Uボート
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Uボート(ウーボート)は、ドイツ海軍の潜水艦を指す。ドイツ語で潜水艦を Unterseeboot (ウンターゼーボート)と呼び、短縮形が U-Boot である。日本では英語読みのユーボート(U-boat) が一般に知られている。第二次世界大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげた。
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[編集] 概要
U-Bootはドイツ語のUnterseebootの略語であり、潜水艦のことである。
潜水艦の用兵には、さまざまなものがあるが、第一次、第二次の両世界大戦におけるドイツ海軍のUボートは、共に海上封鎖および通商破壊を目的として使用された。十分な水上艦戦力をもたないドイツ海軍は、建造費と維持費が安価で、大型船を撃沈できる魚雷をもち、敵の強力な水上艦隊の勢力下でも作戦行動が可能な潜水艦が、この任に最適だと考えたのである。
潜水艦の隠密性を最大限活用するため、Uボート戦では、商船に対しても無警告撃沈という戦法がとられた。主な標的となったのは、両大戦を通じて、敵国のイギリスなどと、植民地とを往来する商船であった。第一次世界大戦にアメリカが参戦した後は標的にアメリカからヨーロッパへの物資・兵員を積んだ商船が追加され、第二次世界大戦においては援ソ船団も加わり、いずれの場合も、攻撃を受けた側は甚大な損害を被った。
第二次大戦においては、連合国側は様々な対潜水艦戦略および戦術を展開し、最終的にUボートは劣勢に追い込まれていった。「対Uボート戦の末期(と初期)では立場が逆になった。狩られるのは商船ではなくUボートになったのである」(チャーチル・世界危機)は、両大戦のUボート戦を端的に表している。
また、通商破壊以外の用途としては、技術や物資の隠密輸送などに使用されたりもした。
[編集] 戦役
[編集] 第一次世界大戦
1915年5月、ドイツのU20が、戦時禁制品の火薬類運送中の英国船籍の豪華客船ルシタニア号を無警告で撃沈した。1,198人が死亡し、内123人は、アメリカ市民であった。その中には有名な舞台演出家や名士であるヴァンダービルト家の一人も含まれていた。この出来事は、イギリス側の外交戦術に最大限に利用され、アメリカ世論を反ドイツへと揺り動かし、連合国側に立って戦争に参戦する重要な要因となった。1917年1月31日、ドイツがUボートによる臨検なしの無警告攻撃を宣言すると、アメリカは連合国側に立って参戦した。
[編集] 第二次世界大戦
第二次世界大戦においては、終戦に至るまでUボートは大西洋の戦いの主役であった。イギリス首相ウィンストン・チャーチルは「私が本当に怖れたのは、Uボートの脅威だけである」と述べた。また、ドイツ潜水艦隊司令カール・デーニッツは「300隻のUボート(100隻が哨戒、100隻が戦場への往復、100隻が整備)が、イギリスとの戦いには必要である」と表明していた。Uボートは東は東南アジア、西はパナマ運河まで配備されたので、当時の連合国商船にとって安全な海は存在しなかった。
第二次大戦の開戦の日、デーニッツは57隻のUボートを擁していた(大西洋に派遣できたのは26隻)。フランス占領後はトート設営相によりフランスの資源を使った迅速なブンカーの設置がなされ、大西洋への足がかりが築かれた。その後、マスプロ方式で大量の潜水艦が建造され、7型潜水艦のみに限っても最終的に1,162隻が就役した。緒戦ではUボート部隊は大西洋で通商破壊戦に投入され、連合軍商船隊に対し大きな被害を与えている他、アメリカ本土へスパイを送り込んだり、機雷封鎖作戦にも投入された。
作戦に投入されたUボートには様々な種類があり、初期の「丸木舟」と呼ばれた沿岸用II型から大西洋を中心に各方面で活躍したVII型、大西洋を横断できるIX型(日本軍の呂号潜水艦程度)、補給用の「乳牛」と呼ばれる大西洋での潜水艦補給用のXIV型Uボート、ヴァルター・ボートの外形だけを取り入れた、水中での行動が有利な艦型のXXI型、沿岸作戦用のXXIII型などがあった。
一部のUボートは、日本軍占領下のマレー半島のペナンなどを基地としてインド洋で英連邦諸国の商船に対して通商破壊戦を行っていた。ヒトラーは、同通商破壊戦を強化するために同盟国の日本に協力を呼びかけ、日本がUボートを手本として同様の潜水艦を量産することを期待して日本へ2隻のIX型Uボートを贈与した。1隻が日本に入港して呂号第五〇〇潜水艦として連合艦隊に編入されたが、小型で用兵上の不足があると判断された上に、日本の工業技術では1隻も製作不能とされた。また、日本は伊号潜水艦を5次に渉ってドイツに派遣、ドイツの必要とする工業原材料、技術を交換した(遣独潜水艦作戦)。参加した5隻の内、無事日本~ドイツ間を完全往復できたのはわずか1隻だった。
開戦以来、対潜戦闘に不慣れな英国は膨大な損害を蒙ったが、1942年に入ると、連合軍はUボートに対して
- ソナーや逆探知、航空機搭載レーダーによる電子戦
- 護衛艦隊による護送船団方式
- 護衛空母による航空機での防御や、対潜哨戒機での積極的な攻撃。
- 諜報戦の徹底( フランス・大西洋沿岸の潜水艦基地に潜入したスパイやレジスタンスからの出航情報)
- 対潜水艦用爆雷の改良や「ヘッジホッグ」の投入
などあらゆる対策を実行した。これらが進展するにしたがって、大西洋の戦いはUボート部隊に不利となっていった。ドイツはとりわけ電子戦において遅れをとっていた。ドイツ側も逆探知装置(メトックス)などを開発したが、逆探から出る電波をたどって英軍に爆撃されるなど、絶えず後手にまわっていた。
対空兵装を強化するなどの策もとられたが、対空戦闘での少しの損害でも潜航不能になり、最終的に撃沈される例が相次いだ。このためシュノーケルの装備などで対抗した。これらの対策を施した潜水艦の大量投入で、一時的に戦果の低下を防ぐことができたが、護衛空母による哨戒が開始されるとUボートの損害は再び増加した。1944年になると在来型のVII型、IX型などは事実上旧式化し、大戦初期の様な戦果は望めなくなった。しかし、大西洋からUボートを撤退させることにより、Uボートに振り向けられる連合軍の資源が都市爆撃や陸軍の戦術支援に回ることが予想されたため、連合軍を海に釘付けにするためにUボートの出撃は続けられた。
最終的な結果として、大戦全期を通じたUボートとその乗組員の損失は、743隻、約3万人に上った。一方、連合軍はその数倍に上る損害を受けたが、ついにUボートによる通商破壊で連合国側を屈服させることは出来なかった。
Uボート戦について、デーニッツは、「1938年から大Uボート艦隊を用いて戦争に入っていれば戦いの推移に決定的影響を及ぼせた(勝利できた)であろう。もし2倍のUボートを生産していても大きな影響を与えられた。しかし、第二次大戦では軍備不十分のまま対英戦に突入した」と戦後総括している。
対戦中にドイツが培った革新的な潜水艦技術は、戦後連合国側に吸収され、世界の潜水艦開発に大きな影響を及ぼした。
[編集] 種類
「潜水艦一覧」も参照
[編集] 第一次世界大戦
[編集] 第二次世界大戦
- I型Uボート
- II型Uボート
- V型Uボート
- VII型Uボート
- IX型Uボート
- X型Uボート
- XI型Uボート
- XIV型Uボート
- XVIIB型Uボート
- XXI型Uボート
- XXIII型Uボート
- XXVII型Uボート
以下、型式番号なし
[編集] 第二次世界大戦後
[編集] 現存する沈没艦
2008年、"Adolf Hitler's lost fleet"(アドルフ・ヒトラーの失われた艦隊)と呼ばれる黒海で活躍したUボート3隻が発見されたとのニュースがイギリスのデイリー・テレグラフ誌で報じられた[1]。
[編集] 発見の経緯
発見された艦はU-19、U-20、U-23の3隻で、トルコの海洋技師Selçuk Kolayがドイツ海軍の古い記録や当時の生存者からの聴取で沈没地点を割り出し、ソナー調査で発見した。沈んでいた3隻のうちU-23はかつてUボートのエースであったオットー・クレッチマーの指揮していた艦で、この3隻の他に合計6隻が黒海で活躍し、2年間の作戦行動中に沈めた艦船数は50隻、総トン数4万6500トンを沈めたが作戦中に逆襲に遭い発見されたU-19、U-20、U-23以外の3隻が沈められた。1944年8月にルーマニアが連合国側の一員としてドイツに宣戦布告したため黒海から出られなくなり、残った上記3隻は廃棄処分となり同じ場所で自沈した[1][2]。
[編集] Uボートを題材にした映画
- 『眼下の敵』(原題:The Enemy below、ディック・パウエル監督、1957年、アメリカ)
- 『鮫と小魚』(原題:Haie und kleine Fische、フランク・ヴィスバー監督、1957年、西ドイツ)
- 『U-47出撃せよ』(原題:U-47 Kapitänleutnant Prien、ハラルト・ラインル監督、1958年、西ドイツ)
- 『U・ボート』(原題:Das Boot、ヴォルフガング・ペーターゼン監督、1981年、ドイツ)
- 『ザ・ラストUボート』(原題:The last U-boat、フランク・バイヤー 村上佑三 共同監督、1993年、日本・ドイツ・アメリカ・オーストリア合作)
- 『U-571』(原題:U-571、ジョナサン・モストウ監督、2000年、アメリカ)
- 『Uボート 最後の決断』(原題:IN ENEMY HANDS、トニー・ジグリオ監督、2003年、アメリカ)
[編集] 文献
総論
- Wolfgang Frank、Non--fictions『Uボート作戦』実松譲(訳)、図書出版社、1970年
- レオンス・ペイヤール、Non-fictions『大西洋戦争(全2巻)』長塚隆二(訳)、早川書房、1981年
- レオンス・ペイヤール、Non-fictions『潜水艦戦争1939-1945』長塚隆二(訳)、早川書房、1983年
- カール・デーニッツ、回顧録『10年と20日間 デーニッツ回顧録』山中静三(訳)、光和堂、1986年、ISBN 4-87538-073-9
- Robert C.Stern『UボートVII型 ドイツ潜水艦テクノロジーの全貌』津久部茂明訳、1995年、ISBN 4-499-22656-2
- Edwyn Gray、Non-fictions『潜水艦の死闘 彼らは海面下で戦った』秋山信雄(訳)、光人社、1997年、ISBN 4-7698-0830-5
- 学習研究社編集部 (Pictorials)『大西洋戦争』、学習研究社、1998年、ISBN 4-05-601784-0
- デヴィッド・ミラー『Uボート総覧―図で見る「深淵の刺客たち」発達史』、大日本絵画 、2001年、ISBN 4499227526
- 広田厚志『Uボート入門―ドイツ潜水艦徹底研究』、光人社、2003年、ISBN 4769823835
- ゴードン・ウィリアムソン『ドイツ海軍のUボート1939‐1945 (オスプレイ・ミリタリー・シリーズ 世界の軍艦イラストレイテッド)』、大日本絵画、2006年、ISBN 4499229154
Uボート視点
- Edwyn Gray、小説『Uボート西へ』種子島洋二(訳)、白金書房、1975年
- Heinz Schäffer、Non-fictions『U-ボート 977』横川文雄(訳)、朝日ソノラマ、1984年、ISBN 4-257-17038-7
- アレクサンドル・コルガノフ、Non-fictions『Uボート、出撃せよ』内藤一郎(訳)、早川書房、1993年、ISBN 4-15-050098-3
- Peter Kremer、回想録『Uボート・コマンダー 潜水艦戦を生き抜いた男』井坂清(訳)、早川書房、1995年、ISBN 4-15-050181-5
- Rothar-Günther Buchheim『Uボート(全2巻)』松谷健二(訳)、早川書房、2000年、ISBN 4-15-040616-2
- ギュンター・プリーン『スカパ・フローへの道 ギュンター・プリーン回想録』濱野修(訳)、中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003174-8
- Jordan Vause、Non-fictions『Uボート・エース The Story of Wolfgang Lüth』雨倉孝之(訳)、朝日ソノラマ、1997年、ISBN 4-257-17317-3
- ヘルベルト・A・ヴェルナー、回想録『鉄の棺 Uボート死闘の記録』鈴木主税(訳)、中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003108-X C0098
- エーリッヒ・ギンペル『Uボートで来たスパイ あるナチス・ドイツ諜報員の回想』、扶桑社、2006年、ISBN 4-594-05121-9
連合軍視点
- D.A.Rayner、小説『眼下の敵』鎌田三平(訳)、西武タイム、1985年、ISBN 4-8275-1233-7
- Kenneth Poolman、Non-fictions『シーハンター』矢嶋由哉(訳)、朝日ソノラマ、1986年、ISBN 4-257-17071-9
- Geoffrey Jones、Non-fictions『狼群作戦の黄昏』土屋哲朗・光藤亘(訳)、朝日ソノラマ、1990年、ISBN 4-257-17222-3
軍服
- Gordon Williamson U-Boat Crews 1914-1945, Osprey Militay, 1995, ISBN 1-85532-545-4
[編集] 脚注
- ^ い ろ Adolf Hitler's 'lost fleet' found in Black Sea(英語) - デイリー・テレグラフ誌、最終更新日2008年8月28日
- ^ 「ヒトラーの失われた艦隊」と呼ばれるUボート3隻が黒海海底で発見される - GIGAZINE, 2008年02月05日 14時17分00秒
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月23日 (月) 10:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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