U-turn
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| U-turn | |
|---|---|
| メンバー | 土田晃之、対馬盛浩 |
| 結成年 | 1991年 |
| 解散年 | 2001年 |
| 事務所 | 太田プロダクション |
| 活動時期 | 1992年 - 2001年 |
| 出会い | 専門学校東京アナウンス学院 |
| 現在の活動状況 | 解散 |
| 芸種 | コント |
| ネタ作成者 | 土田 |
| 過去の代表番組 | 『タモリのボキャブラ天国』 |
U-turn(ユーターン)は、太田プロダクションに所属していたお笑いコンビである。
目次 |
[編集] メンバー
- 土田晃之(つちだ てるゆき 1972年9月1日 - )埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。ボケ担当。太田プロダクションに所属。
- 対馬盛浩(つしま もりひろ 1972年12月27日 - )東京都出身。ツッコミ担当。2001年に引退後、一般企業に就職。
[編集] 概要
専門学校東京アナウンス学院のクラスメートとして知り合い、1991年コンビ結成。コントを中心とした活動で学生時代から賞レースで勝ち抜く。土田曰く当時は天狗になっていて「ダウンタウンを2年で抜ける」と豪語していた[1]。その後、太田プロに所属して『タモリのボキャブラ天国』等に出演する。
2001年に対馬が事務所に「ストレスが原因で、吐き気やむかつきがおさまらず、胃腸もかなり悪いので芸能活動は無理」として活動を休業。2001年12月放送の『明石家ウケんねん物語』の「ムカツく念」のコーナーで土田が対馬の就職を報告、同月25日に太田プロ公式サイトにて土田が正式に解散を発表する。当時の若手お笑いブームの中心にあった太田プロの若手お笑いコンビはブームの終焉と共に立て続けに解散しており、U-turnの解散もその1つである。
土田本人は「(自分が)知らないうちに転職を決めてしまった」と語っているが、実際は承知の上だった模様。土田本人も語っているが、対馬のストレスの原因は対馬の実力のなさに苛立っていた土田による嫌がらせである。対馬がルックスの良さで人気になった事も亀裂が広がった一因とも言われる。 また高校時代から靴を隠すなどの嫌がらせをしていたことも語っており、長年溜まっていたものが我慢の限界を超えたと思われる。また、解散する数年前から土田単独での仕事が増えていたのも原因の1つで、解散直前になるとコンビとピンの給料袋を2つ貰っていたという[1]。
対馬本人が公開を希望していないことから、U-turn時代の映像は土田のみが公開されている。その例として2006年の「24時間テレビ」の『見られたくない映像100』や同年10月26日放送分の「アメトーーク!」、2008年9月28日放送分のボキャブラ天国の復活特番では対馬の顔部分に「(元)相方」のマークで隠されている。ただし音声はそのまま放映されている。またトーク下手であった対馬が引退を決意したあとは何か吹っ切れたように饒舌になり、仕事をこなしていたと言う[2]。
1999年に1度だけ「爆笑オンエアバトル」に出演したが、342KBで7位オフエアだった。
[編集] エピソード
- 2人の最初の給料は1000円にも満たず、対馬は交通費の足しにしてほしいと、土田に自分の給料をあげた。
- コンビ時代に「さんま御殿」に出演したときに長い収録の中一言しか発せず、帰りの電車の中まで頭が真っ白だったらしい。
- 通常コントのネタは土田が考えていたが、「ボキャブラ天国」内でのネタは全て対馬が考えていた[3]。
[編集] 出演
[編集] テレビレギュラー番組
- お笑い向上委員会 笑わせろ!(テレビ朝日)
- タモリのボキャブラ天国(キャッチコピーは回転禁止の青春)(フジテレビ)
- ものまね紅白歌合戦(フジテレビ系列)/デンジャラスとの競演。
- 社会の窓・社会の窓2(フジテレビ)
[編集] ラジオレギュラー番組
- U-turnのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
- U-turnの@llnightnippon.com ネタmail職人(ニッポン放送)
- U-turnの@llnightnippon.com(ニッポン放送)
- U-turnのチョイト笑ってよ(文化放送)
[編集] リリース作品
[編集] 書籍
- U-turnのマジ怖ッ!(ザテレビジョン文庫、2000年)
[編集] 脚注
最終更新 2009年11月15日 (日) 05:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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