2009年衆議院解散
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2009年衆議院解散(2009年しゅうぎいんかいさん)は2009年7月21日の衆議院解散のこと。
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[編集] 経緯
ねじれ国会での対応に苦慮して政権運営に行き詰まった、自由民主党総裁・内閣総理大臣の福田康夫は、自分に代わる新総裁が衆議院を解散し衆議院議員総選挙で信任を得るべきであるとして、2008年9月1日に辞任を表明した。後継者を決める総裁選では、いち早く立候補を表明した党幹事長の麻生太郎が、「国民的人気」をフレーズに、終始、優位に選挙戦を進め、最大派閥である町村派の大半や、それまで大宏池会構想を巡って対立関係にあった古賀派、さらには地方代表からも多くの支持を集め、4度目の総裁選挑戦で初めて党総裁に選出された。
9月24日の首班指名で第92代内閣総理大臣に就任した麻生は、当初、前任者の福田の意向を受けて組閣直後に衆議院を解散することを検討し、首班指名の直後に刊行された雑誌『文藝春秋』2008年11月号掲載の手記「強い日本を! 私の国家再建計画」でもその意向を公にしていた。ところが、総裁選で麻生陣営に属していた選挙対策副委員長の菅義偉や、行政改革担当大臣・甘利明らから、解散後に自民党・公明党で過半数を得ても衆議院で法案の再議決が可能な3分の2を失う可能性が極めて高いことなどを理由に解散を先送りし、景気対策で実績を挙げるべきだとの意見が相次ぎ、麻生はこうした進言を受けて解散を2009年の通常国会まで先送りすることを決断する。
しかし、麻生内閣の組閣からわずか4日で国土交通大臣・中山成彬が記者会見で問題発言を乱発した責任を取って辞任したのを始め、麻生自身の問題発言や、「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」と読むなどの漢字の読み間違いを揶揄されたことなどもあり、共同通信社の内閣支持率調査では就任から2ヶ月足らずで不支持が支持を上回る事態となった。2009年に入ってからも、財務大臣・中川昭一が、G7・財務相中央銀行総裁会議後の記者会見に泥酔状態が疑われるほど受け応えのはっきりしない「もうろう」状態で臨んだことが批判を浴びて辞任し、さらに支持率が低下。地方選挙では4月の名古屋市を皮切りに、5月のさいたま市・6月の千葉市と政令指定都市の市長選挙で自民党・公明党の推薦候補が民主党の支援する候補に相次いで敗れ、野党陣営の分裂で有利とみられていた7月5日の静岡県知事選挙も、与党の推薦した前参議院議員が僅差で落選。7月12日の東京都議会議員選挙では、民主党が改選前を20議席上回る54議席を獲得したのに対して、自民党は改選前を10議席割り込む38議席に留まり、都議会第一党の座から転落。公明党と合わせても61議席と過半数割れの大敗を喫した。
7月13日、麻生は、公明党がかねてより東京都議会議員選挙を重視する立場から、総選挙の公示は都議選の投開票日である7月12日から最低でも前後1ヶ月は開けて欲しいと再三にわたって申し入れて来たこともあり、7月21日に衆議院を解散することを決断。同日、都議選の結果を受けて野党は、衆議院に内閣不信任決議案、参議院に内閣総理大臣問責決議案をそれぞれ提出。不信任決議案は与党の反対多数で否決されたのに対して、問責決議案は参議院で多数を占める野党の賛成多数で可決され、国会は空転状態となった。
7月21日、衆議院が解散され第45回衆議院議員総選挙を8月18日公示・8月30日投開票とする日程が決定された。第171通常国会の会期が7月25日までであったことから、任期満了の場合は8月11日公示・8月23日投開票となる予定であったがこの日程では公示日が公明党の希望する「都議選から1ヶ月以上の間隔」とならないため、公職選挙法第31条3項の「衆議院解散の日から40日以内」の規定を援用し21日に解散したものである。
[編集] マスメディア、政治家による命名
『東京新聞』は、自由民主党が宮崎県知事東国原英夫(そのまんま東)の本選挙への選擁立を画策し、退陣を求める声が高かった総理大臣(自由民主党総裁)麻生太郎が辞めずに「そのまんま」居座っているという意味を込めて「そのまんま麻生解散」と命名[1]、『読売新聞』は日本全国のインターネットユーザー1000人を対象に実施した調査で、「追い込まれ解散」、「がけっぷち解散」、「破れかぶれ解散」、「バカタロー解散」など麻生への厳しい評価を込めた解散名が全体の2割を超えたと報じた[2]。
党元副総裁山崎拓は「野党転落寸前」の意味を込めて「がけっぷち解散」、党元幹事長加藤紘一は、「麻生は与党のままでいられると思っている」として「与党ぼけ解散」、党元幹事長中川秀直は勝算のなさを批判して「万歳突撃解散」とそれぞれ命名している[3]。
一方、民主党代表鳩山由紀夫は「政権交代解散」、国民新党代表代行亀井静香は自民党の崩壊を予言して「自民党の解散みたいな解散」、社会民主党党首福島瑞穂は麻生がポストにしがみつくためだけに行ったとして「麻生降ろし防止解散」、新党日本代表田中康夫は、自民党内は自分自身さえ再選されればと形振り構わぬミーイズムな状況下であるとして「ミーイズム解散」とそれぞれ命名した[4]。
[編集] 脚注
- ^ 政治部・衆院選取材班 (2009-07-15). “[本紙が勝手に命名]”. 東京新聞 2009-07-20 閲覧。
- ^ “[「追い込まれ」「がけっぷち」第1回調査衆院選ネットモニター]”. 読売新聞. (2009-07-16) 2009-07-20 閲覧。
- ^ “[[1]]”. 日刊スポーツ. (2009-07-21) 2009-07-22 閲覧。
- ^ “[ドキュメント「逃げぬ」「最悪」「最後」]”. 朝日新聞. (2009-07-22) 2009-07-26 閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月15日 (日) 10:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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