N・D・クズネツォフ記念サマーラ科学技術複合

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株式会社「N・D・クズネツォフ記念サマーラ科学技術複合」(ロシア語:АО «Самарский научно-технический комплекс имени Н. Д. Кузнецова»)は、ロシア連邦サマーラに所在するエンジン関連企業である。略称はAO N・D・クズネツォフ記念SNTK(АО «СНТК им. Н. Д. Кузнецова»)。ニコライ・クズネツォフが率いていたことから、日本ではクズネツォフ設計局なる名称で知られるが、この企業が「設計局」を称していたことは一度もない。

目次

[編集] 概要

1946年戦時中キエフからモスクワ、そしてクーイブィシェフ市(現在のサマーラ市)に疎開していたS・M・キーロフ記念第145工場(Завод №145 имени С. М. Кирова、キエフ時代はアルチョーム記念工場)を基に、クーイブィシェフでソ連航空産業省第2国営連邦試験工場(Государственный Союзный Опытный завод №2 Министерства авиационной промышленности СССР)が設立された。この工場は、航空用ターボジェットエンジンターボプロップエンジンの開発が命じられていた。1949年にはニコライ・クズネツォフが主要技師に任命され、のち主任技師となった。

1953年には、第276国営連邦試験工場(Государственный Союзный опытный завод №276)へ改名された。1957年には、レーニン勲章を受けた。1967年6月には、第276工場はソ連航空産業省クーイブィシェフ・エンジン工場(Куйбышевский моторный завод Министерства авиационной промышленности СССР)に改称された。

1981年7月には、航空産業省の政令によりクーイブィシェフ科学製造合同「トルート(労働)」(Куйбышевское научно-производственное объединение «Труд»)が結成され、クーイブィシェフ・エンジン工場はそこへ編入された。合同には、他にクーイブィシェフ機械製作設計局とカザン所在のカザン機械製作試作設計局が統合された。ニコライ・クズネツォフは、その責任者に就任した。

1991年1月25日には、サマーラ国営科学製造企業「トルート」(Самарское Государственное научно-производственное предприятие «Труд»)となり、SGNPP「トルート」(СГНПП «Труд»)の略称で知られた。

ソ連崩壊後はロシア連邦の企業となり、1993年にはエヴゲーニイ・グリツェンコが社長に就任した。1994年6月には株式会社に転換し、企業名も株式会社「サマーラ科学技術複合「ドヴィガーテリNK」」(АО «Самарский научно-технический комплекс „Двигатели НК“»)に改められた。 「ドヴィガーテリNK」とは、「ニコライ・クズネツォフのエンジン」という意味である。略称はAO SNTK「ドヴィガーテリNK」(АО СНТК «Двигатели НК»)であった。[1]

1996年1月には、現行のN・D・クズネツォフ記念サマーラ科学技術複合に改称した。

[編集] エンジン

最初に手がけたNK-12(:en:)タ-ボプロップエンジンは1952年ツポレフTu-95爆撃機に搭載された。このエンジンは15000馬力で当時のいかなる西側のターボプロップエンジンよりも高出力だった。アントノフAn-22軍用輸送機にも搭載された。

クズネツォフはイリューシンIl-62やツポレフTu-154旅客機に搭載された推力20000ポンド(90kN)のNK-8(:en:)ターボファンエンジンやアフターバーナーを搭載したNK-144(:en:)をツポレフTu-22M爆撃機や初期の超音速旅客機Tu-144向けに開発した。

最も高出力のエンジンはTu-160爆撃機に搭載されたNK-321(:en:)である。アフターバーナー使用時の推力は245kNである。

現在製造中(とかつて製造していた)エンジン(クズネツォフのエンジンも含む):

[編集] 脚注

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  1. ^ 英語では「NK Engines Company」の名で知られる。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月1日 (火) 18:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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