アメリカ合衆国の人種差別
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アメリカ合衆国の人種差別 (アメリカがっしゅうこくのじんしゅさべつ、英:Racism in the United States)は、アメリカ合衆国での主要な課題である。
アメリカ合衆国(アメリカ)での人種差別は、多数派の白人以外の人種に対する差別が主であり、ヒスパニック系、アフリカ系、アジア系、アラブ系、インディアンなどがその対象となっている。
南北戦争時代のエイブラハム・リンカーンによる奴隷解放、ケネディ大統領時代のマルコムXやキング牧師による黒人差別撤廃運動に代表されるように、人種差別撤廃の動きは長い歴史を持つが、まだ完全に撲滅されたとは言えない状況にある。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] インディアンに対する差別
アメリカでの最初の人種差別は、1700年代ごろからの北東部における先住民のインディアンに対するものである。
もともと多様な生活を営んだインディアンたちを、プリマス植民地に乗り入れてきたイギリス人が駆逐したことを皮切りに、インディアンは次々に入植者のために土地を奪われ、分散させられていった。アメリカ東海岸を始め、ニューハンプシャー州や、アーカンソー州、オハイオ州など多くの各州では、「インディアンは混血して絶滅した」として、存在しないことにされている。
インディアンはまた、黒人と同じように、白人入植者によって奴隷にもされた。インディアンもジム・クロウ法の対象だった。
もともと、インディアンたちは白人(Whiteman)と彼らが呼ぶイギリス人たちとの共存を模索しようとしていたが、多くの白人は非文明的未開部族とみなして土地を奪って排除し、差別したのである。また、西部開拓が進むにつれ次第に西部にも白人入植者が押し寄せ、ドーズ法などによってインディアンの社会が破壊された。黒人が奴隷として白人社会の下層に置かれたのに対し、インディアンの歴史は、そのものを同化し、絶滅させようという合衆国の民族浄化政策との戦いの歴史である。
[編集] メキシコ系住民に対する差別
アメリカ合衆国の成立前後にはまだ国境線が確定しておらず、各国植民地などの周辺諸国との紛争が絶えなかった。とりわけスペインの影響を色濃く残すメキシコとはアラモの戦いのような大きな戦争が起きることがしばしばあり、メキシコ系住民を敵国の野蛮人として扱った経緯がある。現在ではこのような歴史的経緯に加え、就労目的で不正に入国を企てる者が後を絶たず、また既に不正に入国しているメキシコ系住民が多くなっているため、周囲の人々と軋轢を生んでいる。
[編集] 黒人に対する差別
その次に始まったアメリカでの人種差別は、黒人(アフリカ系住民)に対する差別である。
イギリスは1800年代頃からアフリカ大陸で暮らす黒人たちを金の力や暴力などによって捕らえ、奴隷としてアメリカに販売し大きな利益を上げた。また、黒人奴隷たちは商人たちによって売買されたりもした。
特にアメリカ合衆国南部では黒人奴隷を多数買い入れ、広大な平野を農地として開拓させるとともに農業の働き手として利用し、農業が大きな発展を遂げていた。黒人奴隷は人間ではなく、単なる労働力としか認知されなかったため黒人に対する差別を強めることとなった。
もっとも、南部にも人道的見地から黒人奴隷反対派の住民は多くいた。そのため、中にはそれらの黒人奴隷反対派の住民らが、奴隷撤廃派の多かった北部への逃亡を手伝うこともあった(⇒地下鉄道)。
一方、19世紀中期の北部は工業発展の緒に付いたばかりで、豊かな南部との経済的格差があり、次第に南部と北部の対立は増していた。そのため、黒人奴隷を労働力として利用する南部のやり方に異を唱える奴隷反対派が北部の住民に非常に多かった。また、北部が目指していた工業による産業振興には多数の労働力を集約する必要はなく、奴隷制を廃止されても北部には大きな打撃とはならないのも大きな理由の一つであった。
そのため、1860年の大統領選挙では奴隷制が大きな争点となり、結果、奴隷反対派である共和党のエイブラハム・リンカーンが当選した。
しかし、南部では奴隷制が廃止されると労働力確保に大きな問題が生じるとともに、これまで奴隷として抑圧されてきた黒人の不満が爆発し暴動に発展することもあったことなどから、社会不安が急速に高まり、遂に同年4月12日に南北戦争が開戦した。その際の先制攻撃は南軍によるものであった。
「アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史」、「公民権運動」、「アフリカ系アメリカ人#アフリカ系アメリカ人への主な差別」、および「ネグロイド#呼称とポリティカル・コレクトネス」も参照
[編集] アジア系住民に対する差別
南北戦争の前後頃から大陸横断鉄道の建設が始まり、清国から移住してきた中国人などアジア系住民が労働力として多用された。アジア系住民はその風体や衣服あるいは生活習慣などが欧米系住民とかなり違っており、差別の対象となった。
さらに第二次世界大戦が勃発すると、日系人は敵性民族として強制収容所に送られその私的財産が没収された(⇒日系人の強制収容)。また、アメリカ生まれの日系人に対しては、先祖の国日本につくか(=強制収容所送りとなる)、それとも生まれた国アメリカにつくか(=兵士として激戦地に送られる)の選択を強要した。戦後になって、日系人に対するこれらの差別的仕打ちは、自由の国アメリカとして誤りではなかったかとの批判が起こっている。
1980年代、日本がバブル景気によって世界的にその市場を広げていた際、世界中の様々な市場が打撃を受けた。アメリカでも例外ではなく、とりわけ家電や自動車の市場が奪われると、その結果アメリカ国内では失業者が増え、その失業者や家族を中心に日本製(Made in Japan)製品の不買運動や日本人敵視の風潮が生まれた(ジャパンバッシング)。中国系住民のビンセント・チンが日本人と間違えられて撲殺される事件も発生している。これはアメリカ経済が立ち直った現在ではあまり聞かれなくなっているが、それでも当時の記憶から敵視する者も皆無になったわけではない。
[編集] アラブ系住民に対する差別
イラン革命以後、アラブ諸国はアメリカと対立することが多くなったため、イスラム教を信奉するアラブ系住民に対する差別も拡大している。特に9.11同時多発テロ事件以降ではアラブ系住民=テロリストと差別的に見られることが多くなっており、公共の場所での執拗なセキュリティチェックが行われることもある。またアメリカ人はアラブ系やイスラム関連施設に対し憎悪の矛先を向けており、アラブ系が嫌がらせを受けると言う事件があった。
また、アラブ系住民は「髪は黒色で、肌の色が浅黒く、ターバンを巻いている」というステレオタイプがあるためか、外観が似ているシーク教のインド系住民がアラブ系住民と間違われ、言われなき差別や取調べを受けることもある[1]。
[編集] カトリックに対する差別
「キリスト教徒による宗教的迫害」も参照
もともとアメリカは大航海時代に大西洋を渡ってきたプロテスタントの手によって開発された経緯があり、現在もプロテスタントの割合が多い。それゆえカトリックは差別の対象になりやすい。この風潮はとりわけ政治の世界で色濃く、歴代のアメリカ合衆国大統領でもプロテスタント系がほとんどであり、カトリック信者で大統領に就任したのはジョン・F・ケネディのみである。
それゆえ、アメリカでは支配階級のことを、時に皮肉の意味をこめてワスプ(WASP)と呼ぶ。WASPとは、W = White(白人)、AS = Angro-Saxons(アングロ・サクソン人)、P = Protestant(プロテスタント)のそれぞれの頭文字を取ったものである。
[編集] 脚注
- ^ 小向宣生 "教化情報第12号「米国宗教事情『9.11テロとイスラム教と人種差別』」" 日蓮宗 東京西部教化センター、2009年9月14日閲覧。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月25日 (水) 18:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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