UF-XS

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UF-XS

開発母機となったグラマン HU-16C/UF-1 アルバトロス
UF-XSの機首

UF-XSは、日本航空機メーカー新明和工業が製作した実験用飛行艇

目次

[編集] 開発経緯

第二次世界大戦以前、日本の航空技術は急成長を遂げたが、敗戦によってGHQ SCAPが占領すると、日本人の航空の運行、製造、研究を一切禁止した。7年後に解禁されるが、その間に世界の航空機技術は格段に進歩していた。

ところが、アメリカ合衆国では日本から持ち帰った二式大艇を飛行実験したところ、アメリカやイギリスの同時期の飛行艇よりも優れていたことが明らかになり、驚いたグラマン社やマーチン社は1958年昭和33)に、二式大艇を製作した川西航空機の後身、新明和興業(現新明和工業)に対して、自社の飛行艇の改造実験を行うように求めた。

一方、かつて川西で活躍した技術者、菊原静男は1953年(昭和28)から社内で飛行艇の構想を練っており、1957年(昭和32)には防衛庁に対し、飛行艇の実験機を作らないかと持ちかけていた。これを受けて防衛庁でも飛行艇の実用化を検討して、1960年(昭和35)には、新型飛行艇を対潜哨戒機として使用する案がまとまった。すでに菊原は新型の波消し装置を付けた模型飛行艇の試験でグラマンとマーチンから高い評価を得ており、日本独自の優秀な飛行艇を作り、海外にアピールする好機だと捉えていた。

菊原の考えた新型飛行艇は、波高3メートルでの離着水能力と高揚力装置を備えた挑戦的なものだった。興味を持ったグラマンは、菊原の技術を将来的に自社に取り入れられると考え、気前良く米海軍向けのUF-1救難飛行艇[1]1機を提供した。新明和はそれを基に艇底を自社開発の試作品に変更、垂直・水平尾翼を採用予定の試作品に取り替え、主翼を延長してエンジンを4機に増設した実験飛行艇UF-XSを製作した。

UF-XSは1962年(昭和37)12月20日に初飛行、1963年(昭和38)3月30日から大村航空隊に配備され、1966年(昭和41)まで波消し装置、自動安定装置、高揚力装置などの様々な実験、試験、調査を行い、十分な基礎データを取得した。このデータを基に、防衛庁は対潜哨戒機の製造を新明和に求め、海上自衛隊PS-1の完成、救難飛行艇US-1US-2に繋がっていく。

UF-XSは1967年(昭和42)10月16日に用途廃止とされ、機体は現在、US-1と共にかかみがはら航空宇宙科学博物館に展示されている。

[編集] 機体

UF-1をベースにしており、コックピット周辺を含めた機体上部は面影をよく残しているが、機体下面(艇底)は模型を基に自社開発した試作品に取替えられ、波押さえや波消し装置が加えられた。ごく一般的だった垂直尾翼・水平尾翼は完全に取り払われ、自社開発のT字型尾翼(輸送機などで多用)に変更した。機体上部にはBLC用のT58ガスタービンエンジン×2を搭載、主翼も変更され、自社開発の前縁スラットと後縁吹き出し(BLC)フラップを装備、高揚力装置によりSTOL性を求め、エンジンはUF-1の双発(プロペラ3翔)に、さらに輸入エンジン双発(プロペラ2翔)を加えた4発とし、主翼下の着水用フロートも自社開発品とした。機体色は黒をベースにオレンジのアクセント、試験用に白い区画線が幾本も入るもので、一見しただけでは基の機体を意識することは難しい。機体の大きさは、PS-1の4分の3となっている。

[編集] スペック

  • 乗員 - 7名
  • 全長 - 23.1m
  • 全幅 - 24.4m
  • 全高 - 7.8m
  • 空虚重量 - 12,484kg
  • エンジン
    • P&W R-1340(600馬力)×2
    • ライト R-1820(1,425馬力)×2
  • 最大速度 - 333 km/h

[編集] 脚注

  1. ^ グラマンG-64「アルバトロス」飛行艇。元は空軍のSA-16Aとして製造された機体。

[編集] 参考文献

  • 「日本はなぜ旅客機を作れないのか」 - 前間孝則(草思社)ISBN 4-7942-1165-1

[編集] 関連項目

最終更新 2009年4月9日 (木) 14:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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