NEO女子プロレス

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株式会社エヌ・イー・オー
NEO
種類 株式会社
略称 NEO女子プロレス
本社所在地 〒222-0002
横浜市港北区師岡町882-2-203
電話番号 045-544-2691
設立 1997年
業種 サービス業
事業内容 プロレスリングの興行及び関連企画の運営
代表者 代表取締役社長 甲田哲也
外部リンク http://neopro.ne07.jp/
  

NEO女子プロレス(ネオじょしプロレス)は、日本の女子プロレス団体。通称NEO

1997年全日本女子プロレスからの選手大量離脱の際に井上京子を中心とした女子プロレスラー9人によって、前身であるネオ・レディースが立ち上げられる。しかし経営不振で2年後の1999年にネオ・レディースは解散、その後新団体NEO女子プロレスが設立された。

目次

[編集] ネオ・レディース時代

元々、井上京子を中心に新団体を旗揚げする考えはあったが、準備期間中に一部スポーツ紙に旗揚げをスッパ抜かれ、また、同じく全女から分かれたアルシオン旗揚げのニュースもあり、対抗として見切り発車的に旗揚げすることになる。

尚、当初、団体名をネオ・レディースではなく『新日本女子プロレス』と名乗る予定だったが、新日本プロレスからの商標権侵害による告発によりネオ・レディースと名乗ることになる(ただし、会社が発行した封筒等に記載してあった団体名は、新日本女子プロレスだった)。

そのような慌しい中での旗揚げではあったが、保険会社との提携や渋谷区に道場を兼ねた試合会場を作る等の準備を行い(自分達の興行がない時に他団体へ会場を貸し出し、その使用費を団体運営に当てるつもりでいた)、旗揚げに漕ぎ着けるが、当初使用する予定だった渋谷の会場が、地元の反対や建築基準法に抵触することが判明し、1度だけファンを集めてのイベントで使用したのみで、閉鎖することになる。

その後、団体の分裂に伴い、ファンも分裂した事や、全女のように地方に強いパイプを持っていなかったことによるPR不足等により観客動員に苦戦し、そのことで井上京子がリング上で「なんだこのザマは」とフロント陣を批判するなど、選手とスタッフの間で感情的なしこりを作ってしまう。

[編集] NEO女子プロレス時代

その後、経営不振からオーナーを始めとするほとんどのスタッフが離脱し(当時のオーナーは起死回生の手段として、大会場での興行を行う考えがあったが、地道な興行で手堅く維持を図ろうとする現社長の甲田哲也との間で意見の相違があったとされている)解散となり、残されたスタッフと選手達でNEO女子プロレスとしてスタートすることとなる。

NEOになってからは、基本的には大会場での興行は行わず、板橋産文ホール(現・板橋グリーンホール)のような小規模の会場をメイン会場とした。そして後楽園ホールディファ有明のような中規模の会場をビッグマッチとし、キャラクターレスラーを登場させた30人時間差バトルロイヤル等の企画で差別化を図っている。また、地方興行もあまり行わず(行ったとしても、地元のプロモーターへの売り興行が主)、大都市でのマニア層を中心に手堅く興行を行っている。

ネオ・レディース時代には経営難から選手の離脱もあったが、現在は大きな選手の動きもなく、そのため、その堅実な経営から『世界一平和な団体』と称されている。それなりの規模を持つ団体でありながらNEO設立以来道場を持てなかったことを揶揄する声もあったが、2005年12月に念願の道場が完成。それまでままならなかった新人の発掘・育成も開始した。

2007年からは地方興行を積極的に行う方針に転換し、既に北海道、愛知、長崎、長野などで興行が行われている。

社長(時には音響担当他スタッフに降格したりする)の甲田が巻き起こすレスラーやリングアナなどとの抗争は、団体の一つの名物となっている。

[編集] 所属選手

[編集] スタッフ

[編集] かつて所属した選手(ネオ・レディースを含む)

[編集] セミレギュラー

NEOのストーリー展開において重要な役割を担った選手たちを列挙する。

[編集] 団体認定王座

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月12日 (木) 05:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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