ブルートーンズ
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| ザ・ブルートーンズ The Bluetones |
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| 基本情報 | |
| 出身地 | 大ロンドン ハウンズロー |
| ジャンル | インディー・ロック ギターポップ オルタナティブ・ミュージック アコースティック |
| 活動期間 | 1994年 - 現在 |
| レーベル | フィアース・パンダ・レコード スペリアー・クォリティ・レコーディング クッキング・ヴァイナル |
| 公式サイト | www.bluetones.info |
| メンバー | |
| マーク・モリス アダム・デヴリン スコット・モリス エズ・チェスターズ |
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| 旧メンバー | |
| リチャード・ペイン (1998-2002) | |
ザ・ブルートーンズ(The Bluetones)はイングランド・大ロンドン出身のロックバンド。本国での略称は「tones」、日本では「ブルトン」と呼ばれることもある。
バンド名の通りブルーかつ瑞々しい音を鳴らすUKギターロックバンドとして活躍し、オアシスの『モーニング・グローリー』を破って全英一位を記録した『エクスペクティング・トゥ・フライ』など、3枚の全英トップ10アルバムと、代表曲の「スライト・リターン」や「イフ」をはじめとした13枚ものシングルを全英トップ40に送り込むなど、ブリットポップの代表格として人気を集める[1]。
バンドは商業面での成功からは遠ざかりつつあるが、今では数少ない「ブリットポップ世代の生き残り」として現在まで精力的に活動を続けている。バンドとしての最新作は、2006年発表のセルフタイトルアルバム『ザ・ブルートーンズ』。
フロントマンのマーク・モリスは、2008年にソロアルバム『メモリー・マッスル』を発表するなど、バンド活動と並行してソロ活動も行っている。
目次 |
[編集] メンバーと主な担当楽器
[編集] 現メンバー
- マーク・モリス (Mark Morriss 1971年10月18日) ボーカル
- アダム・デヴリン (Adam Devlin 1969年9月17日) ギター
- スコット・モリス (Scott Morriss 1973年10月10日) ベース、コーラス
- エズ・チェスターズ (Eds Chesters 1971年10月24日) ドラム
マークとスコットは兄弟である。
[編集] 元メンバー
[編集] 歴史
[編集] バンド結成
| “ | 17歳のとき、ストーン・ローゼズが僕を精神的な意味で音楽的に目覚めさせたんだ | ” |
マーク・モリスが、ザ・スミスやストーン・ローゼズに出会ったことで、バンドを始めることを決意する。その後、マークはレコード店で出会ったアダム・デヴリンと、弟のスコット・モリスと共にThe Bottlegarden(ザ・ボトルガーデン)というバンドを結成。そのバンドの解散後にエズ・チェスターズが加入し、ブルートーンズの結成へと至る。そして4人は大ロンドンのヒースロー空港の近くにあるハウンズローという町で一緒に住み込んで、数年間もの下積み時代を過ごす[2]。
[編集] デビュー~『エクスペクティング・トゥ・フライ』
1994年には、新人バンドの登竜門的存在であるフィアース・パンダ・レコードのコンピレーション盤に「No. 11」という曲を提供し、プレデビューを果たす[3]。その後スーパーグラスやシェッド・セヴンなどのオープニングアクトを務めていくうちに、オアシスやブラーの所属レーベルであるクリエイションやフードなど数多くのレコード会社から契約のオファーがあったが、それらの申し出を全て断ってしまう[4]。
1995年には、2月にメール・オーダーやライヴ会場での販売のみで、7インチ・シングル「スライト・リターン/ザ・ファウンテンヘッド」を自主レーベルのスペリアー・クォリティ・レコーディングから2000枚限定でリリース。またこのシングルの発表直後に、自身のレーベルに資金提供させ配給を任せるという形で、A&Mレコードとレコード契約を結ぶ。そして6月には正式なデビュー・シングルとなるポップな「アー・ユー・ブルー・オア・アー・ユー・ブラインド」を発表し、インディーズチャートで1位、全英31位に入る。9月には、初期の名曲「ブルートニック」を発表し、全英19位とヒット。ほぼ同時期に日本限定の「ブルートーンズ・コンパニオン」で日本デビューを果たす。11月から12月にかけては、シャーラタンズのオープニングアクトとして初来日を果たす。
1996年には、再リリースされた「スライト・リターン」が全英2位と大ヒットを記録し、一気にブレイクを果たす。それに続いて、1stアルバム『エクスペクティング・トゥ・フライ』を発表。シングル曲のポップな面はぐっと影を潜め、アルバムのトータリティを重視したような落ち着いた作風に仕上がった。これについて、マークは当時こう語っている。
| “ | シングル・ヒットに振りまわされないようなアルバムを作りたかった。アルバムはシングル曲をただ集めただけのものとは違う。一つの芸術作品なんだ | ” |
アルバムは当時モンスターヒットとなっていたオアシスの『モーニング・グローリー』を蹴落として初登場1位を獲得。またアルバムからのシングルカット「カット・サム・ラグ」も全英7位とヒットし、アルバムの売り上げは最終的にプラチナ・ディスクにまで達するという大成功を収めた。さらにブリット・アウォーズではベスト・ニュー・バンドにもノミネートされたほか、新曲「マーブルヘッド・ジョンソン」を全英7位とヒットさせる。この曲は、メンバーが特殊メイクでデブに扮したPVが話題となった。
しかし「マーブルヘッド・ジョンソン」発表後、これまでほぼ休みなく働き続けてきたバンドはやや疲労困憊気味だったようで、1997年はグラストンベリー・フェスティバルなどいくつかのフェス出演したのみで、休養と曲作りに費やされた。
[編集] 『リターン・トゥ・ザ・ラスト・チャンス・サルーン』
1998年には、2ndアルバム『リターン・トゥ・ザ・ラスト・チャンス・サルーン』を発表。ギターや曲調もハードかつグルーヴィなものとなり、ブラスやストリングス、ハモンドオルガンなど様々な楽器を使用するなど、繊細な作風の前作から大きな変化が見られた。こうした変化について、マークは当時こう語っている。
| “ | 僕らイギリスじゃそこそこに悪くないバンド、親しみやすいストーン・ローゼズとか言われてて、不満で仕方なかった。で、もうみんなの見方をがらりと変えちゃうようなことをやってやろうぜっていうのがあったんだ[5] | ” |
アルバムは全英10位とデビュー時の成功には及ばなかったが、最終的にゴールド・ディスクに輝き、日本でもオリコンチャートトップ40入りするなど、成功を収めた。またアルバムからは、先行シングル「ソロモン・バイツ・ザ・ウォーム」(全英10位)、続いてブルートーンズを代表する名曲「イフ」(全英13位)、ブルージーな「スリージー・ベッド・トラック」(全英35位)、メールオーダーのみで森本晃司のアニメーションPVが話題となったハードな「4デイ・ウィークエンド」がそれぞれシングルカットされた。また、このアルバムのツアーから、キーボーディストとして元ドッジーのリチャード・ペインが加入している。
[編集] 『サイエンス・アンド・ネイチャー』~ メジャーレーベルとの決別
| “ | もしかしたら、デビュー・アルバムの温かくてメロウな場所へ、僕らは帰っていったのかもしれないね | ” |
上記のマークのインタビューから伺えるように、2000年発表の3rdアルバム『サイエンス・アンド・ネイチャー』はハードな前作とは異なり、ポップかつアコースティック・ギターを多用したフォーキーで牧歌的なアルバムに仕上がり、高評価を得た。 アルバムは全英7位に入るヒットになり、アルバムからは先行シングル「キープ・ザ・ホーム・ファイアーズ・バーニング」(全英13位)、さらにカントリーポップ調の「オートフィリア」(全英18位)、ソウルフルな「マッドスライド」がそれぞれシングルカットされている。同年夏には、グラストンベリーや日本国内最大級のフェスであるサマーソニックに出演している。
このアルバムは前作までの所属レーベルであるA&Mレコードが吸収合併されたことから、マーキュリー・レコードからのリリースとなっており、これがバンドにとってのターニング・ポイントだったと後にマークは振り返っている。より大きなレーベルに移ったことで、満足いくプロモーションをされなくなってしまったのだった。
2002年には、そして初のベストアルバム『ザ・ベスト・オブ・ブルートーンズ(原題:The Singles)』(全英14位)を発表、先行シングルとして、オールディーズ風味のピアノ・ポップ曲「アフター・アワーズ」(全英26位)が発表されている。そしてこのアルバムの発表後、バンドはマーキュリー・レコードと袂を分かち、さらにリチャードがバンドを脱退することとなり、バンドは一転して苦難の時代を迎える。
[編集] 『ルクセンブルク』~新たなレコード会社と契約
| “ | これまでの僕達の作品とはまったく異なる[6] | ” |
2003年に自身のレーベルからリリースされた4thアルバム『ルクセンブルク』は、ブルートーンズ史上最大の問題作となった。それまでバンドが多用してきたアコースティック・ギターを一切使用せず、パンクロックやガレージロック、ニュー・ウェイヴに強く影響を受けたような、ドラスティックなイメージチェンジが図られたアルバムだったのだ。両A面となった先行シングルの「ファスト・ボーイ/リキッド・リップス」(全英25位)と、「ネバー・ゴーイング・ノーウェア」(全英40位)の二枚はそれぞれ全英トップ40ヒットとなったが、アルバムはメジャーレーベルからリリースできなかったことも響いて、全英49位にとどまった。
レーベルとの契約もなくファンの不安の声や解散説も出る中、バンドは2005年11月にようやく、全曲新曲のEP「セレニティ・ナウ」をメールオーダーのみでリリースし、活動を再開。それと前後して新たに、インディーズレーベルのクッキング・ヴァイナルと3枚のアルバム契約を結ぶことが発表され、ファンを安堵させた。
2006年2月には、マーク・モリスがFi-Lo Beddow(ファイ・ロウ・ベッドウ)名義で「ザ・ファイ・ロウ・ベッドウ EP」を限定リリースし、ソロデビューを果たす。また同年3月、デビューから2003年までのバンドのほぼ全てのシングル曲を集めたボックスセット『ア・ラフ・アウトライン』(全英156位)が発売され、これによってメンバー自身やファンからも評価の高いB面曲が一堂に会すこととなった。
[編集] 『ザ・ブルートーンズ』~マークのソロ活動
| “ | バンドにとっての新しい時代の始まりって感じだね | ” |
マーク・モリスはアルバム発表時のインタビューで、クッキング・ヴァイナルとの契約をこのようにたとえている。この言葉から伺えるように、2006年発表の5thアルバム『ザ・ブルートーンズ』は心機一転したかのような、爽やかで深みあるブルートーンズらしいアルバムに仕上がり、商業的には全英100位にとどまったものの、多くの好意的なレビューに迎えられた。このアルバムからは吹っ切れたかのような勢い溢れる「マイ・ネイバーズ・ハウス」(全英68位)が先行シングルとして発表され、さらに「ヘッド・オン・ア・スパイク」、「サレンダード」がそれぞれシングルカットされた。このアルバムは、彼らのデビュー以来初めてアメリカでも発売されたが、日本盤は発売されなかった。またアルバム発表に伴う来日公演は、北アメリカとオーストラリアなどを周るワールドツアーのキャンセルによって一度は中止されたが、その代替として、2007年3月にブリティッシュ・アンセムズへの出演を果たした(単独公演はなし)[7]。
また、2007年はブルートーンズにとってはツアーに明け暮れる一方で、リリースラッシュの一年となった[8]。BBCでのセッションを集めた『BBC・レディオ・セッションズ』(全英164位)を始めとして、2005年収録のライヴアルバム『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウェスト・トゥエルヴ』、デビュー前のデモ音源集『ジ・アーリー・ガレージ・イヤーズ』など、過去の発掘音源を立て続けに発表。さらには、これまでのPVやTVライヴを収めた『ブルー・ムービーズ』、前述の『ワンス・アポン~』の映像版である『ビート・アバウト・ザ・ブッシュ』という、二枚のDVDを発表している。
2008年には、5月にマーク・モリスが1stソロアルバム『メモリー・マッスル』をリリース。先行シングル「アイム・シック」を始めとした数曲に、グラミー賞受賞経験のあるデヴィッド・アーノルドが起用されている。またアルバム発表にあわせて、ソロとして全英ツアーを行うなど本格的なソロ活動を活発化させている[9]。またブルートーンズとしても、久々にグラストンベリー・フェスティバルへの出場を果たしている。年末には、『エクスペクティング・トゥ・フライ』を全曲演奏するツアーを行った。
[編集] 次回作
現在、ブルートーンズは6枚目のオリジナルアルバムを制作中で、2010年春に発表される予定だという。
[編集] 豆知識
- ブルートーンズが今までにリリースした5枚のアルバムの中で、7曲目はどれもファンからも人気のある名曲であり、必ずシングル化されているという法則がある[10]。
- ブルートーンズのアルバムやシングルのジャケットデザインは、ベーシストのスコット・モリスが手がけている。
[編集] オリジナル・アルバム・ディスコグラフィー
詳細はブルートーンズの作品を参照。
- 1996年 - エクスペクティング・トゥ・フライ / Expecting to Fly - 全英1位、オリコン90位
- 1998年 - リターン・トゥ・ザ・ラスト・チャンス・サルーン / Return to the Last Chance Saloon - 全英10位、オリコン40位
- 2000年 - サイエンス・アンド・ネイチャー / Science & Nature - 全英7位
- 2003年 - ルクセンブルク / Luxembourg - 全英49位
- 2006年 - ザ・ブルートーンズ / The Bluetones - 全英100位
[編集] 来日公演
1996年
- 5月22日 新宿リキッドルーム
- 5月23日 心斎橋クラブクアトロ
- 5月24日 福岡クロッシングホール
- 5月26日 名古屋クラブクアトロ
- 5月27日 新宿リキッドルーム
- 5月28日 新宿リキッドルーム(追加公演)
1998年
2000年
- 8月5日 サマーソニック00(WTCオープンエアスタジアム)
- 8月6日 サマーソニック00(富士急ハイランド)
2000年(オープニングアクト - ムーヴァー)
2003年
- 10月30日 新宿リキッドルーム
2004年(マークのソロライヴ)
- 11月19日 渋谷ライブハウスチェルシーホテル
2007年
[編集] 注釈・出典
- ^ Chart Stats[1]
- ^ 当時同じ一軒屋にはドッジーのメンバーが住み込んでおり、ブルートーンズよりも先にメジャーデビューを果たしている。
- ^ これは後に「ブルートニック」として発表される曲で、彼らが11番目に作った曲ということで名づけられた。
- ^ フードからのオファーを断ったのは、フード=ブラーのイメージを避けるためだったという。
- ^ 「rockin' on」1998年3月号
- ^ The Bluetones 4作目となるニュー・アルバムをリリース - VIBE-NET.COM
- ^ ブリティッシュ・アンセムズでのライヴの前日には、代官山UNITでの公演も公式サイトでアナウンスされていたが、なぜか公演はお流れとなってしまった。にも関わらず、バンド側から最後までキャンセルの知らせが出ることはなかった。
- ^ 近年の多くの編集盤の乱発について、そのいくつかはレコード会社が勝手にリリースしたものだと、アダムは公式フォーラムで語っている。
- ^ ソロ活動の名義はFi-Lo Beddowから、本名に戻している。
- ^ 各アルバムの7曲目は、「スライト・リターン」、「イフ」、「オートフィリア」、「ネバー・ゴーイング・ノーウェア」、「マイ・ネイバーズ・ハウス」。
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月30日 (月) 02:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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