Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記
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ここは、ページ「Wikipedia:存命人物の伝記」に関する議論をするためのノートページです。
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[編集] 項目名
人物記事に限った話ではないので「生存している人物に関する記述」とする方が適切だと思われます。とりあえず転送しました。johncapistrano 2006年6月17日 (土) 17:47 (UTC)
[編集] 項目名について意見調査
項目名が決まらないと正式化に進みにくいので「項目名についての意見調査」を行います。--miya 2006年8月8日 (火) 23:28 (UTC)
- 項目名候補
- 賛成できる候補の下に ** ~~~~(コメント) で署名&コメントしてください。複数署名可です。これ以外にも案があれば追加してください。
- (注意)これは「意見調査(POLL)」であって「決定のための投票(VOTE)」ではありません。
- Wikipedia:存命人物の伝記
Masao 2006年8月13日 (日) 01:55 (UTC) 第一候補は「~に関する記述」だが、現状でも賛成可能
- Wikipedia:存命人物に関する記述
- Masao 2006年8月13日 (日) 01:55 (UTC)
- miya 2006年9月26日 (火) 02:18 (UTC)「存命」は健在な場合にも使えるようです>大辞泉
- S kitahashi(Plé)2006年9月26日 (火) 03:34 (UTC)
- --Tiyoringo 2006年11月25日 (土) 03:22 (UTC)(生きている、生存しているは、まだ亡くなっていないという意味に誤解を与えそう。)
- Panpulha 2006年12月20日 (水) 03:29 (UTC)
なっしゅびる 2006年12月23日 (土) 02:19 (UTC)(反応が遅れました。人物伝・伝記も迷いましたが、そもそも人物に関する記載全般の問題でしょうし。)
- Wikipedia:半生記
- Wikipedia:存命中の人物
- Wikipedia:在世者に関する記述
- っ2006年10月24日 (火) 15:04 (UTC)
- Wikipedia:現存の人物に関する記述
- 支持の無い候補をコメントアウトしました。--miya 2006年9月26日 (火) 02:18 (UTC)
[編集] 英語版のCategory:Living peopleに対応するカテゴリ
候補を挙げてください。--miya 2006年8月8日 (火) 23:28 (UTC)
- 「Category:存命する人物」とか?--Hoj 2006年6月18日 (日) 16:11 (UTC)
- 「Category:現在の人物」
- 「Category:現在 (人物)」
- 「Category:半生記」
ちょっと驚いたのですが、名称を決める前に「英語版のCategory:Living peopleに対応するカテゴリ」を作成するかどうか(本当に作成したいの?)を議論してください。先回りして言うと、その作成には反対します。(赤リンク外しました)--Yas 2006年8月14日 (月) 09:03 (UTC)
- ああ、拙速でした。確かに、要らないかもしれませんね・・・。--miya 2006年9月26日 (火) 02:18 (UTC)
[編集] 翻訳について
これも、タイトルの翻訳が難しいですね。「存命する個人の人物記」あたりでは? 以下、気づいた点です。--っ 2006年7月8日 (土) 15:34 (UTC)
- OTRS—info-ja@wikipedia.jpを併記した方がわかりやすいのでは?
- 他の記事分野ではeventualism作戦(そのうち良くなるさ戦略)が適用可能であっても、できの悪い(badly written)存命人物伝記の場合は—できの悪い記事でも、他の記事ではよくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合は
- (状況によっては)当該人物自身が公表したものを文章化すべきです。<を用いることも状況によってはありえます。—場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化するほうがよいかもしれません。
- obscure—読者の限られた
- 当事者の著名さと等価であること。—情報に当事者の知名度につりあうような重要性があること
- Presumption in favor of privacy—当人はプライバシーを望んでいると推定する
- 「〜離婚をした」ということは—「〜離婚をした」これは
- 2つめの例も例を「」に入れた方がわかりやすいかと。
- 誰かが底意がある偏った記述を加えようとしたら—議題か偏っている観点を押しているように見えるなら、
- IPが存命人物の記事を全部または一部刷くしかするばあいは、注意深く値踏み—IP編集者が〜削除する場合は、注意深く判断
- 小学館の「類語例解辞典」というのを買ってきたのですが、「存命」というのは、すでに亡くなった方について、生きていたときのことを語るときの用語だそうです。ということで、この記事に「存命」というのはよくなさそうですね。現在生きている人については「生きている」か「生存」を使うべきだとのこと。とはいえ、「生存」には「生き残った」という意味合いが感じられますよね。というわけで「生きている」くらいしか日本語がなさそうです。一方、「biographies」は無理してそのまま訳出する必要は感じられません。
- 生きている人物についての記事
- 生きている個人についての記事
- あたりでしょうか。--っ 2006年7月10日 (月) 08:52 (UTC)
- 「生きている人の伝記」にあたる日本語に「半生記」というのがありましたね。--っ 2006年7月12日 (水) 11:53 (UTC)
- 「存命」は健在な場合にも使えるようです>「両親は存命しております」など>大辞泉
-
- 上記の用例は身内に対して使っている例文なので、他人が使っても失礼にならないかはっきりしません。自分の感覚では、他に適当な語もなく、ルールとしての冷徹な客観的表現(逆に、故人を指すとき法令の文言であれば「死者」と呼びます)として使ってよいと思いますが、人によっては失礼だと感じてもおかしくないと思います。したがって、失礼だと感じる方を心配するのであれば、逆に考えて「故人でない人物の伝記」のようにするのはいかがでしょうか。あるいは固い(というか古語)ですが「生者」でしょうか。
- また、「伝記」という表現についても、(本当は差がないのですが)Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)でも使われている「人物伝」という言葉を使うと、耳慣れないためか、「人物」という部分が前に出ているためか、「伝記」と違って「故人に対して使う言葉じゃないのか?」という印象を受けないような気がします。
- ということで、「故人以外の人物伝」ではいかがでしょうか。--Njt 2006年9月27日 (水) 03:04 (UTC)
- 「人物伝」よりは「人物記」の方が現在の人物についてはいいように思うのですが。
- それはさておき、「生きている人」を表す日常的な表現が、日本語にない、ということに、今更ながら驚いています。あっても、生死の境をさまよったが生きている、というニュアンスになってしまいますよね。これは、故人でない人間について、生死を語ることを、忌まわしいこととして避ける、という日本の生死観というか、社会的風習によるのではないかと思います。(唯一の例外が「未亡人」ですね。)--っ 2006年9月27日 (水) 04:08 (UTC)
- 法令の文言に類するものとして判決文がありますが、中田英寿事件の判決文中(中田英寿事件の判決評釈)に「伝記本」という表現が使われていました。故人でなくても「伝記」という表現を使うということになりますね。
- なお、「生きている人」を指す普通に使える表現がないことに驚きなのは同感です。キリスト教社会においては「人間はmortalである」(これも普通に使う日本語には変換しづらいですね)という考えが毎週のように強調されることもあって、日本の場合とは感覚が違うのかもしれません。--Njt 2006年9月29日 (金) 12:35 (UTC)
- なるほど、生きている人に伝記が使える点、納得しました。--っ 2006年9月29日 (金) 14:13 (UTC)
- インデント戻します。中田氏の件で「伝記」という言葉が使われたといっても、この場合はコンテクストを考慮する必要があります。生存中の人物が(生存中にも関わらず)自伝を書く際は、通常、それまでの自分の半生を擬似的に”過去のもの”(”死んだもの”)とみなす作業が必要です。これは自分の半生を客観的に記述するためです。そしてそこに記すことは”すでに死んだもの”であるがゆえ、現在の自分や今後の自分へつながるような記述は通常ありません。要するに、「伝記」という言葉には常に死のイメージがついているものだと考えられます。このような理由で、私としては項目名に「伝記」という言葉を使うのは反対です。「記述」あたりがいいのではないかと思います。--ミキティ 2006年12月19日 (火) 17:42 (UTC)
[編集] 日本語版としての記述を付け足す際に
今はまだ翻訳段階ですので本文をさわりませんが、日本語版としての記述を付け足す際、ノンフィクション「逆転」事件について言及が必要でしょう。忘れそうなのでメモがわりにコメントを残しておきます。--Michey 2006年11月3日 (金) 13:25 (UTC)
[編集] 否定と批判の違い
>Remove unsourced criticism :出典無き批判は除去 >Critics:批判、あら捜し を読む限り否定と批判の違いが不明瞭に見えます。 主観的に否定か批判かと認識され行動に移されます。220.111.54.208 2006年12月1日 (金) 06:59 (UTC)
[編集] Template:Blpに対応するテンプレート
このテンプレートは作成されるものでしょうか? 利用者ページで先走って作りかけています(template化のため打ち消し--秋月 智絵沙 2007年4月18日 (水) 02:14 (UTC))が。内容が内容なのでもっと慎重になるべきかと不安になってます(別節のカテゴリの件でも先ず作成する必要があるかどうかで話すべきだという話が出ていたので心配です)。--Chiether 2007年1月26日 (金) 02:37 (UTC)
- さしあたり移動をお願いします。直すところがあればあとで直しますので。--S kitahashi(Plé)2007年4月18日 (水) 02:08 (UTC)
- Template:Blpに移動しました。リンク元の修正も行います。--秋月 智絵沙 2007年4月18日 (水) 02:12 (UTC)
Template:BlpとTemplate:プライバシー(故人も含む)は、対象の記事が重複していると思います。Template:プライバシーの文章に存命している人物に関する注意を加えることで対応したほうがよいのではないでしょうか。--プロバロン 2007年7月17日 (火) 14:49 (UTC)
- 以下、Template‐ノート:プライバシーで扱いたいと思います。--プロバロン 2007年7月17日 (火) 15:37 (UTC)
[編集] 試行化の提案
長らく仮称・翻訳中のままで動きにくくなっていますが、訳文にそれほど大きな問題はないように思われますので、ひとまず現状の訳文と仮称のまま、試行段階に移行してはいかがでしょうか。つまり「公式な方針の、試験段階に入った草案」という位置づけに移行し、草案のままで「公式な方針」の拘束力を持たせて仮運用し、問題点を洗い出すということです。試行しながら、並行して改名の検討を続けましょう。
試行に入る際は Chiether さんによるテンプレート和訳案 利用者:Chiether/Template:Blp(Template:Blpに移動--秋月 智絵沙 2007年4月18日 (水) 02:21 (UTC))も Template 空間に移動し、併せて試行しましょう。
いかがでしょうか。時期尚早でしょうか。あるいは試行に移る前に、最低限ここだけは詰めておかなければ、という点はありますか? --Kanjy 2007年3月20日 (火) 15:04 (UTC)
- 特に大きな問題は感じませんでした。名称と細部については試行開始後に詰めるのがよいかと思います。--S kitahashi(Plé)2007年3月21日 (水) 09:13 (UTC)
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- それでは、そろそろ英語の原文と「翻訳中」テンプレートを外してもいいのではないでしょうか?--Widehawk 2007年4月17日 (火) 16:05 (UTC)
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- 賛成です。この文書については、公式な方針の位置に一日も早く格上げすることが大事だと思います。文書の名前などは後から詰めればいいという S kitahashi さんのご意見に賛成です。すでに最初の Kanjy さんの提案から一月近くがたち、とくに反対もありませんので、ステータスはひとつ進めてもいいのじゃないでしょうか。 --Aphaia 2007年4月17日 (火) 16:08 (UTC)
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- 僕がこの文書を最初に見たのが半年くらい前で、それから正式化に向けて活発な動きがあるようには見えなかったので、本当に「一日も早く格上げ」して欲しいです。その半年の間にもこの文書が正式化していれば…というようなことは多くあっただろうと思います。--Widehawk 2007年4月17日 (火) 16:43 (UTC)
-
ひとまず英文を除去しました。提案から4/20でまる一ヶ月なので、20日まで反対がなければ試行に入りたいと思いますが、いかがでしょうか。また、それに伴い止まっている改名提案をいったん除きました。名称で議論があるようなら、正式化後にゆっくり議論できればと考えています。--S kitahashi(Plé)2007年4月17日 (火) 17:52 (UTC)
- 異議ありません。--Aphaia 2007年4月17日 (火) 20:56 (UTC)
- Template:Blpに対応するテンプレートの節と重複しますが、Template:Blpに移動しましたのでリンク除去を行いましたことを周知致します。--秋月 智絵沙 2007年4月18日 (水) 02:21 (UTC)
上記スケジュールに異議ありません。皆さまに感謝いたします。 --Kanjy 2007年4月18日 (水) 03:59 (UTC)
よく見ると、ところどころまだ訳語が定まっていない箇所があります。(カッコ内は自分の意見です。)
- Wikipedia:存命人物の伝記#論理的根拠(この方針が必要な理由)の最初の段落の
touchyの訳語: 厄介/困難 - 同段落の
「…や財団職員の継続的な」の後の「関与/介入」
(「関与または介入」にすればよいと思います。) - Wikipedia:存命人物の伝記#批判、あら捜しの「悪意のある記述」中の
pushing an agenda or a biased point of viewの訳語(?): 誰かが底意ある議題(agenda)や偏っている観点を押しているように見えるなら / 誰かが底意がある偏った記述を加えようとしているように見えるなら
試行化前後に申し訳ないですが、意見をお願いします。--Widehawk 2007年4月20日 (金) 06:28 (UTC)
[編集] 「貧弱なソース」に関して
「貧弱なソース」に関してウェールズ氏の発言を考慮し、敷衍しました。いわゆる「変更」とは考えていませんが、異論はあるかもしれません。あるいは「ブログで読んだ」という記述を追記すべきかもしれません。いずれにせよ、中傷目的で編集が行われることを最大限の努力で保守的に防ぐべきと考えます。--Album 2007年5月10日 (木) 13:53 (UTC)
それを見て「テレビやラジオは全部駄目なんだ」って感じで、報道による情報と個人発の情報を混同した人がいたから、「どこかで見た」に直したほうがいいよ。 そのままにしとくと芸能関係の項目がめちゃくちゃになっちまう。—以上の署名の無いコメントは、220.208.188.195(会話/whois)氏が[2007年6月20日 (水) 08:06 (UTC)]に投稿したものです(ライアンによる付記)。
- IP氏の言う様な芸能人の記事の混乱という問題もあるかもしれませんが、出典としてテレビやラジオを採用しないという事は、「中傷目的の編集」を防ぐという事にはならないと思います。例えば、ある著名人がテレビのレポーターのインタビューに答えた内容について、ゴシップ系の雑誌が言葉尻を捉える様な報道をしてしまい、それがもっと評判の良い新聞や雑誌で既成事実化されてしまった場合、その人が中傷されない為には、そのインタビューのVTRを出典にする事が一番良いという事になります。
- 英語版には、"poorly source"の例として、”「テレビで観たことがある」「ラジオで聴いた」といったような”に当たる例示はされていません。 ジンボ・ウェールズは、単にそれを、'I heard it somewhere'「私はそれをどこかで聞いた」 と言った様な pseudo information「擬似情報」だと言っているだけです。つまり、「貧弱なソース」というのは、「風聞」の事だと思うのですよ。
- 勿論、先の例でゴシップ誌がやった様な言葉尻を捉える使い方をしたり、明らかな言い間違いを理由にして責任を問う様な使い方をしてしまえば、「中傷目的」という事になってしまいますが、その人物がテレビで繰り返し主張した事をその人物の主義主張として伝記記事内に記す事は中傷でも何でもないでしょう。この判断については、個別記事のノートでの合議制で行うべきだと思います。
- 以上の理由から、”「テレビで観たことがある」「ラジオで聴いた」といったような”という文言を差し戻す事を提案します。--古鳥羽護 2007年6月25日 (月) 14:35 (UTC)
- いかにすれば個人の名誉・プライバシーetcが守られるか、が重視すべき問題と思います。で、目的のために件の文言があったほうがいいか否かを考えると、私はあったらあったである程度有効ではないかと思います。新聞や雑誌による既成事実化は、新聞社なりが「載せてよし」と判断したことを意味する、と解せば、新聞等が言及した範囲内で可能性が開ける、てのもありかと…。Wales氏個人の意図は、それほど重視すべき問題でもないのでは、と思います。--S kitahashi(Plé)2007年6月25日 (月) 16:02 (UTC)
- 「どこかで読んだ」というのも、ここの文脈ではやっぱり貧弱な情報源なわけで、テレビ/ラジオと列挙することで、放送媒体でなければいいという風に受け取られることを心配します。--Ks aka 98 2007年6月26日 (火) 17:58 (UTC)
- 私も、「放送媒体か否か」もしくは「ブログか否か」という事を、「風聞・ゴシップか否か」の基準にされてしまう事を心配します。著名人ならば、場合によっては活字媒体が扇情的な見出しを使うなどして振りまいた風聞(≒「どこかで読んだ」になりがち)を放送媒体や本人の公式ブログで否定する事があるからです。--古鳥羽護 2007年7月6日 (金) 15:22 (UTC)
- とにかく、今、生きている人間に迷惑をかけてはいけない、ということですから「TVで見た、ラジオで聞いた、どこかで読んだ」は全部ダメだということです。生きている個人に関する記述は明日すぐに検証できないといけないし、検証できない放送媒体は全部ダメ、ということです。そのためにウィキペディアの記載量が、たとえ10分の1になってもいたしかたない、ということです。あたりまえですが、百科事典より存命人物が優先です。--Album 2007年7月6日 (金) 16:07 (UTC)
- いかにすれば個人の名誉・プライバシーetcが守られるか、が重視すべき問題と思います。で、目的のために件の文言があったほうがいいか否かを考えると、私はあったらあったである程度有効ではないかと思います。新聞や雑誌による既成事実化は、新聞社なりが「載せてよし」と判断したことを意味する、と解せば、新聞等が言及した範囲内で可能性が開ける、てのもありかと…。Wales氏個人の意図は、それほど重視すべき問題でもないのでは、と思います。--S kitahashi(Plé)2007年6月25日 (月) 16:02 (UTC)
割り込み失礼します。私がAlbumさんへ全ての出典のない記事にて、削除する物と残す物の基準を聞いたところ”すなわち「どこかで読んだな」と思えるものは残しています[[1]]”と回答されています。矛盾してますよね。--220.152.28.71 2007年9月28日 (金) 12:33 (UTC)
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- 「テレビで見た」と「ラジオで聞いた」はウェールズ氏の発言じゃないし、第一その考え方だと
- 活字メディアが出典の情報も危ない。それだって誰でもすぐに読める物じゃないからね。ddd 2007年7月7日 (土) 09:05 (UTC)
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- 要するにポイントは「否定的なことは強固な出典があり、必要不可欠なこと」に限ることです。どうせ会わないからいいやーー、じゃなくて、「明日、直接会うかもしれない人」「隣の家の人」「恩師の友人かもしれない人」だと思って書くことです。TVだけでなく三流週刊誌ネタも賛成出来ません。「百科事典の編纂プロジェクト」だということを忘れないことです。--Album 2007年7月7日 (土) 13:52 (UTC)
- どうも噛み合っていないんですが、TVがどうして三流週刊誌以下だと言い切れるんでしょうか? ジンボが"poorly source"という表現に込めたのは、「風聞・ゴシップ」の事であって、メディアの種類の事ではないはずです。百科事典が存命人物の風聞やゴシップを書きたてるものではないという事には同意しますが、それがメディアの種類で判別できると誤解されかねない様な文言を、このガイドラインに載せるのはおかしいと思います。Wikipedia:検証可能性やWikipedia:事実を確認する、Wikipedia:信頼できる情報源などで考慮するべき問題でしょう。--古鳥羽護 2007年7月7日 (土) 17:58 (UTC)
- 要するにポイントは「否定的なことは強固な出典があり、必要不可欠なこと」に限ることです。どうせ会わないからいいやーー、じゃなくて、「明日、直接会うかもしれない人」「隣の家の人」「恩師の友人かもしれない人」だと思って書くことです。TVだけでなく三流週刊誌ネタも賛成出来ません。「百科事典の編纂プロジェクト」だということを忘れないことです。--Album 2007年7月7日 (土) 13:52 (UTC)
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[編集] 関連する基本方針への追加提案
関連する基本方針の中にWikipedia:ウィキペディアは何でないかを加えるべきではないでしょうか。というのも、この中には個人プライバシーの扱いについて言及されている部分がいくつか見受けられるからです。例えば「ウィキペディアは演説場所ではありません」には「事実の暴露や報道を行う場ではありません。もっぱら知られていない事実を公表することが目的ではありません。事実ならば何を書いてもよいわけではありません。個人のプライバシー、また特に不謹慎とみなされる場合のある事象の記述に関しては、それが事実であっても保守的な態度で記述を避けるべきです」といった具体的な編集姿勢についても書かれた個所があります。
今まで幾人か著名人の記事編集にかかわってきましたが、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性だけを重要視した場合、「(自分にとっては)独自研究でなく検証可能で知ってる事実だから書いて良い」として本名や学歴などを簡単に記述され、後に特定版削除となるケースが非常に多いのです(例えば本名記載や学歴記載により3度に渡る特定版削除を余儀なくされた石原さとみや自分が特定版削除依頼を出させていただいた日出中学校・高等学校における在学生名の記載等)。本来存命人物に関する記述をする場合はプライバシーの尊重が何においても先に考慮されるべきことであるのに、人物のページにおいてしばしばそれがなさていない記事が散見されるのは、「独自研究は載せない」、「中立的な観点」、「検証可能性」の3つの方針のみが独り歩きしている結果ではないか、と。人物に関する記述には、3つの方針に加え、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかも組み入れて考える必要があるのではないでしょうか。多くの方にご意見を賜りたいと思います。--ライアン 2007年5月24日 (木) 22:39 (UTC)
ちなみにこの提案は、「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」節を補完する公式方針として提示させていただいていることも追記させていただきます。--ライアン 2007年5月24日 (木) 23:00 (UTC)
- とりあえず、会話ページに来たので、コメントを。関連してはいるので、関連項目に加えるのは問題の無いことだと思います。「独自研究は載せない」、「中立的な観点」、「検証可能性」の3つの方針のみが独り歩きしているに関しては、この方針に対する議論だと思うので、井戸端(告知)に投稿して広く意見を募ったほうがよいかもしれません。現在のところ、その事に関しては言及を控えさせていただきます。--通 2007年5月26日 (土) 09:07 (UTC)
- アドバイスありがとうございます。井戸端(告知)に投稿させてもらいました。--ライアン 2007年5月26日 (土) 15:03 (UTC)
[編集] 「批判者、敵対者、中傷者の意見」
最新版では「評論家の意見」に修正されています。「多数派の評論家」であれば百科事典に掲載する価値はあるかもしれませんが、「多数派の中傷者」だとネットの多数派が批判を浴びせるだけで掲載される可能性が出てきます。こうなると意味が全然違ってきてしまう上、中傷防止のために作られたこの方針が無意味になるので修正を提案します。--BlueSkyWhiteMoon 2008年2月24日 (日) 20:19 (UTC)
- 中傷者→評論家に+微修正しました。--BlueSkyWhiteMoon 2008年2月27日 (水) 15:40 (UTC)
[編集] 公式な方針の試験段階に入ってから1年近く経ちますが
いつになったら正式化するのですか?--122.131.83.87 2008年3月17日 (月) 03:06 (UTC)
[編集] 要旨追加提案
英語版から「この文書の要旨」を導入することを提案します(試訳は適宜修正してください)。--miya 2008年5月3日 (土) 23:17 (UTC)
- This page in a nutshell: Wikipedia articles can affect real people's lives.
- This gives us an ethical and legal responsibility.
- Biographical material must be written with the greatest care and attention
- to verifiability, neutrality and avoiding original research, particularly if it is contentious.
- en:Wikipedia:Biographies of living persons# 2008-05-02 14:47:39より転記
- この文書の要旨:ウィキペディアの記事は、現実の人々の生活に影響を与えます。
- このためウィキペディアの編集者には倫理的・法的責任が生じます。
- 人物に関する記事の執筆にあたっては、検証可能性と中立的な観点の方針に従い、
- 独自研究は載せないように最大限の注意を払わねばなりません。
- 物議を醸すような内容に関しては特にこの注意が必要です。
[編集] ショートカット追加提案
英語版のen:WP:LIVEと同じように、[[WP:LIVE]]をこの草案のショートカットとして追加することを提案します。賛否も含めてご意見下さい。--背番号9 2008年8月8日 (金) 04:26 (UTC)
[編集] 「抑制的な記述」の定義について
本方針の「どのように書くべきか」の節で使用されている「抑制して記述する」の定義が曖昧ではないでしょうか?(「プライバシー:私人・非著名人」で使用されている抑制という言葉には、直後に解説が入っていますので問題ではないかと考えます)
ノート:松浪健四郎の末尾を参照して頂きたいのですが、政治家のような公人に対する「根拠は明確だが、本人にとってネガティブな事実に関する記述」について、冒頭文に要約を追加することが「抑制的か否か」で議論になっています。この議論に於ける問題は、本方針の「どのように書くべきか」の節に記述されている「抑制」という表現が、他の記事よりも厳格に「検証可能性、中立的な観点、独自研究は載せない」という方針を守ることを求めているのか、それに加えて記事の目立つ箇所にはネガティブな内容を記載するべきではないという意味も含まれているのか、という点だと考えます。
(私が本方針を読む限り、後者の意図は含まれていないと感じていますので)「どのように書くべきか」における「抑制」という表現を削除し、より明確に「ウィキペディアの各方針を他の記事よりも厳密に遵守すること」と書き換えることを提案します。--shou 2008年8月12日 (火) 00:30 (UTC)
- 私見ですが、存命人物の記述に関してネガティブな内容は、3方針に疑いがあるならば、除去すべきかと思います。しかし、そこは明確で、かつその人物の説明において必要な著名性(特記性)のある事項であるならば、記載を妨げる草案ではないと思います。Shouさんの最後の一文の理解でよろしいかと思いますし、反対しません。
- ただ、個別のノートでの方針解釈をめぐる対立解決を図るならば、WP:井戸端にて各位に相談した方が効果的かと思います。(ガイドライン改良を目的とした意見まで妨げる意図はございません。あしからずです。)--背番号9 2008年8月12日 (火) 07:01 (UTC)
-
- レスありがとうございます。「抑制」の定義については、他の方からご意見無ければ1週間程度待った後に書き換えを行おうと思います。(ルール上問題があればご指摘下さい)
- WP:井戸端の件、存在を知りませんでした。アドバイスありがとうございます。松浪健四郎記事では「冒頭文へのネガティブな記載は中立的な観点に違反している」という指摘も頂いていますので、本件とまとめて井戸端で相談させて頂きます。--2008年8月12日 (火) 23:42 (UTC)
- 今回の貴方の提案自体は正しいと思いますので、このまま反論無ければOKだと思います。ただ、該当のノートでの話に関してはLos688さんの意見も考慮してあげて下さい(従えとは言いません、あしからずです)。Los688さんの意見はストレートで厳しく映るかもしれませんが、下手な妥協は許さず、的を外すことが少ない頼りになる管理者の一人です。(これ以上の話は井戸端か該当ノートにて)--背番号9 2008年8月13日 (水) 02:52 (UTC)
[編集] 本人が積極的に公表していない個人情報について
(現行で充分と思わなくもないし、何もかも明文化しなければならないというのは好きでないんですが)本人が積極的に公表していない個人情報(端的に本名晒しの類い)はこれまで何度も第三者の出典があっても名誉毀損の虞れ等の理由で削除されてきました。ただ、これに不満を持っていたり同様の行為を繰り返す方が多いので、大まかに「個人情報に関しては過去に公表されていたとしても本人が積極的に公表していないものは記事本文中に書込まないで下さい。」という文章を加えてもよいかと思います。これは第三者の出典による微妙な個人情報は本文中に書込まないという含意、意図ですが、第三者出典の情報についてノートでの提示まで禁止するのは行き過ぎだと思います。ご意見をお願いします。johncapistrano 2008年8月24日 (日) 16:31 (UTC)
- 同じような案件に、ここ数ヶ月ずっと関わっていますが、確かにJohncapistranoさんご提案の一文が書いてあれば、個々の案件の対応には助かります。ただ要旨的な「大まかな」記載を守っていただきたいと思います。「本人が情報を積極開示しなければ全てダメ」という風に解釈されだすと、その一文をもって悪用されたりしそうなので。
- ノートの記載は、ネガティブ情報でなければ、今のところ禁止する必要ないかなと存じます。--背番号9 2008年8月27日 (水) 14:23 (UTC)
[編集] プライバシー侵害
ウィキペディアでは,私人・非著名人について「ウィキペディアに含めるにはふさわしいが、私人としてのプライバシーは尊重すべき人物の項目があります。こういう場合、編集者は抑制して、それらの人々の知名度に釣り合う情報だけを記事に含めるようにすべきです。 どちらとも決めにくい場合の経験則は、「害にならないことだけをせよ」です。ウィキペディアは百科事典であって、新聞ではありません。扇情的な速報を伝え、あるいは人々の生活について刺激的な主張を先頭に立って広めることはウィキペディアの果たすべき役割ではありません。」との編集指針が出されていますが,プライバシーに関する諸判例に照らし,私人のプライバシーを保護すべきは当然です。文師の言葉(弁護士会HPでは出典不明記)を座右の銘とすることが思想信条の公表にならないことは当然です。婚姻関係が公的行為であるから,婚姻の経緯等を事細かく公表すて良いなどという議論には反論の必要すら認めない馬鹿馬鹿しい主張です。なお,記事中には「検察組織に送り込まれた」などとあたかも当人がスパイ活動をしていたかのような表現,「暗躍する」などの名誉毀損的表現まであり,悪意に満ちた記事であり,到底容認できません。なお,最終的に法的手続きをもって不法行為者を特定し,法的措置を講ずるのは正当な行為であり,匿名でプライバシー侵害を繰り返しておきながら,「脅された」などとは身勝手な主張といういうべきです。不法行為でないという自信があれば,実名で反論すればどうでしょうか?—以上の署名の無いコメントは、Sharehead2(会話・履歴)さんによるものです。--Acchi527 2008年11月12日 (水) 19:12 (UTC)
[編集] 法的懸案事項
「法的懸念事項」の節に出ている「指定代理人」の連絡先を除去したのは、以下の理由によるものです。
- 当該箇所は、もともと英語版にあった"designated agent"に関する情報を翻訳したもののようだが、英語版ではこちらの議論に基づいて記述が削除されている[2]、(簡単に言うと、designated agentとはアメリカの法律に基づく役職で、著作権侵害の対応窓口とのこと。名誉毀損等については扱わないらしい)。
- 「board "at" wikimedia.org ("at"を "@"に置換してください)」のメールアドレスは、おそらく現在は使われていない。(上でリンクした英語版の議論の中で、現在の財団理事長であるスノウさんが"The designated agent stuff ... lists an email address that is not in use"と言っている)
- ちなみに、「指定代理人」にはスノウさんではなく、別の方々が任命されているようです(wikimedia:Designated agent参照)。--Dwy 2009年4月22日 (水) 09:10 (UTC)
- 「理事長、或いは指定代理人」って意味じゃなかったんですね。それは失礼しました。てっきり、以前からジンボだったので責任者として理事長名を表記するものだったのかと。今現在の指定代理人は法律顧問と事務長ですね。--Kstigarbha 2009年4月22日 (水) 11:48 (UTC)
[編集] 存命人物記事と{{人物}}の各種扱いについて
Wikipedia:井戸端/subj/存命人物記事とそのテンプレートに関する提案にて{{人物}}の扱いとまた全ての存命人物記事の編集時にこの文書に関連する警告文を編集枠より上部部分に強制表示させる提案を行っています。ご覧ください。--Tsukamoto 2009年5月31日 (日) 13:33 (UTC)
- 上記提案により、{{人物}} は廃止となり、編集画面に同等のテンプレート Template:BLP editintro を表示する方式に移行しました。--cpro 2009年8月27日 (木) 00:46 (UTC)
[編集] 存命人物のカテゴリ付与について
上記議論にてCategory:存命人物カテゴリ付与についての提案を行っています。もし賛同が得られましたらこの文書にも内容を反映させるようにいたします。--Web comic 2009年6月28日 (日) 00:16 (UTC)
また上記に関連して人物記事に{{Lifetime}}を使用することも提案いたします。これについても反対がないようでしたら文書に反映いたします。--Web comic 2009年6月30日 (火) 14:55 (UTC)
一ヶ月近く反対意見がありませんでしたので提案内容を反映させました。--Web comic 2009年7月24日 (金) 17:38 (UTC)
[編集] 犯罪者の記事について
刑務所といった刑事施設はインターネットを利用できない施設であるため、収監されている犯罪者はウィキペディアで自分がどう書かれているのか確認するのが困難という事情があると思います。そのため、犯罪者に関する記事は特に細心の注意を払う必要があることを明記した方がいいのではないでしょうか。--Rikumio 2009年7月11日 (土) 06:40 (UTC)
- (コメント)「犯罪者」ではなく、「受刑者」という表現の方がいいかと思います。--218.222.71.154 2009年7月18日 (土) 04:36 (UTC)
[編集] 導入部に「関係法規遵守」を追加する提案
「一定の配慮が必要であり、」の後に「日本国の関係法規全てを遵守し、」とする部分を追加すべきと考えています。これは暗にWikipedia:名誉毀損を意図しております。現在の「Wikipeda:存命人物の伝記」では日本国の法規について述べられておりませんがWikipedia:名誉毀損によれば事実を記述したとしても免責されないとのことなので編集者とウィキペディアを守るために注意を喚起すべきと考えました。英文にも導入部に同様な表現が存在しておりますので将来の「Wikipeda:存命人物の伝記」更新時にも問題を起こし難い加筆と考えています。--Sweeper tamonten 2009年7月22日 (水) 23:58 (UTC)
- Wikipedia日本版ではなく日本語版であること、日本以外からのユーザーによる編集、日本人以外(または日本在住以外の人物)についてどうお考えでしょうか。--Tiyoringo 2009年7月23日 (木) 03:30 (UTC)
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- いきなり自分の未熟さを思い知りました。Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意#どこの国の著作権法に従うかによると日米の法律に従うということですね。英語版以外の「Wikipedia:存命人物の伝記」にはどの国の法律とかはないようです。周りを見て考えたことは、まず「日本国の」という部分を外すことです。存命人物の国籍によって法律による保護が異なるのでそれは導入部で述べることではないでしょう。各法規が求めることは各国の人物の権利を守ることなのでそれが守られる限りは誰が編集をしても問題はなく、しかし誰の編集でも存命人物がその国籍によって守られるべき権利を侵されるべきではないと考えます。--Sweeper tamonten 2009年7月23日 (木) 05:38 (UTC)
[編集] 正式化の提案
wmf:Resolution:Biographies of living peopleを受けて、いくらか修正したり、より新しい版の記述の移入したりすべき点はあるかもしれませんが、これまでのノートで大きな問題点の指摘があるわけでもなさそうなので、現状で特に大きな問題が見当たらないならば、まずは正式化するのがよいと思いました。校正は随時行い、大きな改変や刷新は正式化後に考えるという事で、いったん現文書を正式化するという考えに対しての、ご意見をいただけますか。--Ks aka 98 2009年8月11日 (火) 18:45 (UTC)リンク先を wmf に改めました。--Kurihaya 2009年8月12日 (水) 07:06 (UTC)
- (賛成)独立記事として取り上げるべき人物の特筆性や、思わしくない履歴の記載に対する許容度などを、幅広く取る向きがいらっしゃいます。それは一概に否定されるものでもありませんし、別途議論すべきでしょう。しかしその一方で、三つの基本方針を厳守し、jawp の記事が対象の人物に害を与えないように特別な配慮をもって望むことを、早期に正式な公式な方針とすべきと考えます。--Kurihaya 2009年8月12日 (水) 07:06 (UTC)
- (賛成)お考えには賛成です。ただ、今ある Wikipedia:存命人物の伝記#論理的根拠(この方針が必要な理由) の節の中身が根拠として論理的かどうか、違和感を感じました。wmf:Resolution:Biographies of living people を元に少し手直ししたほうがよいんじゃないでしょか。--Su-no-G 2009年8月12日 (水) 08:47 (UTC)
賛成 特に問題点はなさそうですし、正式化してよいと思います。ただ、出典無き批判は除去節にある即時削除に関する部分について、これをenwpから移入するなりして対応するSD基準をWP:CSDに導入することも同時に必要ではないかな、と思いました。--青子守歌(会話/履歴) 2009年8月15日 (土) 15:10 (UTC)
冒頭部というか最初の節を差し替えました。確認・修正をお願いします。即時削除については、正式化の後に提案ということで。--Ks aka 98 2009年8月27日 (木) 16:15 (UTC)
- (賛成)間もなく提案より1か月経過します。ここまで賛成意見のみということで、またSu-no-Gさんの懸念も解消されたと思いますし、正式化に踏み切っていい時期ではないでしょうか。--cpro 2009年9月9日 (水) 04:28 (UTC)
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- 賛成意見のみ、下の節の懸念もいちおう解消されたということで、正式化しました。ご意見ありがとうございます。--Ks aka 98 2009年9月15日 (火) 05:03 (UTC)
正式化したため、Wikipedia:ウィキプロジェクト プロジェクト関連文書の「現在進行中の議題」より、このガイドラインを外しておきました。--伏儀 2009年10月5日 (月) 16:23 (UTC)
[編集] 方針の位置づけのセクションについて
Ks aka 98さんが最後に書き直した「方針の位置づけ」のセクションが理解しにくい。とくにこの行は何を言いたいのかつかみづらい。
- 「検索エンジンによる検索結果の上位にウィキペディアの記事が現れることが増え、これは潜在的な雇い主や同僚、友人、隣人、知人が個人のことを調べたときに、なにかをウィキメディアのサイト上で見つけるかもしれないということを意味しています。存命中の人々に関する記事が中立な観点に立ち、正確で情報源をきちんと挙げているようにしておくという編集コミュニティの責任も大きくなっています。」
「潜在的な雇い主」とは何なのかわからない。英語の直訳調すぎる。「なにかをウィキメディアのサイト上で見つけるかもしれない」の「なにか」とは何か。これも読んでいて混乱する部分。「存命中の人々に関する記事が中立な観点に立ち、正確で情報源をきちんと挙げているようにしておくという編集コミュニティの責任も大きくなっています。」も助詞がおかしいのかわかりにくい。「存命中の人々に関する記事を中立な観点にたって、正確に記述し、情報源をきちんと挙げている状態にしておく、といった編集コミュニティに求められる責任も大きくなっています。」ということだろうか。
もう一度推敲をお願いします。--Afaz 2009年8月27日 (木) 17:14 (UTC)
- ちょっと直してみました。疑問があるところなどはどんどんなおしていただいてよいので、よろしくお願いします。--Ks aka 98 2009年8月27日 (木) 18:51 (UTC)
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- 財団決議をmeta:Translation requests/WMF/Resolution:Biographies of living people/jaにて翻訳中です。Makotoyさんの翻訳も取り入れさせていただいております。合わせてチェックしていただければ幸いです。--miya 2009年9月5日 (土) 12:46 (UTC)
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- 推敲してみました。あと、wmf のページにrefタグでリンクを貼りました。--Su-no-G 2009年9月5日 (土) 17:40 (UTC)
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- Su-no-Gさんの推敲後、特に反対意見も見られなかったため、上の節に書いたとおり、正式化しました。文章の校正や、より新しい英語版などからの反映やローカライズなどは、今後も引き続き提案・修正をしていただければと思います。--Ks aka 98 2009年9月15日 (火) 05:06 (UTC)
[編集] テンプレート
Template:人物は廃止されていますので、Template:Blpと置き換えました。--Afaz 2009年9月23日 (水) 04:31 (UTC)
[編集] 公開中止となったプライバシー情報について
かつては公表してたプライバシー情報(具体的には本名・生年月日・出身地あたり)を、ある時期より非公開としているという様な状況に対し、この非公開情報をどのように扱うべきでしょうか。PJ:漫画家の改定にあたり話題となった問題なのですが、漫画家に限らず広く存命人物の記事に関わる問題であると考え、こちらでの問題提起をさせて頂きます。
私としましては、それまで公表していいたものをわざわざ非公開とするのは「プライバシー侵害等の何かしらの問題に対する対策」と考えられる行為ですので、「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#通称・ペンネームや本名(戸籍名など)」や本ガイドラインの観点から考えますと、なければ解説が成り立たないような「解説に必須な情報」でない限りにおいて、本人が非公開と明言しているのであればその意志を尊重すべきであると考えています。
ただ、Wikipedia:検証可能性を満たした形で非公開以前の情報を確認できるのであれば、「本人に都合の悪い情報を隠蔽する」とも取れなくはないことであり、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありません・Wikipedia:中立的な観点・といったあたりに抵触するという考え方も出来る様にも思いますし、広く御意見を頂ければと思っています。--マクガイア 2009年10月6日 (火) 11:54 (UTC)
- まず、公開されていたことが示されているなら、削除はしない。その情報が、1)本人によって、2)事実だと信頼できる形で、3)広く公開されていることを前提として、本人に都合が悪いかどうか、ではなくて、その情報を広くアクセスできる場所に置き続けることが、公共の利害にかかわるかどうかを考えて、かかわらないならば、プライバシー情報は除去するのがよいのではないかと思いました。--Ks aka 98 2009年10月6日 (火) 16:43 (UTC)
- ご返答ありがとうございます。実際に執筆にあたる状況で考えますと、解説として不可欠でかつ過去の公開情報のしっかりとした出典があるのであれば記載してもよいが、どちらか一方でも条件も満たさないのであれば記載はしない、と捉えても問題ないでしょうか。--マクガイア 2009年10月7日 (水) 12:04 (UTC)
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- 例を挙げるとすれば、引田天功さんや、シルクさんのようにある時期を境に非公開とされたケースが当てはまりそうですね。この方々はたしか営業上の理由などで非公開にされたケースだと思われます。このような記述すると問題が起きそうなケースの場合非公開に切り替えるべきなのかもしれません。逆に、年をとってそろそろ年齢を公開するのが恥ずかしいなど個人的な理由などで、生まれ年や年齢など一部非公開とされるケースや、プライベートをそろそろ隠したいなどそういった理由で非公開とされるケースもあると思いますが、これはわたくしの個人的な意見ですが、隠す理由がごく個人的な理由の場合、過去に公表していることが証明できる出典(新聞や出版物など紙媒体が望ましいでしょうか?)があれば公開しても正直問題は無いように考えています。--もものかんづめ 2009年10月7日 (水) 16:51 (UTC)
- これから執筆するという状況であれば、両方を満たす場合に書く、ということになると思います。既に記述があり、それに加筆する場合でも、除去することが可能であるにもかかわらず、それを残した、と判断されることを想定して、加筆するのが望ましい。
- たとえば、「そろそろいい歳なので」という理由が明示されているなら構わないとしてもいいかもしれませんが、実際に「ごく個人的な理由」というのが、どんな理由かはわかりません。理由が明らかなら、その妥当性から判断することもできますが、実際に明らかにされることは、あまりないでしょうし、明らかでないなら、妥当性の判断は外部からは困難です。執筆する側としては、「問題がないと思われるなら書く」ではなくて、書くべきことで書いても問題がないことが明らかならば書く、という考え方が望ましいと思います。--Ks aka 98 2009年10月7日 (水) 17:09 (UTC)
- 例を挙げるとすれば、引田天功さんや、シルクさんのようにある時期を境に非公開とされたケースが当てはまりそうですね。この方々はたしか営業上の理由などで非公開にされたケースだと思われます。このような記述すると問題が起きそうなケースの場合非公開に切り替えるべきなのかもしれません。逆に、年をとってそろそろ年齢を公開するのが恥ずかしいなど個人的な理由などで、生まれ年や年齢など一部非公開とされるケースや、プライベートをそろそろ隠したいなどそういった理由で非公開とされるケースもあると思いますが、これはわたくしの個人的な意見ですが、隠す理由がごく個人的な理由の場合、過去に公表していることが証明できる出典(新聞や出版物など紙媒体が望ましいでしょうか?)があれば公開しても正直問題は無いように考えています。--もものかんづめ 2009年10月7日 (水) 16:51 (UTC)
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- Ks aka 98さん返答ありがとうございます。確かに記述されているとおり判断基準が難しいですね。わたくし自身はプライバシーなどに係わることに関しまして執筆する場合は必ず出典を付記して執筆しています。以前『そろそろいい年なので秘密』という理由を書いて生まれた年を非公開にした方を見かけまして、過去に本人が公表している別の出典があることを前提にそのままにしているのですが、確かに理由を公表して非公開などにする方のほうが少ないかもしれませんね。おっしゃるとおり万が一のリスク面を考えても、書いても問題がないと判断できる場合のみ書くという形、残していると問題があると判断できる場合は削除する形が望ましいでしょうね。
- これに関連しまして1点質問となりますが、今とある人物の方に関して質問形式でノートに記述している方のケースを挙げさせていただきますが、ある日HPをリニューアルされてそれまでHPで公表していたプロフィールのうち一部のプロフィールを非公開に切り替えたとします。ただ、以前のページを消去するのを忘れてweb上に残骸が残っていたとします。このケースの場合どう判断するべきなのかが少々不明です。本人は非公開に切り替えたつもりでも自らのミスのような形でデータが残っている場合を想定しています。--もものかんづめ 2009年10月7日 (水) 18:27 (UTC)
- そういう事例では、(常に)どう判断する、というふうに、線を引くのは難しいんじゃないかと思います。その残った情報や知名度にもよりますし。どうしても除去しないといけないというものでなければ、人によって百科事典としてふさわしい記述というものは異なるでしょうから、他人事として書きたい人がいるなら書かせておいてもいい、という考え方もあります。かつて誰かが書いたもの、今誰かが書こうとしているもの、自分で書こうとするもの、それぞれ基準は違ってもよいでしょう。一方が、これでは…と思うものでも、相手は、その人なりにこの方針に則ってセーブしている、ということなのかもしれません。たとえば、30年後、その項目の人物が、現在の仕事を辞めて田舎で普通の人として暮らしていて、子供が成人している。その人が、この事実はもう明らかにしたくないと考えたとしましょう。その人に対して、あなたがかつて公表していたこの事実は、百科事典に掲載するべきことだ、と胸を張って主張できるかどうか、というのがひとつの基準かなあ。プライバシーは、法律的にもいろんな理屈が錯綜しているところがありますし、ウィキペディアというものの捉え方にも左右されるところがありますから、この方針の運用は、まだしばらく試行錯誤が必要だと思います。--Ks aka 98 2009年10月7日 (水) 19:36 (UTC)
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山口小夜子はどうすんの?もういいだろって感じなんですけど。--220.150.135.108 2009年10月28日 (水) 23:08 (UTC)
最終更新 2009年10月28日 (水) 23:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記】変更履歴


