9回裏には横浜のリリーフ盛田幸妃から適時打を打ち、2-1でサヨナラ勝ち。勝利投手は高津臣吾、敗戦投手は斎藤隆。これによりヤクルトは阪神と並んで同率4位となり、横浜のリーグ最下位が確定した。

[編集] 日本シリーズ

詳細は「1994年の日本シリーズ」を参照

  • 読売ジャイアンツ(4勝2敗)西武ライオンズ

[編集] 個人タイトル

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 桑田真澄 巨人   イチロー オリックス  
最優秀新人 藪恵市 阪神   渡辺秀一 ダイエー  
首位打者 アロンゾ・パウエル 中日 .324 イチロー オリックス .385
本塁打王 大豊泰昭 中日 38本 ラルフ・ブライアント 近鉄 35本
打点王 大豊泰昭 中日 107点 石井浩郎 近鉄 111点
最多安打 野村謙二郎 広島 169本 イチロー オリックス 210本
盗塁王 野村謙二郎 広島 37個 佐々木誠 西武 37個
最高出塁率 トーマス・オマリー 阪神 .429 イチロー オリックス .445
最優秀防御率 郭源治 中日 2.45 新谷博 西武 2.91
最多勝利 山本昌広 中日 19勝 伊良部秀輝 ロッテ 15勝
最多奪三振 桑田真澄 巨人 185個 伊良部秀輝 ロッテ 239個
最高勝率 紀藤真琴 広島 .762 郭泰源 西武 .722
最優秀救援投手 高津臣吾 ヤクルト 27SP 赤堀元之 近鉄 33SP

[編集] ベストナイン

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 山本昌広 中日 伊良部秀輝 ロッテ
捕手 西山秀二 広島 吉永幸一郎 ダイエー
一塁手 大豊泰昭 中日 石井浩郎 近鉄
二塁手 和田豊 阪神 福良淳一 オリックス
三塁手 江藤智 広島 松永浩美 ダイエー
遊撃手 川相昌弘 巨人 広瀬哲朗 日本ハム
外野手 前田智徳 広島 イチロー オリックス
アロンゾ・パウエル 中日 佐々木誠 西武
グレン・ブラッグス 横浜 ケビン・ライマー ダイエー
指名打者   ラルフ・ブライアント 近鉄

[編集] 高校野球

[編集] メジャーリーグ

選手会側が8月12日からストライキを行いワールドシリーズが90年ぶりに中止になってしまった。

[編集] できごと

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 1月

[編集] 2月

[編集] 3月

  • 3月1日 - かつて巨人のエースとして活躍しオリックスに所属の西本聖投手が入団テストを経て巨人入り。

[編集] 4月

[編集] 5月

[編集] 6月

[編集] 7月

[編集] 8月

[編集] 9月

[編集] 10月

[編集] 11月

[編集] 12月

[編集] 誕生

[編集] 死去

この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

[編集] 脚注

  1. ^ (歴史編P.620)ベースボール・マガジン社 2004年12月 ISBN 4-583-03808-9
  2. ^ 8月19日付日本経済新聞33面 縮刷版1994年10月号p.825
  3. ^ 8月31日付新聞各紙(日本経済新聞縮刷版1994年8月号p.1409ほか)
  4. ^ 『週刊ベースボール』1995年1月2,9日号2094号 p.36~
  5. ^ 『プロ野球70年史』は「山本昌が7連勝、郭源治がフル回転、大豊泰昭のバットが火を噴いた」と表現している(歴史編P.627)。
  6. ^ 落合博満『プロフェッショナル』ベースボール・マガジン社 1999年12月 ISBN 4-583-03621-3、今中慎二『悔いは、あります。』ザ・マサダ 2002年 ISBN 978-4-88397-078-0 p.126~p.149、10月9日付読売新聞18面14版(巨人軍5000勝の記憶 ISBN 978-4-583-10029-6 のDVDで確認)
  7. ^ 10月10日付日経 スポーツ24面縮刷版1994年10月号p.486「勝者が4位タイ、敗者が最下位となる"大一番"」


最終更新 2009年11月9日 (月) 11:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【1994年の野球】変更履歴

ご利用上の注意