SAICO

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SAICO
基本情報
出生名 鈴木彩子
別名 サボ(SAVO)
出生 日本宮城県
1972年3月29日(37歳)
血液型 A型
出身地 宮城県岩沼市
職業 唄うたい
活動期間 1990年5月~
レーベル

ビクター音楽産業
1990年1997年
DAIPRO-X
(1997年~2000年
MOMINEKO RECORDS
2001年2003年
DEAD GIRLS

2005年~)
arights records
2007年~)
影響 レディオヘッドなど
公式サイト ☆SAICO☆WEBSITE315
  

SAICO(さいこ、1972年3月29日 - )は、日本のミュージシャンシンガーソングライター宮城県岩沼市出身。旧芸名及び本名は鈴木 彩子すずき さいこ)。’90年代後半ではサイコ名義で活動していた。なお、SPACE ALL STARSの「ドッキンNightにラララDance」(アコムむじんくんCMソング)のクレジットではすずきさいこと表記されている。また「すずきさいこ」「サイコ」名義で、他アーティストに詞曲を多数提供している。

目次

[編集] 生い立ちと作風

SAICOの特徴として、自らの個人的な生い立ちや体験を積極的に歌詞の中に織り込むことがある。歌詞だけではなく、ラジオのトークなどでも紹介される。非常に重いエピソードもあるが、それをも曝け出すことで支持を得ていることも事実である。

彼女には両親と兄と姉がいる。両親は彼女が中学生の時に離婚。父は元材木業、現在はタクシー運転手。川辺で焼身自殺を計るも奇跡的に生還する。この事実は、1995年に彼女自身のラジオ番組の中で述べられた。また、メジャー引退からブランク後の復活に際し、「mother」の歌詞にも書かれている。

  • この曲が創作された背景には、ある日、母から「彩子を産むつもりはなかった」と言われた体験がある。その母は現在、生命保険会社勤務。

中学高校時代はバドミントンの選手として活躍。全国大会の常連でトップクラスの選手だった。周囲は誰もがその道に進むと思っていたと言われている。

友達に強引に連れて行かれたアマチュアロックバンドのコンサートに衝撃を受け高校を中退。後にその曲を自分のアルバムに収録する---「VOICE~明日への滑走路」(→メジャー時代のアルバム「けがれなき大人への道」9曲目)。その美貌ゆえに、モデルとしても平行して活動する。宣材写真を見た新田一郎が自分の経営する東京の芸能プロダクション(代官山プロダクション)にスカウトし上京。当初はアイドル歌手としてのデビューを控えていたが、本人の強い意向によりアイドルとアーティストの中間的スタンスでデビューを飾る。

後述にあるように活動中にさまざまな紆余曲折を経ており、重ねて本人の体調不良もたびたび起こっているが、そのたびに熱狂的なファン達に支えられ今日まで活動を続けている。 そのカリスマ的な存在は未だ衰えず日本全国にSAICO仲間(saicoは昔からファンの事を「仲間」と呼んでいる)が多数存在する。

[編集] 来歴

  • 1997年
    • DAIPRO-Xに移籍。
      以降、曲のメッセージ色が濃くなる。
    • アルバム「罪深き英雄」発売。直後、FM愛媛のラジオ番組に出演し、同アルバムの放送自粛・放送禁止が水面下で進んでいることを危惧した。厳密には1曲目「罪人」(人を殺しちゃいけないよ!!の連呼)、8曲目の「国民は立ち上がらない!」(愛国心!!の連呼)が槍玉に挙げられていた。
  • 1998年
    • 9月
      シングル「心臓」よりデビュー当時からの芸名「鈴木彩子」を「サイコ」に変更する。
    • 12月15日東京品川埠頭において事故を起こす。レスキュー隊によって、大破した事故車の中から救助される。本人は、朦朧とした意識の中で「もうダメだ。死んでる」という救急隊員の声を聞いたと述べている。片肺を損失する大怪我を負い、緊急手術の末、意識を取り戻す。医者からは一生車椅子であると宣告され、大きなショックを受ける。翌年に予定されていたライヴツアー等は全て中止となる。
  • 2000年
    • 6月頃、一生、歩くことも、歌う事すらも困難であると言われていたが、懸命なリハビリの甲斐があり、ファン待望のシングル「インコ」並びにアルバム「サイコ」リリースで見事に復活を遂げるも、頃にはメジャーシーンを引退。
    • それから神奈川県茅ヶ崎でアルバイトをしながら数年間過ごす。このころ同時に自傷癖が出始め、心配した友人が茅ヶ崎のイベントに誘う。「自分は必要とされてないんじゃないか」と思いながら、恐る恐るゲストで出演すると、最前列にファンが陣取っており、「おかえり!!」と声援を挙げる。このことに感激し、自分を待っていてくれているファンの存在に改めて気づき、再び歌う事を決意する。
  • 2001年
    • 12月28日
      モミネコレコードより3曲入りマキシシングル「この道の上」をリリース(鈴木彩子名義で)。
      インディーズシーンにて活動再開。このシングルは即完売した。
  • 2002年
    • 頃、東京百歌の全国イベントに参加する。
      その後も、色々なイベントやジョイントライブに積極的に参加する。
    • 12月28日にリリースされた「東京百歌オムニバスアルバムVOL.1~色は匂へど散るぬるを~」に「この道の上」のライブバージョンが収録される。
  • 2003年
    • 8月30日
      シングル「MOTHER」発売(数量限定・通販のみ)。
    • 9月27日、鈴木彩子時代のベストナンバーを集めたワンマンライブをCLUB JUNKBOX東京ベイで敢行。ライブチケットは発売後直ちに売り切れた。
      (翌年の同時期にもワンマンライブを行っている)
    • このライブの受付は、兄、姉、そして加藤いづみだった。彩子は、わだかまりのあった家族と、このイベントで和解した。前所属事務所社長の新田一郎も訪れている。
  • 2005年
    • それまで使っていた芸名「サイコ」を「SAICO」に変更する。
      (正式変更は後述のアルバム「CEREAL」リリース日からと思われる)
    • 7月27日
      インディーズ活動後の初CDアルバム「CEREAL」をリリースする。
    • アルバム発表後、ライブを恵比寿で開催。ライブ前に体調を崩し入院し、ライブは延期となったが無事開催する。
    • この前後、都内各所の富士そばでそばを食べるSAICOが目撃される。自身、富士そばのフリークであり、日記等でも写真をアップするほどのファンである。代官山プロダクションが恵比寿にあった頃、プロダクションの入っていたビルの1階が富士そばであり、よく利用していたとラジオで明かしていた。
  • 2006年
    • 久々となるTV・ラジオに出演する。
    • 4月、念願のワンマンライブツアーを開催(熊本大阪広島・名古屋市名古屋)。しかし、熊本公演終了後に体調を崩し残り3公演が延期になる事態に。急遽日程調整を経て7~8月に無事ツアーを再開した。
    • 11月にはイベント出演、又12月31日にはメジャー時代に経験しなかったであろう大晦日ライブを開催。
    • この様に、2006年はまさに「ライブ三昧」であった年と言える。
  • 2007年
    • 6月6日
      インディーズ活動での2枚目のアルバム「Numb」をリリースする。
    • 6月10日付のタワーレコード全店トータルでのJ-POPアルバム総合ウィークリーチャート13位、また国内メジャー・インディーズ楽曲のトータルでの予約ランキングの中で28位となった。その直後6月13日には、渋谷BOXXにて「namb」リリース記念のワンマンライブを開催。久々のバンド編成によるライブであり、会場は超満員となった。「(会場に)入れないほどのお客さんの人数になり、いっぱいつめてもらって、キツキツだった」(saico公式HP 2007.6.15のDiaryより抜粋)
    • 8月26日
      『ch SAICO(チャンネルサイコ)』ライブを開催する。これ以降のワンマンライブの時は「ch SAICO vol.~」と銘打ちタイトルを恒例化させている。
    • 12月23日
      『Ch SAICO vol.2~SAICO X'mas Special Live "LOVE"』を開催する。
  • 2008年
    • 3月29日
      『BIRTHDAY CHANNEL』ライブを開催する。久々の誕生日ライブとなるこの日の曲目の一部は、この日に演奏して欲しい曲をファンにリクエストして貰いそのベスト3になった曲を実際に曲目に入れるという企画であった。

[編集] 自主制作作品

[編集] シングル

  • MOTHER 全2曲・2003年8月30日発売 MOMR-0006 ※完売
  • ラムレーズン(非売品)全1曲・新アルバム発売後のライブ入場者のみに配布

上記の作品はYahoo!オークションなどの中古市場で入手出来る場合がある。

[編集] アルバム

[編集] 関連項目・人物

[編集] 特記事項

  • 加藤いづみとは’96年ごろに東京の街中で偶然出会い、2人とも愛媛県でのラジオの番組を持っており共通の友人も多かった事もあり、SAICOがメジャー引退後から急速に仲良くなり親交を深めていった様である。
  • 歌によってハッキリと声を使い分けるのが特徴。激しくシャウトする楽曲や、しっとりとした質感のバラードなどがあり、印象的である。
  • 前述の歌声とは対照的に話し方は非常におっとりしていて、よく言われるところでは「ドラえもんのよう」だと言われる。その為か、嘉門達夫のラジオ番組にゲスト出演すると、嘉門に毎回のように「う~う~う~、ぼくドラえもんです」と言わされていた。
  • 独特のハスキーな声色が、アニメちびまる子ちゃんまる子担当の声優TARAKOに似ている部分がある為、間違われる事があった。
  • 鈴木彩子という大学生の将棋チャンピオンは同姓同名の別人。現在は削除されているが、Web上の日記があり、ネガティブで暗く深い思考回路が歌手の鈴木彩子とあまりにも似ていたため本人と間違われた時期があった様である。
  • お笑い芸人だいたひかるとは、代プロ所属時代からの付き合いがある。姉妹のように仲が良いらしく、二人で遊ぶ事も多いとお互いのHP内で語っている。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月30日 (木) 05:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【SAICO】変更履歴

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