FC岐阜(エフシーぎふ)は、日本の岐阜県にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。「NPO法人FC岐阜スティックルバック」のサッカー部門のトップカテゴリーのチームである。
[編集] 概要
株式会社岐阜フットボールクラブ
| 種類 |
株式会社 |
| 市場情報 |
非上場
|
| 本社所在地 |
〒502-0841
岐阜県岐阜市学園町3-42 未来会館2F |
| 電話番号 |
058-231-6811 |
| 設立 |
2006年8月30日 |
| 業種 |
サービス業 |
| 事業内容 |
サッカークラブの運営 |
| 特記事項:2001年4月に任意団体として設立。2002年から2006年までNPO法人スティックルバックスポーツクラブが運営。 |
| 表・話・編・歴 |
チームカラーやエンブレムなどは県花である「レンゲソウ」をモチーフとしている。
2001年4月、国体に向けて強化する目的で岐阜県サッカー協会により設立。翌2002年、岐阜経済大学が中心となって地域に根ざした総合スポーツクラブの実現を目指して設立された、「NPO法人スティックルバックスポーツクラブ(SSC)」が運営母体となった。SSCはまず陸上競技部門とサッカー部門を編成し、2004年からラグビー部門を設立。サッカー部門のトップチームはJリーグ加盟を目指すため、2006年8月30日に(株)岐阜フットボールクラブを設立し独立した形となった。
2008年Jリーグ加盟。これに伴いSSCのサッカー部門の育成普及事業を(株)岐阜FCに移管、SSCを現在の「NPO法人FC岐阜スティックルバック」に名称変更した((株)岐阜フットボールクラブとの業務提携について)。
SSCのサッカー部門は以下の編成となっている。
- FC岐阜 - 2001年設立。(株)岐阜FCが運営。
- FC岐阜 - 2008年Jリーグに加盟。
- FC岐阜SECOND - 2006年に「FC岐阜B」として設立、2008年名称変更。2012年のぎふ清流国体を目指して編成。
- 下部組織 - 2008年にSSCのジュニアユースおよびサッカースクールから移管。
- FC岐阜教員 - 岐阜県教育委員会の教員チーム。
- FC岐阜ユニバ - 岐阜経済大学サッカー部。
- FC岐阜BELTA - 女子チーム。1985年に「岐阜女子フットボールクラブ」として設立、2005年にSSC加盟。
- FC岐阜シニア
- FC岐阜フットサル
[編集] クラブの歴史
[編集] 2005年シーズン
- 元名古屋グランパスエイトの森山泰行が入団。この森山の入団がきっかけとなり、クラブはJリーグ昇格を本格的に目指す事となる。最終節前節までは3位だったが最終節に7-0の大量得点で、奇跡的大逆転の得失点差「1」で上回り東海社会人リーグ2部を2位で終え、2006年シーズンの1部リーグ昇格を決めた。これは試合会場の名前から「口論義の奇跡」として語り種になっている。
[編集] 2006年シーズン
- シーズンイン前にJリーグ加盟を前提としたFC岐阜法人設立準備室(室長 吉田勝利)が出来る。
- 東海1部リーグで21世紀以後の4回中3回優勝した実力を持つ静岡FCに勝ち点差11を付けて、全14試合のリーグ戦で12勝2分け土付かずの独走で初出場優勝を決め、JFL昇格チームを決める、全国地域リーグ決勝戦への東海リーグ枠での出場権獲得を決めた。
- 地域リーグ決勝大会の決勝リーグではTDKに次いで2位に入り、JFLに所属するロッソ熊本のJFLからJ2への昇格が見送られた為、ホンダロックとの入れ替え戦が決定した。入れ替え戦では、第1戦を4-0、第2戦を4-1で完勝して2007年からのJFL昇格が確定した。岐阜県勢のチームがJFL以上の全国社会人サッカーリーグの出場権を得たのは西濃運輸サッカー部(旧・ジャパンフットボールリーグ。1997年休部)以来のことである。
- 8月30日、運営業務会社「株式会社岐阜フットボールクラブ」(代表取締役 鈴木誠)が設立された。
[編集] 2007年シーズン
Jリーグ入会を祝って岐阜市庁舎に掲げられた横断幕
- 2007年1月、Jリーグ準加盟申請を行うが常勤役員1名、常勤スタッフ2名の確保という条項を満たしておらず継続審議となる。しかし同年3月に行われた再審議の結果、「経営基盤の強化」という条件付で準加盟が承認された。その後8月末までに経営の改善を求め、ヒアリング審査を行った上で9月に正式な準加盟承認を目指すとしたが、Jリーグがそれを見送り、12月まで猶予することに。
- 2005年から顧問としてチーム運営に携わっていた、GM第一人者とも言われる元サンフレッチェ広島総監督今西和男が、2007年1月GMに就任した。また6月21日にJFL第17節から、戸塚哲也監督に代わって松永英機ヘッドコーチがチームの指揮を執ることになった。
- 中盤こそ2連敗の試合が続いたが、3連敗以上はせず、安定した戦いぶりを見せた。しかし11月26日にあった佐川急便SCとのホーム最終戦で大敗(1-3)を喫し、J2加盟できるかどうか微妙になったが、12月2日のアルテ高崎との対戦に勝利してシーズンを3位で終了しJ2加盟の順位上の条件を達成し、12月3日に開催されたJリーグの臨時理事会で2008年度からJ2でプレーすることが正式決定された。なおJリーグチーム誕生は東海3県においては、名古屋グランパスエイトについで2チーム目である。
- FC岐阜からのコメント→[1]、Jリーグ公式サイトの関連ニュースリリース→[2]
[編集] 2008年シーズン
- J2に昇格して初のシーズンとなり、序盤戦はJFLからの昇格の勢いも手伝って好調な成績を残し、一時は3位(第4節)、1巡目終了時には8位になったものの、シーズン中盤からは攻撃陣の決定力不足と、チーム対戦が一巡したことで戦略面での分析が他チームによってなされたこと、さらに1巡目に失点が多かったことから導入した守備重視のチーム設計が裏目に出たこともあってか、引き分けの多い試合展開、もしくはゲーム終盤に失点を招くという試合が多くなった。特に2巡目終了から3巡目に差し掛かった7月12日~9月23日の間までは引き分けを挟んで8連敗(うち8月24日~9月23日までは引き分けなしで6連敗)となり、9月7日のサンフレッチェ広島戦では7点、同月15日のセレッソ大阪戦では6点を取られる大敗を喫した。これらがきっかけとなってチームが失速。成績も13位で終えることとなった。
- シーズン終盤には、折からの経営危機がチーム運営に水を差すことになり、12月1日にはレギュラー選手を含む15人の大量解雇を発表する事態になった。
- 典型的な「外弁慶」のシーズンでもあり、10勝のうち、ホームではわずか3勝しか挙げられなかったのに対し、アウェイでは7勝を挙げている。アウェイで大勝することも多いが、対照的にホームでは接戦で勝つのがやっとであった。また、ホーム・アウェイ関係なく大敗を食らうことも多く、特に3戦3敗を喫したセレッソ大阪からは3試合で合計12失点(得点は0)している。
[編集] 2009年シーズン
- 昇格2年目のシーズンは、昨シーズン15人の選手を解雇したため、新たに15人の選手を獲得。そのうち大学生が9人、高校生が2人と若手を積極的に補強し、後はJFLのチームからJリーグ経験のある選手の獲得と、Jリーグの他チームからの補強を一切しなかった。シーズン序盤は、若手中心のメンバーであったことや、チームの財政難の問題もあってか勝ちきれない試合も多く、また6月にチームの絶対的エースだったFW片桐淳至のヴァンフォーレ甲府への移籍もあり、戦力面がかなり心配されていた。しかし、シーズンが進むごとにチームは勝ち星をあげていき、前年3勝しか上げられなかったホームでの成績も、5月2日の東京ヴェルディ戦の引き分けから8月16日のコンサドーレ札幌戦で敗れるまで、11戦負けなしという記録が作られるほど回復した。またエース片桐の移籍で心配された攻撃陣も、FW西川優大、佐藤洸一の新卒ツインタワーの2トップが大活躍するなどチームが成長している。
[編集] Jリーグ参入への道のり
[編集] ホームスタジアム問題
Jリーグ参入へ様々な課題が残されていたが、そのひとつとして挙げられたのが「ホームスタジアム」の確保である。当時長良川球技メドウを主に使用していたが、長良川球技メドウの収容人数が3,560人なのに対し、Jリーグが定める規定によると
- 「収容人数:10,000人以上。最低メイン、バックスタンドは個人席またはベンチシート。ただし芝生席は観客席とみなされない」
など、現状のままでは規格外れのホームスタジアムとなる長良川球技メドウを、J2参入後は改修もせずに使用することは困難であった。従ってかつて名古屋グランパスの準ホームスタジアムとして使用されたこともある長良川陸上競技場(31,000人収容。バックスタンド上部のみ芝生席)をホームスタジアムにするなどの選択肢が検討された。
その後発表された2008年シーズンの試合日程では、岐阜県での開催試合はすべて長良川陸上競技場をホームとしている。[3]2009年もホームゲームは全部長良川競技場で開催されているが、2010年は長良川競技場が2012年のぎふ清流国体に向けたトラック、スタンドなどの改修工事を行う予定であるため、2010年は長良川球技メドウをホームとして試合を行う[1]。また一部試合は愛知県一宮市の光明寺公園球技場を使用することが決まった(なお光明寺公園球技場は岐阜県との県境にある)。
[編集] 経営状態問題
- Jリーグ経営諮問委員会で経営状態が指摘され、2007年10月に岐阜市内の製菓会社社長を理事長とする「FC岐阜個人持株会」を設立し、1口5万円での出資募集を開始した(なおこの持株会には、「試合以外で個人としてもチームを支えたい」として、小峯隆幸が入会したことも有名となった)。持株会発足以降、駅前などでサポーター達が出資の呼びかけを訴える街頭活動を行っている。この結果2007年12月20日現在で180口・計900万円が集まっている。
- それでもなお苦しい状況からは脱却できず、2008年シーズンに至っては、運営にとって重要な収入源の一つであるユニフォームの胸・背中・袖にスポンサーが全く付かない状態が続くことになった(その状況は2009年シーズンの中盤まで続いた)
- 2008年シーズン終了時現在、3億366万円の累積赤字と1億4,616万円の債務超過に陥っている状況である。そのため、Jリーグより公式試合安定開催基金から5,000万円の融資を借入するに至った(この事態はザスパ草津に次いで2例目)。
- 2009年6月24日には、入場者数が当初の予想より大幅に下回っていることを発表し、併せてこのままの状況が推移すれば当初の予想興行収入である1億円を下回る可能性があり、Jリーグ・公式試合安定開催基金より借入した5,000万円の融資を返済した後、選手やスタッフに給与の支払いができなくなるほど資金が底を尽きる可能性があるとも発表。(そのような事態が起こらないために)再びホームゲームでファンやサポーター達に呼びかけを行うことを明らかにしている。
[編集] チーム成績・歴代監督
| 年度 |
所属 |
試合 |
勝点 |
勝利 |
引分 |
敗戦 |
得点 |
失点 |
得失 |
順位 |
監督 |
| 2001年 |
岐阜県 |
10 |
25 |
8 |
1 |
1 |
40 |
7 |
+33 |
2位 |
勝野正之 |
| 2002年 |
岐阜県
1部 |
10 |
30 |
10 |
0 |
0 |
40 |
4 |
+36 |
優勝 |
| 2003年 |
10 |
30 |
10 |
0 |
0 |
34 |
4 |
+30 |
優勝 |
| 2004年 |
東海2部 |
14 |
24 |
8 |
0 |
6 |
22 |
21 |
+1 |
3位 |
| 2005年 |
14 |
29 |
8 |
5 |
1 |
26 |
7 |
+19 |
2位 |
| 2006年 |
東海1部 |
14 |
38 |
12 |
2 |
0 |
46 |
3 |
+43 |
優勝 |
戸塚哲也 |
| 2007年 |
JFL |
34 |
60 |
17 |
9 |
8 |
45 |
31 |
+14 |
3位 |
戸塚哲也→松永英機 |
| 2008年 |
J2 |
42 |
42 |
10 |
12 |
20 |
41 |
69 |
-28 |
13位 |
松永英機 |
| 2009年 |
48 |
59 |
15 |
14 |
19 |
57 |
65 |
-8 |
11位 |
[編集] 所属選手(29名)
※背番号は2009年時点。2008年以前の選手はFC岐阜の選手一覧を参照。
[編集] 公式戦対戦通算成績
[編集] 対戦通算成績と得失点
[編集] ユニフォーム
[編集] チームカラー
緑色
ユニフォームの色
| カラー |
シャツ |
パンツ |
ストッキング |
| FP(1st) |
緑 |
灰 |
緑 |
| FP(2nd) |
白 |
白 |
白 |
| GK(1st) |
黄 |
黄 |
黄 |
| GK(2nd) |
赤 |
赤 |
赤 |
|
|
|
|
|
[編集] ユニフォームについて
チームカラーの緑を基調としている。
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 |
スポンサー名 |
表記 |
掲出年 |
備考 |
| 胸 |
なし |
|
|
|
| 背中 |
なし |
|
|
|
| 袖 |
サン・メイト |
サン・メイト |
2009年8月6日〜 |
|
| パンツ |
山中製菓 |
飴・山中製菓 |
2009年7月14日〜 |
キッズ・ドリーム・プロジェクト及びFC岐阜株主も兼任 |
[編集] トレーニングウェアスポンサー
| 掲出箇所 |
スポンサー名 |
表記 |
備考 |
| 胸 |
ピグリ |
PYGLI |
|
| 背中 |
なし |
|
|
| 袖 |
岐阜県名産販売 |
飛騨・美濃すぐれもの |
|
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 |
胸 |
袖 |
背中 |
パンツ |
サプライヤー |
| 2006年 |
アクトス |
- |
アサヒ給湯 |
- |
Lotto |
| 2007年 |
- |
- |
アクトス |
- |
Lotto |
| 2008年 |
- |
- |
- |
-/名進研 |
Mizuno |
| 2009年 |
- |
-/サン・メイト |
- |
名進研/-/山中製菓 |
Mizuno |
[編集] 報道
FC岐阜の情報は、スポンサーでもある地元の報道機関(岐阜新聞・岐阜放送、シーシーエヌ、中日新聞社、中日スポーツ)が主に伝える。なおそのほかのマスコミでも、特集が組まれたりすることがある。また、メ〜テレもオフィシャルスポンサーである。
- JFL時代
- 試合の中継は、地上波では岐阜放送が2006年度のシーズン中に、数回中継する程度であるが、ケーブルテレビでは、シーシーエヌがホーム戦を主に中継する。シーシーエヌは、応援番組も放送する。
- なお2006年12月17日・23日にそれぞれホーム&アウェイ方式で開催される、JFL入れ替え戦(vs.ホンダロック)の試合を、17日は岐阜放送ラジオ、シーシーエヌ、23日は岐阜放送テレビ、シーシーエヌが生中継する。
- Jリーグ昇格後
- 2008年シーズンでは2月24日に開催された『プレシーズンマッチFC岐阜VS名古屋グランパス』の地上波中継はメ~テレが深夜に録画中継を行ったほか、岐阜放送がスカイパーフェクTV!向けに制作し、後日パーフェクト・チョイスにて無料放送された。レギュラーシーズンはNHK岐阜放送局(J2開幕戦3月9日の生中継が最初)と岐阜放送(3月16日の生中継が最初)とメ〜テレ(3月23日の録画中継が最初)で中継が行われる。なお、スカパーでの中継では、Jリーグからの委託を受けて、業務提携関係にあるぎふチャンテレビとメ~テレが試合ごとに映像を製作する。
- ラジオ番組
- テレビ番組
- 毎週月曜日 18:30 - 19:00(challenge!FC岐阜というコーナーで主に試合のハイライトを放送)
- 毎週金曜日 18:30 - 19:00(Forza!FC岐阜というコーナーで主に次節の試合告知や練習風景等を放送)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 中日新聞:FC岐阜、長良川球技メドウにホーム変更:岐阜(CHUNICHI Web)
[編集] 外部リンク
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FC岐阜 - 2009 |
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| スタッフ |
監督 松永英機 | コーチ 米田徹 | GKコーチ セルジオ・ゴベッチ
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| 選手 |
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| 関連項目 |
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