DC-6
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ダグラス DC-6
ダグラス DC-6(ダグラス ディーシー-シックス)は、 アメリカ合衆国のダグラス社が開発した大型レシプロ旅客機。1947年初飛行。レシプロ旅客機の傑作として名高い。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 開発
1930年代以降、DC-3やDC-4Bなど数々のレシプロ旅客機を開発・製造し、1940年代当時、アメリカを始めとする世界の旅客機市場で最大のシェアを誇っていたダグラス社が、1944年に、アメリカ軍が使用していたC-54(DC-4Bの軍用型)の発展型として開発を開始し、第二次世界大戦後の1946年に初飛行した。
機体を大幅に延長した他、ライバルのロッキード コンステレーション機に対抗して客室を与圧し快適性を増した上、レーダーを装備するなど安全性が向上した。また、新型エンジン「ダブルワスプ」を使用したことにより、北大西洋の無着陸横断飛行が可能な航続距離を兼ねそえている。
[編集] ベストセラー
1947年に初号機が就航した後は、第二次世界大戦後の航空業界の復興を受け順調に発注数を伸ばし、後継機のDC-7の生産開始後も生産が続けられ、事実上の後継機となるジェット機であるDC-8の生産が始まる直前の1959年に生産を中止するまでに、計700機が製造され、レシプロ旅客機として最後のベストセラー機となった。
DC-8やボーイング707などのジェット旅客機が就航した後も多くの航空会社で使用され、1970年代まで旅客機として世界各国で使用されていた。なお、初飛行後60年近い現在も数十機がアメリカや中南米の航空会社で使用されているが、その多くは貨物機や消防機に改修され、第一線からは退いている。
[編集] バリエーション
民間用に旅客型のDC-6Bの他、貨物型のDC-6Aと貨客両用型のDC-6Cが開発された。また、アメリカ空軍向けのC-118 リフトマスターと、アメリカ海軍向けのR6Dが製作された。
[編集] 「エアフォース・ワン」
C-118のアメリカ大統領専用機バージョンのVC-118がハリー・S・トルーマン大統領の専用機として、VC-118Aがジョン・F・ケネディ大統領とリンドン・B・ジョンソン大統領の専用機として使用された。
VC-118Aはボーイング707の大統領専用機バージョンのVC-137Cが導入された後も、ジェット機の離着陸が困難な地方空港を利用する際の専用機として1967年8月まで使用された。なお、トルーマン大統領の専用機のVC-118は、1947年7月4日(アメリカの独立記念日)に納入されたため「インディペンデンス」(英語で「独立」の意味)の愛称で呼ばれていた。
[編集] スペック
※航空会社の仕様により多少の違いがある
- 最高速度:644km/h
- 座席数:36席(国際線用)から102席(国内線用)
- 航続距離:約5,000 km
- 全長:32.2 m
- 全幅:32.2 m
- 全高:8.8 m
- エンジン プラット&ホイットニーR-2800「ダブルワスプ」×4基
- 生産数:約700機
[編集] 主なユーザー
[編集] 航空会社
- 日本航空
- キャセイパシフィック航空
- タイ航空
- 民航空運公司
- 英国海外航空
- スカンジナビア航空
- アリタリア航空
- KLMオランダ航空
- スイス航空
- ユナイテッド航空
- ノースウエスト航空
- パンアメリカン航空
- ハワイアン航空
- カナダ太平洋航空
- メヒカーナ航空
- レアル航空
- カンタスオーストラリア航空
- 南アフリカ航空
- ディートリッヒ・マテシッツ
[編集] 軍・政府
[編集] 日本のDC-6
[編集] 導入の経緯
日本ではフラッグキャリアの日本航空が、DC-6Bを国際線用機材として1952年9月12日に導入を決定し、同年11月26日に2機発注した。しかしダグラス社から「引渡しは2年後」との回答により、日本航空は45%のプレミアム価格を承知で製造中だったスリック航空とフライングタイガー航空向けのDC-6A(貨物型)を旅客型に再改装して3機購入し、1953年10月2日に運航を開始(東京-札幌)した。
[編集] 日本航空の主力機
その後、ダグラス社に発注した2機に加え、ウエスタン航空から3機、サターン航空から1機と最終的に計9機を導入した(このうちサターン航空からの購入機(JA6210)は営業運航には使用しない訓練機だった)。また1957年3月17日から翌年2月24日までパンアメリカン航空から1機チャーターし、東南アジア線(東京-香港-バンコク-シンガポール)に投入した。
同機は、1954年2月2日に日本航空の初の国際線である太平洋横断線(東京-ホノルル-サンフランシスコ)に就航した。その後も前述の東南アジア線や当時は不定期運航であったブラジル線に就航するなど、黎明期の日本航空国際線の主力機として活躍した。また、1964年10月に開催された東京オリンピックの聖火運搬機として、ギリシアのアテネから日本国内まで聖火を空輸した。同機には東京、京都、奈良など日本の著名な都市を冠した愛称がつけられ、先の国際線初便に使われた機体の愛称は「City of Tokyo」であった。
[編集] 退役
後継機材のDC-7CやDC-8の導入後は、主に国内線や貨物機として活躍することになったが、コンベア880の国内線への本格導入などにより活躍の場を奪われ、1969年3月30日に全機材が退役したが、実動期間は約15年半、それでもDC-7C(4年前の1965年に退役、実動約7年)よりは長生きすることができた。なお、同機を導入したのは日本では日本航空のみであった。
映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では日本航空のDC-6Bが飛行する場面がある。エンジン音を再現する為に録音スタッフが今尚、同形機が運航されているアラスカまでエンジン音を録音しに行ったという。
[編集] 外国乗り入れ機
アジアからはキャセイパシフィック航空やタイ国際航空などが、ヨーロッパからはスカンジナビア航空やアリタリア航空などが、北アメリカからはノースウエスト航空やカナダ太平洋航空などが、南アメリカからはレアル航空が、オセアニアからはカンタスオーストラリア航空などが主力機として乗り入れた。
他にも、東京オリンピックの開催時に多くの航空会社がチャーター便に使用した他、ジェット機の就航本格化に伴う旅客型からの引退後にも、ベトナム戦争時に多くの貨物型がチャーター便として東京国際空港や立川基地、横田基地などに乗り入れた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月18日 (金) 11:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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