Wikipedia‐ノート:検証可能性
Wikipedia‐ノート:検証可能性の最新ニュースをまとめて検索!
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ここは、ページ「Wikipedia:検証可能性」に関する議論をするためのノートページです。
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目次 |
[編集] 過去ログ
- 2006-12-20までの議論 訳語の選択、正式化、問題点とその対策、マイナス情報への検証可能性、翻訳に関する疑問
- 2007-05-25までの議論 Attributionによる置き換えの提案(撤回)、何をもって公開されたとするのか、不存在の証明、一次情報で記述しない
- 2007-07-08までの議論 ビデオゲーム関連の検証可能性
- 2007-09-29までの議論 理解されていないこと、「方針」の誤訳について、情報が真実であることを請け合うのは誰か、電話確認、一過性の情報源
- 2007-11-24までの議論 「検証可能性」における「検証」とは、出典のない作品評価や原作との相違を載せることが出来るか
- 2008-5-12までの議論 信頼性に乏しい情報源への付け加え/除去されたオンライン情報/執筆経験があまり無い人にとっての検証可能性/どこまでが要出展タグのいらない「常識」なのか/方針への疑問 - 「アップルパイ」は信頼できる情報源か?/ノートに書いた文献情報は出典を書いたことにならず検証可能性を満たさない?/「世論」は記事に反映するのか/掲載期間超過によって閲覧できなくなったオンラインニュースの扱い/補足の提案/要出典について(修正)
- 2008-11-18までの議論 ゲーム内容の検証可能性について/事実でも出典がなければ削除されると言う現実/著名なジャーナリストの定義/作品記事について/バックナンバー入手不可能の雑誌から得た検証可能か?/投稿された動画
- 2009-3-15までの議論 「自主公表された情報源:公式サイト」の記述について/「出典」を書き加える者が示した後、除去しようとする者にノートで「出典」を求めるのは不当か?/国会議事録の出典能力について/主旨への追記/検証可能性のタグへの文追加について
[編集] サブページ
- Wikipedia‐ノート:検証可能性/テレビ番組
- Wikipedia‐ノート:検証可能性/非文献情報源
- Wikipedia‐ノート:検証可能性/中立的な観点との兼ね合い
- Wikipedia‐ノート:検証可能性/打ち切り
- Wikipedia‐ノート:検証可能性/出典無き記述の除去2007-10-28から2008-4-16:以下のサブページをインクルード。
[編集] ウェブ上の有料記事は「出典」となるか?
ノート:上杉隆にて、ウェブ上の有料記事は、「信頼のおける出典」となるか? 議論が起こっています。 「出典」となると主張されている方は、『有料サイトに入会されて確認されるのが筋』と書かれているのですが、検証する側が入会を強制されなければならないのでしょうか? 議論して下されば幸いです。 --山本山815 2009年3月29日 (日) 11:58 (UTC)
- 端的に述べれば、出典となります。一部の大学図書館にしか置かれていない資料を閲覧したければ、一部の大学図書館へ出向かなければなりません。そこにすら置かれていない洋書を読みたければ、代金を支払って取り寄せなければなりません。それと同じことです。出典を示す責任は必ず執筆者が負いますが、出典の内容を吟味したければ批判者の負担で行うのが当然です。どの編集者も、他の執筆者が提示した文献のわずか数行を調べるためだけに、わざわざ書店や通販で購入したり、休暇を費やして遠くの図書館まで通ったりしているのです。どうしても自力で資料を確認するのが不可能であれば、Wikipedia:ウィキプロジェクト 検証で依頼すれば解決できます。いずれにせよ、検証可能性とは「有料の情報源を出典にしてはならない」という方針ではありません。--白文鳥 2009年3月29日 (日) 12:31 (UTC)
- 出典にはなっても「信頼できる」かどうかの判断は別でしょうね。有料メール配信の場合、バックナンバーへのアクセス可能性も考慮する必要があるかもしれません。有料かどうかは白文鳥さんのおっしゃるとおり、この際関係ないかと思います。--ネコバット 2009年3月29日 (日) 13:22 (UTC)
- 有料だから「信頼できる情報源」にならないということは絶対にない。しかし、関連分野の記事の編集に関わりたいと思う人がどうしてもお金を払いたくないと思うような情報源は、「信頼できる」ではない可能性が高い。--Dwy 2009年3月29日 (日) 16:04 (UTC)
- 出典にはなっても「信頼できる」かどうかの判断は別でしょうね。有料メール配信の場合、バックナンバーへのアクセス可能性も考慮する必要があるかもしれません。有料かどうかは白文鳥さんのおっしゃるとおり、この際関係ないかと思います。--ネコバット 2009年3月29日 (日) 13:22 (UTC)
- 「有料だと出典にならず、無料だと出典となる」というお考えなのでしょうか。それですと著書を買って調べることもできなくなります(国会図書館にしかない出版物を調べに行く費用等も有料と言えます)。執筆者は『検証の「可能性」』を提供すれば良く、出典物が有料だと「可能性」がなくなるでしょうか?当然、なくなりませんよね。--Dondokken 2009年3月29日 (日) 17:56 (UTC)
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- 今回の『アクセスジャーナル』(旧『スレイ・ドック』)は、会員費が、個人向け料金プランで、6ヶ月購読(1名)5,000円、12ヶ月購読(1名)で9,000円です[1]。 当該記事の一つを検証するために、高額の会員になるのは当然だということでしょうか? 図書館への交通費とは余りにもかけ離れています。
- また、「自費出版物、個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。」と本文にあり、 例外として、「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです。」(Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)とあります。 この趣旨には反していないでしょうか? --山本山815 2009年3月29日 (日) 18:58 (UTC)
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- 額は関係ないと思いますよ?調べたい人は費用をかけて調べれば良いので。海外に住む方が国会図書館にしかない書物を費用をかけて調べに来るのも自由でしょう。「私は海外に住んでいて金がかかるから、これは出典にならない!」などという馬鹿げた発言は見たことありませんしね。後段の主張はこちらで書くべきものと違うと思いますので、こちらでは答えないでおきます。上杉なりのノートでお願いします。--Dondokken 2009年3月29日 (日) 19:13 (UTC)
- むしろこの場合は「会員にのみ公開されている」情報源は公的なソースとして取り扱えるかどうか、の観点のほうで検証可能性を議論したほうがすっきりするかもしれません。確かに額は関係ないのですが、会員WEBソースの特徴として、セキュリティ機能により非常に閉鎖的・排他的な情報提供が行われていることがあります。つまり「発行元から公開されている」と言えるのかどうか。極めて私的な出版である可能性はないか、という観点です。会員WEBメールから感じる多少の違和感が「公開された情報から適切に引用する」というWikipediaの一般的な引用ルールに適合しているのかどうか、微妙な感じは致しますが、このあたりはいかがでしょうか。--ネコバット 2009年3月29日 (日) 22:19 (UTC)同様の観点はたとえばブログとSNS(MIXIなど)との関係についても同じで、後者について招待されない非会員には「公開されている」とは言えなさそうな感触があります。--ネコバット 2009年3月29日 (日) 22:22 (UTC)Wikipedia:信頼できる情報源にほぼ詳細なルールが用意されていました。上の論点提起については無かったことに・・ι(^o^υ) --ネコバット 2009年3月29日 (日) 22:38 (UTC)
- 額は関係ないと思いますよ?調べたい人は費用をかけて調べれば良いので。海外に住む方が国会図書館にしかない書物を費用をかけて調べに来るのも自由でしょう。「私は海外に住んでいて金がかかるから、これは出典にならない!」などという馬鹿げた発言は見たことありませんしね。後段の主張はこちらで書くべきものと違うと思いますので、こちらでは答えないでおきます。上杉なりのノートでお願いします。--Dondokken 2009年3月29日 (日) 19:13 (UTC)
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[編集] 電凸について
電凸結果のノートへの貼付けについて明文で禁止する規定はありませんが、検証可能性の方針としての運用以降、電凸の類いは当然に独自研究として除去されるべきものとされてきたと思います。
利用者:Qoop(会話 / 履歴 / ログ)という方が、ノート:日本ユニセフ協会で電凸結果を「ノートには方針が適用されない」として貼付けておられますが、検証不能なものは議論の対象に出来ずノートへの貼付けも不可だと思います。方針文書は禁止事項を明文化して書き連ねる場でなく、またノートも記事及び記事の対象について議論する場であって、検証可能な事柄についてノートで議論することは許されても、このような目的外利用は方針を蔑ろにする行為であって認めるべきでないと思います。johncapistrano 2009年4月21日 (火) 05:05 (UTC)
- ノートは適用対象外という事だったと思います。『検証不能なものは~ノートへの貼付けも不可』とのルールも違うと思います。ただし『検証不能なものは議論の対象に出来』ないのは確かなので、検証可能性のない独自研究を延々とノートで(自説の主張を)展開される方は適当に無視しておけば宜しいと思います。公衆の集まる場所には、かならずどうしようもなくおかしな人物もやってくるものです。一般論ですが。--大和屋敷 2009年4月21日 (火) 06:40 (UTC)
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- 「検証可能性がないので本文記事には記載できない」基準は比較的客観性がありますが、「記事に関係がない内容はノートからも削除すべき」というのはどうしても主観に流れてしまうのでルール化するのは難しいのじゃないですか?他言語版(英語版)にもそのようなルールは無いようですし。「膨大な量でジャマ」な場合は過去ログ化、ナンセンス文字列であきらかな荒らしだとか、ノートを使った広告宣伝行為、著作権や名誉・プライバシーにかかわる問題など削除対象となる記述の削除は削除依頼へ、それ以外は無視というルールでいいんじゃないんですかね?--大和屋敷 2009年4月21日 (火) 11:16 (UTC)
- Help:ノートページ#記事ページが関係でしょうか。--fromm 2009年4月21日 (火) 07:09 (UTC)
- Qoopさん個人の行動結果をまとめたに過ぎないものを、関係があるからといえども記事のノートページに書くことは、ふさわしくない行為だと思います。少なくとも編集者間で共有するような類のものではないので、それがノートページにある意味がない。ただ、除去すべきかと訊かれると、これはQoopさん自身に納得していただいた上で、自主的に除去していただいた方が良いと思います。--Sacrada 2009年4月21日 (火) 09:27 (UTC)
- ノートにも検証可能性をすべて要求すべし、という主張なら反対します。ケースバイケースであって、一律に禁止しては却って検証可能性方針を曲げることになりかねません。
というわけで、結論としては大和屋敷さんに近い考えです。 fromm さんのご指摘と Sacrada さんのご意見にも、今のところ賛同しております。 --Kanjy 2009年4月21日 (火) 11:18 (UTC)
- 「何々について記述すべきである」という主張の根拠として、検証可能性を満たさない独自研究や独自取材をノートに展開するのは、大抵無意味でしょう。今回 johncapistrano さんが困っているのは、このケースであろうと理解します。独自取材は(X理論のたとえにあるように)本文を執筆する根拠に使えませんので、ノートに書いても役に立たない場合が多いと思います。
- 逆に「それは貴方が思っているほど常識的ではないので、出典を示せないなら除去すべきだ」という主張にまで検証可能性を要求してはなりません。「常識的でないことの根拠として出典を示せ、出典を示せないことはノートにも書くな」という主張を許容することになり、検証可能性方針を曲げてしまうことになります。出典を示す責任は、本文から除去したくない側にあります。
[編集] ウェブ魚拓やウェブアーカイブ等の検証可能性
芸能人の公式ウェブサイトで発表された事実について、当該サイトが現在では閲覧不能になっている場合、ウェブ魚拓やウェブアーカイブ等を出典とすることは可能でしょうか?ある記事での議論で、「偽造や著作権の問題があるおそれ」を理由に検証可能性を否定する意見が出ているのですが、私としては、次のように考えています。
- 出典としての適性を一律に否定しなければいけないほどの「偽造の可能性」が本当にあるのか疑問。(技術的にはズブの素人です、ごめんなさい)
- 仮に「魚拓」自体には著作権の問題があるとしても、魚拓によって確認された元のサイトの方を出典とすることは可能である。(「元のサイト(閲覧日:昔の日付)」を出典として表示。魚拓そのものはリンクしない・・・というのではダメでしょうか?)
皆様のご意見をお聞かせ下さい。--Dwy 2009年5月14日 (木) 09:17 (UTC)
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- 「偽造」に関しては、具体的な資料が提示されなければ無視してかまわないと思います。疑おうと思えばどんな資料でも疑うことができますから、その主張をする側が裏付けとなる資料を提示するのが筋ではないでしょうか。
- 著作権法6条1項2号からすると、確かに魚拓やウェブアーカイブは問題なしとは言えません。それらを出典とするのは避けたほうがよさそうです。
- 魚拓の取得時点に資料が存在していたとみなすやり方は、少々微妙な気がします。出典を検証できないため、誤りがあっても誰も訂正できません。これはデッドリンク出典全般に言えますが、投稿時点で出典が存在していた場合は誰かが訂正する可能性がありますが、投稿時点で出典が存在しない場合はその可能性もありません。魚拓等にリンクしない前提では、やらないほうがいい気がします。別の検証可能な出典を探した方がいいのではないでしょうか(それ以外に見つからない場合は……諦めるしかないかもしれません)。
- こんな感じでいかがでしょうか。--郁 2009年5月14日 (木) 12:39 (UTC)
- 魚拓とウェブアーカイブでは若干使い勝手が違うようですが、少なくともウェブアーカイブでは、元のURLが分かっていればアーカイブされたデータにたどり着くことができます。例えば、この編集で情報源としたファンクラブサイトのページ http://www.thegathering.jp/guidance/index.html は現在消滅してしまっていますが、URLさえ分かっていれば、ウェブアーカイブのホームページにそのURLを入力して("take me back"と書いてあるところ)アーカイブされた過去のデータを見ることができます(著作権上問題があるかもしれませんのでリンクはしません)。ウェブアーカイブの機能について少し案内・説明を追加してやる必要があるかもしれませんが、「出典を検証できないため、誤りがあっても誰も訂正できません」というわけではないと思います。--Dwy 2009年5月15日 (金) 12:23 (UTC)
- 別の言葉で言い換えると、アーカイブされたページそのものには著作権上の懸念があるとしても、「http://www.thegathering.jp/guidance/index.html 閲覧日2005年2月。ウェブアーカイブにて確認可能」というような書き方は可能ではないかということです。--Dwy 2009年5月15日 (金) 12:57 (UTC)]
- 魚拓とウェブアーカイブでは若干使い勝手が違うようですが、少なくともウェブアーカイブでは、元のURLが分かっていればアーカイブされたデータにたどり着くことができます。例えば、この編集で情報源としたファンクラブサイトのページ http://www.thegathering.jp/guidance/index.html は現在消滅してしまっていますが、URLさえ分かっていれば、ウェブアーカイブのホームページにそのURLを入力して("take me back"と書いてあるところ)アーカイブされた過去のデータを見ることができます(著作権上問題があるかもしれませんのでリンクはしません)。ウェブアーカイブの機能について少し案内・説明を追加してやる必要があるかもしれませんが、「出典を検証できないため、誤りがあっても誰も訂正できません」というわけではないと思います。--Dwy 2009年5月15日 (金) 12:23 (UTC)
- Wikipedia:井戸端/subj/引用元のブログが削除されたときが関係でしょうか。--fromm 2009年5月14日 (木) 14:52 (UTC)
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- 著作権上の問題が、ウェブ魚拓やウェブアーカイブにはつきものですので、それを出典とはするべきではないと思います。個人的にはデットリンクやアーカイブ上にしかない情報にある特筆性とはどんなものなのかと思っています。もし重要な情報ならば何か別の出典が見つかるはずではないかと。--春日椿 2009年5月15日 (金) 16:13 (UTC)
- Internet Archiveで、アーカイブ保存された情報そのものを出典とすることは著作権法113条1項2号に照らしアウトでしょうね(郁さんがおっしゃっているのもそのことかと思います)。ですからWikipedia上で記述をする時にはあくまでも原典を出典として明示する必要があります。これはデッドリンクであっても足りると私は認識しています。
- Internet Archiveに含まれる情報の証拠能力に関しては、世界的に見て公的機関も認める方向にあると理解しています。例えば特許協力条約の国際調査及び予備審査ガイドラインでは、ウェブサイトの掲載情報の公開日を知る手段として、Internet Archive (Wayback Machine)の利用を認めています。[3]ちなみにこのガイドラインを根拠の一つとして、アーカイブされた情報の証拠能力を認めた国内判例もあります(東京地裁・平成16年(ワ)第10431号 意匠権侵害差止請求権不存在確認請求事件)。
- アメリカでもTVポロニア対エコースターの裁判で証拠能力を認めた事例がよく知られています。[4]
- こうした状況を考えますと、Internet Archiveにしか情報が残っていない場合、アーカイブされた情報からたどれる元の資料を出典として利用することがまずいとは言いがたいと思います。もちろん現存する資料で確認ができるならそれにこしたことはないわけですが。
- なお英語版ではInternet Archiveの利用方法についての解説ページもあるようですね。Spinningcat 2009年5月16日 (土) 18:16 (UTC)
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(インデント戻し)こちらでは初めまして。実は私自身、記事の基本資料がリンク切れになったため、Internet Archiveから探した経験があります。最たる例は、チリの女子テニス選手であるアニタ・リザナの記事でした。彼女の生没年月日(1915年11月19日-1994年8月21日)は、私が所有している本には記載されておらず「チリ・テニスポータル」で提供されたスペイン語の伝記記事が唯一の確実な情報源でした。ところが記事の履歴 によると、2008年夏にこの基本資料がリンク切れにされたことを知りました。彼女の生涯に関する唯一無二の情報源であり、「もし重要な情報ならば何か別の出典が見つかるはずではないか」(春日椿さんによる 2009年5月15日 (金) 16:13 (UTC) のご意見)が該当しないケースなのに、どうにかならないものか?? そこでInternet Archiveの存在を知り、http://www.tenischile.com/biografias/biografia_anita_lizana.htm を検索したら、やっと出てきました!! [5] これでついに基本出典を復元できました。こういうケースもあるので、一概には言えないと思います。-Hhst 2009年5月20日 (水) 14:47 (UTC)
[編集] 検証可能性は満たすが「間違っている事が明白」な参考文献
手元に20年以上前のニュートンの21世紀はこうなる的な増刊(バブル時に書かれたものなので、イケイケな感じで書かれていて読み返して相当ブルーになる)があるんですが、こういう文献の扱いはどうなるんでしょうか?
『「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」』の項を見る分だと使用してもいい的な感じがありますが、この雑誌に限らず、いわゆる未来論系の文献の扱いを知りたいです。もちろん僕は使う気はありませんが。--119.150.6.93 2009年6月2日 (火) 14:28 (UTC)
- 当然、そこに書かれていることをそのまま受容して執筆すれば、1980年代POVになるわけです。中立的観点に手落ちが生じます。時代変遷への目配せは必須ではないでしょうか? なんにせよ、百科事典の執筆なのですから、何事につけても複合的な視点が要求されるでしょう。--アイザール 2009年6月2日 (火) 14:38 (UTC)
コメント 一言でいうと、Wikipedia:検証可能性は必要条件ではあるけれど十分条件ではない、ということでしょう。検証可能性だけを満たせば何でも記述できる、ということにはなりません。--Penn Station 2009年6月2日 (火) 15:31 (UTC)
- POVですか。意見系はPOVになるでしょうが、政府発表なり法人系の発表が基になってるデータ部分はどうなんでしょうか。20xx年系の記事がありますが、立ち位置が違うだけでどうもやってることは同じ気が。--119.150.6.93 2009年6月2日 (火) 15:52 (UTC)
昔は「信頼できる情報源」だと信じられていたけれど、今では誰もが「間違っている事が明白」だと思っている情報源のことでしょうか?そういうのは、(少なくとも現在は)「信頼できる情報源」ではありませんから、「検証可能性」を満たす参考文献とは言えません。--Dwy 2009年6月5日 (金) 11:24 (UTC)
- 例えば「1980年代にはこのような予想をする見方もあった」という記述に対してなら、そのように書かれたという事実がある以上は検証可能ということになるかと思います。その予想が今と乖離していて、そういう見方がされたことをかく必要があれば、という前提ではありますが。Cassiopeia-Sweet 2009年6月5日 (金) 15:58 (UTC)
- ある資料が「信頼できる情報源」かどうかは、何を書こうとしているかによって判断が変わってきます。1980年代の資料は、「21世紀はこうなる」を書こうとするときにはもはや「信頼できる情報源」とはいえませんが、「1980年代にはこう考えていた」を書く場合には「信頼できる情報源」になり得ます。但し、この場合は一次資料になりますから、その資料を使って記事を書く際には、執筆者の分析や解釈を入れないように注意する必要があります。例外はありますが、多くの場合「執筆者の分析や解釈を入れない」は非常に困難ですから、そのような資料の使用は避け、二次資料に基づく執筆を考えるべきでしょう。--Dwy 2009年6月5日 (金) 18:21 (UTC)
コメント80年代に啓蒙科学雑誌がどのような未来を描いていたか、ということなら、資料のひとつとなるでしょう。これは一次資料で、理想的には「80年代科学雑誌にみる未来予想」とかいう本なり論文なりを用いる。この場合は、予測しているということも含めれば、「間違い」ではないですね。政府発表なり法人系の発表が基になってるデータ部分に予測が含まれるなら、80年代に発表された予測としてどこかの記事に孫引きという分信頼性が落ちるとはいえ使える記事もあるかもしれません。20xx年系の記事は、そもそも百科事典的記事ど真ん中ではないので、そのうち削除されるかもしれないようなものとして、書く分には止めませんが、薦めはしません。『「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」』の項だけみてはいけない。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 18:47 (UTC)
(インデント戻します)これを書くのは何回目になるのか分かりませんが、、、「信頼できる情報源」と「検証可能性」をごっちゃにするのは止めていただけませんでしょうか。「検証可能性」が言う「検証」というのはまず「その資料が第三者によって確かに存在することが検証」できるかどうかです。その上で、その資料が信頼できるものなのかどうかが問われるわけでその基準が「信頼できる情報源」で示されている訳です。当然、信頼できないけれども確かに存在自体は確認できる情報源というのはいくらでもあります。そういう見方からすれば「「信頼できない情報源」だから「検証可能性」を満たせない」という書き方は、読む人によってはとても粗雑な文章に見えてしまい、書き手の意図に疑問を抱かせるに十分ということはご理解いただきたい。Dwyさんが絡む議論は往々にして無闇に長引く傾向がありますが、そういう概念が未整理なままに展開される言葉使いにも原因がある(そして、そのことを理解しない)ということはこの際だから指摘しておきます。--おーた 2009年6月6日 (土) 02:10 (UTC)
- ウィキペディアでは、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」という方針を「検証可能性」と読んでいます。つまり、
- 「信頼できる情報源」+「(一般的な意味での・狭義の)検証可能性」=「(ウィキペディアの方針としての)検証可能性」
- ということです。この点は、Wikipedia:検証可能性のページの冒頭にある以下の記述からも明らかです。
- つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性と呼んでいます。
- ウィキペディアにおいて「検証可能性」という場合は(特に、当該方針のページにリンクされていたり、括弧でくくってある場合は)、「(ウィキペディアの方針としての)検証可能性」の意味で解釈するのが普通だと思います。 私からすると「概念が未整理」なのはおーたさんの方のように見えますが、第三者の方からコメントいただけるとありがたいです。--Dwy 2009年6月6日 (土) 04:27 (UTC)
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- 僕は上のDwyさんの図式のような形で理解していました。左辺の第二項にある狭義の検証可能性について述べるときは、「第三者が(その資料で)確認可能という意味での検証可能性」というように枕言葉をつけておいたほうが誤解が少ない気がします。--貿易風 2009年6月6日 (土) 06:50 (UTC)
- んー。ウィキペディアの「検証可能性」というのは、「語義に近い検証可能性」と「情報源の信頼性の確保」の二つの意味がある、ということで考えてることは共有されてるんだからそれでいいんじゃないでしょうか。
- 信頼できるかどうかは、刊行時期や主題にもよるから簡単に線引きできるもんではないですし、分野によって確保できる情報源の質は異なる。「語義に近い検証可能性」と「情報源の信頼性の確保」の二つの意味がある、満たす/満たさないとかの議論の場では、それを踏まえた表現を心がける必要がある、ということで。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 18:47 (UTC)
- 自分が書いた文章について「とても粗雑な文章」とか「概念が未整理なままに展開される言葉使い」と評価され、挙句の果てには「Dwyさんが絡む議論は往々にして無闇に長引く」などというご批判までいただいてしまったDwyとしては、「考えてることは共有されてるんだからそれでいい」とは言いがたいものがあります。
- 私の常識では、ウィキペディアで「検証可能性」と言う場合、通常はWikipedia:検証可能性の方針全体を意味するのですが、これは間違いでしょうか?また、もし「その資料が第三者によって確かに存在することが検証」できるかどうかを問題にしたいなら、貿易風さんのような言葉使いをするか、(英語版で"reliable, published source"というときの)"published"(出版・公表された)かどうかの問題として議論する方がずっと分かりやすいと思うのですが、こういう感覚はおかしいですか?
- こういうところにこだわるから「議論がむやみに長引く」と言われてしまうのかもしれませんが、Dwyが間違っているなら、ご指摘をいただきたいと思います。--Dwy 2009年6月7日 (日) 05:23 (UTC)
- 私もこの議論で指す「検証可能性」は、字面通りの意味のみではなくDwy氏の前提であるWikipedia:検証可能性全体を指している(当然記載されている「信頼できる情報源」も意味に含まれる)と読めますし、そこを分離して考えてしまっては本項である[[Wikipedia:検証可能性]を検証する役に立たないのではと思いますが。--ちぇす 2009年6月7日 (日) 06:03 (UTC)
- 了解しました。そこまで押さえた上であのように書かれているということですね。それならば、その上でのお願いですが、そのように一般的意味から乖離した意味を含む用語を使うにあたっては、もう少しコミュニケーション上の問題に気を使っていただけませんか。「Wikipedia:検証可能性で定める意味において」とか言いようはいくらでもあると思うのです。特殊化した用語を得意気に振り回しながら「こんなの知らないほうが悪い」とも言いたげな文面を読ませていただく度に、暗い気持ちになりますもので。編集に参加される方々のルールの理解度は様々です。その中で円滑なコミュニケーションを図る場合は、なるべく特殊化した用語は避けるほうがよいし、使う場合もそれなりの配慮はした方が良いと私は考えます。そういった用語を盾にしてコミュニケーションを拒むような印象を人に与えたとき、いわゆる「教条主義」というような言われ方をされる場合もあることはご注意ください。果てしない議論を呼んできた「Wikipediaで言うところの検証可能性」だからこそ気を遣っていただきたく思います。--おーた 2009年6月10日 (水) 13:17 (UTC)
- 「検証可能性」をWikipedia:検証可能性の方針の意味で使うのは、少なくともウィキペディアにおいては、ごく一般的なことだと思います。このスレッドの皆さんのご意見を見ても、「特殊化した用語」だと思っているのはおーたさんだけのようです。
- 「言いたげな文面」程度のことで(そういう風には決して言っていないと自分では思っています)それほど「暗い気持ち」になるのなら、「とても粗雑」とか「得意げに振り回し」とかはっきりと言われてしまった人がどんな気持ちになるのか、すこしは想像してみていただきたいと思います。--Dwy 2009年6月10日 (水) 16:30 (UTC)
- Dwyさんがおっしゃっているように、Wikipediaにおいては「検証可能性」という用語を「Wikipedia:検証可能性で定める意味において」使うのが自然であり、「特殊化した用語」ということではないと思います。ましてここはWikipedia:検証可能性という方針文書のノートですので、方針文書で定められている定義とは異なるより狭い意味でこの用語を使うときこそ、なんらかの前置きをしておくのが好ましいというのが僕の考えです。
- おーたさんいわく「編集に参加される方々のルールの理解度は様々」とのことですが、どちらかといえば「検証可能性」というウィキペディア用語を(断りも無く)方針文書に書かれている意味と異なる用法で使うほうが、方針への理解が十分でない初心者の方を混乱させるおそれがあるのではないかと思います。--貿易風 2009年6月11日 (木) 10:18 (UTC)
- 皆様ご無沙汰しております。Dwyさんを支持します。--FXECG 2009年6月12日 (金) 09:56 (UTC)
- 了解しました。そこまで押さえた上であのように書かれているということですね。それならば、その上でのお願いですが、そのように一般的意味から乖離した意味を含む用語を使うにあたっては、もう少しコミュニケーション上の問題に気を使っていただけませんか。「Wikipedia:検証可能性で定める意味において」とか言いようはいくらでもあると思うのです。特殊化した用語を得意気に振り回しながら「こんなの知らないほうが悪い」とも言いたげな文面を読ませていただく度に、暗い気持ちになりますもので。編集に参加される方々のルールの理解度は様々です。その中で円滑なコミュニケーションを図る場合は、なるべく特殊化した用語は避けるほうがよいし、使う場合もそれなりの配慮はした方が良いと私は考えます。そういった用語を盾にしてコミュニケーションを拒むような印象を人に与えたとき、いわゆる「教条主義」というような言われ方をされる場合もあることはご注意ください。果てしない議論を呼んできた「Wikipediaで言うところの検証可能性」だからこそ気を遣っていただきたく思います。--おーた 2009年6月10日 (水) 13:17 (UTC)
- 僕は上のDwyさんの図式のような形で理解していました。左辺の第二項にある狭義の検証可能性について述べるときは、「第三者が(その資料で)確認可能という意味での検証可能性」というように枕言葉をつけておいたほうが誤解が少ない気がします。--貿易風 2009年6月6日 (土) 06:50 (UTC)
[編集] 信頼できる情報源だが、他の編集者が満足に検証することができない参考文献
何故か手元に70年以上前に朝鮮総督府が編纂した『朝鮮事情』(近所の古本屋で100円で買った、もちろん日本)という本があるんですが、奥付によると発行部数4500部で、確実に大半が現存していないと思うのですが、こういう文献の扱いはどうなるんでしょうか?
もちろん僕は使う気がありませんが。爆薬の貯蔵庫に足を突っ込む勇気はありません。--119.150.6.93 2009年6月2日 (火) 14:28 (UTC)
- 国会図書館に所蔵があります。たしか、データベース化もされていたはずです。普通に、日本の植民地政策研究における基本文献だと思います。常識的に考えて、刊行されて年代が経っているので『朝鮮事情』に関連する最新の研究書を併読して用いる必要があると思います。人文学系の研究においては、資料の掘り起しは基礎的事項であり、そして、どの視点をもって解釈を行うか、ということが重視されます。--アイザール 2009年6月2日 (火) 14:34 (UTC)
- あ、国会図書館に入ってるんすね。これはこう捉えるべき的な政治的な論争が起きている部分なら、最近の関連書の併読が必要(ま、僕はそれなりに読んでますけどね)でしょうが、そういう部分ではなく、基礎的な部分に関して。こういう事業をやってたとか、こういう団体がいたとか、○○数の推移的な部分です。--119.150.6.93 2009年6月2日 (火) 15:54 (UTC)
[編集] 過去ログ化と冒頭部の修正案
議論がとまっているものを過去ログ化しました。
今回非表示化したWikipedia‐ノート:検証可能性/「出典不明示は削除」は万能な規定ではないことの確認で出ていたY tambeさんの提案は、合意していたと言えそうでしたので、1週間ほど待って異論がなければ編集しようかと思います。議論全体はWikipedia‐ノート:検証可能性/出典無き記述の除去、初出はWikipedia‐ノート:検証可能性/Archive01#実現可能性の高い対策を参照(でいいかな)。
- 記事には、信頼できる情報源が公表している内容だけを書くべきです。
- 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。でなければ、その部分は誰かに除去されるかもしれません。
- 出典を示す責任を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
よろしくご検討ください。--Ks aka 98 2009年6月2日 (火) 18:26 (UTC)
- 私としては一応反対していたつもりなので、一応その点を確認しておきたいと思います。私の反対票を勘定に入れた上で、他の方々の賛成多数により合意が成立していたという認定であれば、仕方がありませんが・・・--Dwy 2009年6月2日 (火) 20:07 (UTC)
- Y tambeさんの文面の修正提案への反対、ではないように読みました。その背景にある個々の解釈については、意見が分かれていたと思いますが、それはこの変更後も、継続する意見の分かれではないかと思います。ぼくも「かもしれません。」は、方針としては弱いかなと思うところもあります。ただ、議論が停滞したとはいえ、ノートに記載されなくなるということで、そのまま過去ログはできないと思うだけのラフなコンセンサス(「賛成多数」)はあったのではないかと。再度、詰めていく必要がある、ということであれば、再開していただければいいです。ログ化した立場としては、異論があったとして1週間後の編集はせずに、いちおう記載が残る形を保ちたいということです。--Ks aka 98 2009年6月2日 (火) 20:23 (UTC)
[編集] 信頼性に乏しい情報源の数
ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。 Wikipedia:検証可能性 2009-05-12T07:19:55 版(強調は引用者)
とあります。ここで「ひとつ」というのが気になっており、信頼性に乏しい情報源でもふたつ以上集めれば掲載可能である、とも読めてしまいます。いくつ集めようと信頼性が高まるわけでもないので疑問を覚えたのですが、翻訳時の英語版をあたると
Sometimes a statement can only be found in a publication of dubious reliability, such as a tabloid newspaper. If the statement is relatively unimportant, remove it. Wikipedia:Verifiability 2006-04-12T09:31:03 版(強調は引用者)
となっており、この "a" を「ひとつの」と訳すのが果たして正しいのか、私の英語力では判断できませんでした。ご意見ください。--cpro 2009年8月9日 (日) 15:32 (UTC)
- 結論から言うと、上記訳文中の「ひとつ」は誤訳です。もし本当に「ひとつ」という意味で用いるのであれば、不定冠詞a/anよりも数詞oneを使うほうが通例です。逆に言えば、不定冠詞a/anはわざわざ「ひとつの」と訳さないことのほうが多いといっても過言ではありません。
- 最も簡単な修正法としては、「ひとつ」をバッサリと削ってしまうということになるでしょうか。ついでに言うなら、such asのあとにくるものは例示なので、「のような」よりは「など」のほうが良いでしょう。従って、修正後の訳文として叩き台を示すならば
- ある情報が、例えばタブロイド紙(夕刊紙やスポーツ紙のなど娯楽中心の大衆紙)など信頼性に乏しい出版物の上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。
- くらいになるでしょうか。Yassie 2009年8月10日 (月) 00:22 (UTC)
[編集] スポーツ紙は「信頼性に乏しい出版物」か?
ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。 Wikipedia:検証可能性 2009-05-12T07:19:55 版
Sometimes a statement can only be found in a publication of dubious reliability, such as a tabloid newspaper. If the statement is relatively unimportant, remove it. Wikipedia:Verifiability 2006-04-12T09:31:03 版
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- 上の章で、今回初めて原文を知ったのですが、原文には「(夕刊紙やスポーツ紙のなど娯楽中心の大衆紙)」という注釈はありません。「タブロイド紙」とは、通常、一般紙の1/2の大きさの新聞のことを指します。訳文通りとするなら、この「()」の注釈も除去すべきではないでしょうか?
- ところで、最新の英語版からは、タブロイド紙についての記述がそっくり無くなっています。この章の取り扱いも合わせて議論して下されば幸いです。
- (追記)「as」の意味は「同様に、同じくらい」です。辞書にも「such as」は「…のような」とあり、限定するニュアンスを伴います。「例示」(沢山あるなかの一つ)というのは根本的に意味が違うと思うのですが…。--山本山815 2009年8月11日 (火) 07:53 (UTC) --追記山本山815 2009年8月11日 (火) 09:08 (UTC) --修正山本山815 2009年8月14日 (金) 15:29 (UTC)
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- tabloid newspaperは a publication of dubious reliability の例示(such as=for example / of a kind that :OALDでの検索結果参照)で、その後具体例として英サン紙が用いられているのですから、単なるサイズとしてではなく、信頼性にかける(enwp・OALD:Tabloidの2)という含意があると読むべきでしょう。英語圏であれば文脈から読み取れると思いますが、日本では a tabloid newspaperだけでは、質を伴ったタブロイド版サイズの新聞と受け取る人もいるかもしれないということで、(夕刊紙やスポーツ紙のなど娯楽中心の大衆紙)と補われたのでしょう。--Ks aka 98 2009年8月11日 (火) 13:31 (UTC)
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- レキップ紙やガゼッタ・デロ・スポルト紙などのスポーツ紙をタブロイド紙と言うのは、無理があると思います。例示にスポーツ紙が入っているのは、やはり間違いなのではないでしょうか?--山本山815 2009年8月13日 (木) 13:44 (UTC)
- んーと、ここで山本山815さんが東スポやニッカンではなくて、レキップ紙やガゼッタ・デロ・スポルト紙を挙げないといけないのはなぜでしょう? 日本語版の多くの読者にとって、スポーツ紙とは、レキップではなくて、日本の(タブロイドサイズではない)スポーツ新聞だと考えるのが自然だと思います。
- レキップ紙やガゼッタ・デロ・スポルト紙などのスポーツ紙をタブロイド紙と言うのは、無理があると思います。例示にスポーツ紙が入っているのは、やはり間違いなのではないでしょうか?--山本山815 2009年8月13日 (木) 13:44 (UTC)
要は「信頼性に乏しい出版物」は、原則として、じゅうぶん信頼できる情報源だとは思うべきではない、ということが言えればよくて、それを広く執筆者に伝えるには、どういう表現がいいのか、というところで、英語版では例としてタブロイド新聞というのが使われた。日本語版では、翻訳時にタブロイド新聞では馴染みが薄いと思ったであろう人が「夕刊紙やスポーツ新聞のような娯楽中心の大衆紙」と言葉を補った、と。スポーツに関する事柄は、スポーツ新聞は信頼できる情報源の一つだと思いますよ。あらゆるスポーツ新聞の、あらゆる記事を信頼するな、ということではない。そのように受け取られるということであれば、表現を改める必要があるということになるでしょう。--Ks aka 98 2009年8月14日 (金) 10:45 (UTC)
- 元々の原文が英語版であり、例示されたのが英サン紙であった為、レキップ紙(フランス)やガゼッタ・デロ・スポルト紙(イタリア)といったヨーロッパでのスポーツ紙を例にあげただけで他意はありません。ヨーロッパのスポーツ紙がタブロイド紙に当たらず、日本のスポーツ紙がタブロイド紙に当たるというコンセンサスはないように感じています。
- 少し誤解があるかもしれませんが、私はcpro氏やKs aka 98氏の意見に全面的に反対というわけではありません。ただ、日本のスポーツ紙がタブロイド紙と定義され、それが「信頼性に乏しい出版物」と定義され、「ひとつ」という情報源の数の制限も外された場合、(例えばスポーツ紙の芸能/政治の記事を「出典」とした)多くの本文除去の根拠とされてしまう懸念を持っているだけなのです。
- 私は、例えばWikipedia:存命人物の伝記での特筆に当たらない記述の除去に多大な貢献をもたらすとも思いながらも、複数のスポーツ紙面に指摘されている、芸能や政治の分野での多くの本文除去の、根拠にされるのではと心配しています。議論は慎重に進めて欲しいと思い上の文章を書いているのであって、本筋でない細かい議論が進行することはもちろん望んでいません。--山本山815 2009年8月14日 (金) 11:47 (UTC)
ヨーロッパのスポーツ紙がタブロイド紙に当たらず、日本のスポーツ紙がタブロイド紙に当たるかどうかではありません。英語圏では「信頼性に乏しい出版物」を端的にあらわす例としてタブロイド紙が使われた。日本語圏で「信頼性に乏しい出版物」を端的にあらわすものは何か、と考えたときに、夕刊紙やスポーツ紙が用いられた、ということです。
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- 原文には「(夕刊紙やスポーツ紙のなど娯楽中心の大衆紙)」という注釈はありません。「タブロイド紙」とは、通常、一般紙の1/2の大きさの新聞のことを指します。訳文通りとするなら、この「()」の注釈も除去すべきではないでしょうか?
という問いを投げていたので、なぜ、原文にない注釈があるのか、という説明をしたまでです。
日本のスポーツ新聞は、英語圏におけるタブロイド紙と比較して、ここで例示するにふさわしくないだけの百科事典の情報源としての信頼性を得ている、ということであれば、そのように提案していただければと思います。「たとえば~など」を丸ごと削除するということは、検討してもいいと思います。
スポーツ紙の政治・芸能欄に取り上げられるものは、そのほとんどが存命人物でしょうし、重要で残す値打ちがあるのであれば、情報源を明示して残すことができます。「ひとつ(あるいは少数)のタブロイド紙の記事のみしか情報源が得られず、あまり重要でないもの」は除去されるというのが原文の示すところです。では、「ひとつ(あるいは少数)のスポーツ紙の政治・芸能の記事のみしか情報源が得られず、あまり重要でないもの」は、除去されるべきではない、というのは、それほど自明ではないんじゃないかな。こういう事例が削除されてしまうから、ここでスポーツ新聞を例示するのはやめておこう、というのを出してもらえると、話は早いと思います。
確かに、スポーツ新聞に書かれている情報はすべて使えないという受け取り方をする人は出てきそうなので、懸念されているところもわかるのですけれど。--Ks aka 98 2009年8月14日 (金) 13:59 (UTC)
- 事例で言えば、2009年8月14日のスポーツ各紙に、「中川翔子が「しんかい6500」で"芸能界最深"5200メートルの深海を探る」という記事が載ったのですが(スポーツ報知、ディリースポーツ、サンケイスポーツ、日刊スポーツ)、私の見た限り一般紙には掲載されていません。(見落としはあるかも知れません。)まだこの記事は中川翔子の本文に書かれてないようですが、個人的には充分これらのスポーツ紙の記事を「出典」として本文に書くことが出来ると思われます。
- 重要かどうかは主観に左右されてしまう部分も大きく、やはり日本のスポーツ紙が「信頼性に乏しい出版物」と例示するのは相当の議論を経なければならないように思われます。
- 私の懸念は、Ks aka 98氏が上に書いた最後の2行に尽きています。もちろんコンセンサスがあれば日本のスポーツ紙を「信頼性に乏しい出版物」に定義しても良いわけですが、個人的には大きな躊躇を感じています。--山本山815 2009年8月14日 (金) 15:01 (UTC)
週刊誌の情報がすべて間違っているわけではありませんが、他の新聞などのメディアに比べれば信用度が低いのは事実なわけです。かといって、正しい記事もあるので、Wikipediaへ週刊誌を出典として書くのはOKだと思います。
ただし、その後に記事が虚偽だとなった場合にはそれを載せた人の情報の見極めるがいけなかったということになるので,そういう場合にどうするのかというのは課題だと思います --E23320002002 2009年8月16日 (日) 10:18 (UTC)
大衆紙を信頼の乏しい情報源としていますが、つまりスポーツ紙はWikipedia:信頼できる情報源ではないとするのでしょうか?Wikipedia:信頼できる情報源にはスポーツ紙、週刊誌は何も禁止されておらず、それどころかWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションでは、Wikipedia:検証可能性およびWikipedia:信頼できる情報源は、芸能ゴシップ等、大衆文化に関して要求される情報の信頼性について特別な規定を置いていないとしています。しかしこちらではゴシップや大衆文化に関して要求される情報(スポーツ紙・週刊誌)を規定してるようにかかれており、矛盾が生じています。スポーツ紙・週刊誌は出典としてダメなのか良いのか、良いならどういう場面・書き方なら良いのか等はっきりさせるべきと考えます。けっこうアチコチで、自身も含めてこれをもとに編集合戦や埒の開かない議論がおこっている状態です。--218.217.154.122 2009年9月11日 (金) 22:24 (UTC)
[編集] 「過去に会員にのみ公開され、現在入手困難な」オンライン情報源はソースとなりうるか
「過去に会員にのみ公開された」オンライン情報源は、ソースして使用してもよいのでしょうか?似たような事例に対しウェブ上の有料記事は「出典」となるか?においてネコバットさんが論点提起し直後に撤回していますが、Wikipedia:信頼できる情報源を参照しても判断が付かなかったためご意見をお願いします。
具体例は「配信はされたが非公開のメールマガジンのバックナンバーが検証可能性を満たすかどうか」です。配信時点で誰でも会員であればその情報を手に入れることができましたが、現時点でバックナンバーが非公開ならばその情報を手に入れる手段はほとんどありません(配信されたメール所持者からの譲渡程度)。また、オンライン情報源であるため第三者である公的施設で保存もされていません。
「しかし、注意してください。もしその~」(Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)に関しては承知していますが、それ以外の情報源が見つけられない場合にはどのように扱えばよいでしょうか?--Cake0124 2009年11月15日 (日) 08:36 (UTC)
- 節タイトルだけ読むと、入手可能な人が限られている情報の事のように見えますが、内容を読むとそれだけでなく時間的に入手可能性が変化しているケースを扱っている用に見えます。この点をあいまいにしたまま話を進めると混乱しそうなので、まずはそこをはっきりさせたほうがよいのでしょうか。yhr 2009年11月15日 (日) 14:18 (UTC)
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- こんにちは。通常の書籍とは異なりインターネットの情報源についてですので技術的に複雑・個別的な議論になりそうな予感がしますが、基本姿勢として「他の編集者・読者が現実的な手立てとして検証可能性があるかどうか」に立脚していれば、さほど方向性として誤らないと考えます。ある投稿記事について、投稿時点では情報源にアクセス可能であったとして(有償・無償は関係ない)、数年・数十年後にはアクセス可能性が不明となり、なおかつ元の投稿者とも連絡が付かず、未来時点での編集者・読者にとって一切検証が不可能になってしまうような事例などがあれば、これは非常に慎重に「ノートに移動」させざるを得ないことになるのが原則じゃないかと考えます。--大和屋敷 2009年11月15日 (日) 15:44 (UTC)
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- メールマガジンとは少し違うケースかもしれませんが、インターネット上の情報源が時間的経過によって入手可能性が変化したという場合を想定した文書としては「Wikipedia:ウィキプロジェクト 外部リンク/リンク切れ」(あるいはそこで使用されている「Template:リンク切れ」)というものがあります。そこでは「なんとかして代わりの検証可能な情報を探しましょう。見つかるまでは、リンク切れであることを明示しつつ、元のリンクは置いておきましょう。」となっています。「ノートに移動させる」や「コメントアウトする」ではなく「過去にはその方法で検証可能であったが(ということを、場合によってはCite webのようにいつの時点では閲覧可能であったか、ということを示しつつ)、今はその方法では検証可能ではない」ということを示す、という選択肢を取っている様子です。--NISYAN 2009年11月15日 (日) 23:40 (UTC)
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いきさつを説明しておきます。発端となった議論はノート:眠らない大陸クロノスで、問題となったメールマガジンは「クロノス通信」の18号(2003年11月25日配信)です。クロノス通信はバックナンバーが公開されているのですが(18号はこれ)、「実際に配信されたものとバックナンバーとして公開されたものは内容の一部が異なっている」とのことで、「実際に配信されたものには掲載されているが、バックナンバーとして公開されているものには記載されていない事項」が検証可能性を満たしているかどうかで意見がわれたため、Wikipedia:検証可能性のノートに話の場を移そうということになりました。そういうわけで、「会員にのみ公開されたオンライン情報源」という節タイトルとはちょっと話がずれており、NISYANさんが言及されている「時間経過によってリンク切れとなった出典の取り扱い」ともちょっと話が違う感じです。コメントをくださる方はよろしくお願いします。--貿易風 2009年11月16日 (月) 10:43 (UTC)(脱字修正)--貿易風 2009年11月16日 (月) 10:57 (UTC)
節タイトルを少し変更しました。貿易風さんご説明ありがとうございます。入手可能性について、yhrさんの指摘された通り、今回の論点は
- 時間的に入手可能性が変化する(配信時点で入手できなければそれ以降の入手が困難)
を主軸として、さらにオンライン情報源の中でも特に
- メールマガジンという入手できる人が限られた媒体(会員でなければ入手不可能)
という2つの事例が重なっているケースだと私は判断しています。大和屋敷さんの指摘された「他の編集者・読者が現実的な手立てとして検証可能性があるかどうか」を考慮すると、対応としては「ノート移動」や「コメントアウト」が妥当かと思えます。しかし、情報源の検証可能性もまた同時に損なわれてしまっているのでしょうか?--Cake0124 2009年11月16日 (月) 15:20 (UTC)
コメントオンライン情報源といっても多様ですから、一概には言えないと思いますが、いちおう一般論として書いてみます。
まず、そのメールマガジンおよびその記述自体が媒体として信頼できるかということがあります。企業などのオフィシャルな情報、発行者、発行人が明らかで、執筆者が多少なりとも知られた人によって構成されているかどうか。
次いで、会員のみにしか公開されていない情報を、その運営者ではない立場の人が公開していいのか、という問題があります。そのメールマガジンや情報の性質にもよりますが、ある程度の時間が経過した後、なお、他のメディアで公開されていないのであれば、検証可能性ではなく、そのメールマガジンとその会員だった人との関係の上で、基本的には情報源として用いるのは避けておくほうがよいと思います。「ノート:眠らない大陸クロノス」の議論は十分には追っていませんが、貿易風さんの 2009年10月24日 (土) 03:47 (UTC)の意見に賛同します。
そのメールマガジンが誰でも登録できて事後的にバックナンバーも閲覧できる、あるいはバックナンバーは公開されていたのだけれど、活動を停止し、今はまるごと閲覧できないというような場合もあると思います。この場合は、上のような問題は生じないでしょうから、ウェブページに類した扱いができると思います。信頼できる情報源であれば、執筆当時に閲覧可能、または、執筆者が情報を保存している場合なら、情報源として用いてもよいのではないでしょうか。
さて、ノートをざっくり読んだところでは、クロノス通信は、公式のもののようですし、一次情報源としてみることもできますから、最初の条件は満たします。「PCコンテンツを取り扱う企業としての倫理観を欠いた行いである」として浴びせられた「非難」について、その非難の存在と問題の大きさを示す上で十分な情報源が得られる場合には、Cake0124さんが投稿者として、ご自身の責任においてメールマガジンの当該号を、「メールマガジン上で特定のソフトメーカーを批判していたこと」の情報源として記述することもできるかもしれません。そこで、その項目の他の執筆者が、不安定な情報源を元に百科事典の記事として記述するだけの価値があるとは思えないならば、除去されることもあるでしょう。その項目にまつわる事柄についての知識はほとんど持ちませんが、個人的には、貿易風さんの 2009年10月24日 (土) 03:47 (UTC)の意見に賛同します。--Ks aka 98 2009年11月16日 (月) 18:53 (UTC)
- 「記載内容が百科事典の記事に値するかどうか」に関してはノート:眠らない大陸クロノスへお願いします。今回論点となっているメールマガジンのバックナンバーの検証可能性については、貿易風さんの 2009年10月24日 (土) 03:47 (UTC)の意見は「入手不可能であるため検証可能性を満たさない」ですが、これに賛同しているということでよろしいでしょうか?また、そのメールマガジンとその会員だった人との関係の上で、基本的には情報源として用いるのは避けておくほうがよいと思います。とはどのような意味でしょうか?さらに、そのメールマガジンが誰でも登録できて事後的にバックナンバーも閲覧できるとは「公開されているバックナンバーの閲覧に会員である必要がある場合」を指し、「配信されたバックナンバーを執筆者が保存している場合」とは異なるのでしょうか?読解力が足りず、質問ばかりで申し訳ありません。よろしくお願いします。--Cake0124 2009年11月18日 (水) 06:31 (UTC)
最終更新 2009年11月18日 (水) 06:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【Wikipedia‐ノート:検証可能性】変更履歴


