MG・MGB

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MGBエムジービー)は、イギリススポーツカーブランドであるMG の主要車種の一つで、オープンカーの代名詞とも言われるほど量産された人気車種である。

MGB 1963

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[編集] 概略

1962年MGブランドにおける主力車種として発売された2座席オープンスポーツカーで、1980年までに全世界でおよそ52万台が製造・販売される大ヒット作となった。

ボディーバリエーションは以下の2種類。

  • ツアラー・・・・・2座席のオープンモデルで、MGBの基本モデル。
  • GT・・・・・・・ツアラーをベースに屋根を取付けたハッチバッククーペ1965年に追加された。

エンジンバリエーションは以下の3種類。

  • 直列4気筒搭載モデル・・・・・MGBの基本モデル。
  • 直列6気筒搭載モデル・・・・・1967年に登場。MGCというモデル名が与えられた。
  • V型8気筒搭載モデル・・・・・1973年に登場。MGB GT/V8としてGT(クーペ)ボディのみに搭載された。


ツアラー・GT共に、20年近くのモデルライフの間、幾度かマイナーチェンジが施されており、1967年にはMkⅡに、1969年にはMkⅢに発展した。更に1974年になると、アメリカ合衆国の衝突安全関連の法令を満たす為に、前後に衝撃吸収機能を有するバンパーを装着する等、外観を中心として大幅な改良が施された(通称ラバーバンパーモデル)。


生産はイギリスのアビンドン工場にて行われ、北米や西側ヨーロッパ諸国、日本オーストラリアニュージーランドなどに輸出された。また一部では現地ノックダウン生産も行われていた。 なお、MGブランドの人気車種として20年近くに渡り生産され続けたモデルであったが、生産会社自体は、生産開始当初のBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)に始まり、生産中止時には BL Carsと変遷している。


1992年10月にはローバー社からMG RV8が発表されたが、モノコックボディとボディパネルの多くは、このMGBのものを流用して作られていた。 また、メーカーが生産したモデルでは無いが、正規にGTモデルが登場する以前にベルギーのコーチビルダーにより製造されたクーペボディへの改造車両である「MGBベルリネッタ」も少数存在する。また4気筒エンジンのMGBにV8エンジン搭載する改造(トゥアラー/GTとも)も積極的に行われた。特に後期モデルではボディがMGB GT V8のものと一部設計共通化のため行いやすい。現在でもイギリスMGOC(MG Owners' Club)などでは改造に必要なボディパネルや部品類を販売している。日本にもごく少数が輸入されている。

[編集] メカニズム

前身モデルであるMGAの構造を基に、ボディを独自設計のモノコックに改め、親会社BMCの既存部品を組み合わせ、開発・生産コストを抑える設計とされた。

主力モデルは、OHV直列4気筒1,800ccの「BMC Bタイプ」エンジン(およそ90-95馬力)をフロントに搭載し、4速のマニュアルトランスミッションを介し、リジッドアクスルの後輪を駆動する設計とされた。

トランスミッションは、後に電磁式オーバードライブが装備され、5速(西ヨーロッパ・イギリス向け仕様では6速)となった。また、一時期ではあるがトルクコンバータ式3速オートマチックトランスミッションもラインナップに加わっていた。

フロントサスペンションは、アッパーアームがレバー式ショックアブソーバーのアームを兼ねるウイッシュボーンを採用、一方リアサスペンションは、開発過程ではストラット式の独立懸架方式も検討されたが、結局は半楕円リーフ式によるリジッドアクスルとされた。 (注:MGCのフロントサスペンションは、スペースの問題でトーションバー方式)

ブレーキは、前輪がソリッドのディスクブレーキ、後輪はドラム式が標準。(1974年後期モデルから倍力装置標準装備)

エンジンのバリエーションとしては、

  • OHV直列4気筒1,789ccの「BMC Bタイプ」エンジン、
  • OHV直列6気筒2,912ccエンジン(搭載車種名はMGC、グループ企業のオースティン・ヒーレー社のヒーレー3000と同形式のエンジン)、
  • OHVV型8気筒3,528ccエンジン(GTボディ(クーペ)専用、ローバー社製アルミエンジン)

の3種類となっている。

なお、ツアラー(オープンモデル)のは発売当初、取外しが出来る組立式の「Pack Away」と呼ばれる物が標準装備であったが、後に固定式幌が標準装備されるようになった。

[編集] 北米におけるMGB

第二次世界大戦後、イギリスに駐留したアメリカ合衆国軍兵士は、小型で軽量なMGを初めとするスポーツカーに魅了されていた。またイギリスの自動車産業は、疲弊した国内向けだけではなく、戦禍に遭わなかったアメリカ合衆国を中心とした北米マーケットへの輸出を増やす必要に迫られた。

MGブランドを傘下に持つ、企業体ナッフィールド・オーガニゼーションは、戦後モデルを北米向け左ハンドル仕様に転用し易いように予め設計を行っており、MG TC(1945年)、TD(1950年)及びTF(1953年)において多数の輸出実績を残した。

そして、1952年ナッフィールド・オーガニゼーションオースティン・モーター・カンパニーが合併し誕生したBMCにおいて、MG部門は1955年、流麗なボディをラダーフレームの上に架装した、MGAを送り出した。オープンモデルとクーペモデル、DOHCエンジン搭載モデル合わせて10万台あまりを生産、ほぼ半数を北米に輸出した。

1950年代後半になるとMGAの後継モデルの開発がスタートし、1962年前半には後継モデルの試作先行生産が行われた。そして同年9月、MGBが正式に発売されたのだが、量産第1号車は、アメリカ合衆国向けの左ハンドルモデルであるように、当初から北米マーケットを重視した設計を行っており、総計52万台の生産台数のうち三分の二が北米へ輸出された。1960年代中の北米マーケットでは、MGBに限らずイギリス車は好調に販売され続けた。

1970年代以降は北米マーケットでの日本製スポーツカーフェアレディZや、欧州製スポーツカーとの競合に悩まされた。 また、北米のマスキー法と呼ばれる排気ガス規制による、燃料供給系統の設計変更でのエンジン出力の大幅低下と、1974年の衝突安全基準の規制による大型の衝撃吸収バンパー(通称ラバーバンパー)の装備などによる重量増加と外観デザインの変更により、スポーツカーとしての魅力を失ったとされる。 時代の趨勢は、オープンカーよりも快適なクーペGTカーを求めると共に、安全面でもオープンカーは不利であった。

1980年1月、当時の生産会社のBL首脳陣は、北米市場での販売の低迷を主たる理由として、1980年10月を持ってMGBの生産を中止、MGそのものの歴史の終焉を意味するアビンドン工場の閉鎖をも決定した。数々の反対運動も盛んに行われたが、結局は1980年10月22日をもってMGBの生産は終了、直後にアビンドン工場は閉鎖となった。

MGBの歴史は、北米での各種規制と、オイルショックとの戦いでもあり、またコストダウンとの戦いでもあった。 初期モデルにおけるアルミ軽合金製エンジンフードや、スチール外部パネルの接合面ハンダ処理、インテリアにおけるレザーシート、メッキ部品などは、後期モデルでは無くなってしまうが、その代わりに、衝撃吸収型ステアリングコラムの採用を初めとする安全装備の充実などが計られている。

[編集] モータスポーツ

MGは創業のそもそもがレース活動と関わりがあるように、MGBにおいても多くの戦歴を残している。

1960年代前半には、改良型ボディでのル・マン24時間耐久レースへの参戦、競技専用モデルの MGC GTSでセブリング12時間などのサーキットレース、 モンテカルロ・ラリーなどのラリー競技にも親会社BMCのワークス活動の一環として活躍した。 (ラリーでのBMC社のワークス活動では、BMCミニ・クーパーが有名)

プライベートチームでのトライアル競技への参加や、イギリスのMGオウナー団体である、MGCC及びMGOCでの模擬レースへの参戦は、現代でも盛んに行われている。

日本でも1963年日本グランプリに当時の輸入元、日英自動車のプロデュースで出走している。

有名なドライバーに、バディ・ホップカークが居る。

[編集] 現在

1988年に、旧ローバー(Rover)グループの一員の財団BHMIT(ブリティッシュ・ヘリティジ・モーターインダストリー・トラスト)傘下のBMH社(ブリティッシュ・モーター・ヘリティジ)が、MGBの生産用器具を収集し、モノコックボディを含む殆どの部品の再生産を開始した。新品入手が不可能な部品も一部見受けられるが、エンジンについてはオーバーホールされ保証付きの"リビルト"エンジンが流通しており、この手のヴィンテージカーの中では維持は楽である。

生産当時の純正部品を置き換える部品供給に加え、近年の技術を加味した改良部品や、競技向け部品もイギリスでは豊富に入手できる。

前述のMGOCでは、MGBオウナーに対し、パーツの供給サービスの他に、V8エンジンへの換装出来るサービスも提供している。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月27日 (木) 03:28 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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