MGC (トイガンメーカー)
MGC (トイガンメーカー)の最新ニュースをまとめて検索!
MGC(えむじーしー、ModelGuns Corporation)は、埼玉県の遊戯銃メーカー。海外製玩具銃の輸入・加工販売からはじまり、1962年には独自開発による国産初[1]のモデルガンであるワルサーVP(ヴェストポケット)を発売した。モデルガンという言葉自体がMGCの企業名に由来していることからも分かる通り、同社の歴史は日本独自のモデルガン文化の軌跡とほぼ重なっている。
目次 |
[編集] 特徴
MGCの製品は開発担当者だった小林太三のデザインによるものが多数を占め、初期の製品ではスライドアクション(通称タニオアクション)と呼ばれるモデルガン独自の作動機構を開発し、装填・排莢・発火が楽しめる製品を主に販売していた。
その後も、流行を押さえたモデルアップや、外観の特徴を上手く再現した製品を多数発表したが、なかでも紙火薬を用いたデトネーター式ブローバックモデルガンを最初に開発した関係から確実な作動性で知られ、「開梱して無調整で遊べるのはMGC製品だけ」という時代が長く続いた。旺盛な開発・販売力によりモデルガン史に残る数々の名作を製造・販売しており、米国の輸入業者からの依頼による海外向け製品は国外でも高い評価を得た。
作動性や安全対策を理由に実銃の内部構造の再現にはこだわらず、実銃よりも若干小さめのサイズとしたり、独自のアレンジを施して表現する傾向が強く、実物に忠実な製品を作る傾向にあったCMCとの比較において、「MGC派」と「CMC派」といった顧客層の色分けが存在した時期もあった[2]。また、日本映画における小道具としてMGCのモデルガンが多く使用されたため、協力会社として同社の名がエンドロールに登場する映画も数多くある。
[編集] 歴史
1960年の設立当初は日本MGC協会(MGC:モデルガンコレクターズの略称)と呼ばれており、米国製玩具銃を改造した発火モデルなどを販売していたが、1962年に国産初のモデルガンであるワルサーVP(ヴェストポケット)を発売し、続いてS&Wチーフススペシャル、ワルサーPPKといった製品を発売した。
モデルガン(金属製ハンドガンであっても当時は実物と同じく表面が黒かった)の需要が高まるにつれ、これが犯罪に悪用されることを危惧したMGCは、1965年に小売店での販売時に購入者から住民票を提出させる方針を打ち出した。これが同社を決定的に有名にするとともに、業界内で孤立させることになった住民票登録制販売である[3]。当時のMGCは、ほぼ独占的にモデルガンを製造していたため、住民票登録制に協力しない店舗には同社製品を卸さず、全店舗が協力しなかった場合には自社店舗を開いて自ら販売することも辞さないとの強行姿勢を示して小売店に協力を迫った[4]。
小売店の多くは曖昧な態度のまま漫然とMGC製品の販売を続けていたが、小売店側の賛同が得られないことで見切り発車を決めたMGCは自社店舗の開設に踏み切り、住民票登録制販売を開始した。これに反発した小売店側は日本高級玩具小売商組合 (N・K・G) を結成してMGC製品を排除し、同社製品を模倣したコピー品や文鎮モデルと呼ばれる外観だけの鋳造品などを製造・販売するようになり、モデルガン業界はMGCとN・K・G派に分裂してしまった[5]。
その後、住民票の不用意な扱い[6]による顧客離れで深刻な販売不振に陥ったMGCは、「アメ横でこっそり買うアングラ商品」という従来のモデルガンのイメージと決別して閉鎖的な販売路線からの脱却を図るため、千葉真一などの映画俳優や外国人モデルを起用し、鮮烈なイメージ効果を期したパンフレットや顧客の知識向上に努めて小冊子を作成するなどの企業努力を続けた。これ以降、地方の模型店などでもモデルガンが販売されるようになり、その社会的認知度が高まったことで顧客層も拡大し、MGCは業界分裂前よりも多くの新規顧客を獲得した[7]。
1971年・1977年の銃刀法改正によりモデルガン規制が行われた時は、金属製からプラスチック製へ製品の主流を変更して規制を乗り切り、遊戯銃の主流がモデルガンからエアソフトガンに移ってからも常に業界をリードする品質の製品を展開し続けたが、1994年に製造部門を廃業した。MGCの名を冠した販売店も新宿、名古屋、仙台に続き上野店が2006年3月12日で閉店し、残るは福岡店のみになった。
製造は新日本模型、タイトー(MGCの親会社である台東商事)、AMIが引き継いだ。また、トイガンメーカーのKSCはMGCの下請け業者であったが、MGCの製造部門廃業の後に独立する。なお、2006年5月にMGCは後継会社の新日本模型と合併した。2006年12月には工場取り壊しのため休業となり、2007年4月に営業再開との告知がされていたものの、その後の製造出荷の再開が無く、実質的に活動休止中である。その際に専門誌広告上において、金型などの製造設備の売却が打診されており、製品の再生産の見込みは低い。
売却された金型のうち、M4A1はウェスタンアームズ社よりガスブローバックガンとして、M92Fモデルガンはタナカワークスより、32オートはCAW社から再生産が予定されている。
2009年9月にMGC創立50周年記念として、M1911系モデルガン(GM5系)三種とM32ショットガン2種が突然に発売されファンを驚かせた。
[編集] 主な製品
- モデルガン(ABS樹脂/HW樹脂)
- MGC ハイウェイパトロールマン41マグナム
- MGC 44マグナム
- MGC ローマン
- MGC トルーパー
- MGC パイソン
- MGC ガバメント
- MGC M39
- MGC M59
- MGC 44オートマグ
- MGC P08
- MGC 32ACP
- MGC M586/M686
- MGC SP47/8
- MGC VP70
- MGC M1カービン
- MGC M11
- MGC M76
- MGC M16A1
- MGC M12S
- MGC M16
- MGC M73
- MGC M1921
- MGC PPK
- MGC SAA
- MGC ディテクティブ
- MGC HSC
- MGC P08
- MGC M96 (M1916)
- MGC S&W M44
- MGC P38 MJQ(MGCでは珍しい六人部登デザインの製品)
- MGC M1934
- MGC M1910
- MGC VP-Ⅱ
- MGC チーフススペシャル
- MGC コンバットマグナム
- モデルガン(鋼板プレス+亜鉛合金)
- MGC MP40
- MGC スターリング
- MGC ステンMKⅢ
- ガスガン
- ベレッタM93R AP
- ベレッタM92F
- Cz75
- グロックシリーズ
- H&K P7M13
- ハイキャパシティシリーズ
- M16シリーズ
- 10/22 ブラックパンサーシリーズ
- キャリコM1000(型番はMGCの創作)
- M1911A1ハーレットアクションシリーズ
- M645他 S&Wオートマチックシリーズ
- MP5KA4電動オートマチックガスガン
- その他
- シューターワン
[編集] 主な技術開発
- デトネーター式ブローバック
- CP式ブローバック
- MGキャップ火薬
- 改造防止インサート
- マガジン内リキッドチャージ式ガスタンク
- ガスブローバック
[編集] 脚注
- ^ 1960年には米国から輸入されたヒューブレー製やマテル製の玩具銃が販売され始めたが、国産の本格的なモデルガンを製造したのは、MGCが最初とされている。また、この時期に国際ガンクラブもモーゼルC96の中国製コピー品から採寸したモデルガン(1978年まで「ハドソン旧モーゼル」として販売継続された)を発売しており、国産初のモデルガンは同品との説(月刊Gun2007年4月号記事)もある。
- ^ ただし、例外的ながらMGCの亜鉛合金製ルガーP08とモーゼルM96の2製品は、実物のサイズ・構造を忠実に再現していた。
- ^ 月刊Gun1965年7月号および8月号広告
- ^ 当時のモデルガンは種類も少なく、戦後の闇市が存続していた上野アメ横の小売店で主に販売されていた。ほとんどの小売店は間口の小さな店舗で、自店にない商品を相互に融通したり、売れ線情報の交換などを行って存続しているような零細な経営環境であった。そうした小売店の中で米軍や自衛隊の放出品を扱う中田商店が、社長のカリスマ的存在感もあって闇市時代からアメ横の顔役的存在だった。一方でアメ横という限定された世界だけではなく、同人グループの会報(後の月刊Gun)を発行し、その通販部門から全国に顧客を開拓しつつあった国際ガンクラブ(インターナショナルガンクラブ〈後の国際産業〉)が台頭しつつあった。こうした小売店に、唯一の国産モデルガンメーカーであるMGCが自社の製品を供給していたのが、当時の業界の構図だった。中田商店は初期のMGCと関係が深かったため、当初は住民票登録制への明確な賛否を示さなかったが、国際ガンクラブは通販での対応が難しい販売方法は、全国の同人参加者に影響を与えかねないと考えて、MGCの方針に断固反対の意思を表明し、会員に方針撤回への署名を呼びかけるなど徹底抗戦の構えを見せていた。
- ^ 月刊Gun1965年12月号広告
- ^ 住民票登録制の開始から間もなく、購入者から提出された住民票が本人の同意無しに警視庁へ提出されており、購入者の周囲を警察官が内偵して回っている事が判明したため、多数のクレームがMGCの店舗に寄せられた。これにつられて客足が遠のいたため、他の小売店までが販売に打撃を受け、ほとんどの小売店ではモデルガンの取扱い中止を検討するところまで追い詰められた。MGCは、この時の住民票の扱いについて明確な説明をしなかったため、警察に提供された経緯などの詳細は今もって不明であるが、住民票登録制は1971年の法規制で表面が黒色の金属製ハンドガンが所持禁止になるまで続けられた。
- ^ 業界分裂を招いた住民票登録制販売によって自ら苦境に陥ったMGCが、新規顧客層を開拓したことで最大の恩恵を被ったのは、皮肉にもN・K・G派の各社だった。MGC製品の模倣からスタートし、当初は粗悪品が多かったN・K・G派の各社も徐々に製品開発力をつけはじめ、ここから国際産業(国際ガンクラブ)、東京CMC(江原商店)、マルシン工業(丸真ダイカスト工業)、ハドソン産業(山田鍍金工業所)、マルゴー(丸郷商店)といった各モデルガンメーカーが成長したほか、中田商店社長にモデルガンを試作して見せた縁で六人部登がデザイナーとして登場し、MGCのライバル商品を続々と世に送り出すことになった。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月24日 (火) 05:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【MGC (トイガンメーカー)】変更履歴

