1998 FIFAワールドカップ
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| 1998 FIFA World Cup Coupe du monde France 1998 |
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|---|---|
| 大会概要 | |
| 開催国 | |
| 日程 | 1998年6月10日 - 7月12日 |
| チーム数 | 32 (5連盟) |
| 開催地数 | 10 (9都市) |
| 大会結果 | |
| 優勝 | |
| 準優勝 | |
| 3位 | |
| 4位 | |
| 大会統計 | |
| 試合数 | 64試合 |
| ゴール数 | 171点 (1試合平均 2.67点) |
| 総入場者数 | 2,785,100人 (1試合平均 43,517人) |
| 得点王 | |
| 最優秀選手 | |
| < 19942002 > |
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1998 FIFAワールドカップ (1998 FIFA World Cup France) は、1998年6月10日から7月12日までフランスで開催された第16回FIFAワールドカップである。20世紀最後のワールドカップ。
目次 |
[編集] 公式マスコット
[編集] 公式テーマソング
- リッキー・マーティン 『The Cup Of Life』
- JEAN MICHEL JARRE & TETSUYA "TK" KOMURO 『TOGETHER NOW』
- ユッスー・ンドゥール&アクセル・レッド 『勇者たちの庭』 - 公式アンセム
- 『ALLEZ! OLA! OLE! The Music Of The World Cup』 - 公式アルバム
[編集] 本大会
参加国数が、24から32に増えた最初の大会。一次リーグがそれまでの4チームのA~Fの6グループからA~Hの8グループに増加し、各グループ上位2チーム、合計16チームがノックアウト方式の決勝トーナメントに進む。トーナメント1回戦は、各グループ1位は2位のチームと、グループの対戦はAグループはBグループと、他はCとD、EとF、GとHとなる。大会は、前回大会優勝のブラジル対スコットランド戦でブラジルの2-1の勝利で幕を開けた。
いわゆる「パリの悲劇」で、アメリカ大会に出場できなかったフランスが、1978年大会のアルゼンチン以来20年ぶり史上7カ国目の初優勝を遂げた(他の優勝国は順番にウルグアイ、イタリア、ドイツ、ブラジル、イングランド、アルゼンチン)。カントナを代表から外し、ジダンを中心に据えたエメ・ジャケのチーム作りが成功。またユニフォームは代表初戴冠となるUEFA欧州選手権1984時代を模したものにして縁起を担いだ。グループリーグではブラン、デサイー、デシャンといったベテランがチームをまとめ、ジダンを中心に、若手の成長株のアンリやトレゼゲといったストライカーが得点を重ねる、理想的なサッカーを展開した。決勝トーナメントに入り、その世代交代の過渡期だったストライカーが力不足を露呈して得点力不足に苦しんだが、1回戦ではDFブランがVゴールを挙げ、準決勝ではそれまで代表戦でゴールのなかったDFテュラムが同点、そして逆転ゴールを挙げる活躍でそれをカバー。決勝戦においては下馬評ではセレソン史上最強と謳われたブラジルが有利と言われていた。しかし、決勝当日の朝、泡を吹いて卒倒しているブラジルのエース、ロナウドが発見された。ブラジルはチーム全体がパニック状態に陥ることになる。発作が治まったロナウドは結局先発出場するのだが、怪物の抜け殻であり、エースを失ったブラジルは砂上の楼閣さながらだった、結果はフランスが3-0とフランスのサッカーを思う存分見せつけた試合と言える(決勝戦でもMFのジダンが2ゴール、同じくMFのプティが1ゴールと、ストライカー以外のプレーヤーが得点を挙げている)。
大会自体は、下馬評通りに、優勝候補と目されていたブラジル、フランス、オランダ等が順当に勝ち進んだ。バティストゥータ、シメオメを中心にしたアルゼンチンは、ベスト8まで進んだが、オランダ戦、オルテガの退場により自滅。一方で、スペインの一次リーグ敗退や、クロアチアの躍進は観客に驚きを与えた。また、前述のアンリ・トレゼゲを含め、イングランド代表のベッカムやオーウェン、ブラジル代表のロナウド、イタリア代表のデル・ピエロ、スペイン代表のラウルといった初登場の若手が活躍した大会でもあった。
アジア勢は不振で4カ国いずれも一次リーグで敗退した。前回アメリカ大会で、初出場でベスト16に入り、旋風を起こしたサウジアラビアは1分2敗、韓国も1分2敗だった。イランはアメリカに2-1でW杯初勝利を上げるも、1勝2敗に終わり一次リーグ敗退した。日本はこの大会で初出場を果たしたが、3敗に終わった。
また、前回のアメリカ大会3位のスウェーデンは予選敗退し、4位のブルガリアも一次リーグ最下位に終わった。これ以後、前回大会の3位と4位は次の大会で成績を残せないというジンクスがあり、この大会で3位に入ったクロアチアは2002年の日韓大会で一次リーグ敗退、4位のオランダも予選敗退となった。さらに日韓大会で3位に入ったトルコは2006年のドイツ大会のヨーロッパ予選プレーオフで敗退し、4位の韓国も一次リーグ敗退という結果に終わっており(いずれもスイスに敗れた)、未だにこのジンクスは続いている。(これ以前、1990年のイタリア大会で4位に入ったイングランドはアメリカ大会には予選敗退しているが3位だったイタリアが準優勝している)。 本大会前には、三浦知良、ロマーリオ、ガスコイン、カントナらが代表に選ばれなかったことが話題となった。
[編集] チケット問題
日本代表が初出場するとあって、多くのサポーターが現地へ観戦に行くため、大手旅行代理店への観戦ツアーの申込は約35,000人となった[1]。
しかし開幕となる6月10日直前になっても、日本戦観戦ツアーの申込分の一部のチケットが旅行代理店に到着しない事態が発生。フランス組織委員会(以下、CFOと記述)は当初、「5月中旬までには全てのチケットを発行する」としていたが、チケットの偽物が発券されたり、カメルーンサッカー協会とイギリスの業者(チケット問題発生時には、すでに倒産)によるチケットの横流し事件が発覚したため、CFOがチケットの発券をストップ。その為、公認代理店以外でチケットを注文した旅行会社にチケットが届かない事態となった[2]。(尚、チケットの不足は、イングランド、スコットランド、ブラジル、ドイツ、オランダの試合でも起きている。)
このため旅行会社ではチケットが手元に無いため、ツアーの実施、中止への対応を余儀なくされた。またツアー参加者は、出発の集合場所にて「チケットが届かない」旨の説明を受けたりしたため、参加者が突然の事態に泣き出す、説明に訪れた旅行会社社員に対し怒号が飛び交う等の事態になった。(主な旅行会社の対応は、以下の通り[3][4])
| 旅行会社 | 日本戦3戦申込枚数 | 実入手枚数 | 入手率 (%) |
対応 |
|---|---|---|---|---|
| ジェイワールドトラベル | 不明 | 不明 | 100 | 日本で唯一のオフィシャルエージェントの旅行会社であった為、参加者全員分のチケットが割り当てられた。 |
| JTB | 7,000 | 5,100 | 72 | 希望者にはツアーを予定通り決行。 試合を観戦出来なかったツアー参加者には、旅行代金を全額返還。 |
| 近畿日本ツーリスト | 5,583 | 384 | 6 | 原則ツアー中止。旅行代金全額+おわび金5万円を返還。 リスク覚悟の希望者には、別ツアーを用意。 |
| 京王観光 | 120 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
| 日本旅行 | 5,500 | 200 | 3 | アルゼンチン戦のツアーは中止。他の2試合はツアーを決行。 旅行代金全額+おわび金5万円を返還。また観戦出来なかったツアー参加者には、代金の3割を返還。 後日11ヶ国・地域34ヶ所の現地法人の社員約500人を動員し、チケット200枚を入手。 |
| 東武トラベル | 200 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
| 東急観光 | 3,499 | 303 | 8 | 原則ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
| エイチ・アイ・エス | 500 | 不明 | 不明 | ツアーは予定通り実施。 |
| 名鉄観光サービス | 482 | 57 | 11 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
| マップ・インターナショナル | 不明 | 不明 | 不明 | 「チケット確保の目処がついた」として、ツアーを決行。 |
| 阪神電鉄旅行部 | 450 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
| 日通旅行 | 4,257 | 100 | 2 | 希望者にはツアーを予定通り決行。 試合を観戦出来なかったツアー参加者には、旅行代金を全額返還。 |
この事件に対し、CFOは「販売は順当に進んだと認識している。残念だが、こちらとしては何も出来ない。」との見解を示した。[5]。これに対し日本旅行業協会がフランス政府に問題の調査を依頼、またCFOへ抗議文章を送った。[6]これに対しまた後日チケットの注文を受けながら入場券を渡さなかったとして、ISLワールドワイド社の子会社「ISLフランス」の役員マルク・ルワゾンが身柄を拘束された[7]。
尚、チケットは無くても現地まで行ったサポーターやチケットをより多く確保したい旅行会社等により、ダフ屋が横行しチケットの価格は高騰、1枚36万円で販売するダフ屋まで出現した[8]。挙句の果てには、対アルゼンチン戦にて偽チケットが発見される事態も発生した[9]。
このチケット問題に対し、アルゼンチン戦を開催するトゥールーズ市は、「日本人サポーターに、せめてスクリーンで試合を見て欲しい」と、市内のスポーツセンターと公園に試合を実況中継する巨大スクリーンを設置した。また座席も8,000席用意し、軽食や飲み物を無料配布した。[10]。尚、この巨大スクリーンの会場の一角を東急観光が占拠し、自社のツアー客以外を締め出すという事態を起こした[11]。
日本政府も藤井孝男運輸大臣(当時)は、遺憾の意を表明[12]。また運輸省は少しでもチケットを確保するよう、FIFAに要請した[13]。
この一連の事件により、FIFAは不正を働いた疑いが強いとして、カメルーンとコロンビアのサッカー協会を調査[14]。またFIFAのプラッター次期会長は主催者側の不備を認め[15]、次大会以降のチケット販売は、大会開催国の組織委員会が扱うのではなく、FIFAの直接管理下で販売する方針となった[16]。
- ^ 観戦へ日本から3万5000人 読売新聞1998年6月9日付
- ^ きょう開幕 なのにチケットまだ来ない 朝日新聞1998年6月10日付
- ^ アレ!行けないの? 待ちに待っての"Wの悲劇" 朝日新聞1998年6月11日付
- ^ それでもフランスへ 毎日新聞1998年6月11日付
- ^ 「2枚で1000ドル」ダフ屋並ぶ 読売新聞1998年6月11日付
- ^ 広がるW杯 チケット騒動 朝日新聞1998年6月12日付
- ^ FIFA入場券 ナンバー2役員を拘束 読売新聞1998年6月18日付
- ^ チケット1枚36万円? 読売新聞1998年6月14日付
- ^ 偽入場券見つかる 朝日新聞1998年6月15日付
- ^ トゥールーズ市、心遣い 毎日新聞1998年6月14日付
- ^ 日本の旅行会社に地元あ然 場外の会場を占拠 朝日新聞1998年6月16日付
- ^ 旅行会社の対応を批判 朝日新聞1998年6月12日付
- ^ 3試合の不足分 2万3千枚に 毎日新聞1998年6月12日付
- ^ 入場券で不正? 2ヶ国を調査へ 朝日新聞1998年6月13日付
- ^ 主催者の不備認める FIFA次期会長 読売新聞1998年6月18日付
- ^ 全チケット配分 FIFA直轄に 読売新聞1998年6月13日付
[編集] 出場国
ヨーロッパ
フランス(開催国・3大会ぶり10度目)
イタリア(前回準優勝国・10大会連続14度目)
ドイツ(12大会連続14度目、西ドイツ時代を含む)
イングランド(2大会ぶり10度目)
スペイン(6大会連続10度目)
ベルギー(5大会連続10度目)
ユーゴスラビア(2大会ぶり9度目)
スコットランド(2大会ぶり8度目)
オランダ(3大会連続7度目)
ブルガリア(2大会連続7度目)
ルーマニア(3大会連続7度目)
オーストリア(4大会ぶり6度目)
ノルウェー(2大会連続3度目)
デンマーク(3大会ぶり2度目)
クロアチア(初出場)
南米
(4大会ぶり7度目)
北中米カリブ海
アフリカ
アジア
[編集] ファーストラウンド
緑色の部分のチームは、決勝トーナメント進出チーム
[編集] グループ A
詳細は「1998 FIFAワールドカップ・グループA」を参照
| チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 | +3 | |
| 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 4 | +1 | |
| 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | 0 | |
| 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 6 | -4 |
[編集] グループ B
詳細は「1998 FIFAワールドカップ・グループB」を参照
| チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 7 | 3 | +4 | |
| 3 | 3 | 0 | 3 | 0 | 4 | 4 | 0 | |
| 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 4 | -1 | |
| 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 5 | -3 |
[編集] グループ C
詳細は「1998 FIFAワールドカップ・グループC」を参照
| チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1 | +8 | |
| 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | 0 | |
| 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 3 | 6 | -3 | |
| 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 7 | -5 |
[編集] グループ D
詳細は「1998 FIFAワールドカップ・グループD」を参照
| チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 5 | 5 | 0 | |
| 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | +2 | |
| 4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 4 | +4 | |
| 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 7 | -6 |
[編集] グループ E
|
|
[編集] グループ F
|
|
[編集] グループ G
|
|
[編集] グループ H
詳細は「1998 FIFAワールドカップ・グループH」を参照
| チーム | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | +7 | |
| 6 | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 2 | +2 | |
| 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 9 | -6 | |
| 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 4 | -3 |
[編集] 決勝トーナメント
| ラウンド16 | 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
| 6月27日 - マルセイユ | ||||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| 7月3日 – サン=ドニ | ||||||||||||||
| |
0 | |||||||||||||
| |
0 (3) | |||||||||||||
| 6月28日 - ランス | ||||||||||||||
| |
0 (4) | |||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| 7月8日 – サン=ドニ | ||||||||||||||
| |
0 | |||||||||||||
| |
2 | |||||||||||||
| 6月29日 - モンペリエ | ||||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| |
2 | |||||||||||||
| 7月4日 - リヨン | ||||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| |
0 | |||||||||||||
| 6月30日 - ボルドー | ||||||||||||||
| |
3 | |||||||||||||
| |
0 | |||||||||||||
| 7月12日 – サン=ドニ | ||||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| |
3 | |||||||||||||
| 6月27日 - パリ | ||||||||||||||
| |
0 | |||||||||||||
| |
4 | |||||||||||||
| 7月3日 - ナント | ||||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| |
3 | |||||||||||||
| 6月28日 – サン=ドニ | ||||||||||||||
| |
2 | |||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| 7月7日 - マルセイユ | ||||||||||||||
| |
4 | |||||||||||||
| |
1 (4) | |||||||||||||
| 6月29日 - トゥールーズ | ||||||||||||||
| |
1 (2) | 3位決定戦 | ||||||||||||
| |
2 | |||||||||||||
| 7月4日 - マルセイユ | 7月11日 - パリ | |||||||||||||
| |
1 | |||||||||||||
| |
2 | |
2 | |||||||||||
| 6月30日 - サン=テチエンヌ | ||||||||||||||
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1 | |
1 | |||||||||||
| |
2 (4) | |||||||||||||
| |
2 (3) | |||||||||||||
[編集] 1回戦
| 1998年6月27日 16:30 |
|||
| 1–0 | スタッド・ヴェロドローム, マルセイユ 入場者数: 55,000人 主審: Bernd Heynemann (ドイツ) |
||
| ヴィエリ |
| 1998年6月27日 21:00 |
|||
| 4–1 | パルク・デ・プランス, パリ 入場者数: 45,500人 主審: Marc Batta (フランス) |
||
| セザール・サンパイオ ロナウド |
サラス |
| 1998年6月28日 16:30 |
|||
| 1–0 (AET) | スタッド・フェリックス・ボラール, ランス 入場者数: 38,100人 主審: Ali Bujsaim (UAE) |
||
| ブラン |
| 1998年6月28日 21:00 |
|||
| 1–4 | スタッド・ド・フランス, サン=ドニ 入場者数: 77,000人 主審: Urs Meier (スイス) |
||
| ババンギダ |
メラー B・ラウドルップ サンド ヘルヴェグ |
| 1998年6月29日 16:30 |
|||
| 2–1 | スタッド・ドゥ・ラ・モソン, モンペリエ 入場者数: 29,800人 主審: Vítor Melo Pereira (ポルトガル) |
||
| クリンスマン ビアホフ |
エルナンデス |
| 1998年6月29日 21:00 |
|||
| 2–1 | スタッド・ド・トゥールーズ, トゥールーズ 入場者数: 33,500人 主審: José García Aranda (スペイン) |
||
| ベルカンプ ダーヴィッツ |
コムリェノヴィッチ |
| 1998年6月30日 16:30 |
|||
| 0–1 | スタッド・シャバン・デルマ, ボルドー 入場者数: 31,800人 主審: Javier Castrilli (アルゼンチン) |
||
| シュケル |
| 1998年6月30日 21:00 |
|||
| 2–2 (AET) (4PK3) |
スタッド・ジョフロワ・ギシャール, サン=テティエンヌ 入場者数: 30,600人 主審: Kim Milton Nielsen (デンマーク) |
||
| バティストゥータ サネッティ PK ベルティ: クレスポ: ベロン: ガジャルド: アジャラ: |
シアラー オーウェン PK |
[編集] 準々決勝
| 1998年7月3日 16:30 |
|||
| 0–0 (AET) (4PK3) |
スタッド・ド・フランス, サン=ドニ 入場者数: 77,000人 主審: Hugh Dallas (スコットランド) |
||
| PK ジダン: リザラズ: トレゼゲ: アンリ: ブラン: |
PK |
| 1998年7月3日 21:00 |
|||
| 3–2 | スタッド・ド・ラ・ボージョワール, ナント 入場者数: 35,500人 主審: Gamal Al-Ghandour (エジプト) |
||
| ベベット リバウド |
ヨルゲンセン B・ラウドルップ |
| 1998年7月4日 16:30 |
|||
| 2–1 | スタッド・ヴェロドローム, マルセイユ 入場者数: 55,000人 主審: Arturo Brizio Carter (メキシコ) |
||
| クライファート ベルカンプ |
C・ロペス |
| 1998年7月4日 21:00 |
|||
| 0–3 | スタッド・ジェルラン, リヨン 入場者数: 39,100人 主審: Rune Pedersen (ノルウェー) |
||
| ヤルニ ヴラオヴィッチ シュケル |
[編集] 準決勝
詳細は「1998 FIFAワールドカップ・準決勝」を参照
| 1998年7月7日 21:00 |
|||
| 1–1 (AET) (4PK2) |
スタッド・ヴェロドローム、マルセイユ 入場者数: 54,000人 主審: Ali Bujsaim (UAE) |
||
| ロナウド PK ロナウド: リバウド: エメルソン: ドゥンガ: |
クライファート PK |
| 1998年7月8日 21:00 |
|||
| 2–1 | スタッド・ド・フランス、サン=ドニ 入場者数: 76,000人 主審: José Garcia Aranda (スペイン) |
||
| テュラム |
シュケル |
[編集] 3位決定戦
| 1998年7月11日 21:00 |
|||
| 1–2 | パルク・デ・プランス、パリ 入場者数: 45,500人 主審: Epifanio González(パラグアイ) |
||
| ゼンデン |
プロシネチキ シュケル |
[編集] 決勝
| 1998年7月12日 21:00 |
|||
| 0–3 | スタッド・ド・フランス、サン=ドニ 入場者数: 80,000人 主審: Said Belqola(モロッコ) |
||
| ジダン プティ |
[編集] 最終結果
| 1998 FIFA ワールドカップ優勝国 |
|---|
フランス 初優勝 |
[編集] 得点ランキング
| 順位 | 選手名 | 国 | 得点数 |
|---|---|---|---|
| 1 | ダヴォル・シュケル | 6 | |
| 2 | ガブリエル・バティストゥータ | 5 | |
| クリスティアン・ヴィエリ | 5 | ||
| 4 | ロナウド | 4 | |
| ルイス・エルナンデス | 4 | ||
| マルセロ・サラス | 4 | ||
| 7 | オリバー・ビアホフ | 3 | |
| デニス・ベルカンプ | 3 | ||
| ティエリ・アンリ | 3 | ||
| リバウド | 3 | ||
| ユルゲン・クリンスマン | 3 | ||
| ベベット | 3 | ||
| セザール・サンパイオ | 3 |
[編集] FIFA選出ベストイレブン
| ポジション | 選手名 | 国 |
|---|---|---|
| GK | ファビアン・バルテズ | |
| DF | マルセル・デサイー | |
| フランク・デ・ブール | ||
| リリアン・テュラム | ||
| MF | オーガスティン・オコチャ | |
| ディディエ・デシャン | ||
| ドゥンガ | ||
| ジネディーヌ・ジダン | ||
| FW | マイケル・オーウェン | |
| ダヴォル・シュケル | ||
| ロナウド |
[編集] 関連項目
- ジョホールバルの歓喜 (1998 FIFAワールドカップアジア地区予選・第3代表決定戦 「日本vsイラン」)
- メルボルンの悲劇(1998 FIFAワールドカップ予選・大陸間プレーオフ 「オーストラリアvsイラン」)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
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| 1998 FIFAワールドカップ 本大会・グループリーグ | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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| 1998 FIFAワールドカップ 本大会・決勝トーナメント | ||||||||
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| 1998 FIFAワールドカップ 予選 | ||||||||
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最終更新 2009年11月26日 (木) 00:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【1998 FIFAワールドカップ】変更履歴

