J-POP
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J-POP(ジェイポップ)とは、FMラジオ局のJ-WAVEによって作られた言葉。
その名の通り基本的形態はポップスが土台となっている。メロディアスなボーカル、なじみのあるコード進行を土台にしながら、楽器編成や音色、前奏や間奏が他のジャンルの体をなしているのがその特徴である。楽器編成や音色は主にイギリス、アメリカの音楽マーケットの流行から用いられている事が多数である。
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[編集] 概要
日本の大衆娯楽音楽(ポピュラー音楽)、比較的若い世代に好まれる楽曲を総称したジャンル、洋楽に対する演歌も含めた邦楽の大衆娯楽音楽、日本の商業音楽(売れを意識した音楽)、などJ-POPの定義は人によって捉え方が異なる場合も多い。音楽評論家の烏賀陽弘道による定義では「その時代の若い世代に好まれる日本の都会的・商業的な音楽」であるとされる。
また日本では、J-POPは欧米のおいしいとこ取りをしているだけの音楽と、批判的にとらえて話される事も少なくない。
親日家で元メガデスのギタリストであるマーティン・フリードマンは、日本の音楽シーンを「欧米ではR&B、ロック、テクノなどジャンル分けがしっかりしているため、結果的にミュージシャンはその枠に縛られている。ヘビーメタルなら他のメタルバンドから影響されても、ラテン系の音楽から影響される事はないし、ディスコミュージックからの影響もない。ところが日本では、ジャンルに関係なく影響し合っており、それがすごく冒険的で面白いものが生まれている」と語っている。
[編集] 歴史
[編集] 1988年
J-POPという言葉はラジオ放送局J-WAVEから1988年末に誕生した造語である[1]。この名称はマスメディア上のカテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において、グラム・パンク・グランジ・オルタナティブ・ロック・ヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる。そのため、1988年以降の日本において、J-POPと呼ばれるジャンルの楽曲が突然出てきたのではなく、脈々と流れていた日本音楽の歴史の中である日を境にそれまで「歌謡曲」ないし「流行歌」などと呼ばれていた楽曲を「J-POP」と呼ぶようになった、という認識が正しいと言える[要出典][2]。
J-POPという言葉が誕生した1988年当時、それを使用していたのは輸入盤CD取扱店の邦楽曲コーナー程度で、一般に普及しているとは言い難い状況であった。一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し、定着したのは1993年から1996年頃にかけてである。
[編集] 1990年代
1982年に登場したコンパクトディスク、およびその再生装置の爆発的な普及により、音楽市場が一気に拡大し、売り上げは右肩上がりを続け、1991年に初の4000億円台、1993年に5000億円と、1998年の6074億9400万円まで、史上最高を更新し続けた[3]。生産量も1991年に3億枚を突破、1993年に4億枚を突破する[4]など、成長を続ける中で、個人としても1977年に阿久悠が記録した1172万9000枚の売り上げ記録を、1993年にZARDの『負けないで』の作曲などで知られる織田哲郎が16年ぶりに更新した。
J-POPという言葉はこの頃からようやく一般の雑誌などでも見かけるようになり[5][6]、一般庶民にもそれらの媒体を通して徐々に浸透していった。
CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。デジタル技術による音楽制作は人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、楽曲の大量生産が可能となった[7]。また、シーケンサーやサンプリング・シンセサイザー、MIDIなどの技術により、楽器を実際に弾く事無く楽曲を作成する事も可能となり、その技術にいち早く注目し、実際に成功を収めたミュージシャンとして小室哲哉がいる。また、制作環境のデジタル化に伴い、それまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれている。こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もある[8]。ソニー・ミュージックエンタテインメント(当時)の坂本通夫は、1991年を音楽業界の転換点として「音楽が作品から商品に移り変わった時」と語っている。
そして1992年ごろから「ミリオンヒット」という現象が続発するという事象が発生しはじめる。1991年のミリオンセラーは9作品(シングル・アルバムを合わせて。以下同様)、1992年は22作品、1994年にはその数は32作品を記録した[9]。また、トップ10のアーティストだけで年間売り上げシェアの4割を占めるなど、先の楽曲の大量生産と相まって、一握りの成功者と、その他という図式が出来上がるようになった。
90年代の日本の音楽史を語る上で重要なキーワードとしてKDDというものがある[10]。カラオケ(K)、ドラマ(D)、大幸システム(D)の頭文字を取ったもので、ヒット曲を生み出すための要素とされた。特に長戸大幸の考え出した広告会社や企業と直接提携し、作品を制作するシステムは、市場において圧倒的な強さを誇り、1993年には長戸の会社ビーイング所属のアーティストが売り上げ1位、2位、4位、5位を占めた[11](ビーイングブーム)。 また、1998年には宇多田ヒカルの登場により、R&Bブームが巻き起こる。デビュー曲『Automatic』で一世を風靡する。また、彼女の1stアルバムは800万枚を売り上げた(日本歴代1位)。
[編集] 2000年代
[編集] 同義語
「ジャパニーズ・ポップス」という言葉(「ジャパニーズ・ポップ」とは言わない)が、同じ意味で用いられる事がしばしばある。別途J-ROCKという言い方も、内容的にはJ-POPと重なる意味で一時使われたが、J-POPの様には普及しないままとなっている。「日本の」という意味で、J-RAP、J-SOUL等、何にでもJを付ける使い方が一時期頻繁に見られたが、最近ではあまり見られない。
方言としてZ-POP(ジーポップ)が有る。JFL系列のラジオ局ZIP-FM(愛知)とJFN系列のFMK(熊本)が用いる言葉で、局限定である事(ZIP-FMは放送エリアである名古屋周辺を「ZIP CITY」と呼ぶ)、局による選曲方針の違い等が有るものの、J-POPとほぼ同意義である。
[編集] 関連項目
- 産業ロック
- ヴィジュアル系
- 音楽のジャンル一覧
- 服部良一(和製ポップスの形成において重要な人物。「J-POPのルーツを築いた」という評価もなされている作曲家)
- 吉田拓郎(「日経エンタテインメント!」は、2000年2月号の特集 "J-POPの歴史をつくった100人" の中で、"J-POPの開祖" と論じている[12])
- A-POP
[編集] 脚注
- ^ J-POPということばの仕掛け人でもあった斉藤日出夫は「和製エルビスや和製ポップスではいつまでたってもオリジナルを超えられないが、J-POPであればオリジナルになり得る」と語っている。
- ^ 「歌謡曲」や「流行歌」と呼ばれていた時代に存在したフォークやロック、ニューミュージックといった音楽体系にあったジャンルを曖昧な定義のまま全て統合しJ-POPと呼称するようになった。J-POPと呼ばれる楽曲の中には様々な曲調のものが存在するのはこのためである。[要出典]
- ^ 音楽ソフト種類別生産金額の推移、日本レコード協会
- ^ 音楽ソフト種類別生産数量の推移、日本レコード協会
- ^ 1993年秋に発売された雑誌『ELLE』において「ジャパンポップ」と呼ばれる言葉でコーネリアスやピチカート・ファイブといったいわゆる渋谷系と呼ばれるバンドの紹介を行っている。
- ^ 1994年夏に発売された雑誌『マルコポーロ』において「洋楽を無節操に真似た音楽」という定義として「Jポップス」という言葉を使用している。
- ^ 日本レコード協会の『日本のレコード産業』によれば、1991年の1年間で510組のバンド・歌手がデビューしている。デビュー歌手数、日本レコード協会
- ^ 『Jポップとは何か』- P.60より
- ^ ミリオンセラー作品数の推移、日本レコード協会
- ^ 『日本流行歌史』(社会思想社)p.91より
- ^ それぞれZARD、WANDS、B'z、T-BOLAN
- ^ 日経エンタテインメント!、日経BP社、2004年2月号- P.28、29より
[編集] 参考文献
- 『Jポップとは何か』- 烏賀陽弘道(岩波新書、2005年4月)
- 『ポピュラー音楽の世紀』- 中村とうよう(岩波新書、1999年9月)
- 『日本流行歌史(1960-1994)』- 横沢千秋他(社会思想社、1995年5月)
- 『Jポップの心象風景』著者:烏賀陽弘道 文春新書、2005年
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月19日 (木) 14:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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