FC琉球
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| FC琉球 | |
|---|---|
| 原語表記 | FC琉球 |
| 愛称 | レキオ |
| クラブカラー | ベンガラ色(琉球血赤) |
| 創設年 | 2003年 |
| 所属リーグ | 日本フットボールリーグ |
| ホームタウン | 沖縄県 |
| ホームスタジアム | 沖縄県総合運動公園陸上競技場 北谷公園陸上競技場 |
| 収容人数 | 県総合: 25000 北谷: 14000 |
| 運営法人 | 株式会社琉球スポーツキングダム |
| 代表者 | 野口必勝 |
| 監督 | 新里裕之 |
| 公式サイト | 公式サイト |
FC琉球(エフシー・りゅうきゅう)は、沖縄県をホームタウンとするサッカークラブチーム。2009年シーズン現在はJFLに所属しており、Jリーグに将来参加を目指しているチームの1つ。
目次 |
[編集] 概要
2003年に発足。クラブ機能は沖縄県内の本島に分散して所在している。運営法人は株式会社琉球スポーツキングダムで本社機能は那覇市にある。スタジアムは地域リーグに在籍していた頃までは、県内各地のスタジアムを転々としていたが、日本フットボールリーグの規格を一応満たしているのは沖縄市の沖縄県総合運動公園陸上競技場のみとなっている。但し電光掲示板は無い(これ以外にも観客席の数や設置状況について、Jリーグの規格は満たしていない)。
クラブエンブレムは1対のシーサーと、琉球王国時代の王冠を取り入れたものを用いている。2009年にはクラブマスコット「ぐしけんくん(仮)」が誕生。沖縄出身の元プロボクサーで、郷土の英雄的な存在である具志堅用高をモデルとしており、他に類を見ない「実在の人間」がモチーフのマスコットキャラクターである。
沖縄県の地域に密着したサッカークラブ作りを目指すとともに、地域のスポーツ文化の高揚に尽力しようというJリーグ百年構想の基本理念に基づいた活動をしている。ホームスタジアムは沖縄県総合運動公園陸上競技場としているが、ホームゲームの大半は、北谷町にある北谷公園陸上競技場を使用している。
[編集] 歴史
FC琉球以前に沖縄県からJリーグ入りを目指していたクラブとして沖縄かりゆしFCがあったが、方針の違いから2003年にラモス瑠偉らがかりゆしを集団退団、その選手たちが中心となって2003年に結成された。初代監督は新里裕之(当時は選手を兼任していた)。
2003年シーズンは県リーグ3部に位置したものの、圧倒的な成績で全勝優勝、2004年シーズンは特例として、県リーグ1部への飛び級が認められた。
2004年、沖縄にルーツをもつ元日本代表の与那城ジョージを監督に招聘、県リーグ1部も無敗(1引分を除き全勝)で終え、翌1月の九州各県リーグ決勝大会でも優勝、2005年シーズンに地域リーグとなるKyuリーグに昇格すると、同リーグを2位で通過し全国地域リーグ決勝大会へ進出。同大会初挑戦ながら優勝を果たし、沖縄県勢としてはJSL時代を含めて、史上初のサッカー全国社会人リーグ昇格を果たした。
2006年7月、元Jリーガーの石川康(元ヴェルディ川崎他)がゼネラルマネージャー(GM)に就任。同年、フットサル及びハンドボールチーム(のちに琉球コラソンとして独立)が結成された。
2006年シーズン終了をもって与那城ジョージ監督が退任、2007年シーズンより前Honda FC監督の吉澤英生が就任したが、成績は低迷し、6月に石川GMが退任。クラブはJリーグ所属のクラブなどからの選手補強を行い、JFL残留を果たした。なお、吉澤は2007年限りで監督解任となった。
2007年12月、翌2008シーズンへ向け、元日本代表監督のフィリップ・トルシエが総監督に就任。監督には同じく フランス人のジャン=ポール・ラビエが就任したほか、それまでの所属選手を大幅に入れ替えた。また2008年1月には社団法人日本プロサッカーリーグに対してJリーグ準加盟申請を行ったが、同2月19日に開かれた理事会において、運営体制の未確立、スタジアム等設備条件の不備を理由に申請は却下された。
2008年12月、ジャン=ポール・ラビエ監督が退任。これを受け、2009年1月、コーチを務めていた新里裕之が監督に復帰した。
[編集] 戦績
| 年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 順位 | 監督 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003年 | 沖縄県3部北 | 9 | 27 | 9 | 0 | 0 | 92 | 2 | +90 | 優勝 | 新里裕之 |
| 2004年 | 沖縄県1部 | 9 | 25 | 8 | 1 | 0 | 39 | 6 | +33 | 優勝 | 与那城ジョージ |
| 2005年 | Kyuリーグ | 18 | 42 | 13 | 1,1(*1) | 3 | 51 | 12 | +39 | 2位 | |
| 2006年 | JFL | 34 | 29 | 6 | 11 | 17 | 29 | 57 | -28 | 14位 | |
| 2007年 | 34 | 27 | 7 | 6 | 21 | 38 | 82 | -44 | 17位 | 吉澤英生 | |
| 2008年 | 34 | 27 | 7 | 6 | 21 | 31 | 58 | -27 | 16位 | ジャン=ポール・ラビエ | |
| 2009年 | 新里裕之 |
- 1:Kyuリーグの規定により90分で同点の場合PK戦。PK戦1勝(勝点2)1敗(同1)
[編集] 2009年シーズンメンバー
2009年3月22日現在
[編集] スタッフ
| 役職 | 名前 | 前職 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 総監督 | モロッコ代表 監督 | 2002 FIFAワールドカップ日本代表 監督 | |
| 監督 | FC琉球 コーチ | 沖縄県南風原町出身 |
[編集] 選手
| Pos | No. | 選手名 | 前所属 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| GK | 1 | 横河武蔵野FC | 新加入 | |
| 21 | 東海大学 | 沖縄県那覇市出身 | ||
| 22 | ソーマプライア(ビーチサッカー) | |||
| DF | 2 | ジェフリザーブズ | 再加入(2006年以来)・沖縄県沖縄市出身 | |
| 3 | FC刈谷 | 新加入 | ||
| 4 | 栃木SC | 新加入 | ||
| 5 | 宮崎産業経営大学 | 新加入 | ||
| 15 | 柏レイソル | |||
| 17 | 横河武蔵野FC | 新加入 | ||
| 26 | 朝鮮大学校 | 新加入 | ||
| MF | 6 | 沖縄かりゆしFC | 沖縄県浦添市出身 | |
| 7 | 水戸ホーリーホック | |||
| 8 | TDK SC | 新加入 | ||
| 10 | ヴィッセル神戸 | |||
| 13 | 沖縄かりゆしFC | 沖縄県那覇市出身 ビーチサッカー日本代表 |
||
| 18 | 神奈川大学 | |||
| 20 | 流通経済大学 | 新加入 | ||
| 23 | 帝京長岡高等学校 | |||
| 25 | ベガルタ仙台 | 新加入 | ||
| 38 | 東京ヴェルディ | |||
| FW | 9 | 栃木SC | 元日本代表 | |
| 11 | FC刈谷 | 新加入 | ||
| 14 | 富士常葉大学 | |||
| 16 | 沖縄県立那覇西高等学校 | 沖縄県浦添市出身 | ||
| 19 | 流通経済大学 | 新加入 | ||
| 24 | アルテ高崎 | 新加入 |
[編集] ユニフォーム
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[編集] チームカラー
ベンガラ色(琉球血赤)。深みのある暗赤色で、伝統ある琉球文化を継承し、熱く燃える闘争心を表す。サプライヤーは2008年までKappaだったが、2009年からerrea。
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | ニワンゴ | ニコニコ動画 | 2009年〜 | |
| 背中 | - | - | ||
| 袖 | プジョー・シトロエン・ジャポン | PEUGEOT | 2009年〜 | |
| パンツ | トランスコスモス | transcosmos | 2009年〜 |
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
- 2004年~2008年 Kappa
- 2009年 errea
[編集] 関連項目
- ケツメイシ: 2004年6月に親睦試合を開催
- 小笠原大介の超!! FC琉球(RBCiラジオ=RBCi)
- 金子達仁
- 川平慈英 初代ファイヤーサポーター
- 具志堅用高 二代目ファイヤーサポーター
- ニコニコ動画 スポンサー
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月3日 (木) 04:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【FC琉球】変更履歴












