F-14 (戦闘機)

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F-14 トムキャット

アメリカ海軍のF-14D  

アメリカ海軍のF-14D  

F-14アメリカ海軍艦上戦闘機F-4 ファントム IIの後継機としてグラマン社が開発した。愛称は「雄猫」を意味するトムキャット(Tomcat)。

目次

[編集] 概要

ラストフライトを迎えたF-14

アメリカ海軍の保有・運用するF-4の後継機として、グラマン社の開発による第4世代ジェット戦闘機に分類される可変翼と長射程のAIM-54フェニックスの運用能力を特徴とした艦上戦闘機である。機体単価は3,800万USドルで総計712機が製造された。

1970年の初飛行を経て1973年から運用部隊に配備された。アメリカ海軍の他には唯一イラン空軍で採用された。

アメリカ海軍のF-14は諸事情によりF/A-18E/F戦闘攻撃機への機種転換が進み、2006年9月22日VF-31トムキャッターズの解隊を最後に全機が完全退役した[1]

[編集] 開発の経緯

[編集] F6Dミサイリアー構想

F-14の開発は1950年代までさかのぼる。当時アメリカ海軍は東側の対艦攻撃機を要撃する機体を必要としており、1957年にはダグラス社でXF6D-1ミサイリアー(Missileer)の開発を行っていた。F6Dはベンディックス社の開発するAAM-N-10イーグル空対空ミサイル(航行速度マッハ4、射程203km)を先進的な火器管制システム(AN/AWG-9)のもとで運用して遠距離迎撃のための約10時間のCAPを実施する構想による機体だったが、イーグルミサイル以外の武装を持たない上に機動力も汎用性も乏しく廃案となった。しかし、イーグルミサイルは開発が続けられてAAM-N-11、さらにはAIM-54となり、同様に開発を継続されたAN/AWG-9ともどもF-111Bを経てF-14で採用されることになった。

なお、空軍は同時期にXF-108YF-12要撃機を開発しており、これらに用いられたAIM-47ファルコンミサイルと、ヒューズAN/ASG-18 火器管制レーダーの技術も流用されている。

[編集] TFXプログラムとF-111Bの頓挫

1961年ジョン・F・ケネディの政権下で国防長官に就任したロバート・S・マクナマラは、当時海軍と空軍から要望されていた新型戦闘機を可変後退翼を持つ共通のプラットフォームTFX(Tactical Fighter Experimental)として開発する計画を立てた。実際に空軍から出ていた要望は戦闘機というよりも長距離爆撃機に近く、他方で海軍からの要望は対艦ミサイルを搭載した航空機を対艦ミサイル射程外で迎撃するための長距離航行可能で且つ至近距離での格闘戦を想定した戦闘機であり、この分野の知識に疎いマクナマラの推進した計画には当初から無理があった。

1961年10月1日に入札各社は各案を提示。ゼネラル・ダイナミクス社が落札した。ゼネラル・ダイナミクス社はグラマン社と提携し、グラマン社は降着装置と本体後方部、および海軍向けのアレンジTFX-N(後F-111B)のデザインを担当した。

グラマン社はかつてXF10F-1ジャガーの製造で経験した可変翼の技術をF-111で採用した。海軍向けF-111Bの試作機は1965年の5月に初飛行を行ったが、重量過多、航行速度不足、加えて降着装置の位置が前方に偏り過ぎていたために、艦上着陸の際の挙動が非常に不安定で危険となることなど、明らかに海軍の要望を満たしておらず、海軍からの強い反対にあい採用は見送られた[2]

[編集] VFXプログラムの立ち上げとグラマン案の採用

当時海軍で採用されていたF-4ファントムおよびF-8クルセイダーは性能的に時代遅れとなりつつあり、ソビエト連邦の新型機などの脅威に対応不可能と考えられていたことから、海軍はTFXプログラムからVFX(Carrier-based Fighter Experimental)プログラムを、F-111B不採用を決定してすぐに立ち上げた。

1967年10月に各社はこの要望に応札、グラマン社とマクドネル・ダグラス社が残った。グラマン社の案は管制システム、ミサイル、エンジンをF-111Bからそのまま転用したものだった。翌年マクドネル・ダグラス社はモデル225を、グラマン社はモデル303を提示。最終的にグラマン社が落札した。

[編集] F-14の開発

YF-14A

F-14は当初、F-111同様垂直尾翼が1枚だったが、海軍の異議に応じて垂直尾翼を2枚とした最終案が1969年3月に採択された。開発を急ぐ海軍とグラマン社は、試作機による性能評価の結果を踏まえつつ開発した量産型を制式採用し発注するという従来の開発手順を踏まず、いきなり量産型の生産に入り、スローペースで生産する先行量産型でテストを行うクック・クレイギー計画を採用し、まず12機の先行量産型を製造した。そして、先行量産型の各機に受け持ちの性能評価項目を振り分け、迅速に開発を行うこととした。

当初初飛行は1971年1月を予定していたが前倒しされ、1970年の12月21日に試験飛行責任者のロバート・スマイズとプロジェクト・テスト・パイロットのウィリアム・ミラーによって敢行された。この飛行は悪天候と視界不良のために短時間で切り上げられ、9日後に再度飛行試験が行われたが、着陸の際に降着装置の油圧系統が故障。予備系統も作動せず、試作機は墜落。操縦士は射出座席で脱出し軽傷を負った。この時製作中の12号機を1X号機として試験に割り当てたため、試作機は都合13機である。

この設計ミスを修正した2機目の試作機は1971年5月24日に初飛行を行った。この試験機は低速度での動作確認、可変翼、および火器の動作確認に割り当てられた。3機目は搭載重量を増やしての飛行、4、5、6機目はムグ岬の海軍基地でAWG-9/AIM-54の搭載試験を行った。このうち5機目は1973年6月20日スパローミサイルの発射試験で自機に命中するという珍しい事故で墜落している。この事故の原因はスパローを下に打ち出す力が足りないことにあった。その結果、発射後に急上昇して高度を稼ぐようになっているスパローとの高度の再交差までの時間が不足し、その間にF-14を追い越せなかったスパローがF-14の機体下面に激突したものである。7機目はF401エンジンに換装された。8機目は生産ラインのデータ確認に使用され、9機目、11機目はレーダーとその他のシステム確認に割り当てられた。11機目は地上標的に対するM61 バルカンによる攻撃テストにも使用されている。10機目は海軍試験場で空母での発着を想定した試験に使用された。

海軍による最初の試験飛行は1971年12月16日に行われたが、搭乗員からは着艦の際の挙動の制御が難しいためビースト(獣)と呼ばれた。翌1972年の6月15日に最初のカタパルトを使用した発艦試験がUSSフォレスタル(Forrestal)で行われ、6月28日に初の着艦試験が同空母上で行われた。この10号機はのち着艦に失敗し操縦士は死亡している。(火器管制員は同乗していなかった。)

[編集] 運用開始と配備数の圧縮

空母から飛び立つF-14

F-14はアメリカ軍がベトナム戦争より全面撤退した1973年より初期導入機が老朽化しつつあったF-4の代替として配備が開始され始めた。しかしF-14の取得費用および整備などにかかる諸費用が群を抜いて高いことが知られるようになると、野党の政治家をはじめとする各方面より強い非難を受けた。

実際に民主党のハートキー(Hartke)とビンガム(Bingham)両上院議員から採用を非難する報告書が提出されるなどし、その結果結局当初配備予定だった722機のF-14は313機まで大幅に圧縮された。

その後も政治家マスコミなどによる非難は止まず、更なる圧縮が計画されたが、当時の海軍作戦部長エルモ・R・ザムワルト・Jr(Elmo R. Zumwalt Jr.)によって擁護され、免れることになった[3]

[編集] 特徴

[編集] 基本構造

横田基地で展示されるF-14
左後方より

F-14は艦隊防空戦闘機であり、攻撃機に対する要撃機として使用するために能力も防空に特化したものとなっている。よって、格闘戦を重視したF-15やF/A-18とは異なる設計思想の元に開発された戦闘機である。

一番の特徴としてはAIM-54 フェニックス空対空ミサイルと、それを使用するための強力なレーダー火器管制装置が挙げられる。操縦機構の付いていない後席にはF-4と同様にRIOと呼ばれる専門のレーダー員が搭乗した。[4]

主翼に補助翼はなくスポイラーが装備され、水平尾翼の差動と合わせてロール機動を行う。

艦隊防空に特化した機体ではあるが、平たい胴体の発生する揚力と自動制御による後退角最適化により旋回半径を小さくする効果により、翼面荷重の高さの割には空中戦能力は低くはない。同時期に開発されたF-15との模擬空戦においてはたびたび勝利し、2機のF-15を相手に1機で勝利したこともあると言われている[5]。実戦においてもMiG-23Su-22相手に勝利している。

とはいえ大型な機体のために空力抵抗が大きいこととTF-30の余剰推力の不足から高G旋回後の運動エネルギー回復が難しく、神経質なエンジンを扱うためのスロットル操作の制限とともに、空中戦におけるマイナス要因となっている。

[編集] エンジン

F-14は胴体下面に左右に間隔をあけて2基のターボファンエンジンを搭載している。双発機でエンジンの間隔をあけると一方に起こった致命的な故障(爆発、火災、タービンブレードの破損による飛散など)がもう一方に波及しにくいという利点があるものの、1発停止時の推力軸線と機体軸線とずれが大きくなるため操縦はより困難になる。ただし後述するとおりF-14は当初は手っ取り早くF-111のエンジンを流用したものの、後日、新エンジンに交換する目論見であり、それを容易にするためにもこの形式が採用された。なお、F-14では左右のエンジンの間をミサイルの搭載場所として利用している。ちなみにA-5ヴィジランティも、間隔をあけたエンジンにはさまれた位置に爆弾倉を設けており、類似する設計となっている。

F-14Aはプラット&ホイットニー社製TF30-P-412を搭載している。このエンジンはF-111Bで採用されたTF30-P-12の改良型でF-111Dにも採用されているが、非常に大きな欠陥を抱えている。出力は12,350lbと機体重量に対して力不足なことに加えてインテーク付近での気流の乱れに敏感で、簡単に圧縮機の失速を起こす。F-14以外も含むこのエンジンを採用した機体は過去に40もの被害を出しており、その被害総額は10億ドルを越える。当初A型は最初の67機のみ製造し、後ゼネラル・エレクトリック社製のF401-PW-400に換装したB型を400機製造予定だった。

このF401-PW-400エンジンは空軍が後に開発したF100と同じくJTF22を基に設計した、安定性に加えて高出力、低燃費を目指すものであったが開発中に技術的な不具合に遭い、F-14の機体価格の高さから生産そのものを問題視される中での予算追加は困難とされたためにエンジンの実用化計画は消滅し、このF-14Bの製造は開発段階で頓挫することとなった。このため、2機目のF401搭載試験機158260(1機目は試作機の7号機)はほとんど完成していたものの試験飛行前にエンジンをTF30に換装されている。

[編集] ミサイル

AIM-54を最大に装備したF-14
空母甲板上でのF-14とAIM-9

F-14が搭載するAIM-54フェニックスはアクティブレーダーホーミング長距離空対空ミサイルで、射程は100kmを超える。このミサイルはソ連のスタンドオフミサイル Kh-22 及び発射母機である Tu-22/22M爆撃機空母機動艦隊のはるか遠方で迎撃する目的で開発され、現在でもアメリカ軍が今まで制式採用してきた空対空ミサイルとしては最も射程が長いものとなっている。しかし、この高価なミサイルは大型で機動性が悪く、実戦使用例は湾岸戦争時の1度きりである。この時は最大射程で発射したため命中はしていない。

なお、フェニックスは2004年9月30日にアメリカ海軍から引退した。

フェニックスの他には、中距離空対空ミサイルであるAIM-7、短距離空対空ミサイルのAIM-9も搭載できる。これらの空対空ミサイル、あるいは爆弾類は、胴体下面、左右のエンジン間に4ヶ所、主翼根元に左右1ヶ所ずつ、計6ヶ所に搭載する。

F-14の第一の目的は艦隊防空能力であるために対地攻撃能力を付加するに十分すぎる性能を持っていたものの積極的に付加されなかった。このために特にアメリカの空母戦闘群(現 空母打撃群)に対艦ミサイルで攻撃を仕掛けてくる可能性のあった唯一の国家であるソ連崩壊後はF-14の存在意義が大きく薄れていた。結果として、当時主流になりつつあった中距離空対空ミサイルAIM-120 AMRAAMの実弾発射試験には参加したものの、改修による延命効果と費用との勘案から搭載の制式化は見送られた。

さらにイージス艦の配備状況が拡張されるに当たり、対艦ミサイルに対する艦隊防空は、イージス艦中心にシフトしていった。このことがF-14の存在価値を低下させ、退役を早めることとなった。

[編集] 火器管制装置

F-14のレーダーAN/AWG-9は最大探知距離が200kmを超える画期的な高性能レーダーである。操作は後部座席のレーダー迎撃士官が行う。AN/AWG-9は最大で24目標を同時追尾、そのうち6目標へAIM-54フェニックスを発射し同時攻撃する能力がある。飛行制御用計算機には最初期のマイクロプロセッサであるGarrett AiResearch製Central Air Data Computer(CADC)が採用された。

武器の発射(および各種追加機器の操作)は基本的には後席のレーダー迎撃士官が行い、前席の操縦士は操縦に専念することで乗員の負担を分配している。しかし機関砲やサイドワインダーの様な短距離ミサイルは前席からのみである。前席からの全面的な火器の操作も可能ではあるが、通常はこの様に行う。

[編集] 可変翼

発艦したF-14

F-14の大きな特徴の一つとして可変翼が挙げられる。これは、飛行中に速度によって最適な後退角に主翼角度を変えられるようになっているF-111と同様な装備であるが、F-111では巡航飛行時に操縦士が手動で角度を変更するが、F-14では角度の自動変更を可能としている。

この自動制御は単に操縦の利便のみならず、加速時には後退角度を大きくして抵抗を減らし、旋回時には後退角度を小さくし翼幅を広げて旋回半径を小さくする効果がある。F-4戦闘機(J型)との比較でも、加速性能で45%、旋回半径で40%、旋回率で64%向上しており、この値は推力重量比や翼面荷重の比較からの計算値を上回っており、可変後退翼による性能向上効果の高さがわかる。

後退モード切替スイッチはスロットルレバー側面にあり、自動にしておくと、MSP(Mach Sweep Programer)が動圧に応じて、マッハ0.4までは20度から線形に後退し14,000ft以下の低空では0.6付近で約25度となり、そこから変化が急になり1.0付近で68度となる。20,000ft以上では0.7付近で約22度となり、1.0付近で68度となる。なお、MSPによる最大角制限の下で自由に後退角を変更することができる。また、非常用レバーにより、20度、55度、68度、75度に設定できる。ただし、75度を使えるのは降着装置に荷重がかかっている時のみで、飛行時に用いることはできない。これは空母上での収納スペースを節約し、取扱いを容易にするためのモードである。

イラク戦争に参加するF-14B編隊
主翼を大きく開いている

F-111の鋼製のピボット軸ではひび割れが多発したため、強度確保と重量軽減のためにチタン真空中で電子ビーム溶接して作成しており、素材と工作技術の両面で製造コスト上昇の要因となった。

可変翼機は速度に応じて最適の揚抗比を得ることができるものの、可動機構の複雑さや、可動部品、特に軸の強度確保を必要とする等の面から、重量・工数など諸コストの上昇を招くため、トーネード以降、採用は途絶えている。

当初F-14ではもう一つの可変翼として主翼前縁のグローブベーンを展開するようになっていた。これはマッハ1.4以上になると主翼前縁付け根から展開される小翼で、超音速飛行で揚力中心が後退するのを打ち消す狙いがあった。マッハ1.0~1.4では手動で操作でき、また、空戦モードにしておくと空戦フラップと連動して迎角とマッハ数に応じて作動した。さらには後退角55度の爆撃モードでは全開となった。しかし飛行特性にほとんど影響を与えないことがわかり、A型機の運用当時では封印され、B型およびD型機では搭載兵器との干渉をなくすために廃止されている[6]

[編集] 愛称

愛称「トムキャット」の由来は、可変翼の動きがの耳の動きに似ていることから名づけられた。かつてグラマン製戦闘機にシリーズ的に名付けられていた、猫もしくはネコ科の動物が含まれる愛称とは、直接は連続したものではない。

退役記念として、コンフィデレートエアフォース所属のF4F(正確にはゼネラルモーターズ製FM)、F6FF8Fとの併走飛行を行ったことがある。F-14は失速直前でフラップを下ろした状態、逆にF4Fはほぼ全開出力での飛行だった。

[編集] 改修

[編集] 対地攻撃能力の付加

F-14は、当初搭載されたレーダーの能力などから空対空戦闘のみを考慮された戦闘機だったが、航続距離が長いことや搭載能力に余裕があるなどの利点があった。

湾岸戦争でのA-6の損耗率の高さと、後継機として開発されていたA-12やその代価案であるA-6Fの開発が中止されたことにより、A-6引退とF/A-18E/Fスーパーホーネット配備までのつなぎとして、F-14の右主翼付け根のパイロンに、LANTIRNポッド(F-15EF-16に搭載されているものにGPSとの連動機能を追加する改修が行われている)を装備して対地攻撃能力を付与することとなった。

この改修によりポッド搭載のみでレーザー誘導爆弾などの使用が可能となった。この対地攻撃能力が付与されたタイプのことをボムキャットと呼ぶこともある。

[編集] 偵察能力

F-14は偵察ポッド(TARPS)を装備し偵察任務にも使用されている。RF-8の退役後、アメリカ海軍では専用の戦術偵察機がなくF-14はそれの重要な代替機となっている。1990年代から始まった航空団と飛行隊の改編ではTARPSとLANTIRNを装備しない飛行隊から解隊・機種転換されていったことから、これらのポッドによってF-14が延命できたともいえる。

ちなみに、TARPSを装備した機体には「ピーピング・トム」の別称があり、カメラを構えたトムをデザインした専用パッチもある。

[編集] 要撃機型

上述の通りF-14は対艦攻撃機に対する艦隊防空に特化した戦闘機であり、爆撃機に対する要撃機としてもその能力は高いと考えられたため、F-15と共に老朽化したF-106戦闘機に代わる要撃機としての採用が検討されたものの結論はでなかった。結果としてはF-106の退役に伴い、なし崩し的に空軍機であるF-15およびF-16が要撃任務を引き継いでいる。

[編集] スーパートムキャット21計画

1990年代前半に、アフターバーナーの使用なしでのマッハ1の巡航飛行(スーパークルーズ)が可能なエンジンの搭載やステルス性の付加、さらには改良型電子装置の搭載や本格的な対地攻撃能力の追加などにより、21世紀にも通用する戦闘機として、本機の発達改良型である"スーパートムキャット21""アタック・スーパートムキャット21"などが計画された。これは、1980年代後期から1990年代前半にかけて開発・導入が検討されていた空軍YF-22をベースに、主翼をF-14と同じく可変翼とした海軍の発達型艦上戦術戦闘機・NATFF-22N)や、A-6E艦上攻撃機の後継機として計画されたA-12ステルス艦上攻撃機の開発が最終的に中止されたことを受けたためである。

しかし、F/A-18の拡大改良型であるF/A-18E/FスーパーホーネットがF-14の後継機として採用されたことにより、最終的に"スーパートムキャット21"などの開発は中止された。

[編集] 実戦経験

AIM-7を発射するF-14

ベトナム戦争では、1973年アメリカ軍が撤退した後に配備されたために、1975年4月にアメリカ海軍と海兵隊が中心になって行われたアメリカ民間人のサイゴン撤退作戦のための上空支援に使用されたのみとなった。

1981年の対リビア作戦で初の戦果をあげており、原子力空母ニミッツから発艦したF-14が地中海シドラ湾上空で2機のリビア空軍Su-22Mシドラ湾事件 (1981年))を、1989年1月にも同じく2機のリビア空軍機MiG-23MLシドラ湾事件 (1989年))を撃墜している。

1983年レバノン内戦への介入、および1986年4月ベンガジトリポリへの侵攻(リビア爆撃 (1986年))を援護。作戦活動中に偵察を行った。

1991年湾岸戦争では大規模な空中戦は行われなかったが、イラクMi-8ヘリコプターを撃墜している。一方でイラク軍の地対空ミサイルで撃墜されている。

1993年からバルカン上空で、ユーゴスラビア紛争に絡み戦闘空中哨戒(CAP)および偵察を実施、1995年に初の爆撃を行った。コソボ紛争でもF-14が高速前線航空統制および爆撃を実施した。

2001年アフガニスタン戦争では作戦の中心となり、前線航空統制(FAC)や、燃料積載量が少なく奥地まで飛行できないF/A-18Cの代わりに、F-14が誘導爆弾などを投下し、多数の戦果を上げている。

2003年イラク戦争でも、誘導爆弾などを投下し戦果を上げた。

[編集] 配備状況

VF-84 ジョリーロジャースは1976年にF-4からF-14Aへと交代した
第143戦闘飛行隊のF-14とF/A-18E(2005年)

現在は保守・整備の容易さと多用途性などに由来する費用対効果面からF/A-18E/F戦闘攻撃機への機種転換を進め、最後に残った戦闘部隊VF-31トムキャッターズ2006年9月22日に解隊したため、アメリカ海軍のF-14は全機が完全退役している。

[編集] アメリカ海軍太平洋艦隊

  • 海軍戦闘機兵器学校(NFWS:Navy Fighter Weapons School)通称:トップガン-1996年に海軍打撃作戦センター(NSWC)に吸収される形で海軍打撃・航空作戦センター(NSAWC)として再編成
  • 第1戦闘飛行隊(VF-1 Wolfpack)-1993年9月30日全機退役
  • 第2戦闘飛行隊(VF-2 Bounty Hunters)-2003年7月1日にF/A-18FによるVFA-2へ再編成
  • 第21戦闘飛行隊(VF-21 Freelancers)- 1996年1月31日全機退役
  • 第24戦闘飛行隊(VF-24 Fighting Renegades)- 1996年8月20日全機退役
  • 第51戦闘飛行隊(VF-51 Screaming Eagles)- 1995年3月31日全機退役
  • 第111戦闘飛行隊(VF-111 Sundowners)- 1995年3月31日全機退役(2005年にF-5FによるVFC-111 Redesignatedへ再編成)
  • 第114戦闘飛行隊(VF-114 Aardvarks)-1993年4月30日全機退役
  • 第124戦闘飛行隊(F-124 Gunfighters)-1994年9月30日全機退役
  • 第154戦闘飛行隊(VF-154 Black Knights)-2003年10月1日にF/A-18FによるVFA-154 Redesignatedへ再編成
  • 第191戦闘飛行隊(VF-191 Satan's Kittens)-1988年4月30日全機退役
  • 第194戦闘飛行隊(VF-194 Red Lightnings)-1988年4月30日全機退役
  • 第201戦闘飛行隊(VF-201 Hunters)-1999年1月1日にF/A-18AによるVFA-201 Redesignatedへ再編成
  • 第202戦闘飛行隊(VF-202 Superheats)-1999年12月31日全機退役
  • 第301戦闘飛行隊(VF-301 Devil's Disciples)-1994年9月11日全機退役
  • 第302戦闘飛行隊(VF-302 Stallions)-1994年9月11日全機退役

[編集] アメリカ海軍大西洋艦隊

  • 第14戦闘飛行隊(VF-14 Tophatters)-2001年12月1日にF/A-18EによるVFA-14へ再編成
  • 第31戦闘飛行隊(VF-31 Tomcatters)- 2006年10月にF/A-18EによるVFA-31へ再編成
  • 第32戦闘飛行隊(VF-32 Swordsmen)-2005年10月1日にF/A-18FによるVFA-32へ再編成
  • 第33戦闘飛行隊(VF-33 Starfighters)-1993年10月1日全機退役
  • 第41戦闘飛行隊(VF-41 Black Aces)-2001年12月1日にF/A-18FによるVFA-41へ再編成
  • 第74戦闘飛行隊(VF-74 Bedevilers)-1994年4月30日全機退役
  • 第84戦闘飛行隊(VF-84 Jolly Rogers)- 1995年10月1日全機退役
  • 第101戦闘飛行隊(VF-101 Grim Reapers)- 2005年9月15日全機退役
  • 第102戦闘飛行隊(VF-102 Diamondbacks)-2002年5月1日にF/A-18FによるVFA-102へ再編成
  • 第103戦闘飛行隊(VF-103 Sluggers/Jolly Rogers)-2005年5月1日にF/A-18FによるVFA-103へ再編成
  • 第142戦闘飛行隊(VF-142 Ghostriders)-1995年4月30日全機退役
  • 第143戦闘飛行隊(VF-143 Pukin' Dogs)- 2005年前期にF/A-18EによるVFA-143へ再編成
  • 第211戦闘飛行隊(VF-211 Fighting Checkmates)- 2004年10月1日にF/A-18FによるVFA-211へ再編成
  • 第213戦闘飛行隊(VF-213 Black Lions)- 2006年5月にF/A-18FによるVFA-213へ再編成

[編集] 試験評価飛行隊(Test and Evaluation Squadrons)

  • 第4試験評価飛行隊(VX-4 Evaluators) -1994年9月30日に全機退役
  • 第9試験評価飛行隊(VX-9 Vampires)-全機退役
  • 第23評価飛行試験隊(VX-23 Salty Dogs)-全機退役

[編集] アメリカ以外での採用

グラマン社はアメリカ海軍での正式採用後、各国へセールスを行った。イラン空軍への採用(後述)を得たものの、その運用費高や複座型艦上機であるが故に売り込みはうまく行かなかった。

日本航空自衛隊でもかつて、第3次F-XでF-14を導入しようと検討していたこともあったが、比較評価の結果F-15に敗れ去った[7]

その他、1970年代にはイスラエルサウジアラビアカナダスペインオーストラリアへのセールスを行なったが、いずれもF-15やF/A-18に採用を奪われた。

結局、アメリカ海軍以外にF-14を導入したのは、潤沢なオイルマネーで最新鋭兵器を買いあさっていたパーレビ王朝時代のイラン空軍のみとなった。

イラン

[編集] 概要

トップガン飛行隊の仮想敵機役でイラン空軍機を模倣した塗装が施されたF-14A
左後方より

パーレビ王朝政権下に、ソ連偵察機による領空侵犯対策として新型戦闘機の導入を計画。F-4の輸出実績があったマクドネル・ダグラス社のF-15との一騎打ちとなり、1974年6月にF-14Aの採用を決定する。ちなみに選考の際には、当時のイラン皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーが自ら両機を操縦して乗り比べている。当時は80機のF-14Aと共に、714基のAIM-54が発注された。

[編集] 機体

イランが購入したのは一部の装備を外したF-14A仕様機だった。なお、イランのF-14Aは引渡し以来長い間いわゆる「デザート迷彩」を施していたが、近年、同国空軍のMiG-29同様の砂色と水色による迷彩に塗り替えられた機体も増えている。

[編集] 現在の運用状況

その後の1979年1月に、反米的なルーホッラー・ホメイニーを指導者に行われたイラン革命によりアメリカは引渡し前の機体の差し止めと部品供給の停止を行い、補修部品の調達が困難となったイランでは同機の運用は困難となった。しかし、イラン・コントラ事件に絡んでイランのアメリカ製機は補修部品調達を受け続けたために稼動状態を保ち、F-14もイラン・イラク戦争で実戦使用された。

ロシアからは戦力補強のためにMiG-29などが引き渡されている。

イランでは、F-14の後継と期待されたMiG-31やSu-27の購入が経済及び政治的な事情からできなかったため、現在でも貴重な防衛戦力として多数のF-14の維持に精力を注いでいる。数十機がロシアの支援により稼動状態にある。F-14と同時に導入したAIM-54はイラン・イラク戦争で消費したため、現在はホーク地対空ミサイルを改造して搭載している。

なお、アメリカ海軍退役後のF-14は、他の戦闘機の例に漏れず各地で展示されつつある。しかし、未だ運用を続けているイラン空軍への流出を防ぐため、レーダー・電子部品・エンジン等は完全撤去されてから引き渡されている。

配備部隊

  • 第72飛行隊(72nd TFS)-1976年~1980年
  • 第73飛行隊(73rd TFS)-1977年~1990年代半ば頃
  • 第81飛行隊(81st TFS)-1977年より
  • 第82飛行隊(82nd TFS)-1978年より
  • 第83飛行隊(83rd TFS)-第73飛行隊より編成

[編集] 型式

1969年から1991年までの期間に、総計で712機のF-14A/B/Dが製造された。グラマン社はF-14の発展型として、電子機器を換装し、全天候攻撃・偵察能力を持たせたF-14Cの新製を提案したが、計画段階で却下されている。実機にC型がないのはこのためであり、計画の仕様はD型に活用された。さらには、性能を落とした「F-14X」も計画したが、こちらも却下されている。[8]

VF-143所属のF-14A
F-14A
基本型で478機がアメリカ海軍、79機がイラン空軍に引き渡された。
F-14B
F-14B
上記のエンジンの問題にもあるように、F-14AのTF30エンジンは開発当初からその問題が指摘されていた。そのためエンジンの換装案がいくつか挙がっており、最終的にエンジンをF110-GE-400に換装したF-14A+(7号機がF-14Bを名乗っていた)が開発され、後にF-14Bと呼ばれるようになった[9]
着艦するF-14D
F-14D
1990年には、レーダーをAN/APG-71に換装したF-14D型が開発された。これは新規で製造されたものとF-14Aを改修したものの2つのタイプがあるが、前者はF-14Dと呼び、後者はF-14D(R)と呼ばれる。B、Dとも最初は全てのA型を改修する予定だったが、冷戦の終結で製造費が安価で運用も柔軟なF/A-18戦闘攻撃機の導入が基本方針となり、改修も新造も大幅に規模が縮小された。
F-14B、F-14Dはスーパー・トムキャット(Super Tomcat)という非公式の愛称がつけられている。BおよびDはF110エンジンを搭載し、排出ノズルの形状がTF-30エンジンのAと異なるため、外見から判別可能である。
なお、国防総省は完成したF-14Dの方が性能が上であるにも関わらずコスト面からF-14Dの配備を認めず、安価で整備が容易とは言え性能の劣るF/A-18を主力配備することには海軍からとても根強い反対があった。しかし国防予算の都合、フル装備の重いF-14が着艦可能な空母が無い、既にF/A-18が配備されていた等の都合から、結局F-14Dは新製37機、A型からの改造18機の計55機にとどまった。

[編集] 仕様

[編集] 参考・脚注

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  1. ^ USATODAY.com - [1](英語)
  2. ^ もっとも実際にはF-111Bは空母コーラル・シーの離着艦に成功しており、特に問題は無かった。むしろ計画に反対ありきの海軍が、要求仕様を一切緩和しなかったのである。
  3. ^ The Encyclopedia of Modern Military Aircraft (ISBN 1-904687-84-9)
  4. ^ RIOの大半は操縦資格を所持していない。なお、空軍型や輸出用のF-4では、後席にも操縦機構がついている。
  5. ^ KKワールドフォトプレス アメリカ軍用機カタログ
  6. ^ 青木謙知監修 清原伸一編 雑誌「ワールドエアクラフト - 第1号」(World Air Power Journal)デアゴスティーニ・ジャパン、1999年
  7. ^ 1976年入間基地で行われた国際航空宇宙ショーでの両機の激しい売り込み合戦があった。
  8. ^ 三才ブックス『F-14トムキャット”ラストフライト”』 2006年(ISBN 4-86199-057-2
  9. ^ PS2で発売された「エースコンバット5」にてB形が爆弾装備のため「ボムキャット」という愛称になっていたが、実際にはA形でもLANTIRNユニット装備、コンピューターの変更で爆弾装備可能である。これを当時の操縦士は「ボムキャット」と既に呼称しており、B形だけを指す物ではない。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月18日 (水) 15:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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